密室の惨事を見つめた
優れて小劇場的な仕事
井上二郎氏劇評
(「CUTIN」より)
作家、演出家の山崎哲が主宰する新転位・21が、
昨年暮れに「マーちゃんの神曲」を上演した。
この作品が発表されたのは1988年、
転位・21の時代(1980年〜1994年)である。
題材は1987年に藤沢で起きた“悪魔払い殺人事件”。
今回の舞台は、見る者の心を射るような、鋭い悲しさを湛えていた。
まず、この事件が発覚したのは厳冬の2月25日である。
藤沢の町はずれのアパート2階の一室に関係者が踏み込んだとき、室内ではマスクをした男女二人が死体の前に座り、もう3日3晩にわたって、死体の肉を削ぎ落としては粗塩で「清めて」いたのだった。
死体は茂木政弘さんという32歳のロックバンドのリーダー。
男女は、政弘さんの年上の従兄弟と、政弘さんの妻。
二人は政弘さんにとりついた悪魔を追い出そうと
必死に「悪魔払い」を行っていた。
舞台では、ヒデさん(年上の従兄弟)、カナちゃん(正弘さんの妻)、そしてマーちゃん(シゲキマサヒロ)の3人が主要な人物だ。幕開けは、事件翌日の2月26日の現場のアパートの部屋で、
ここにヒデさんとカナちゃんがいる。
実際には二人ともすでに逮捕・収監されていたはずだが、
その二人がここにいて、しかも事件の記憶を喪失している。
<何故、マーちゃんがいないのか?
私たちに、何か、変なことが起きたのか?>
そういう思いで二人は訥々と記憶を辿り直す。
3人が共同生活を始めた頃の幸福な時間や、
完成に近づいていた“核戦争を避けるための歌”のこと。しかし、
マーちゃんの実家やバンド仲間からは非難と中傷が続いていたこと。
純粋一途なゆえ、仲間の拒絶に合い、親類から謗られ、
最後の砦にたてこもるようにして、ここで歌作りに賭けた。
すると外部の硬直した人間たちはさらに押しつぶそうとしてくる。
孤独と焦りのなか、マーちゃんに悪魔が憑いた−と、
このように事件に至る精神的経緯が明かされる構造である。しかし、例えば、肉を切り裂く残虐さの理由までが具体的に語られるわけではない(彼ら当事者の意識から、具体的理由を「乖離」している)。
はっきりしているのは、この回想全体がひどく悲しいということだ。一本のきゅうりが「朝のにおいがして美味しかった」と笑うときのカナちゃんの明るい美しさにさえ、悲しみの影が深くさす。何故なのか。
結局、外部を敵に埋め尽くされた出口のない場所とは、そういうところなのか。
人の明るさも心の美しさも瞬時に悲しみに変わり、
そして悲しみはある極限において暴力と狂気に反転する。
舞台は密室の暗い力学を暗示しているように思えた。
|
さてここ数十年を思い返すと、
密室の狂気が市民社会を震撼させる事件は、頻発してきたと言える。
そして、その狂気と惨劇に表現を与えてきたのは、
ほかならぬ小劇場である。
闇に沈むようにして社会の片隅に存在する密室に、光を当てられるのは、
市民社会的常識の辺境に位置する<悪所>としての
小劇場しかないと私は思う。
今回の「マーちゃんの神曲」を満たしていた悲しさは、
優れて小劇場的な詩情だったのだ。
転載を許可していただいた井上二郎さんに感謝します
● ● ●
いやあ最近観た芝居の中ではいちばんおもしろかった。(唐十郎)
初演より全然おもしろい。
ここ数年の中でNO1の舞台。役者が全員すごくいい。(石川真希)
やっぱり山崎さんの芝居はおもしろいわ。(伊藤俊也)
久しぶりに転位の芝居を観た!という感じ。(佐野史郎)
旗揚げにしては相当いいじゃない。(米沢慧)
俳優はみんな「女殺し」をやった連中?
うそ。みんなすごくうまくなったね。
とくにカナをやった女優さん(咲羽靖子)、
木内(みどり)さんみたいな味持っててよかったよ。(七字英輔)
哲ってすごいんだ?!。(大久保鷹)
泣きそうになった。むかし観た転位の芝居を思い出した。
哲さんの芝居は無名の俳優のほうがいい。(久保井研)
もうずいぶん以前、下北沢で
岡田有希子事件の芝居(「1/2の少女」)を見て以来です。
セリフが痛く刺さるようでした。旗揚げ公演に心よりの拍手を。(K.H)
驚きました。いつ再結成(再活動)なさっていたのですか?
15年ほど前に観た「エリアンの手記」忘れられません。(W.T)
初日の「マーちゃんの神曲」を見せていただき、
ふわっとした気分で帰宅しました。
「カナさん、さよなら」という場面ではツンとこみ上げるものを感じました。
山崎先生の講座に通いながらも掴み切れなかった主旋律がやっと聞けた、
掴めた、そんな気がしました。(K.H)
|