感謝

 

摂理

供えられる主の導き偶然はない先見

人生におけるすべてのものには、的確な深い意味がある

奇蹟最大の奇蹟秩序の法則宇宙創造の目的この世の意義人生の目的

これが今日における私の印人生は感謝して生きるに値する

卑下承認讃美不平不満不機嫌

 

 

 

1.聖書

2.感謝

3.神が人間に感謝を要求する理由

4.礼拝は神に対して行うべき義務

5.困難を与えた人を彼らの救済のための道具であったと後で考えて、感謝の気持ちで思い出す

6.ヴァッスーラ

7.マリア・ワルトルタ

8.マーリン・キャロザース

9.サンダー・シング

10.マリノ・レストレポ

 

 

1.聖書

 

 

詩篇7・18

 

正しくいます主にわたしは感謝をささげ

いと高き神、主の御名をほめ歌います。

 

 

 

詩篇30・13

 

わたしの魂があなたをほめ歌い

沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ

とこしえにあなたに感謝をささげます。

 

 

 

詩篇107・1−2

 

「恵み深い主に感謝せよ

慈しみはとこしえに」と
主に贖われた人々は唱えよ。

 

 

 

ヨハネ6・11

 

さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。

 

 

 

ヨハネ11・41−42

 

人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」

 

 

 

エフェソ5・20

 

そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。

 

 

 

フィリピ4・6−7

 

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

 

 

 

コロサイ3・15−17

 

また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。 この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。 いつも感謝していなさい。 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。 知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、 詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、 すべてを主イエスの名によって行い、 イエスによって、父である神に感謝しなさい。

 

 

コロサイ4・2

 

目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。

 

 

 

テサロニケT5・16−17

 

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

 

 

 

 

2.感謝

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・11・2

 

けれども自分の慰めのためでなく、イエズスのおんためにイエズスをお愛しする者はつらい悲しいことや心配のある時でも、この上ない慰めをいただいている時と同様に、かれを賛美するのである。

 そしてたといかれが少しも慰めを与えようとなさらずとも、いつもかれを賛美し、かれに感謝しようとするのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・9・2−3

 

 わたしはいっさいを与えた。ゆえにいっさいがわたしに帰することを望む。そしてそれに対してきわめてきびしく感謝を要求する。

これこそ真理であって、これによってすべての虚栄は駆逐される。

 もし天からの恩恵と、ほんとうの愛とが心に宿るなら、嫉妬も、悩みも、自我の愛もはいる余地がない。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・13・3

 

自我を抑える熱心に燃え立ち、心の中(うち)に高ぶる思いを少しでも持っていてはならぬ。

 かえって卑しい者、小さい者たる実を示して、すべての人に自分の上を踏み歩かれ、街路(みち)の上の糞土のごとくふみにじられるようにすべきである。

 むなしい者よ、あなたになんの不平を鳴らすことがあるのか?

 あさましい罪びとよ、あなたはかようにしばしば神に背き、いくたび地獄におとされても文句の言えない身でありながら、あなたを責める人々に対して、どう言いわけをすることができるのか?

 けれども、それをわたしが大目に見ていたのは、あなたの霊魂がわたしの前に貴重なものであったからで、またあなたがわたしの愛を認め、わたしの恵みを絶えず感謝し、いつも真の服従と謙遜とに甘んじ、自分が軽蔑されるのを、忍耐するようになるためである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・17・3

 

主よ、主が私に来たらせてくださることは、なんでも主のために喜んで忍びましょう。

主のみ手からならば、善も悪も、楽しみも苦しみも喜びも悲しみも同じ気持ちでこれを受け、私の身に起こるいっさいのことに対して感謝いたしましょう。ただすべての罪から私をお守りください。そうすれば死も、地獄も恐ろしくはありません。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・17・4

 

主よ、主が私に来たらせて下さることは、なんでも主のために喜んで忍びましょう。

 主のみ手からならば、善も悪も、楽しみも苦しみも、喜びも悲しみも同じ気持ちでこれを受け、私の身に起るいっさいのことに対して感謝いたしましょう。

 ただすべての罪から私をお守りください。そうすれば死も、地獄も恐ろしくはありますまい。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・19・3

 

気に入った相手に対して、気に入っただけは忍耐するが、その外はご免をこうむるというような人は、決してほんとうの忍耐を有しているとは言われない。

 ほんとうに忍耐強い人は、自分を苦しめる相手が、自分の目上であろうと同輩であろうと目下であろうと、また善良で聖なる人であろうと、邪悪でつまらない人間であろうと、一向に頓着しない。

