不平

 

摂理従順服従満足喜び・楽しさ

讃美信頼

 

 

 

1.聖書

2.トマス・ア・ケンピス

3.ヴァッスーラ

4.マーリン・キャロザース

 

 

 

 

1.聖書

 

 

 

出エジプト記16・2−3

 

荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」

 

 

 

出エジプト記17・1−3

 

主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。 民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」 しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」

 

 

 

申命記28・47

 

あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せに溢れてあなたの神、主に仕えないので、 あなたは主の差し向けられる敵に仕え、飢えと渇きに悩まされ、裸にされて、すべてに事欠くようになる。敵はあなたに鉄の首枷をはめ、ついに滅びに至らせる。

 

 

 

 

コリント10・10

 

彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。

 

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・11・3

 

時には強引に力を用いて、勇ましく五官の欲に抵抗し、からだが望もうと望むまいと、頓着せず、これを精神に従わせるよう努めなければならぬ。

  そしてからだが何事においても素直に従い、少量で満足し、質素を喜び、何か不快なことに対しても不平を言わぬようになるまでは、これを懲らし抑えつけて従わせなければならぬのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・13・3

 

自我を抑える熱心に燃え立ち、心の中(うち)に高ぶる思いを少しでも持っていてはならぬ。

 かえって卑しい者、小さい者たる実を示して、すべての人に自分の上を踏み歩かれ、街路(みち)の上の糞土のごとくふみにじられるようにすべきである。

 むなしい者よ、あなたになんの不平を鳴らすことがあるのか?

 あさましい罪びとよ、あなたはかようにしばしば神に背き、いくたび地獄におとされても文句の言えない身でありながら、あなたを責める人々に対して、どう言いわけをすることができるのか?

 けれども、それをわたしが大目に見ていたのは、あなたの霊魂がわたしの前に貴重なものであったからで、またあなたがわたしの愛を認め、わたしの恵みを絶えず感謝し、いつも真の服従と謙遜とに甘んじ、自分が軽蔑されるのを、忍耐するようになるためである。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P72

‘89・12・19

 

小さな者よ、試練が訪れる時、抗議してはならない、自分の意見を出さないように、あなたからは 私の平安だけが出てくるべきです。 主の平安が。 議論に対する即答は取り返しつかない誤りとなり得る。 与えたものを 我が心から取り出しなさい、それ以下でも、それ以上でもなく、与えたものの中から取り出しなさい。 もう分かったであろう?

 

 

 

 

4.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P79

 

 私たちが屈服するとき、私たちの目は問題に向けられており、心は不平不満で一杯です。私たちが服従するとき、私たちの目はキリストに向けられており、心は賛美で満ちています。屈服するとき、私たちは惨めさと悲しみの中に、時間の経過と共に、深く沈んで行きます。これとは対照的に、服従するとき、私たちはやがて、たとえ問題が残っていても、キリストにおける喜びをかみしめることができるほどに高められていきます。

 幾つもの国が、戦争用の毒ガスを開発しています。それは全く目に見えませんしにおいもしませんが、その犠牲者は、その存在に気づくことなくそれを吸ってしまいます。サタンは、何が起こっているのか私たちが気づかないまま、私たちの心と精神に入りこませることのできる死の「ガス」を持っています。それは、不平を言う態度です。私たちの中には、あまりにも不平を言うことに慣れていて、それが自分の当然の権利だと思っている人もいますが、イスラエルの民が荒れ野で死ぬこととなった原因は、不平とつぶやきにありました。パウロは初代教会のクリスチャンに警告しました。「彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました」(第1コリント10・10)。

 不平は、不信仰と疑いの表れであるがゆえに、致命的な罪なのです。神が事態を掌握されており、あなたにとって最善のことをなしておられると本当に信じていたら、不平を言いはしないでしょう。あなたが不平を言うとき、あなたは屈服しています。問題によって高められているのではなく、引きずり下ろされているのです。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P80

 

 あなたは心底から本当に喜んでいますか。問題を抱えていることを喜んでいますか。痛みのあることを喜んでいますか。喜んでいるなら、あなたは不平を言っていません。喜んでいるなら、それはあなたが神の子であることを確信していることを意味します。あなたは、神があなたを愛してくださっており、完全なご計画のうちに全てのことをあなたの益のために取り計らっておられることを信じているのです。あなたには喜ぶべき理由があります。なぜなら今の問題や痛みは、自分に何らかの益をもたらすためにあることをあなたは知っているからです。喜びは服従のしるしです。

 「私は本当にうれしい」と言えるまでに服従したとき、私たちの賛美は純粋で心からのものになります。今度あなたが、「主に賛美」と言いたくなったら、そう言う代わりに、「主よ、ちょうど今、これが起こることをあなたが許されたことを私はとてもうれしく思います」と言ってごらんなさい。もし気持ちを込めて言えないなら、あなたはどこかに小さな不平か不信仰を隠していることになります。一つの不平があっても、その領域においてあなたが真に服従し、真に賛美することの妨げになります。

 

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P81

 

 心が喜びと賛美で満たされ続けるまでに完全に服従することを学んだとき、私たちは問題を超越し、キリストと歩む人生における新しい段階に入ることでしょう。履くといつも足が痛くなる靴を履いていて、その後、完全に足にフィットする新しい靴を手に入れたことがありますか。とてもいい感じではありませんでしたか。不平を言う長年の習慣から、喜びと賛美の習慣にくらがえすることは、ちょうどそんな感じなのです。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P111

 

事業の破綻、夫の心臓発作、子供の病気などの災難が家庭に降りかかっている間も、彼女は賛美し続けました。これらすべてのことを通して、彼女は、これまで気づかなかった神の愛を垣間見るようになりました。「私がずっと、どれほどめめしく、惨めで、不平ばかり言っている、苦々しい人間であったか、神は示してくださいました。私が赦しを叫び求めたら、神の愛が溢れ出てきて、私の罪だらけの魂を癒し、私を喜びと平安で満たしてくれました。」

 

 

 

マーリン・キャロザース/あなたはいま幸せになれる/P142

 

 あなたも私も、不平を言う人間として生まれついています。たくさんのことに悩み続けるのが私たちの本性であり、一生涯の習慣です。私たちは不平を鳴らすという変な技術を、何千回も何万回もかけて練習し、不幸せになるための理由を山のようにたくさん学び取ったのでした。ところが聖書を読むと、「心を騒がしてはいけません」と驚くようなことが書いてあるではありませんか(ヨハネの福音書14章1節)。これはいささか驚きで、とても従うことはできないように見えます。この言葉に失望するあまり、あきらめてキリストの言葉を無視する人もいるでしょう。その人たちには忍耐が欠けているのです。