不安

不平不満不機嫌自殺

喜び・楽しさ感謝讃美

小さな仕事も愛をもって行う

イエズスのほかに、もっとすぐれたものをさがすことはいらない

悪魔への対処法

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

理由もないのに憂鬱な不安に悩まされる者における流入

 

2.マーリン・キャロザース

3.グリニョン・ド・モンフォール

4.マリノ・レストレポ

5.マリア・ワルトルタ

 

 

 

詩篇94・19

 

わたしの胸が思い煩いに占められたとき

あなたの慰めが

わたしの魂の楽しみとなりました。

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

スウェーデンボルグ/霊界日記1336/たま出版P61

 

ある者はこの世にいたとき短刀を突き刺して自殺したが、彼は憂鬱症から自暴自棄に陥った。彼はこうした状態へ邪悪な霊たちによって駆り立てられたのである。彼は私のところへやって来て、「私は悪霊どもに悲惨に扱われています。私を絶えず挑発する怨霊に私は囲まれているのです」と訴えた。彼のいた場所は低地の、やや左側であった。また彼は、手に短刀をもち、自分の胸へそれを突き当てようとしているように私には思われた。彼はその短刀を手もとから投げ捨てようと懸命に骨折ったが、無駄だった。

 

 

 

天界の秘義8478[]

 

「神的なものを信頼している者たちの場合は非常に異なっている。これらの者は、明日のために心遣いはするものの、それでも心遣いはしない、なぜなら彼らは明日のことを考えても、思い煩いはしないし、ましてや不安などは持たない。これらはその願っているものを得ようが、得まいが、その心は乱されはしない、彼らは己が分に甘んじて、それを失っても悲しみはしない。彼らは富むにしても、心を富には置きはしない、名誉[ある地位]に挙げられても、自分自身を他の者よりも価値あるものとしては認めない。貧しくなるとしても、悲しみはしない、その境遇が卑しいにしても、気落ちはしない。彼らは、神的なもの[]を信頼している者には凡ゆる物が永遠に幸福な状態に向って進んでおり、時間の中で起るものは何であれ、依然それに貢献していることを知っているのである」。

 

 

理由もないのに憂鬱な不安に悩まされる者における流入

 

天界の秘義6202

 

 他の流入もまた認められているが、それは人間のもとにいる霊たちを通して行われるものではなく、或る奈落の社会からその人間の生命のスフィアの中へ送り出される他の者らを通して行われている。 これらの者はその人間に不利な事柄について共に語り、そこから普通厄介な、不愉快な、悲しい、または不安な事柄が、多くの変化をもって流れ入ってくる。 こうした霊たちがしばしば私と共にいたことがあり、不安を注ぎ入れた者らは胃の領域に感じられたが、私はこうした不安がどこから起こってくるかを知らなかったのである。 しかし彼らは常に摘発されたのであり、私はその時彼らが彼ら自身の間で語り合ったことを ― それは私の情愛とは容れないものであったが ― 聞いたのである。貪欲な者が時々その同じ領域の中に、しかし少しもっと高い辺りに現われ、将来に対する心遣いから不安を注ぎ入れたが、私は彼らを譴責して、あなたらは胃の中の消化されない、悪臭を発し、反吐を催させるような物に関係しているとその者らに言うことができたのである。私はまた、彼らが追い払われると、その不安が全く止んでしまうのを見たが、しかもそのことが繰返されたため、私はそれが彼らから発していることを確実に知ることができたのである。 理由もないのに憂鬱な不安に悩まされる者における流入はこうしたものであり、また同じく霊的な試練を受けている者における流入もこうしたものである。 しかしこの後の場合ではこうした霊は全般的に流れ入るのみでなく、個別的にも奈落の霊どもはその人間が行った悪を呼び覚まし、善を歪め、それを悪く解釈するのである。 それで天使たちはこれらの者どもと争闘するのである。 再生しつつある人間はこうした状態へ入り、そのことにより彼は彼自身のものの中へ引き下ろされるが、これは彼が彼自身を世と身体の物に余りに深く浸し、そのため霊的なものへ上げられねばならない時に起こるのである。

 

 

 

