TANNYの遊び心 
    
                                    

      2012年7月  タテトラ51.5

       2011年10月  第1回大阪マラソン

       2011年9月 佐渡国際トライアスロン大会A

      2010年9月 佐渡国際トライアスロン大会B

       2010年2月  東京マラソン

      2009年9月 佐渡国際トライアスロン大会 Bタイプ

       2008年3月 アイアンマンニュージーランド

       2007年9月 佐渡国際トライアスロン大会 Aタイプ

       2007年4月 宮古島 STRONGMAN

      2007年3月 ニュージーランドアイアンマン

      2006年9月 佐渡国際トライアスロン大会

      2006年8月 湘南オープンウォータースイム

     

          

     

     



































































































































































ニュージーランドアイアンマン リベンジ 2007

       【起】 【承】 【転】 【結】 【いろいろ】

                                                   【おまけ】

































《 起 》


 1997年3月  初めてのNZアイアンマン挑戦! 開催場所はオークランド。
当時のアイアンマンシリーズではもっともハードなバイクコースとして知られており、
海岸線の200mほどとハイウェーから村へ入る一部だけがフラットで(ハイウェーもコースの一部)
あとは、登っているか!下っているかのコース!
  

デビューがミドルで、フルマラソンも毎年走っていたし、学生時代は九州や四国1周サイクリングも
やっていたので、距離に関してはあまり不安は無かった。
むしろ初めての南半球への旅行を楽しみにしていたくらいだった。

・・・・しかし、現実は・・・、アイアンマンは・・・、甘くはなかった!
スイムは1時間11分で予定通り。
バイクは、海岸線の200mほどから右折するといきなり心臓破り級の坂を上ることに!
もうそこからはアップダウンの繰り返し!

繰り返されるアップダウンに疲労困憊し空腹感が意外と早くやってきた。
ウェストバッグに用意した補給食を早い時間から食べ始めてしまう。
想像以上にしつこいアップダウン! 体力の消耗が激しい!

急な坂を下って、すぐに登りになるとその境目で少しG(重力)がかかる。

復路疲れ始めた体がそのGに反応し始める。
そのGがかかった時に瞬間だがフーッ!なって急激な睡魔に襲われる。

130km地点を過ぎたあたりだったか、
いままで、下ればそのまままっすぐ登っていったコースが、
少しカーブになっていた!
瞬間睡魔に襲われた状態になりそこを曲がりきれず、そのまま牧場へダイビング!

一見、大事には至らず、そのまま競技を続けたが、
ランに入り、陽が沈み気温が冷え始めた頃、足がズキズキと痛み始めた。
36km地点で15時間が経過・・・・・
あと、6kmを30分で走るのは困難と判断したスタッフからリタイアを言い渡される。
そこで、初めてのNZチャレンジは終った・・・・・・

今思えば、
コースに打ちのめされた!  アイアンマンを舐めてた!  が実感であった。

帰国すると、リタイアに失望した人からは非難中傷の嵐!
悪口、陰口 当たり前!・・・・の状態。
思わぬ展開に戸惑う。
その人たちはロングどころかミドルも挑戦した事のない人達。
おそらく・・・・・
トライアスロンに大きな思いを寄せている反動だったかもしれない。
そのときはそう解釈した。
もちろん、完走するまで挑戦すれば、完走したとき感動が大きいよ!
などと、応援してくれた人もいた事は触れなければならない。
そして、次へのチャレンジに気持ちを向かわせる!
                               承へ
































《 承 》

 翌1998年 昨年の雪辱のため再チャレンジ!
それまでCSCで練習したり、その頃から始まった東京の市区組織つくりでも
その帰りをランで行ったり。筋力負けした経験からジムに通ったりと
それなりに準備を心掛けてのチャレンジでした。
100本スイムも先頭でガンガンやれました!
年が明けてからも好調でした。
 ・・・・・・・が・・・そこに落とし穴が・・・・
人生思いも寄らぬ事が起こるものです。 いや、それが人生かも知れない・・・・・

