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新転位・21
上演リスト
14●アキバ飛べ
13●シャケと軍手
12●向日葵
11僕と僕
10ホタルの栖
09嗤う女
08異族の歌
07黙る女
06砂の女
05齧る女
04エリアンの手記
03ジロさんの憂鬱
02パパは誘拐犯
01マーちゃんの神曲
00女殺し油地獄
上演リスト No.14 アキバ。飛べ。
  
第14回公演
芸術文化振興基金
助成事業
アキバ、飛べ。
-秋葉原無差別殺人事件-
作/岩崎智紀+山崎哲 演出/山崎哲


 

 

 

 

 

 



 

 

 


 

 



「雨、やんでる 素晴らしいことだ」
「俺、病んでる 素晴らしいことだ 不覚にも」
「秋葉原で人を殺します
車でつっこんで、車が使えなくなったら
ナイフを使います
みなさんさようなら」
「頭痛との闘いになりそうだ」
「これは酷い雨 全部完璧に準備したのに」
「こっちは晴れてるね」
「秋葉原ついた」
「今日は歩行者天国の日だよね?」
「アキバ」
「時間です」
生きるも死ぬも空っぽで命がけ。
アキバに賭けた男のアキバ青春残酷物語。


壊れてしまった私たちの
家族の<現在>を描く
新シリーズ


2009年6月9日 - 15日
中野光座
090-5504-2431

開演

平日(19:00)
土曜(14:00/19:00)
日曜(14:00/18:00)
入場料
前売2800円
高校生2500円
当日3000円
日時指定/全席自由
プレイガイド
ぴあ

問合せ
新転位・21
〒170-0003
豊島区駒込7-14-5アトリエとげぬき地蔵
Tel&fax 03-3910-1660
mobile 090-5504-2431
 e-mail n-tenyi21@ceres.ocn.ne.jp


出演
村山好文 杉祐三
三浦秀典 小畑明
岩崎智紀 永岡紗江
中島望美 渡邊ゆみ
浜ア由加里 りん 
妻鹿益己  荻原裕介
立川貴一 中邑ゆら
大和田尚子 青戸則幸
丸瀬健太郎 渡辺裕来子

スタッフ
舞台美術蟹江杏/八雲
光デザイン海藤春樹
音楽半田充 GORO
衣装蟹江杏
台本協力丸瀬健太郎
宣伝美術蟹江杏/菅由貴子
舞台監督村山好文
制作新転位・21
中島望美/林弘美/永岡紗江

協力
海藤オフィス/MMS
新転位・21演劇学校第8期生
伊藤悦子/吉本昇 
ほか


この公演のドキュメントが
6月11日、NHKの
「ニュースウォッチ9」で
放送されました。


ポスター(版画・蟹江杏)



チラシ表/チラシ裏/チケット/はがき


●主な来客(敬称略・順不同)
伊藤俊也 岸田秀 水口義朗 立花義遼 佐藤健志 十貫寺梅軒 佐野史郎 石川真希 田中昌子
岸川由美子 千野宏 山家誠一 野口忠男 岩波三樹緒 加藤一也 成行美智子 中田充樹
高木博美 保坂百合子 松本光世

感想/アンケート

●創造力いささかも衰えていない兄の、強靭な精神にシゲキを受けました。
トラックの轟音と闇は、閉所恐怖症の小生を過呼吸寸前にまで追い詰めました。
寺山さんも煙と闇で生物体にものを考えさせる手法をとるので
小生は、非常燈の下のドアのところに立って見ていました。
青森、ねぶた、京都、アキバ、祭りの隠喩はきわめて鋭いものでした。
一緒に行った記者も感動してました。
田原総一郎に観にいけよと言ってやりました。
ジャーナリストのはずが、権力党の立場になっているので。
(水口義朗・ジャーナリスト)

●僕等は救われるだろうか…。
ひとりで電車に乗ってみたよ。見慣れた景色を眺めてみたよ…。
何にも無い無い僕等は、てつさんの優しいまなざしに包まれて、体あたりのみんなに包れて。
奥の奥、深いところで、つながれ。君達つながれ。君達つながれ。
感動して苦しくなりました。
(Y・M)

●当事者の人生の背景がわかり考えさせられた。
(無記名)

●ここに来るたびにいろいろ考えさせられます。
私も派遣社員なのでいろいろ心配です。背が低い男の人はかわいそうだ。
(派遣社員 Y・O)

