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第11回公演
日本芸術文化振興会
舞台芸術振興事業 |
僕と僕 -神戸児童連続殺傷事件- 作演出 山崎哲
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もし生まれ変われるのなら、
ぼくはカメになりたい。
そうすれば、
ほかの動物に
危害を加えられることがあっても、
自分が
危害を加えることはできないから。
つらい思いをせずに
暮らしていけるから……。
壊れてしまった私たちの
家族の<現在>を描く
新シリーズ
2007年11月23日-25日
theatre iwato(シアター・イワト)
tel. 03-5225ー3635
11月28日-12月3日
中野光座
090-5504-2431
開演
平日 夜7時
土曜 昼2時/夜7時
日曜 昼2時/夜6時
入場料
前売2,800円
高校生2,500円
当日3,000円
取扱
チケットぴあ 0570-02-9988
e+(イー・プラス) http://eee.eplus.co.jp/
予約問合せ
新転位・21
03-3910-1660
090-5504-2431
n-tenyi21@ceres.ocn.ne.jp
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キャスト
石川真希 佐野史郎(ゲスト)
久保井研 辻孝彦(唐組)
岩川藍 杉祐三
村山好文 伊藤悦子
おかのみか 大畑早苗
小畑明 永岡沙江
ヒザイミズキ 神谷由紀子
日下義浩 吉田男爵
松井亜紗美 澤頭直美
藤原弘司 田邉理恵
三浦秀典 神戸誠治
岩崎智紀 笹本賀子
粟野南 吉川みつみ
スタッフ
舞台美術 濃野壮一
光デザイン 海藤春樹(海藤オフィス)
オペレーター 渡邉裕来子 岩崎智紀
音楽 半田充(MMS) 大畑早苗
衣装 蟹江杏 川上羽衣
宣伝美術 蟹江杏
宣伝デザイン 菅由貴子
印刷 竃日新聞社東京センター
舞台監督 村山好文
制作
伊藤悦子 おかのみか
新転位・21
協力
唐組
吉本昇
龍前照明
浅山周
中島望美
新転位・21演劇学校第6期生
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<備考>チラシ、ポスターに石川真希、久保井研、辻孝彦、藤原弘司、佐野史郎の名前は出ておりません。本番3週間前、現有勢力では幕が開かないと判断、急遽、3人に応援を頼み、2週間前から稽古に参加してもらったためです。真希、久保井ちゃん、辻ちゃん、ほんとうにありがとう。二日目に観て、出たいと言ってくれた佐野、藤原にも感謝。みんなのおかげで、いままででいちばん楽しい公演になりました。(山崎・記)
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ポスター(版画・蟹江杏)
チラシ表/チラシ裏/チケット/はがき
●主な来客(敬称略・順不同) |
唐十郎 伊藤俊也 遠藤賢司 四谷シモン 田口ランディ 七字英輔 西堂行人 小関直 米沢慧 立花義遼
根本敬 山田勇男 佐藤健志 樋口良澄 十貫寺梅軒 大久保鷹 田中昌子 吉本昇 安保由夫 岡田潔
木之内頼仁 小堀ちえみ 山家誠一 松本和子 浦野興治 野口忠男 岩井八重子 岩波三樹緒 加藤一也
成行美智子 中田充樹 高木博美 久保田邦明 近藤雅人 高橋美栄 角替和江 保坂百合子 松本光世
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●感想/アンケート |
「山崎哲ワールドを堪能させてもらった」伊藤俊也・監督