その年風邪が流行していました!
昨年の不安感から年が明けても練習量を減らすことができない・・・・・
出発4日前、「・・・ん?喉がおかしい!」
2日前には熱が出だした!  ・・・ヤバイ!!!
出発を断念するか?!
・・・・しかし、ココは貧乏人の悲しさ!
せっかく休みを取ったのだし・・・・・・
今キャンセルをするとツアーのキャンセル料の%が高く、ほとんど戻ってこない。
ならば、出場はしなくても旅行くらいはしよう。
一方では、それくらいNZという国も国民性も気に入っていたのも事実。

現地到着。
現地は今年は異常気象ということで、寒さと暑さが交互にやってきているという。
到着時は暖かかったが、翌日以降からは肌寒い日々に・・・。
それでも他の人達は短パンにTシャツ姿だが、
こっちはウィンドブレーカーを着込んで体を冷やさないようにつとめた。
出場するかどうか迷っていたが、
やはり、現地にくると、周りの雰囲気を感じると・・・出場したくなってくる。
意外と大会当日は暖かくなるかも・・・・。薬を飲んで体もちょっとは回復するかも・・・・。
そんなささやきが聞こえてきた!・・・というより、これもやはり貧乏人根性かもしれない。

大会当日!
午前中は荒れて雨混じりで肌寒い!
海はもの凄い高波で荒れ気味!
ベテランの話では「日本ではこの状況ではスイムは絶対中止だな!」
競技開始!
時間は1時間30分ちょっとかかってしまう。
バイクでは雹混じりの雨が降ってくる。顔に当たると痛い!
晴れたり、雨が降ったりめまぐるしい天気の変化!
体がドンドン冷えて、血の気がなくなるのが感じられる。
途中から雨が完全に上がった。気温は暖かくなってきたようだが、体から寒気が抜けない。
バイクラスト40kmくらいから深く息がすえない。呼吸すると肺が痛くなる。
タンがからみ、排除しようとすると肺全体に痛みが起こる。(あの痛みは今でもはっきり覚えている)
何とかバイクを終え、
ランへ・・・・・
最初の10kmは坂を登って下りてくるコース。坂が急すぎて目が回ってまっすぐ走れない!
残りの30km強は海岸線を2往復。風が強い! 多くの人がビニール袋を被って走っている。
誤魔化し、誤魔化し走り続けたが、体が動かなくなってきているのが感じられる。

ただ、地面だけを見てかなりの時間が経過した。
なんと、36km地点の看板が目の前にある!
時間は昨年より20分以上余っている!
スタッフがリタイアするか?と聞いてきた。
一度は断って走り続けたが、スタッフがずっとついてくる。
・・・やがて、ついにそのスタッフにかかえられバスに。
2度にわたるチャレンジが終った・・・・・・・・・・

帰国するとはやり、陰湿な罵詈雑言の嵐・・・・・・
「お金を捨てにいってきた。」とまで言われてしまう。
ついに耐えられずその人達にキレてしまう。
ただでさえ、自分のなかで2度の挑戦で完走できなかった自己嫌悪が大きいのに・・・
結果が悪いと裏でとやかく言われる競技としてのトライアスロンにも嫌悪感が・・・
人のためにチャレンジいるのではなく、自分のためにチャレンジしているのに・・・
自分のお金で行っているのに何が悪いか!?
やがて、イライラから開き直りへ・・・・
病院では肺炎との診断結果・・・
もちろん、その時も理解して支えてくれた人たちもいた事は強調したい!
その年から東京では知る人ぞ知る市区組織つくり&運営、新規大会開催等が怒涛のように始まる!
トライアスロンに嫌悪感を感じていたのに、普及活動に従事。
最初はこの矛盾に戸惑っていたが、そこで人に出合う楽しさが気持ちを宥めてくれた。
仕事も睡眠時間も犠牲という表現が大袈裟でないくらいの日々が続いた・・・・
それから数年、選手として大会に参加することはなくなった・・・・・・

                                       転へ




































《 転 》

 2005年1月 
これまでのトライアスロン裏方生活に別れを告げ、選手復帰を目差す!
「そうだ、7年前にリタイアしたNZアイアンマンを40歳台のうちに完走しなきゃ!」
2月1日 本格?トレーニング開始!
まずは体重を測ろう・・・・・! 「98.6kg!」 確か年末の健康診断では100.6kgだった!