 そういう人はいかなる被造物から、いかに多く、いかにたびたび苦しめられても、すべて神のおん手から出たものとして、感謝して受け、それを一大利益と考えるのである。

 なんとなれば、神のために忍耐すれば、それがどんなに小さなことであっても、神はかならず報いを与えずにはおおきにならないからである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・49・1

 

 かくも好意をもってあなたをあつかい、慈悲をもってあなたをかえりみ、熱烈にあなたをはげまし、力強くあなたを支え助けて、あなたが自分の重みで地上の物の方へ沈んで行かぬようにしてくださる、神のご恩に対して、あなたは深い感謝をささげるべきである。

 

 

 

マザー・テレサ/愛と祈りのことば/PHP文庫/P38

 

 毎日、聖体拝領をする時、私は聖体の中にいますイエスに、二つの気持ちをお伝えします。

 一つは、今日まで私を護ってくださったことへの感謝の気持ち。

もう一つはお願い。

「祈ることを教えてください」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P153

 

絶え間なく祈りなさい。私と会話し、与えているすべてを感謝し、しばしば祝福してほしい。常に試練はあろう。これは、まこと愛する者よ、あなたを成長させるためです。私にたいする望み、渇きをかき立てたい そして ああ・・・霊魂を完成させるためなら しないことがあろうか!霊魂の完成には 死にそうなほど鞭打たせなければならないとしても、救いのために、ためらわず そうする。

 

 

 

3.神が人間に感謝を要求される理由

 

 

天界の秘義3539[]

 

人間の謙虚[卑下]は主が栄光を求められる愛のためではなく、主の神的な愛のためであり、主がそのことによって善と真理とをもって流入され、その人間を祝福し、幸福にされることができるためである

 

 

 

天界と地獄7550

 

この記事で、また他の多くの記事でエホバ、または主はその勢いと力とが現れて、その御名が話されるのを欲しられ、また他の所では、主が心を卑しくして拝され、崇められるのを欲しられるということは、主はその栄光を示そうと欲しておられるかのように、また主は御自身のために崇拝されることを愛されておられるかのように見えるのである。しかし真の実情は全くそれとは相違している。それは御自身のためではなくて、人類のためであり、自己の栄誉から発しはしないで、愛から発しているのである、なぜなら主は人類と連結して、これに永遠の生命と幸福とを与えようと欲しておられるからである。そのことはその人間が心を卑しくして主を拝しない限り為されることは出来ないのであり、またその人間が自分自身は塵と灰であって、すなわち、悪以外の何ものでなく、エホバ、または主は最も偉大で、最も聖い方であられ、自分は自分自身からは敢えて主に近づこうとはしないことを承認もし、信じもしない限り、心を卑しくして(主を)拝する筈もないのである。人間がこのように心を卑しくして主を拝すると、その時主はその愛の生命をもって流れ入られ、天界と永遠の幸福を与えられることが出来るのである。これがエホバまたは主が聖言に主御自身の力と栄光とを非常に賛え給うている理由である。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・9・2−3

 

 わたしはいっさいを与えた。ゆえにいっさいがわたしに帰することを望む。そしてそれに対してきわめてきびしく感謝を要求する。

これこそ真理であって、これによってすべての虚栄は駆逐される。

 もし天からの恩恵と、ほんとうの愛とが心に宿るなら、嫉妬も、悩みも、自我の愛もはいる余地がない。

 

 

 

神の愛と知恵335

 