結婚愛16

 

私たちの霊魂へ主から一つのものとなって流れ入っている三つのものがあります。この一つのものとなっている三つのものは、またこの三つで一つのものは愛、知恵、用であります。しかし愛と知恵とは心の情愛と思考の中にのみ現れますので、観念[考え]以外のものの中には現れませんが、しかし身体と活動と業の中には共になって現れますため、用の中に実際に現れています。そしてそれらが実際存在しているところには、また存続もしています。そして愛と知恵は用の中に存在し、存続していますため、私たちを感動させるものは用であり、用は自分の職業の業を忠実に、誠実に、勤勉に遂行することです。用を愛することとその愛から用において熱心に活動することによって、心はそれ自身を消耗したり、凡ゆる欲念を吸引したりしないようになります。欲念は感覚を通し、身体から、また世からその誘惑とともに流れ入ってきて、そのため宗教の真理と道徳の真理とはその善とともに四方に吹き散らされてしまいます。しかし用における心の熱心(アーネスト)な活動によってそれらのものはともに維持され、結合され、心はこれらの真理から知恵を受容する形に排列され、かくてその活動によって、誤ったものと空しいものとの迷いと、まがいものとが棄て去られます。

 

 

 

2.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P78

 

 神が今のままのあなたを理由があって造られたことを信じますか。そしてあなたが今いるところに、神に望まれて置かれたことも。このことについてちょっと考えてみてください。もしあなたが、私や私の知っている皆と同様なら、あなたは様々な環境に取り囲まれており、それらに対して二つのうちのどちらかの仕方で反応しているはずです。それらをうれしく思っていないなら、あなたは落ち込んでいきます。うれしく思っているなら、あなたの気分は上向きのはずです。さて、あなたは今、上昇中ですか、それとも下降中ですか。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P79

 

 私たちが屈服するとき、私たちの目は問題に向けられており、心は不平不満で一杯です。私たちが服従するとき、私たちの目はキリストに向けられており、心は賛美で満ちています。屈服するとき、私たちは惨めさと悲しみの中に、時間の経過と共に、深く沈んで行きます。これとは対照的に、服従するとき、私たちはやがて、たとえ問題が残っていても、キリストにおける喜びをかみしめることができるほどに高められていきます。

 幾つもの国が、戦争用の毒ガスを開発しています。それは全く目に見えませんしにおいもしませんが、その犠牲者は、その存在に気づくことなくそれを吸ってしまいます。サタンは、何が起こっているのか私たちが気づかないまま、私たちの心と精神に入りこませることのできる死の「ガス」を持っています。それは、不平を言う態度です。私たちの中には、あまりにも不平を言うことに慣れていて、それが自分の当然の権利だと思っている人もいますが、イスラエルの民が荒れ野で死ぬこととなった原因は、不平とつぶやきにありました。パウロは初代教会のクリスチャンに警告しました。「彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました」(第1コリント10・10)。

 不平は、不信仰と疑いの表れであるがゆえに、致命的な罪なのです。神が事態を掌握されており、あなたにとって最善のことをなしておられると本当に信じていたら、不平を言いはしないでしょう。あなたが不平を言うとき、あなたは屈服しています。問題によって高められているのではなく、引きずり下ろされているのです。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P105

 

その後の24時間の間に、サンドラは貴重な発見をしました。彼女が自分の思いを神に向け、苦悩のゆえに神に感謝するときは、頭痛が耐えやすくなったのですが、彼女が痛み自体に注意を向けたときは、頭痛がひどくなったのです。

 

 

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P108

 

あなたが神を愛する理由を全部並べあげてみてください。そのリストは日々増えていくのがわかるでしょう。それぞれの理由のために神に感謝してください。声に出して言ってください。あなたが受けた祝福を歌い上げてください。その祝福を他の人にも分かち合ってください。

 パウロは、エフェソの教会の人々に、「・・・互に詩や、賛美の歌、霊的な歌をもって語り合い、主に向かって心から歌い、琴を奏でなさい」(エフェソ5・19)と勧めています。それをあなたの習慣としていくなら、憂鬱や不機嫌を超越するところまで引き上げられるようになり、神への愛はさらに深まるでしょう。