トラデビューするときに走っていた1周600mの公園を原点に戻って走る。
まずは、ゆっくりだ!
本当に・・・・・ゆっくり走った・・・・・・!
       ・・・・・・・・・・・・・・・・しかし、半周の300mで息があがってしまう!  「・・・!」
全く走れない!  呼吸がついて行かない!
とにかく、歩きをほとんど入れて5周(3km)だけはこなして終る事にする。
デビューを目差している時よりひどい状態! 信じられない! 先行き不安になる・・・・

プールに移動して泳ぐ。
こちらも300〜400mくらいで肩が張り、それ以降は息が荒れてフォームは乱れっぱなし!
こちらは予測はしていたがショックは隠せない!

2006年NZまでは1年以上有る。焦らず続けようと誓う。
基本メニューは歩いてもいいから公園5周3kmは続ける。
プールもペースは落としても平泳ぎを入れても1000mを泳ぐ。じっくり有酸素運動に徹した・・・
以上を仕事が無い時に続けた。ほとんど初心者状態!

しばらくすると
体重が面白い様に落ち始める。90kgまではあっという間に落ちた。

しかし、そこから停滞期に入る。何週間も体重が一向に落ちない!
5周続けるラン&ウォークを1日に朝と夜2回行う。
このあたりになると歩く事はなくなる。
ジム通いも始める。スイムはもちろん!
この日々が疲労を溜め込んでしまった。
一時、休養中心の生活になってしまった。リバウンドとの格闘・・・・。

しかし、今までと違うのはそこには一緒にトライアスロンを楽しむ仲間が増えていたので、
練習に対する気持ちが崩れそうになりながらも直ぐに元に戻す事ができた。

秋からはロングバイクライドも頻繁に行われるようになった。
最初は千切れっぱなしでも



回を重ねるごとにスタミナがついてくるのが自分でもわかる。
体重もまたゆっくりではあるが落ち始める。

何度かリバウンドと戦いながら
体重が85kgになったころ8年ぶりのNZアイアンマンがやってきた!


2006年 3月  8年ぶりのNZアイアンマン 開催場所は郊外のタウポに移っている。
 なんとか制限時間ギリギリでも間に合うからだになっているはず・・・・・
 しかし・・・・・・・・・・ここでも予想だにしない事がおきてしまう。
   
        2006年の大会の詳細はこちらを!        ≪結へ≫














































































  ≪結≫

  2007年3月  4度目のNZにやってきた! なんだか帰ってきたという感じがする!
今回はジュンペイさんが一緒。 うどんdeバイクをイメージして気を楽にすることが出来そう。
到着時は小雨が降ったりちょっと肌寒かったが、大会時は穏やかな気候!

<スイム>
アップのため入水するが、沖へ行かないと人が多くアップにならない。
中間どころで人と話ていたのが体を冷やしてしまった!

マオリ族の応援セレモニーのあと、スタート!

 (写真は主催者)

位置取りも良く、バトルも穏やかで泳ぎやすい!
・・・・しかし、200mくらいで急に息が吸えなくなってしまった。
いくらゆっくり泳いでも息が吸えない。

そういえば、到着時試泳したシラトさんもいきなり泳ぐと息が吸えなかった。と言っていた。
シーポのタナカさんがそういう時は吐く事だけを意識するといいですよ。とアドバイスもあった。

・・・しかし、もうクロールのリズムでは吐く事も出来なくなっていた。
ここで無理をしてクロールにこだわるとスイム事故も起こりえる!

初心者がスイム事故を起こすとは限らないのである。

リタイアがちらつく位苦しかった! しかし、もちろんリタイアするわけにはいかない。
平泳ぎで呼吸を大きく意識してしばらく続けた・・・・。 
やっと体が温まり、呼吸ができるようになるのに500m以上かかった。

気が付くと最後尾にいた!

そこからクロールがはじまる!
透明度が高いのでブイの確認はほとんどせず、前を泳いでいる人を追いかけながら泳ぐ!
最後尾なのでドンドン面白いように人をパスしながら進む。
気持ちの中ではあっという間に折り返し!

1時間17分44秒 


最後尾からよく盛り返したと思ってます。
あとで、ジュンペイさんに聞くと全く同じ思いをしていたそうです。

フィニッシュ地点から400mほど走るのですが、応援が凄い!
・・・・歩かしてもらえない! まるでアクアスロン! ・・・しかし、気分が盛り上がる!