●秋葉原の事件も先日、一年が経ってしまいました。
ただTVを眺め、客観視している自分がいたことを覚えています。
なんと言葉に残したらいいかわからないのですが、
人が人の中で生きていることは当たり前なのに、
囲いをつくってしまうことで、とても息をしにくくなるものですよね。
それをつくりあげてしまうのもぶち壊すのも自分なのに。最近、それを強く感じます。
いろいろ考えてしまいましたが、この辺でおしまいにします。残りの公演も頑張ってください。
(A・H)

●重いテーマでしたが、とてもシャープな演出と演技で興味深く拝見いたしました。
ありがとうございました。
(M・S)

●同じことのくり返しの中で生きる、
かとうの誰にも言えなかった心の中が見えたように思います。
ラストで、暗転の中で事件が起きた時の間は、
被害者の方のことが思い浮かばれ悲しくなりました。次回作も楽しみにしています。
(無記名)

●とても舞台創りに適した、注視した演出というか構成でした。
ニュース等で描かれていないところに注視した点です。
棒読みのようなストレートな出し方も中途半端じゃなかったので集中できました。
(無記名)

●これが、舞台ですよね!!
(学生 S・K)

●声のトーン、照明、音響、の世界に浸ることができました。
(無記名)

●私は貴方だったかもしれない。貴方は私だったかもしれない。
本当に考えなければいけないことは、そこだったんだ。あれから一年…。
(無記名)

●難しい問題をよく掘り下げて皆さん演じられたと思います。これからも頑張ってください。
(Y・M)

●皆さんの迫真の演技に圧倒され、あっという間の2時間でした。
お疲れ様でした。
(無記名)

●知っている事件だったのでストーリー内容がわかりやすかった。
全体的に演技がリアルな感じだったのでよかった。
(無記名)

●カトウ役の小畑さん、よかったです。
犯人の悩みや、苦しみや、いら立ちがよく表現されていました。メイドさんがかわいかったです。
(Y・T)

●日本にも見えない階級があって、上からは見えない。
下から上は蜘蛛の巣のように、上から下は雲のように。
(H・N)
●若い人は大変だなあと改めて考えさせられました。なげかけてくれた作品でした。
(K・K)

●ユニフォームを、首切りのためにかくされたと、加藤が怒るシーン。
実際の話だと思いますがとてもよく分かります、彼の気持ちが。いいシーンでした。
(K・N)

●涙が出そうになりました。選曲がいつもよいですね。
(M・S)

●舞台を観るのは今日が始めてでした。
今でもよく覚えている事件ですが、カトウがどんな人物で、なぜあの事件をおこしたのか、
そこまで考えたり、知ることはなかった。
今回の舞台で感じたことは、本当に誰も彼を止めることができなかったんだろうか。
いつも下を向いていて、笑顔を見せることのないカトウに
誰もかけ声をかけてあげることは出来なかったのか。
トカちゃんは何故死んだのか?
他人、家族でも人の気持ちは難しいもので、お互い心を開けないと、
自分の気持ちを伝えることも、その人のことを知ることも、受けとめてあげることもできない。
彼は誰かにSOSをだしていなかったのだろうか、
弟が彼をかばい守ることがあれば、彼は大切な人を守ることや
人に優しくすることがもっとできたのでは?
彼の父が、見て見ぬフリをすることなく、彼をしっかり抱きしめてあげていたら、
彼は人を信じ誰かに気持ちをうちあけることができたのでは?
彼のおこしたことは、決して許されることではありません。
ただもしカトウが自分だったら?
自分のまわりにカトウがいたら、自分は気付いてあげられただろうか。
家族や、まわりの誰か、そして自分自身、深く考えさせられる舞台だったと思います。
小畑くんの演技、ただ作業している時の手の動きも、
ナイフを何度も振りおろした時、どなった時の表情や声、イスを蹴る姿、
胸をかきむしられるような苦しくて悲しい気持ちになり、とても心に響きました。
(M・K)

●普段、僕が観ている演劇とは、多少趣きが違うおもしろさだった。
アキバの事件をネタに、ここまで痛々しい芝居は今までには見たことがなかったので、新鮮だった。
(H・S)

●圧巻でした。
(無記名)

●難しい題、モバイル、音楽効果をとり入れて、ていねいに造られていました。
問題提起も充分取り入れられ喚起にも伝わってきました。音楽のリフレインもいいです。
(M)

●殺人事件の話なのにとてもきれいな話にみえました。
(H・Y)
 
●役者さんたちの熱意が届いてきました。よい公演ありがとうございます。
(無記名)

●おさえたセリフまわしがとてもよかった!
メリハリがあって今までにない集中力で最後まで見入ってしまいました。
ラストの「ヘブンズ・ドア」で涙こらえきれませんでした。
事件について、特に犯人の青年について、今一度かんがえ直してみようと思います。
ありがとうございました。
(A・S)