「ほんとうにキレイなものを見せていただきました」遠藤賢司・歌手
「めちゃくちゃ面白かった。正論(月刊誌)に書きます」佐藤健志・批評家
「呆然としてしまった」田口ランディ・作家
「泣いちゃった。席立てなかった。すげえ、最高。(参加者たちに)あんたたちは、演劇史に残る舞台作ったんだ。誇りを持たなきゃだめだよ」十貫寺梅軒・俳優
「面白い舞台はわたしをこんなに饒舌にさせる」四谷シモン・人形作家/俳優
「あたまの卓球のシーンでもう泣いちゃった。観るたびに毎日いろんなとこで涙が出てしまう。役者に徹底してお芝居許さないのは若松孝二と山崎哲だけだよ」佐野史郎・俳優
「芝居やっててほんとうによかった。こんなにすごい舞台が見れたんだもん」加藤一也・俳優
「(出演者の)みんなにお礼が言いたい。握手したい。わたしがいままで観た舞台のなかで最高」成行美智子・俳優
「いまの日本にはもうこういう舞台はない。がんばってほしい」西堂行人・劇評家
「面白かったです。ほんとにいい本ですね」樋口良澄・編集者
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神の逆鱗による破壊を信じ込んだ少年
●野口靖男
生きるということには常にある種の息苦しさが付きまとうものです。
人生に対する獏とした可能性と社会による制約や自己限定の要求とが精神的な不安をもたらすのでしょうが、
以前であれば、このような息苦しさや不安から逃れるには、家を出て自立する、会社を辞めて他に移る、
海外に出る、など幾つかの脱出の通路が開かれていました。
しかし、現在ではこれらの共同体を仕切る境界が消失しているため、
この息苦しさから開放される新世界が存在しなくなってしまったようです。
世界はどこまでも透明で見通しの出来るようになる一方で手ごたえのない、
無機質なものになってきているのかもしれません。
そのような閉塞した世界を前に、世界を破壊しようとした少年が現われてしまいました。
無意識にせよ、その破壊の先に少年が求めたもの、見たものこそが、
この作品の核心部分ではないかと思います。
幼児期にイノセントの開放(山崎さんの用語です)を両親に拒否された少年は、
未発達な欲望を心のうちに抱え込みながら成長したようです。
外部から強制されて社会化された自我と、
むき出しの欲望を内に秘める凶暴な幼児性は必然的に分裂して行ったのでしょう。
固着したリビドーは次第に巨大化して社会化された自我を脅かしますが、
少年はこの脅威を破壊の神として人格化してしまいました。
破壊の<僕>は普通の社会的な<僕>を壊してゆきます。
神戸を襲った大地震は旧約聖書中のソドムとゴモラの町のように、
神の逆鱗による破壊だったと少年は信じ込みました。
「神の逆鱗」とは勿論、自分のなかにある破壊の<僕>の怒りです。
そして、目の当たりにした現実の死体は、破壊された社会的な<僕>自身です。
破壊するのも自分であり、破壊されるのも自分、とは自殺心理の構造です。
皮肉なことに、この自殺心理が少年の内面的な世界を外部の世界へと開いてしまい、
少年の本当の悲劇が始まります。
生きようと意識していた者がひとを殺すことに興味を持ったのではありません。
既に死んでいるのと同様な者の魂が、現実の破壊を通して自らの死を確認し、
かつての生を懐かしむためにひとを襲ったのです。
勿論、少年は自分の死を確認することなど出来ませんでした。
逆に他者の死の瞬間に弾ける生の噴出を全身で感じ取って、初めて高揚感を感じたのです。
それは自分がこの無意味で苛立たしい現実の世界に実際に生きていることを否応も無く、
確認したことを意味しています。
破壊の神の呪縛とは、「生きたい」という存在の底からの叫びの裏返しだったのです。