トランジッションで日焼け止めを塗ってもらい、トイレにいった後、さあバイクへ!

<バイク>
まるでトップ選手にでもなったような気分にさせてくれる盛り上がりのある市街地のコース。
湖岸から左折すると唯一の坂らしい坂道。
これがまた物見山に斜度といい、道幅といい、長さといい、そっくり!

やがて、草原コースへ!
往路が軽い追い風、復路が空冷をしてくれる向かい風。
荒川で練習している者にとって、これくらいなら心地よい! 
2周回目は風が逆。

周回の拠点の市街地では凄い声援!
日本ではちょっと味わえない興奮を覚える!

コースの風だが、少し冷たい風なので心地よいが、お腹も冷えた!
都合4回もトイレに駆け込む。
同じ状況の選手が何人もいたのか、トイレの中が汚い!混乱状態が直ぐにわかるくらい!
自分がしている時に他の選手が外で待っているのがわかる。

この2周回のコースは結構曲者!
1周回目に張り切りすぎた選手が結構落ちてくる。(トップクラスは別として)
「あれ、2時間くらい前に自分を抜いていった選手だ」
そんなことが度々あった。

高低差図ではわからない部分。
ジワリジワリとスタミナを奪ってくる。
カナダやNZで11時間台で完走しているイワサキさんでさえ
2周回は辛かった!・・・と。
ただ、景色がいいので楽しみながらレースができる。

2周回目にはいると、その後のランが気になってきた。
なんせ、練習では最高25km走しかやっていないのだから・・・・・。
時計を見るとランに8時間残せそうと思うと、
デカスロンのように使いきりバイクが出来なかった。

それくらい完走に注意深くなっていた・・・・。

バイク 6時間50分08秒

<ラン>
靴の擦れるところに貼る予定のテープが無い!
仕方なく無しで走ることにした。

ここでもトイレとエイドと日焼け止めをバッチリ!

コースに出ると最低7〜8kmは歩く事を諦めなければならない。
なぜなら、応援の人が多すぎる!(嬉しい贅沢な悩み)

自分の走り始めを思うと、バイクでセーブしようが、しまいが、同じだったことに気付く。
180kmも走ると同じなんですね!

  (写真 リアルニュージーランド)

コースは結構細かくアップダウンがある!
これも2周回めには結構効いて来た!
シューズを見ると擦れたところから血がにじんで来た。

折り返しでジュンペイさんとすれ違うと、その走りに刺激を受けて痛さも忘れてしまう。
1周回目6km手前でハットリさんとすれ違う。
大きく手を上げて答えてくれた。

気が付くと空腹感が襲ってきた。
エイドの度にしっかり補給していたのだが、なぜか空腹に・・・。
ふとひらめいた!
紙コップの水を飲み干し、そこにクッキー等を詰め込み、
飲み口の部分を押して閉じ、ランパンに挟んで走った。
随時補給しながら走ることで空腹感は無くなった!

やがて、2周回目。なぜか1周回目より気持ちよく走れる。・・・速くはないが、、、、、、
きっと、完走に1歩近づいたことに興奮し始めているんだと思う。

当たりも暗くなり始め段々アヒルのような走りになる。
市街地から離れると街灯は一切ない!
蛍光の首輪がいたるところで揺れている。
まるでエイリアンが行き来しているよう・・・・。

・・・・・やがて、あの・・・36km地点が来た。
瞬間立ち止まり、その看板を見つめる。
「ここから先へ進むのに10年かかった!」
ちょっと涙腺が揺るんだ!・・・いや、汗に紛れてかなり緩んだ!

ラスト5kmあたりからは、「アイアンマン オメデトウ!」の声がいたるところからかかる。

その37km地点すぎにサムという少年が伴走してくれた。
お互い自己紹介すると、一生懸命話してくれる。
「泳ぐのは得意だけど、走るのは苦手。だけど、大人になったらアイアンマンに挑戦したい。」
などと、以前からの友達のように話してくれる。

のぼりではアヒル同然の自分の走りに、サムは歩いていても同じ速さ。
周囲の大人たちもその冗談を言って笑っている。
自分もサムと同じように歩いておどけてみせる。

やがて、この坂を越えたらサポートステーションがあるよ!と教えてくれ、
来年もココで待ってるよアキ!と言って手を振って離れ始め。
じゃあ、来年また会おう!サム! というと。
アイアンマンオメデトウ! と言って去っていった。
・・・・また、ちょっと涙腺が緩んだ。