 これらの物は人間を通して主に関係しているため、用と呼ばれるにも拘らず、主の中には凡ての用は無限に一つのものであるが、しかし人間の中には主によらなくては用は存在しないため、これらの物は主のために人間から発する用であると言われてはならず、人間のために主から発する用であると言われねばならない、なぜなら人間は自分自身から善を為すことはできず、ただ主のみから善を為すことができ、そして善が用と呼ばれるものであるから。霊的な愛の本質は自己のためでなくて他の者のためにその他の者に善を為すことであって、神的愛の本質はそれが無限大になったものである。それは親が自分のためでなく、その子のために、愛からその子に善を為すという、親の子に対する愛に似ている。それは母のその子に対する愛の中に特に明らかである。主は崇拝され、礼拝され、栄光を与えられねばならぬため、主は崇拝、礼拝、栄光を自分のために愛されると考えられるが、しかし主は人間がそのことによって神的なものが流れ入って認められることのできる状態に入るため、それを人間のために愛されるのである、なぜなら人間はこれによって流入と受容とを妨げる人間自身のものを斥けるからである、それは自己愛という人間自身のものは心を頑にしてそれを閉じ込めるためである。その自己愛は人間が自分自身からは悪以外には何も発しないし、主からは善以外には何物も発しないことを承認することによって除かれ、この承認から心が柔らげられ、謙遜になり、そこから崇拝と礼拝が流れ出てくる。この凡てから以下のことが生まれている、すなわち、主が人間を通して御自身のために遂行される用は、人間が愛から善を為すことができるためであって、これが主の愛である以上、それを受けることが主の愛を楽しむことである。それゆえ主は主をたんに拝する者とともにおられると何人も信じてはならない、主はその誡命を行う者とともに、かくて用を遂行する者とともにおられるのであり、彼はそうした者の許に宿られるが、前者の許には宿られないのである(この主題については前述したところを参照されよ、47−49)。

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P216

‘96・9・23

 

我が霊は、常に善い目的で、さまざまに働かれる。 そこで我が聖霊のみ名によって 熱心に祝福しなさい。 我が聖霊と十分一致するように あなたの良心をしっかりと捕らえさせ その行いを我が聖霊に言い表していただくように。 あなたの霊を 我が霊に浸しなさい、そのためには、自分自身に死ななければならない。 謙遜になればなるほど、我が霊はあなたのうちに入りやすくなる。 私たち? ic

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P108

 

神はなぜ、ご自分が偉大であることを人々に言わせる必要があるのでしょうか。神がそれを必要としているのではありません。私たちがそれをすることを必要としているのです。神はご自分の偉大さをご存知ですが、私たちはまだそれを学ぶ途上にあるのです。神が私たちのためになされたすべてのことについて神を賛美するとき、私たちの内側で何かが起こり、以前にも増して、神の偉大さを知ることができるようになるのです。

 

 

 

4.礼拝は神に対して行うべき義務

 

 

マリア・ワルトルタ25・9/天使館P206

 

 いつものように、わたしに対して慇懃な彼を見て、わたしは彼がこの秘義を知らずにいることを理解しました。わたしがロゴスを宿していることを知っていたならば、彼はわたしが身籠っているそのロゴスを礼拝したに違いありません。

 

礼拝はに対して行うべき義務であり、ヨセフは必ずやそれを果たしたでしょうし、わたしはそうされるのを拒まなかったでしょう。

 

わたしのためではなく、わたしのうちに在したあの御者、契約のが律法を記した石板とマンナの壷を抱いているように、わたしが宿していたあの御者のために。

 

 

 

 

5.困難を与えた人を彼らの救済のための道具であったと後で考えて、感謝の気持ちで思い出す

 

 

キャロル・L・フリンダース/奇跡を見た七人の女性神秘家の肖像/天使館/P210

 

啓示を得た人々は、一般的に、その人生に一番の困難を与えた人を彼らの救済のための道具であったと後で考えて、感謝の気持ちで思い出すということを聞いたことがあります。

 

 

 

 

六連島おかる(1801〜1856)「妙好人」伝

 

 おかるは下関の沖合いにある六連島(むつれじま)という小島に生まれました。19才で幸七という村の男性と結婚、夫婦仲もよく、子どもも生まれ、幸せに暮らしておりました。しかし幸七に女性が出来、島へ帰らなくなったのです。嫉妬に狂ったおかるは身投げをしようとしたこともありました。おかるはお寺の聞法に通うようになります。しかし仏法を聞いてもなかなか救われず、えらいお坊さんの法座が下関であると聞けば一人でしけた海を漕ぎ渡って聴聞に通いました。その姿を見た人々はおかるは気が狂ったとうわさをしました。

 そのおかるも35〜6の歳にようやく救われた境地に至ったようです。幸七もいつしかおかるのもとに帰り、おかるの勧めで二人は共にお寺の聞法に通うようになりました。自分が弥陀のお慈悲に出会えたのは夫のお蔭とおかるが住職に語ると、夫の幸七も自分もおかるのお蔭でこうして救われましたと語ったそうです。

 

 

 

6.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P153

 

「絶え間なく祈りなさい。私と会話し、与えているすべてを感謝し、

しばしば祝福してほしい。常に試練はあろう。これは、まこと愛す

る者よ、あなたを成長させるためです。私にたいする望み、渇きを

かき立てたい そして ああ・・・霊魂を完成させるためなら し

ないことがあろうか! 霊魂の完成には 死にそうなほど鞭打たせな

ければならないとしても、救いのために、ためらわず そうする。」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P114

‘00・8・5

 

ああ 是非!

