満足

 

満足する

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.サンダー・シング

3.トマス・ア・ケンピス

4.マリア・ワルトルタ

5.ジャン・マリ・ヴィアンネ

6.マーリン・キャロザース

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

霊界日記5790イ

 

こうした者(自己愛により他を支配しようとする者)でない者たちはその者たち自身の家で静かにくらしている。かれらはかれら自身の持っている物で満足し、かれらに課せられた義務を遂行している。これらの者は天界の喜びを享受している。なぜならそれがかれら自身の中に在って、かれらの外側には存在しないからである。

 

 

 

天界の秘義4981

 

 「エホバの祝福」はその純粋な意義では主に対する愛と隣人に対する仁慈を意味している。

 

なぜならこれらのものを与えられる者たちは、そのとき天界と永遠の救いを与えられて、「エホバに祝福された者」と呼ばれるからである。ここから「エホバの祝福」は、外なる意義では、または世における人間の状態に関連した意義では、神の中に満足することであり、そこから人間がおかれている名誉と富の状態に―それが尊ばれて富んでいる者たちの間にあろうと、またはそれほど尊ばれない、貧しい者の間にあろうと、それに―満足することである。

 

なぜなら神の中に満足している者は名誉と富とを用を果たす手段とみとめており、かれらはそれらを「名誉と富を」考えると同時に永遠の生命を考えるとき、名誉と富とを何ら重要なものとしてはみとめないで、永遠の生命を本質的なものとしてみとめるからである。

 

 「エホバの祝福」または主の祝福は、その純粋な意義ではこれらのものを含んでいるため、「祝福」もまたその中に無数のものを含んでおり、引いてはそこから生まれてくる種々のものを意味しており、例えば霊的な善と天的な善を豊かに与えられることを(981、1731)、真理の情愛から実を結ぶものとされることを(2846)、天界の秩序に配列されることを(3017)、愛の善を与えられ、かくて主と連結することを(3406、3504、3514、3530、3584)、また楽しさを(3216)意味している。

 

それゆえ「祝福」が特定的に意味しているものは連続した前後の事柄からみとめることができよう。

 

 

 

神の摂理250(ロ)

 

偉大な人間の高貴も、王または皇帝のそれすらも、たった一年後にはありふれたものとして認められ、もはや彼の心を喜びで膨らませることもなくなり、その目には無価値なものとすらならないか。これらの人間は、農夫やその召使のような、低い、または最低の地位にある者よりもさらに大きな幸福をその高貴から得ていようか。農夫や召使は何ごともうまく行って自分の運命に満足しているときは、さらに大きな幸福を楽しむことが出来よう。自分自身を愛する者は、特に自分がその心の誇りに応じて尊ばれないときは、また、その好みと欲望に応じて成功しない時は、他の何人にもまさって心が安まらず、容易に苛立ち、猛烈に激怒する。それ故高貴は目的または用に何ら貢献しないならば、観念以外の何であろう。そしてこのような観念は自己と世とを目標として、この世が凡てであって、永遠は無意味であると仮定する考え以外のいかような種類の考えに在ることが出来よう。

 

 

 

2.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P143

 

自分に欠けた何かを完成させることが神の創造の目的ではない。神はそれ自身完全である。それでも創造されるというのは、創造そのものが神のご性質だからである。神は生命をお与えになる。それは、生命の分け与えが、生命溢れる神の力と活動の本質そのものだからである。また、創造によって人を幸せにし、その生き生きとした臨在によって真の歓びを与えることが神の愛の本質である。被造物からわれわれが引き出す幸せには限りがある。神のみが人間の心の必要に完全にかない、それを完全に満たしてくださるのだ。人がこの歓びを知らないとすれば、それは神への無知か不従順、反逆の結果である。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P153

 

霊魂にはより高貴なる願いがあり、これは地上界では実現することができない。そこで、このような願いが実現される霊界が別にある。この物質界は、どのようなものをもってしても、霊の渇きを満たすことはできない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P154

 

霊魂に潜む真の願いは、霊魂そのものと、そこに潜む神への願いをお造りになった創造主によってしか満たされない。神は人を「己が似姿に」お造りになったのであるから、人は神との交わりを願う神性に類するものを内に秘めている。類が友を呼ぶは存在の法則である。そして、われわれが不滅の存在に根を下ろせば、満ち足りを感ずるばかりか、神にある永生をも得るのである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P353

 

 数か国回ってわかったことは、キリストを受け入れている人々は、どんな困難やもめごとがあろうと幸せに生きているということ、またキリストから離れている人は、どれほど富や物を所有していても、心の平和がないということです。真のクリスチャンは掘っ立て小屋に住もうと宮殿に住もうと幸せですが、名ばかりのクリスチャンは、たとえ宮殿に住もうとも、どん底の暮らしをしている真のクリスチャンの平和と幸せさえもてません。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P310

 

 

 何年も前、まだクリスチャンになっていなかった頃のわたしは、いつもキリストを憎み、キリストの敵でありました。わたしは、この世のもので願いを満たそうとしましたが、かないませんでした。家にはこの世的なものが沢山ありましたが、霊魂の求めを満たせるものは何一つありませんでした。心(ハート)は、この世のどんなものによっても満たすことはできない。心をお創りになった方によってしか満たすことはできないのです。主ただお一人のみが、それを満たすことができるのです。わたしは家と人とを捨てなければなりませんでした。わたしはすべてを失いました。しかし、わたしはキリストの中に、すべてを見出しました。この世の与えることのできなかった、取り去ることもできない、言い知れぬ平和を、キリストの中に見たのです。ただ信仰の友と一緒にいるときだけではなく、困難の最中にあっても、わたしは平和を見出したのです。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P328