その後直ぐに必死にストレッチをしているハットリさんに合う。
いつものように手を振ってくれているが、真剣な表情で先を目差している!
時間の限りいけるところまでいっちゃいましょう!というと
大きく手を振って痛そうな足を引きずってレースを続けていった。

40km地点でジュンペイさんが後ろからやってきた!
よく、ここまでジュンペイさんの前を走れたと少し嬉しかった。
40kmの看板でやっと完走を確信!

フィニッシュも近いので応援も凄い!
前でジュンペイさんが帽子を取り頭を下げて応援に応えると
一気に沿道が盛り上がった!
それは単なるワー!ではなく、
まるでステージにミックジャガーが登場したかのような、
空気までが揺らされるような声援が
沿道から、向かいのレストランから溢れ出てきた!
もうその後はジュンペイサンが手を振るだけで大盛り上がりでした!

応援の人達は、速いタイムで走るキャメロンも凄いけど
フルタイムワーカーで10何時間もかけてアイアンマンを目差す人達に対しても凄い!と
全く同等の評価をしているように思えました。
それゆえに、沿道の応援の迫力はもの凄いものがありました!

フィニッシュの公園が近づくと心がときめいてきました!
ラスト2kmは上りが少しあるのに、それまで足が痛かったのに
それすら忘れていままでより速いペースで走っている自分に気付きました。
宴会のノリの応援ではなく、人の完走を自分のことのように思って応援してくれる
人たちの中を走ってフィニッシュゲートをくぐった興奮は
今後のトライアスロン人生に大きな収穫をもたらしてくれました。

ラン 6時間46分52秒

10年という期間・・・やっぱり長かった!
いろんな事があった・・・・!

でも、これで一区切りがつけた! 15時間08分04秒

選手をやっていなかった期間もやっぱりNZ完走していなかったことは
どこかにいつも引っかかっていた。
選手に目覚めさせてくれ、アイアンマン完走まで練習に付き合っていただいた
メンバーには心から感謝します!
 血染めのシューズ!・・・・・臭い!

                          《いろいろ》















































《いろいろ》

DNF
トライアスロンをやっていく中、こういうこともあるでしょう。
自分がラスト5km地点の時、2周回目に入った人達はおそらく時計を見て間に合わない事は
本人が一番知っていたでしょう。
でも、体が続く限り、スタッフに止められない限り、レースを続けようと頑張った!
結果はDNFでも素晴らしいと思います。
アイアンマンがどんなものかが分ったんだから、また次チャレンジすればいいんです。
それでダメだったら、またチャレンジすればいいんです。
アイアンマンは大変だからもう辞めたでは、それでおしまいですが・・・・
チャレンジする精神がある限り何度でもぶつかっていけばいいんだと
今回客観的にも10年前の自分を見ることができ
自分は間違っていなかったと確信しました。
今後もぶつかっていく事が楽しくなるようなトライアスロンであって欲しいと・・・・・

よく、アイアンマンなどのロングを完走すると
すぐに他人との関係に上下、優劣をつけようとする人がいます。
中には言葉遣いまで変ってしまう人もいました。
別に実力でハワイに行ってその上入賞するほどの選手であるわけでもないのに・・・・
トライアスリートのなかには完走するに充分実力があっても、仕事などの関係で出場できない人もいます。
また、トライアスロンをやりたくても事情でランニングや水泳のみの方もいます。
でも、その人たちが仲間なら、その中には上下も優劣も存在するはずがありません。
かつてのトライアスリートにはロングを完走した自分を周囲から特別視させようと
自分は別格なんだとする人がいました。露骨な態度の変化がありました。
本当にウンザリでしたが
幸い今のネリトラには、100kmランナーもいれば、他のロング・ミドル大会完走者、水泳・バイク愛好家
そして、初心者がいてみんなイーブンな関係で楽しんでいます。
そんな環境だから自分は50歳手前になって選手復帰できたんだと思います。

なんだか一気にウップンを晴らしている感じですが、

仲間とはチャレンジする人をみんなで応援できる集まりなんだ。ということが今回の実感でした。