主よ、この感謝を知らない世代を 哀れんで下さい。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P141

‘00・12・31

 

我が高貴なテーマ(*)の初期に、御父は、混迷に陥っている地上を見て 大変気を悪くされ、「あなた方は気むずかしく(*1)なった、時代よ・・・」と言われた。

 

 *これらのメッセージ。

 *1「気むずかしい」とは、容易には喜ばず、すぐあら探しをすることを意味します。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P102

 

 安請け合いはまったくできませんけれど、私が知る限りでは、主がある者を見捨て、ある者だけに心をお配りになるとは思えません。その人たちは神が恩寵をお与えになっても、拒絶したのでしょう。不平をこぼす人によく会います。でもいつも主をほめ讃えなければなりません。私たちがこうしているのもすでに、天の恵みだからです。恩寵です。家に帰れば、頭の上には屋根があり、冷蔵庫があって、開けば滋養豊かな食料品がたくさん入っています。でも、それらのすべてを与えてくださった主を讃美するのに、これで十分ということは決してないのです。神はヨブにしたように、一切合財を取り上げて、すっ裸にし、病気にしてほったらかしておくこともおできになるのですが、そうなさいません。それは、あなたがたを愛しておいでだからです。神は存在しないと言っている、あなたや私の友人たちは、見ようとせず、印しを受け取らない人たちです。なぜ目を開いて、自分のもっているすべて、生きていること、健康であることがすでに神の印しだということを見ないのでしょう。神を見つけることができないのだとしたら、自分に問いかけなければなりません。主は私たちにこうおっしゃっています。「清らかな心で、飾らない心で、敬虔な心で、悪を愛に変え、虐げられている人々を助け、正義を求めながら、私を見出しなさい。

 

 

 

 

7.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P40

 

それほどの、神のみ業の贈り物に対し人生は感謝して生きるに値する。また生きるものであることを感謝すべきである。

 

世の終わりにならなければ、あがなわれなかったにしても、その感謝を表すべきであった。なぜならあなたたちの最初の人間から始まって、今に至るまで個々の人は違反者で、傲慢で、淫乱で人殺しであるにもかかわらず、神は宇宙の美しさ、宇宙の恵みで楽しむことを今でもゆるしてくれるばかりか、あなたたちがよい子供たちであるかのように、生活をより楽しくするために、すべてを与える。

 

あなたたちが知っていることのすべては、神の光による。発見することも神の指定による。

よいことは皆、神より出る。悪の場合は、そのしるしをもっている他の知識、発見あるいは発明が、最高の悪であるサタンからくるのである。すべてご存知の、いとも高き知恵は、人間が存在する前から、人間は泥棒と人殺しになるだろうと知っていた。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P234

 

 露の最も小さい一滴にも、その存在のよい理由がある。最も小さい、うるさい昆虫の一匹も存在するによい理由がある。火山の爆発とその火の流れもそれだけの理由がある。また、理由のない台風もない。そして物質の世界から人間のことに移れば、近眼の目しか持っていない人間の傲慢にとって分かりにくいことであっても、涙も喜びも誕生も死も、貧しさ、または病気の不幸、繁栄と健康なども、それぞれの理由がある。

 ・・・神経をいら立たせて衰弱させ、この世での一日を苦しくするさまざまの疑問に打ち勝つための秘訣は、神が知恵深く、または、あるよい理由のためにすべてを行うと信じ、神が行っていることすべて人を苦しめるための愚かな目的のためではなく、愛のためであると信じることである。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3./P336

 

「けれども病気、死、災い、悲惨な出来事が続き、皆に見捨てられる時、信、望、愛を忘れず、『いとも高き御方の望みが実現されますように。今起きていることは私にとって有益です』と変わらず言える人こそ、まことに言うが、神の助けを受けるに値するのみならず、神の国での住まいが用意され、もはや清めを必要としない。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P266

 