●音楽がよかった。
(M・Y)

●昨年の、あの衝撃的な「アキバ事件」を、どう料理するのか楽しみにしてまた観にきました。
また今回も劇のはじめの歌、劇中のピアノ曲、最後の曲が効果的に使われ、
主人公の勤める自動車工場のいつも同じくり返し作業が、よく描かれていました。
鎌田慧氏の「自動車工場」が思い出されました。
正社員が派遣社員を、えばりちらす上下関係、
大きな組織の中で効率ばかり求められ、だんだん人間関係を失っていく人々。
なまじちょっとしたプライド、正義感があったために反抗的になりとばされてゆく。
お去年の無差別殺害事件は決して許されるものではありませんが、
主人公がどのようにそうしたギリギリの場に押されてゆくかがよくわかりました。
(S・U)

●すばらしかったです。
「構成と音楽がすばらしい。団体の動きがよかった。」と友人は言っていました。
私も、とても垢ぬけていて、あの犯人の閉塞感や友人の環境がとても伝わってきて、
リアルな追体験した気がしました。
垢ぬけていて、というのは、『傷だらけの天使』みたいな舞台ってあるんだなって感じです。
犯人の子もよかったし、電信柱さん(皆が有望視している子)もよかった。
銃の店ではじまり、あの会話がいいでした。
(M・I)

●いやぁー、面白かったです。
「顔に陰影が無い!」に、ぶっ飛んで、爆笑。そして・・・あとに残る苦さ。
真希ちゃんの居る舞台は独特の空気感だけれど、そうでない転位もいい。
工場が舞台になるなんて、時代がまたひと回りしているのだとつくづく思う。
でも、廻って戻ってきたところは、過去とは似て非なる場所か…。
韓国映画は、そのほとんどが階級闘争だ、と言った人がいましたが、
でも、この国のポストモダン時代の階級闘争って…、
一体誰とトウソウすればいいのやら。
(Y・K)

●昨日、友人と拝見させていただき、まだまだ記憶に新しい事件で、感ずるところもたくさんありました。
生まれてから、当たり前のようにたくさんのモノを消費し、たくさんの情報の中で生きてきた者にとって、
生きる指針を定めにくい状況が、今なのかなと感じました。
変わらないはずの目印や基準があるはずなのに、
今はそれすらも流れてしまい、見えなくなっているように思いました。
劇中に出てきた、青森出身の寺山修司さんの言葉や太宰の「トカトントン」は、とても印象的でした。
また、久しぶりに舞台上の村山さんを拝見することができ、良かったです。
ありがとうございました。
(D・Y)

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「アキバ、飛べ」によせて
北原慶昭

山崎さん、
ぼくはいま昼下がりのプールにいて、休憩あけの、まだ誰も入っていない水面に
足の先をつけたところです。
沈めていった膝のあたりから小さな波紋がゆるやかに広がります。

この小さな波紋は胸までつかり、やがて頭を沈めるころにはより大きなものとなるでしょう。

ぼくの後ろには次々とはいってくる人たちがいて、
その人たちがおこす無方向な波が、眼の前のうっすらとした波を打ち消していくのがはっきりわかります。

そして静かだった水面はやがて混沌へと姿をかえていくのです。

ぼくはこのごろ、山崎さんが書き、第七病棟が演じた「質屋」をよく思いおこします。
そしてきまって、そこにあずけた質ぐさは、一体何だったのだろうかと思うのです。

秋葉原の事件を最初に耳にしたとき、とっさにぼくは「プロ」を思い浮かべました。
戦闘のプロ。

短時間にこれだけの人を殺傷できる能力と技術にたけたプロの姿です。
これは戦争とかテロとかから最も遠い安寧とした場所で起きた「戦争」なのだと直観しました。

しかしその「戦争」をしかけたのは、
「プロ」と呼ぶにはおよそ似つかわしくない青白い青年でした。

はたから見る外見とは無関係に、少なくとも彼にとっては
間違いなく屈強の意思をもった「戦争」であったと思います。

では何に対しての「戦争」だったのでしょうか。

その大義は闇のなかにあります。
またしても手さぐりで何かを容易に探しあてることなどできない闇です。
ただ注視しなければならないのは、それが深い闇ではないということだと思います。

深いというのは一方向です。

この闇は、あたかも十分間の休憩ですっと張られた水面を、
監視員の笛とともに、まったく何のつながりもない沢山に人たちによってひき起こされる波紋のように、
無方向に、どこまでも広がっていく「平たい闇」ではないでしょうか。