孤独で社会的な繋がりなどまるで持たなかった少年が
社会的な現実との通路を自分で開いてしまったのです。
破壊の先に少年がもとめたもの、見たものは生きるきっかけであり、生の誘惑であったのです。
何もない廃墟から、新たに生き始める事こそ少年が望んだことです。
そのことを理解したときに、始めて「生きる」ということを真剣に考えるようになるのでしょう。
彼に殺され傷つけられた幼い命の魂は、彼が生きている限り、
失った肉体を呼び戻すかのように叫び声をあげ、
それは、現実の不在、空白を切り裂いて響き渡ります。
悔恨と絶望にさいなまれながら、少年はもう逃げ場のない生を行き続けるしなかないのです。
この苦しみに満ちた絶望的な生をどのように引き受けて生きて行かということこそが
われわれに課された問題なのでしょう。
舞台には新転位21が創造した少年が確かに実在していました。
今年も新転位21の力作を期待しています。
「僕」がもうひとりの「僕」に見せられた世界
●北原慶昭
劇作家山崎哲氏が主宰する劇団「転位・21」を、学生の頃大好きで
よく観にいった。
「転位・21」の特徴はその演目の題材である。
「うお伝説〜立教大学助教授教え子殺人事件」「漂流家族〜イエス
の箱舟事件」「勝手にしやがれ〜克美茂トルコ嬢殺人事件」「子供の
領分〜金属バット事件」といった具合に、その当時社会を賑わせた、
誰もが知っている有名な事件を取りあげ、そこに「劇的なもの」を
浮かび上がらせていた。
後になって知ったのだが、ぼくが劇場に行かなくなるのと前後して、
「転位・21」としての活動も終わっていたのだった。
そしてこれも最近知ったのだが、2002年の年の瀬に「新転位・21」
はふたたび定期的に公演を打つようになっていた。
今回で「新」がついてからの11回目の公演だそうだ。
場所は中野にある旧ポルノ映画館「光座」で、演目は「僕と僕〜神戸
児童連続殺傷事件」である。
いわゆる「酒鬼薔薇事件」として、そのショッキングな凄惨さとともに
記憶に残っているひとも多いのではないかと思う。
劇は、茶色く濁った水槽で亀をみている少年に、死んだはずの祖母が
本を読んできかせるところからはじまる。
寓話のようなその話に、少年は異議を唱える。
少年はその物語の語り手が、登場人物たちの誰からも見えることの
ない、つまりどこでもない場所からこの話を語っているのがおかしいと
いうのだ。
死んだはずの祖母はそれに答えて、
「それは幽体離脱だよ。」 という。
離脱した意識は、自分の身体から離れて、いつのまにかこの「僕」自身
をも俯瞰する場所から世界を見下ろすことになる。
疲れたといって本をおろした祖母にかわって少年が物語のあとを読み
ついでいく。少年の声がだんだんと大きくなって、しだいに世界が
ゆがみはじめていく。
最高潮に達したとき、背後にもうひとりの「僕」がすがたをあらわし、
少年をどこかに連れ去っていってしまう。
柱の前に残された祖母のすがたはマネキンのように、舞台下手から
やってきた少年の両親を見つめている。
事件がすべて明るみになった後の少年の家を、誰にも気づかれないよう
にして舞い戻ってきた両親。
彼らは「酒鬼薔薇聖斗」として世に有名になってしまった我が子が、以前
描いた絵を探しに、もはや住むことのなくなったこの家にやってきたので
ある。
警察の捜査で、めちゃくちゃになった家のなか。
台所の床に落ちていた、少年が母親を描いた一枚の絵を見つけ出す。
それを見たお父さんは、どうにもいたたまれなくなってか、部屋のなかを
黙々と片付けはじめる。
お母さんは卓球台を見て、かつて家族でよくやった卓球をもういちどやろう
と呼びかける。
「こんなところを見られたら、殺されるよ。」
そういいながらも、お父さんはダブルスに加わる。