動物と植物、また人間の便利のために造られたものは、創造主の愛の賜物であり、御父が子らに遺産として与えられたものであるから、子らは自分たちの利益のために、すべてを与えてくださった神に対する感謝をもって、それらを使わねばなりません。父親が子供に、服、家具、金、畑、家を与えて『これをおまえと、おまえの後継者に与える。これによって幸せになれ。おまえたちに与える愛の記念を、愛をもって取り扱え』と望んだとします。それなのに子供が、それを悪用するなら、父はどう言うと思いますか? 子は父を尊ばず、父とその贈り物を愛さなかったと言うでしょう。それと同じように人間は摂理によって与えられたすべてのものを慈しまねばなりません。慈しむとは、偶像崇拝や動物、植物その他どんなものに対しても、過度の愛情を注ぐ意味ではなく、我々に役立ってくれて、それぞれの命、すなわち感覚を持っている小さなものに対して、あわれみと感謝の心を持つという意味です。

 

摂理

 

 

 

 

 

8.マーリン・キャロザース

マーリン・キャロザース

 

 

獄中からの讃美P113

 

 翌朝、自分のベッドのはしに座っていると、声が聞こえました。

「おまえは、何をしているのか」

「起きなくて済むならいいなー、と思いながら、ここに座っています」

「わたしたちは昨夜、約束した筈だが」

「しかし、主よ。あなたが、このようなことも含めておられるとは、知りませんでした」

「『あらゆることにおいて』とわたしが言ったことを、もう忘れたのか?」

そこで答えました。

「でも、主よ、正直に申しあげて、私はここ二十年ものあいだ、毎朝自分のベッドのはしに座りながら、もし起きなくて済むなら、そして、もう五分間寝ていることができたらどんなに良いだろうなぁ、と思ってきたのです」

ところが、その時、御霊が言われました。

「いま、起床の時間だということを、あなたは感謝していい筈だが・・・」

「主よ、どうしてですか? 私にはわかりません」

主はいつも、極めて忍耐づよく、また親切です。

「あなたは、進んでやる気のある人間にしてもらいたいと思うか」

「はい、主よ。本心からそう思っています」

 

 その晩、私が床につくとき、次のように祈りました。

「主よ。これは少し辛い訓練ですので、あなたが助けてくださらなければできません。私は、あなたの言われる時間には、いつでも起きるつもりですが、起床する時間に、感謝できるかどうか分かりません」

私に聞こえてきたのは、ただ

「あなたにその気があるのか」

ということばだけでした。

「はい、主よ。あります」

 

 次の朝、目が覚めると、まっさきに頭に浮かんできたのは、右足の親指のことでした。

「それが動かせるかどうか、やってみるがよい」

と聞こえてきました。やってみると、動かせました。

「あなたは、それが動かせることを感謝しているか」

「はい、主よ」

「こんどは、足首をためしてみるがよい − 感謝しているか」

「はい、主よ」

「次はひざだ − 感謝しているか」

「はい、主よ」

「さて、座れるかどうか、やってみなさい」

「はい、主よ。座れます。しかし、実の所、まだ、横になってこのまま寝ることができたら、と願っているのです」

主は、極めて忍耐強く、言われました。

「立てるかどうか、やってみなさい − 感謝したいとは思わないか。バス・ルームまで歩いて行けるかどうか、やってみなさい。そして鏡をのぞいて見なさい。見ることができて、感謝だとは思わないのか」

「はい、主よ。思います」

「こんどは、何か口に出して言ってみなさい」

「ハレルヤ!」

「見聞きできて、嬉しくはないのか」

「はい、主よ。嬉しいです」

それから、静寂が訪れました。私は、再びこの静けさの中で、神が何か大切なことを教えようとされていることを知りました。

「わが子よ。わたしはあなたを愛しているから、あらゆることに感謝することを教えてあげよう。あなたは、そこに立って、あらゆることを感謝することを学びたいのか? それとも希望通りベッドに戻って感謝することを学ぶまで、動いたり、見聞きできないようになりたいのか? どちらを選ぶか、決めなさい」

私は空中に六十センチもとび上がって、言いました。

「主よ。わかりました! 私は感謝しています。いつも、感謝するようにします」

 

 あくる朝、また、その次もその翌日も、私が目覚めて最初に考えたのは、

「主よ。私は感謝します」

ということでした。それからはずっと、

もう起きる時間になったといって、情けなく感じることはありませんでした。

パウロは、

「むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」

と言っています。朝起きることは、”私の弱さ”でした。神は私に、それを取り上げて苦痛から喜びに変えるように言われたわけですが、私がそれを実行したところ、すばらしいキリストの力と喜びが私の上に訪れたのです。

