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廃止から20年以上経つ現在でも、姫路市街に残されている
モノレールの軌道跡を改めて検証してみた。
写真や記述については2003年1月現在のもので、
その後は撤去作業などで変化がある場合もあるので
ご留意頂きたい。
 

 下に降りて、旧分岐器付近から駅舎を見れば、こちらにもアーチ構造がある。右側は駅へ、左側は車庫への開口部となっていた。分岐器&引き上げ線撤去後暫くは板で塞がれているだけで、板の隙間から中へ侵入して遊ぶ子供などもいたようだが、今はしっかりと塞がれ、手前に飾りアーチなどを作られて「目隠し」されている。
 駅側のアーチ上を見ると窓がある。建設当初からあったのかどうかは不明だが、分岐器と引き上げ線を見渡せる位置にあることから信号扱所ではないかと思われる。尤も、分岐器はここにしか設けられておらず、使用するのも入出庫だけなので実際は常駐する信号掛などはいなかったかも知れないが、遊戯施設ではなく営業鉄道線としての証明、といったところだろうか。
 ここは引き上げ線があったスペース。撤去後の整備によってここも面影は完全に消えている。
 ただ意味深なのは、ここを下りきったところにあるのが「船場川」だという事実。船場川に向かって延びていた引き上げ線が意味するものは何だったのか。
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