お父さんお母さんチームと対戦するのは真っ黒い壁である。
しかしふたりは一生懸命ピンポン玉をくりだしては、受ける。
あたかもそのむこうには酒鬼薔薇になる前の明るかった頃の我が子の記憶
を取り戻すかのように、夢中で卓球をするのである。
茶色く濁った水槽には、いないはずの亀が泳いでいる。
物語=事件はそこからゆっくりと遡行する。
観客はあの事件を、今度は演劇という形で、もう一度反復しなければなら
ない。
淳くんが見たがった「亀」、タンク山、バモイドオキ神、黒いポリ袋をもった
中年男、大地震、マスコミの喧噪、そして中学校の校門。
少年は両親にこういう。
「この世界はすべて作り物だ。作り物だから壊れるんだ。作り物だからなに
をしてもいいんだ!」
虚と実のはざまでそのバランスを失った思春期の少年は、もうひとりの「僕」
とともに犬のような雄叫びをあげる。
酒鬼薔薇事件はすでに「終わった事件」なのだろうか。
かつて異形の演技として演出された役者の肉体が、昨日の公演ではずっと
普通にみえた。
これは、転位の芝居の異形性に、現実の社会がゆるゆるとすり寄ってきた
ことを意味しているように思う。
そして今のほうが、あの事件のときよりも、「僕」がもうひとりの「僕」に
見せられた世界の姿に近づいているような気がしてならないのである。
ブログ「LIVERARY 北原慶昭/話の音(37」より転載
記事転載の許可は北原さんよりいただいております。
●いつかこの事件が芝居になると(解釈があると)信じていました。
まだ事件が生々しい…重過ぎました。
石川さん、シンジ君、皆さんすばらしかった。(匿名希望)
●内面の葛藤、現実の心の中をある意味あいまいに描いているところが、
面白かったです。(k・I)
●現代の子供の叫びが聞こえてくるようでした。
子供を取り囲む大人は別に間違ったことを言っているわけではないのに、シンジ君の世界と乖離している。
大人の論理が確固として動かず、シンジ君の叫びを聞いてくれる大人がいない。
どんどん迷宮入りして混迷していくシンジ君の叫びを感じました。
背後にある教育、学校という構造。子供たちのこれからが心配になりました。
子供の世界に動揺し、声に耳を傾けられる大人にならなくてはと思いました。(匿名希望)
●非常に立体的で、迫力のある公演でした。
構成やら、美術、舞台全体にゾクゾクしてしまいました。(松山市、A・N)
●山崎さんが、酒鬼薔薇事件をどう料理するのかずっと楽しみにしていました。
満を持しての作品、これは家族シリーズの集大成ですね!
ヒロフミはひとりエリアンでしたが、今や子供たちはみな、
エリアンということでしょうか。(匿名希望)
●すごかったと一言で言ってはいけないような気さえするほど、すごい舞台でした。
怖かったです。(北区、T・U)
●残念。もっと感じたかったのに、考えてしまいました。
でも、投げられた球が見えた気がしました。(匿名希望)
●10年も前の事件だったのかとはっとしました。
私自身、亀を飼っており、いろいろと考えさせられます。
今も、こういったギリギリのところで生きている人たちがいるのだと思うと、辛い気持ちになります。
ありがとうございました。(匿名希望)
●同事件に関する書籍を読みたくなりました。
シンジが自分の思想を両親に告白するシーンに、震えました。
さながらとドストエフスキーの『罪と罰』ラスフリニコフの告白のような迫力がありました。(豊島区、N・S)
●とてもつらい事件だったので、少しつらかったです。
入り組んだ演出が事件に関わった人々の、それぞれの想いや、
一人の人間の多面性を表現していて良かったです。(M・A)
●考えられないほどのスピードの速い二時間でした。(川崎市、H・I)
●さすが、転位・21!さすが、山崎哲!
