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河川や海岸部の土地を利用したり、
再開発ビルと軌道を融合させ同時施工したりと、
都市鉄道としての新たな整備方法を積極的に
考案し試行したのも姫路市営モノレールの大きな特徴。
実際には建設されなかった区間でも、
これらの整備方法から考えていけば、
構想ルートが見えてくる、かも。
 

 山頂部から南側を見晴らせば、左側には船場川が見える。地と空の境目に当たる部分は飾磨・広畑の工業地域。船場川はそこへ向かって流れていく。
 当時の市長構想では「手柄山からは南部の工業地域へ延伸し・・・」と謳われており、また「河川敷や海岸部の公有地などを活用して・・・」というくだりもある。
 前述のようなことから考えれば、引き上げ線を南へ延伸させ、船場川へ再び合流し、そのまま飾磨の海岸部へ達した後は海岸部を西へ向かって広畑へ向かう予定なのではと推測できる。この川岸にもモノレールの軌道が敷設されていたのでしょうか。
 その割には河岸に余裕がないようにも思えるのだが・・・
 飾磨付近まで下ると、川幅も広くなる。この岸辺をモノレールが走り、海岸部の工場を結んでいたのだろうか。しかし既存の軌道系交通もあり、並行路線を新規建設するより既存鉄道の立体化なり車両近代化といった整備を促進する方が良かったようにも思えるのだが・・・。
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