 

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P109

 

「私のこの新しい愛は、感情以上のものです。日毎に移り変わる気分に影響されるものではありません。神がどれほど私を愛してくださっているかを考えると、私は、神が与えてくださったものすべてを愛さざるを得なくなってしまうのです。子供がリビングのじゅうたんに残した汚い足跡や、手で触って壁につけた油っぽい汚れさえ私は愛しています。私はこう言うのです。『主よ、これらの汚い跡をありがとうございます。私の子供たちをありがとうございます。子供たちを今よりもっと愛せるように助けてください』と。すると子供への愛が心に溢れてくるのです。こんなにたくさん愛せるなんて私は世界一の幸せ者です」。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P110

 

 たいていの場合、私たちが不平を言うのは、私たちがしなければならない小さなことに対してです。たとえば、朝起きたり、皿を洗ったり、車を洗ったり、食料品を買ったり、雨漏りのする屋根を修理したりというようなことです。しかし、神は、日常のわずらわしい仕事の一つ一つを特別な気づかいをもって与えてくださっているのです。「言葉にしろ、行いにしろ、何かをするときには、主イエズスを通して父である神に感謝しつつ、すべてを主イエズスの名において行いなさい」(コロサイ3・17)と私たちは言われています。私たちがしなければならないこと、その一つ一つが神への愛を表わすものであるべきです。そうすれば、神の愛によって私たちはさらに高く引き上げられることでしょう。

 

 

 

3.グリニョン・ド・モンフォール

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳107

 

まことの信心の第二の特長は、それが愛情のこもったものだということです。つまり、マリアに対する信頼に満ちた信心です。

ちょうど子供が、母親に対してもっている信頼のような。まことの信心をもつ人は、からだと精神のあらゆる必要事にさいして、正直に、信頼をもって、愛情をこめて、マリアのもとに馳せていきます。

どんなとき、どんな場所、どんな事がらにおいても、マリアの助けを呼ばわります。

疑惑の雲にとざされたときには、心を照らしていただくため。道に迷ったときには、正道にひきもどしていただくため。誘惑のときには、勇気をささえていただくため。弱いときには、強めていただくため。罪の穴におちこんだときには、ひき上げていただくため。絶望におちいったときには、はげましていただくため。小心でクヨクヨしているときには、自己中心の小さなカラから脱出させていただくため。十字架、苦労、逆境のときには、なぐさめていただくために。

 さいごに、からだと精神のあらゆる不順、あらゆるわずらいのとき、まことの信心家は何はともあれ、マリアのもとに馳せて行きます。マリアをうるさがらせる心配もなければ、マリアへの信心のために、御子イエズスに、不愉快な思いをさせるのではなかろうか、との心配も毛頭ありません。

 

 

 

 

4.マリノ・レストレポ

 

マリノ・レストレポの証言

超自然的な恵み

 

時にはその中でも、神様が私の人生のすべてが止まったような状況を許可することがあります。仕事を失ったり、お金が全然無くなったり、多くのものが危機にさらされる場合もあります。しかし、心の深いところから多くの「平和」があります。神様とともにいない多くの人々がそのようなことに遭うとき、腹が立ち仕事を失ったことで自殺をしたり、うつ病にかかって様々な治療に依存します。「信仰」がないからです。しかし、神様を本当に信じるならば、何も影響は及ばないのです。もちろん、経済生活に支障を与え、多くのことに影響を及ぼし、多くのことが不足したりします。しかし、その瞬間がまさに「人生の海」を航海中に会う犠牲、償い、苦行、苦難の一部です。人生の航海中には、よい天気の日にも悪天候もあります。しかし全体の中で、私たちの毎日の生活は「霊的戦争中」という「超自然的な生活」であることを認識する必要があります。

 

 

 

 

5.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P164

 

神との友情、信者の幸福は、他のどんな富にも比べられないもので、その富を持っている人は、いつでも孤独ではなく、絶望、落胆の苦さを感じることがありません。しかし聖なる友情よ、あなたは苦しみを皆無にするのではありません。苦しみは肉体となった神のはからいで、人間の運命でもありうるからです。