子育てもほぼ終わり、やっと芝居を見まくりの日々…
でも最近のものはなんだかなぁ…と思っていたので、
このなつかしの光座で、感激しました。(中野区、T・T)
●観終わったばかりで整理できませんが、いろいろなことに身をつまされました。
無意識・亀、などのキーワードがひっかかりました。(匿名希望)
●会話というのがすごくキレイに成立していて、見ていて面白かった。
人がそこに出てきて、相手と会話をすることで話が立ち上がっていく…(江東区、R・S)
●演劇を観たのは初めてだったのですが、とても面白かったです。
話は怖かったけど、出演者の迫力がすごかったです。少し演劇に興味を持ちました。(匿名希望)
●約20年ぶりに観にきました。2時間10分、飽きずに観ました。
転位の世界は…いいですね。(座間市、Y・W)
●複雑な思春期の少年の心を見事に描き、奇怪な行動をとっていく様子が
よく表現されていたと思います。
現代の子供や祖に事件に関して考えさせられました。(市川市、A・H)
●切ない。だれも悪くない。人を殺めたりするのは悪いことだし、取り返しのつかないことだけど、
シンジ君は自分の世界を作るしか心の居場所がなかった。
でも自分の世界に溺れてしまった。
周りも、本人も、殺された子供もやり場や行き場がなかった。
誰にでもなりうることだとおもった。劇を観て、初めて心が動きました。(草加市、M・M)
●とても面白くて引き込まれました。いろんな人の視点から描かれていていろいろ考えさせられました。
凶悪事件というのは(凶悪に限らず)風化させてはいけない、
闇に葬ればいいわけじゃないなぁと思いました。(松戸市、U・E)
●2男児の母として考えさせられるというか、身につまされる思いで観ました。
自分も演者として、演劇を通し、家族というものを考えたいと思いました。
来てよかったです。(世田谷区、W・M)
●圧倒されました。透明な自分がどこかでみつめていました。
泣きました。(文京区、K・I)
●あっという間の2時間。
脚本、演出、役者陣、すばらしかったのだと思います。(世田谷区、K・K)
●あれから10年…でしょうか。
「現実」?「世界」?を描き出すことの意味を改めて考えました。(文京区、Y/F)
●前回初めて見て、あの妙な喋り方がすごく印象に残っていました。
今回ようやく、横山やすしの喋り方に似ていることに気づきました。
カタルシスがあり、とても面白かったです。(横浜市、N・F)
●唯一つ、シンジが後半で言った「みんな作り物」という事は自分も大いに共感できる。
ただみんな、本気で壊そうとしないだけ。(H・N)
●今回はちょっと分かりやすくて、味わえました!
人間の抱え持つ「狂気」(と呼ばれているもの)の、犯罪への昇華とか、そ
こへの家族というものの絡みが、すごく味わい深かったです。
ラストの照明が良かったです。
ギュっと詰まったこんな劇を作れるなんて本当にすごいです。(匿名希望)
●この事件について目線を変えて見ることができた。(品川区、K・F)
●どんな舞台になるのか楽しみにしていました。
まさに期待通りでした。考えさせられる舞台でした。(足立区、H/N)
●誰も全てを図り知ることは出来ないけど、何かを垣間見ることが出来たような気がして、
とても良い時間を過ごせました。涙がでました。ありがとうございました。(匿名希望)
●子供が壊れる様を見るのは辛い。でも壊しているのは私たちで、社会だ。この環境だ。
2時間集中して観れました。ありがとうございました。(匿名希望)
●とにかく凄かったです。主人がイワトで先に見て、
「毎日でも観に行きたい!」と言っていましたが、私も同感です。(匿名希望)
●見ごたえがあった。スリルがあった。誰もが知っている事件をえぐる痛さがあった。(T・Y)
●事件の裏の少年の心理や孤独、家族の心情、近所の人々などが、
情緒的にリアルに描かれ、感心しました。
次々に形を変えて連続しながらも、どんどん忘れられていく事件を追い続けるこのシリーズ、
貴重だと思います。(杉並区、S・Y)
●事件の環境など、考えていなかった部分まで考えることが出来、為になりました。(新宿区、K・F)
●面白かった。またこの劇団の作品がみたい。(横浜市、T・M)
●何度も観させていただいております。
今までで一番衝撃的で、ハラハラさせられました。たくさん泣きました。
私も生物と人間の命の価値が同じと思っていたので、びっくりしました。
これからも衝撃的な作品を期待しています。ありがとうございました。(S・K)
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