不機嫌

柔和

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・3

 

[1]まずあなたの心を平和に保て。そうすればあなたは他人(ひと)をも平和にすることができよう。

 柔和な人は大学者よりもためになる。

 癇癪持ちはあらゆる善を悪に変え、また悪を信じやすい。

 善良でおとなしい人はすべてのことを善に変える。

 心の平和な人はだれをも悪く思わない。しかし不満家で気のイライラしている人は、いろいろな疑いに悩まされ、自分でも心が安まらないし、他人の心も安らかにしない。

 そいう人はしばしば言ってならないことを言い、自分のためになることをしない。

 またそういう人は他人のなすべきことばかり気に病んで、自分のなすべきことはお留守にする。

 だからあなたはまず自分のことを熱心にせよ。そうして始めて隣人のためにあなたの熱心をおよぼしても、良いわけが立つというものである。

 

 

 

[2]自分を責めて、兄弟を弁護してやるのこそ正しい道であろう。

 他人(ひと)に許してもらいたいならば、他人をも許すがよい。

 見よ、あなたはほんとうの愛と謙遜とから、どんなに遠く離れていることだろう! なんとなればこの徳は、自分以外にはだれにも腹を立てたり不機嫌になったりすることがないはずだからである。

善良でおとなしい人といっしょにくらすのは、少しもむずかしいことではない。それはだれでも自然に楽しく思うところで、人はみな平和を喜び、自分と同じ考えの者をいっそう愛するからである。

しかし人触りが悪いなみはずれた者や、だらしのない者や、自分に逆らう者などと、平和にくらすのはこれこそ大きな恩恵であって、称賛すべき雄々しいことである。

 

 

 

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P108

 

あなたが神を愛する理由を全部並べあげてみてください。そのリストは日々増えていくのがわかるでしょう。それぞれの理由のために神に感謝してください。声に出して言ってください。あなたが受けた祝福を歌い上げてください。その祝福を他の人にも分かち合ってください。

 パウロは、エフェソの教会の人々に、「・・・互に詩や、賛美の歌、霊的な歌をもって語り合い、主に向かって心から歌い、琴を奏でなさい」(エフェソ5・19)と勧めています。それをあなたの習慣としていくなら、憂鬱や不機嫌を超越するところまで引き上げられるようになり、神への愛はさらに深まるでしょう。