ぼくは八十年代の初頭に大学にはいりました。
文学部のここそこでしきりに「ポストモダニズム」がささやかれ、
デカルトやサルトルとはまた異なった思考の地平が眼前にありました。

フランスのある哲学者は
「ツリー」と「リゾーム」ということばを使って、ポストモダニズムの風景を視覚化しました。

そしてあれから数十年たった今、まさに「リゾーム=根茎」のように拡散する「平たい闇」こそは、
共同体の存在を前提としたパラダイムから切り離されたコスモポリタンの迷い子たちのうえに、
不断に降りそそいできた五月雨にほかならないのだと思うのです。

あの当時、日本の言論の場では、
「ポストモダン」を旗印に、多くの浮かれた浅薄さが横溢していました。

しかしごく一部、たとえば柄谷行人といったひとたちは、
冷静にそして真摯に、モダニズムへの検証と批判を唱えていました。
モダニズムへの内省を経ずして言説化され、流布されるポストモダニズムへの警鐘を鳴らしていたのです。

ぼくはその知性の態度に深く共鳴しました。

山崎さん、ぼくたちは何を質屋にあずけたのでしょうか。

どうやらそれは、アイデンティティーでもルサンチマンでも、疎外でもイデオロギーでもないようです。

それらはうら若き「新しい日本」に、外から持ち込まれ、
さほど吟味されることなく流布した意匠または衣装にすぎません。
あえて足にあっていないぶかぶかの靴だといっていい。

それよりも敗戦を機に作りあげてきたはずの「新しい日本」のありようそのものといいますか、
大きく「戦後」と呼べる概念こそが、質屋の蔵の奥におさまっているように思うのです。

もはや質流れ寸前のその質ぐさを取り戻すには、どんな担保が必要なのかと考えながら、
いずれにせよ、「戦後」というモダニズムの影絵を、白日にさらし、徹底的に批判し内省することが、
急務として求められていると思っています。

土浦で起きた事件と秋葉原の事件は、似てはいながらも、
決して同一の闇から生まれたものではありません。
百人いたら百の闇があるように、ポストモダニズムの広野に、なんの規範もなく放たれた「個」は、
それぞれに、無関係に闇を育んできました。
あたかも真の犯人探しを拒絶するかのように、均一に見える表情を横へ横へと広げてきたのです。

もはや個別をみても、空気を刀で斬るようなものです。
むしろゆっくりとその根っこをさわり、
少しでも上へと手をのばしていくことが肝要なのではないでしょうか。

そしてその手は、多くの闇が「戦後」という一本の幹から無数に分かれてきたものだと知るにちがいありません。
多様なようで均一で、また均一なようで多様である、
そんなつかみどころのないものの所在を「戦後」に問いかけるのは
あながち間違った行いとはいえないと思うのですが、どうでしょうか。

時代とマスコミは、それを引き起こした正体に到達できないもどかしさを、
被害者を取り巻く物語で埋めようとしているようですが、
それでは憎悪をただただ蔓延させるばかりで、何の思考も呼び起こさないと思います。

友が丘、佐世保、秋田、青森と、山崎さんは、
土着という戦後らしい風景ともいえる「場所」に、その糸口をもとめようとしているように思います。

そして「アキバ、飛べ」でもそう描かれていましたが、
あえてぼくは加藤容疑者にとっての秋葉原は、
土地にまつわる背景とまったく関わらない、単なる「戦場」であったと思うのです。

なぜ彼はそこを「戦場」とみなし「戦争」を起こしたのか。
その問いを「戦後」にぶつけてみる所作は、これからどうしても必要になってくると考えます。

山崎さんは「戦後」を見つめることのできる数少ない作家だと思っています。

決して答えを引き出すのではなく、内省し問いかけつづけるという地道な作業を通して、
今日の事件の向こう側に透けてみえる「戦後」の、
どこまでもいびつな姿を浮きあがらせてほしいと思っています。

次回作もまた期待しております。

長々と失礼いたしました。

註)
本稿は「アキバ、飛べ。」を観てくださった北原慶昭さんが
私信として私・山崎にメールで送ってくださったものです。
とても示唆深い文章で、私がここ数年、ずっと考えていることと重なることが多く、
北原さんにご無理をお願いして掲載させていただきました。
いずれ「返信」というかたちで私も書くつもりです。北原さん、ありがとうございました…。
なお読みやすくするため、私のほうで適当に改行しています。

ご観劇とアンケートご協力にこころからお礼申し上げます。
参加者一同