 

 

 私は、自分の発見したことをほかの人たちに話したくてたまりませんでしたが、御霊は、だめだ、と言われました。人に話す前に、まず自分が少しも疑わないでどんな困難な状況も喜びに変えることができるようにならなければならないと言うのです。

 私は、T・テサロニケ5・16−18を暗記し、何回も繰り返して自分に言い聞かせました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」

 

 

 

 

9.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P93

 

求道者:「ああ、神よ、今日、わたしのいただいたこの祝福が、わたしの弱さや冷淡によって失われたりすることがありませんように。わたしが最後まで忠実であるよう、どうかお恵みください。わたしが常にあなたの真実の下僕であり続け、あなたの中に、あなたのために生きられますよう」

 

メルキゼデク:「常に目を覚まし、祈ることが大切である。世の富を失うとも決して気にかけるな。それは早晩起ることである。だが、今あなたは、自分を失わない限りは他の誰にも奪い取ることのできない、真の富を手にしているのだ。今、あなたは、小船に乗って濁流の上を旅する男のようである。荒れ狂う波風に打たれてこの小船は沈んだ。彼は川岸に向って泳いだが、ポケットの中の小銭以外、すべての持ち物が濁流に押し流された。男は川岸に着くと、賊に襲われ、持っているものすべてを奪われた。こうしてすべてを奪われても、男は決して取り乱さなかった。それは、誰にも奪い取ることのできない、あの真の平和が心の中にあったからである。そこで彼は賛美歌をうたいながら神を讃え、そこを去って定められた務めに着手した。

 今、あなたは、この世の富と名誉を失うことによって心が空にされ、真の永遠の富を受けるに至ったことに感謝せよ。みよ、わたしはいつまでもあなたと共にいる。行って、わが羊たちを牧しなさい」

 真理の探究者は、恭しく頭を下げ、メルキゼデクの足下に身を投げ出し、メルキゼデクは彼を祝福すると姿をかき消した。彼は起き上がり、全身全霊をもって神に仕えた。

 

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P277

 

真珠が形成される以前に、真珠貝は大きな苦しみを経なくてはならない。母貝は、苛立たしい寄生動物や虫、小魚、あるいは砂粒などの無機物の侵入によって内壁を痛みつけられ、他に逃れる術がないために、やむをえずこれら刺激物を中和して美しい珠となす。つまり、真珠は痛み苦しみの産物なのだが、それでもいい加減に扱っていると光沢が失われてしまう。表面の特殊な光効果によりその魅力も、油やインク等が混入すればこわされてしまう。古代の墓には、真珠が遺骸と一緒に埋葬されていることがよくあるが、死体と同じく崩れて灰と化している。霊的生命もまた、真珠と同じく痛みと苦しみがなければ美しいものとならない。また、そのような美しい状態に達してさえ謙虚さと感謝の気持ちとともに愛の中で絶えず神とつながっていなければ、転落して輝きを失う危険がある。そこで、わたしたちは常に目を覚まして祈ることが必要である。

 

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P79

 

 人と被造物全体は虚無に従っているとはいえ、永遠にそうなのではない。人は従順なる気持ちを失いこの災いだらけの儚き状態に全被造物を巻き込んだが、このような霊的戦いの場においてしか人の霊的力は完全に開発され得ないのである。この戦いにおいてしか、人は完成に必要とされるレッスンを学びとることはできないのだ。そこで、天の完全さの状態についに辿り着いた暁には、人は現世の苦しみと戦いについて神に感謝することだろう。神を愛する者たちのために何もかもがうまく働いてくれていたことが、そのときにはっきりわかるからである。

 

 

 

 

10.マリノ・レストレポ

 

 

マリノ・レストレポ/感謝

 

ありがたいと思うのは「愛の基本的な条件」です。あなたはどれくらい、神様のみ前で命を与えられたことに感謝をささげましたか? 生きていることがどれほど驚くべき事であり、感謝すべきで事であることなのかを悟り、基本から開始しましょう。貴重な人生を与えられた神様に感謝することから始めましょう。

 

 

 

マリノ・レストレポ/感謝

 

いくら命が危険な状況におかれていても、もし豊かでない場合でも、ただ生きているだけで大きな恩寵であることを。