 

 多くの人が、安らぎを見出そうと、いろいろなことを試します。ありとあらゆることを試しますが、満ち足りることがありません。それで、何か目新しいものを得ようと出て行きます。食物を変えたり、着る物を変えてみたりと、常に変化を求めますが、けっして満たされることがありません。理由はどこにあるのでしょうか。人は、移り変わるものには完全に満たされることはない。変化しないものにしか満足できないからです。キリストの中にしか平和は見つかりません。主は、けっして変わることがありません。主を見つけたときには、わたしたちはそれ以上の変化を求めなくなります。十分に満ち足りているからです。

キリストについての知識しかない人は、満ち足りることはありません。彼らは、主を知ってはいません。十分に祈らないからです。

 神を知りたいと思うのであれば、わたしたちは静かな場所で主の御足下に座り、神に語りかけていただかなくてはなりません。そうすれば、主の臨在を実感することでしょう。主は、生命と平和と、誘惑を克服する力を与えてくださいます。イエス・キリストのために苦しむ人は、狂っているのではなく、キリストの中に素晴らしい歓喜を見つけているのであります。彼らは真理を知っています。その真理が彼らを自由にしているのであります。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P338

 

今日、こんなにも多くの新宗教があるのは、人々が彼らを満たしてくれるイエス・キリストを知らないからであります。人々は、これを信じ、あれを信じ、それでも足りなければ、また別のものを受け入れる。それでも満ち足りてはいません。みなさん、わたしたちを満たせるのは教えでも、倫理でもありません。生けるキリストなのです。わたしは、様々な国々で、キリストを嫌悪する人々を多く見てきました。ところが、主を知るや、彼らは変えられたのであります。彼らは、主の中に強さと力を見たのであります。

われわれの生活が祈りの生活となり、われわれがこの世界において主を知り、主を愛するように、主がわれわれを助けてくださいますように。

 

 

 

3.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・25・10

 

人がその慰めをどんな被造物からも求めないようになれば、その時からようやく神を完全に味わいはじめるので、どんなことに出会っても、よく満足していられるのである。

そうなると、かれは大きいことも喜ばず、小さいことも悲しまない。そして神はかれにとってすべてのすべてでおいでになり、そのみ前には何物も滅びず死なず、万物ことごとく生きて、躊躇せずそのお指図に従うのであるが、かれはその神に安心してまったく自分をお任せするのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・6・3

 

 良心の清い人は、すぐに満足して不平を起こさない。

あなたはほめられてもそれだけ聖になるわけではないし、けなされてもそれだけ悪くなるわけではない。

 あなたはあなたの人物だけしかない。人の言葉は神のおん目に映ったあなたの値打以上に、あなたを偉い者にすることはできないのである。

 もし自分の内部の実際の有様だけに意を留めていれば、他人があなたのことをなんと言ってもあなたはほとんど気にかけないだろう。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・6・3

 

 良心の清い人は、すぐに満足して不平を起こさない。

 

 

 

4.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P44

 

小さいことで満足せよ。神は、おまえたちに必要であるものを与える。これで足りる。空の鳥にこれを保障しているように、おまえたちにもこれを保障する。そして、おまえたちは空の鳥よりもずっと偉大なものだ。しかし、神は、おまえたちから信頼と清さとを望む。おまえたちに信頼があったら、神はおまえたちを幻滅させない。おまえたちに清さがあれば神の毎日の贈り物で足りる。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスたそがれの日々P52

 

「私たちがここに着く前に、あなたが通り過ぎるのではないかと心配したので、星がまだ光っているうちに出発したのです」

「必ず私たちは会えると言っていたのに。それではヨハネ、あなたは寝ていませんね」

「先生、ちょっとの間寝ました。きっとあなたよりも長く寝たでしょう。このくらいのことは何でもありません」と、どんなことにも満足する気質のヨハネは、明るい顔で微笑みながら言う。

 

 

 

5.ジャン・マリ・ヴィアンネ

 

 

聖ヴィアンネの精神P103

 

霊魂を満たすことのできるのは神様だけです。神様も、私共の霊魂の糧となるために、人体をとって、この地上にとどまるのを、余りの行き過ぎだとは思われませんでした。

 

 

 

聖ヴィアンネの精神P123

 

皆さん、神様は霊魂に食物を与えて、生涯の巡歴の間を援けようとされて、被造物を見めぐらされました。その時、御自分を顧みて、御自分を与えようと決意されました・・・。おお、わが霊魂、そなたは何と偉大なのであろう。そなたを満足させることのできるのは、神様だけであるから・・・。霊魂の食物、それは神様の御体と御血とです。ああ、うるわしき食物よ。霊魂は神様によってしか養われない。霊魂を満足させるのは、神様しかないのです。その飢えをいやしうるのは神様しかなのです。

 

 

 

 

6.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/信仰その驚くべき力/P276

 

 神に完全に赦されたと信じた時、心の内に生じたあの喜びを、私は決して忘れません。

 

 

 

マーリン・キャロザース/信仰その驚くべき力/P279

 

 祈りへの答え、心の喜び、神が守ってくださるという確信などは、信仰によって得られます。信仰がなければ、サタンが喜んで用いている苦しみの犠牲になるかもしれません。

 

 

 

マーリン・キャロザース

 

マーリン・キャロザース/信仰その驚くべき力/P283

 

 私たちは、母親の腕に抱かれていた時代から、愛されたいという気持ちを持っていました。だから、私たちを愛する神の愛がどれほど深いか知った時、生まれた時から持っていた望みが満たされるのです。