廃止の決断とその後
休止後は事業の存廃についての討議が進められたのですが、国鉄姫路駅の高架化との絡みもあり、結果的に異端児となった交通モードを使う現状のモノレールについては一旦廃止し、今後の公共交通網については「新たに検討する」ということで話がまとまり、全線の廃止が決定しました。廃止の決断から正式な廃止手続きまでに時間差がありますが、これは設備の償却期間や起債の償還等の問題がなくなってから手続きを開始したということのようです。
正式廃止後は、休止期間には行われていたモーターカーによる点検保守もできなくなり(廃止路線に車両を運行することができないため)、地上や駅施設から目視にて設備の状況確認などが行われていたようですが、廃止後しばらく経った時に発生した「き電線落下事故」が発生、物品の損壊などのい被害を出したことから、モノレール軌道の撤去問題が改めてクローズアップされました。
単なる撤去では費用もかさむことから、各種有効活用策も練られましたがモノレール軌道の「細さ」が災いしてどれも実現せず、そこから細々と部分撤去が行われるようになりました。
現在、自動車偏重の交通形態が改めて問題となり、公共交通の重要性が改めて注目されています。また都市機能としても、ビジネスや商業だけでなく、文化施設やレクリエーションという面も重要視されるようになりました。
姫路モノレールは、姫路の都心商業地と文化・健康施設(手柄山中央公園)を結ぶ路線形態で、今から見直せば、都市機能の向上に大きな効果のある路線、という見方もでき、将来計画でも姫路の都市機能向上には非常に重要な存在になったのではないかと思われます。当時から「せめて姫路城まで一緒に作っておけば状況は違ったはず」、こう考える市民も多かったと聞きます。部分開業から僅か8年で命を絶たれたモノレールは、あまりにも不運でした。しかし彼女が実施してきた様々な事項や第一期線の存在意義など、都市交通を研究する素材としては注目に値する路線のはず。この世から痕跡が消えてしまう前に、再評価すべく記録・研究を続けていきたいと思います。