従順

 

摂理

 

 

1.聖書

2.トマス・ア・ケンピス

3.スウェーデンボルグ

4.デボラ 

5.ルイザ・ピッカレータ 

6.マリア・ワルトルタ 

7.ヴァッスーラ 

8.シルワン 

9.聖母から司祭へ

10.マーリン・キャロザース

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ26・39

 

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

 

 

 

マルコ14・36

 

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

 

 

 

ルカ22・42

 

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」

 

 

 

ルカ1・38

 

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 

 

 

ローマ1・5

 

わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。

 

 

 

フィリピ2・6−8

 

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 

 

 

コロサイ3・5−6

 

だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。これらのことゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下ります。

 

 

 

ヘブライ5・8−10

 

キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。

 

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・13・1−3

 

「わたしの子よ、服従を拒もうとする者は、恩恵を拒む者である。

また私の利益を得ようとする者は、公の利益を失う者である。

人が目上に対し、進んで快く従わないのは、その肉体がまだまったくその人に

従わず、たびたび逆らい不平を鳴らすことがあるという徴候である。

だから自分の肉体を従わせたいと思うならば、

自分の目上に対し、すぐに従うことを学ぶがよい。

 

内なる人(精神)が荒らされていないならば、

外なる敵(肉体)に打ち勝つことはたやすいからである。

精神とよく一致しないならば、霊魂にとってあなた自身よりも

害のあるやっかいな敵はほかにはあるまい。

あなたは肉と血とに勝ちたいと思うならば、

自分というものをまったく軽んじなければならない。

 

あなたはまだ自分をむやみに愛しているので、

それで他人の意思にまったく従うことを恐れるのである。

しかし、無から万物を造り出した全能にしてこの上なくとうとい

わたしですら、あなたのためにへりくだって人間に服従したのに、

塵であり虚無であるあなたが、神のため人に服従したとて、

それがどうして大したことだろう。

わたしはすべての人のうちで、もっとも卑しいもっとも低い者となったが、

それはわたしの謙遜によってあなたが自分の高慢に打ち勝つためである。

塵であるあなたよ、従うことを学べ、土芥(つち)であるあなたよ、

へりくだって、すべての人の足元に屈服することを習え。

あなたの意思をくじき、何事につけても人に服従することを学ぶがよい。

 

自我を抑える熱心に燃え立ち、

心の中に高ぶる思いを少しでも持っていてはならぬ。

かえって卑しい者、小さい者たる実を示して、すべての人に自分の上を

踏み歩かれ、街路の上の糞土のごとくふみにじられるようにすべきである。

 

むなしい者よ、あなたになんの不平を鳴らすことがあるのか?

あさましい罪びとよ、あなたはかようにしばしば神に背き、

いくたび地獄におとされても文句の言えない身でありながら、

あなたを責める人々に対して、どう言いわけすることができるのか?

 

けれども、それをわたしが大目に見ていたのは、あなたの霊魂がわたしの

前に貴重なものであったからで、またあなたがわたしの愛を認め、

わたしの恵みを絶えず感謝し、いつも真の服従と謙遜とに甘んじ、

自分が軽蔑されるのを、忍耐するようになるためである。」

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・49・5

 

 自分の意志に逆らうことを見たりこらえたりするときほど、あなたが自分に死することを必要とする場合はほとんど他にあるまい。わけてもあなたに不適当で、ほとんど無益と思われることを命じられる場合は、特にそうである。

 

 

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2604

 

他生における異邦人の間ではアフリカ人は他の者よりも容易に天界の善と真理とを受けるため、最も愛されている。彼らは従順な者と呼ばれることを特に願っており、信仰のある者と呼ばれることは願ってはいない。

 

 

 

天界の秘義3318

 

なぜならその容器は従順ではなくて、生命がそれに応じて活動する天界の秩序に反抗して頑強に抵抗し、また自分自身を頑なにするからである。なぜならそれらの容器を動かし、またそれらの容器がそれに順応している善は自己と世を求める愛のものであり、その善は、その中にあるところの粗悪な熱から、それらの容器にこのような特質を持たせるからである。それ故それらのものは柔軟なものとなり、主の愛の生命の何らかのものを受けるのに適合したものとなることが出来る以前に、柔らげられなくてはならないのである。この柔らげられることは試練以外のいかような手段によっても遂行されはしないのである。なぜなら試練は、自己への愛に属し、また自己に比較し他の者に対し覚える軽蔑の念に属しているところの凡てのものを遠ざけ、従って自負心に属し、また自負心のための憎悪と復讐とに属している凡てのものを遠ざけるからである。それでその容器が試練により多少なりと和らげられ、征服されると、その容器は、人間のもとに絶えず流れ入っているところの、主の愛の生命に服従し、またそれに従順になり始めるのである。ここからそのとき善は真理と連結され始めるのであり、それは先ず合理的な人の中に、後には自然的な人の中に行われるのである。なぜなら前に言ったように、真理は絶えず変化しつつある幾多の状態に応じた形の幾多の多様なものの認識以外の何ものでもなく、これらの認識は流れ入ってくる生命から発しているからである。これが人間が試練により、またはそれと同一のことではあるが、霊的争闘により再生する、即ち、新しくされる理由である。その後彼は他の性質を与えられて、柔和に、謙遜に、単純に、砕けた心になるのである。これらの幾多の考察から、試練がいかような用を増進するかを今や認めることが出来よう。即ち、主から発している善が単に流れ入るのみでなく、その幾多の容器を処理して、服従させ、かくしてその善自身をその容器に連結させるためである。真理は善を受けることの出来る容器であることは前に認めることが出来よう(1496、1832、1900、2063、2261、2269)。

 

 

 

天界の秘義5164[2]

 

主に対しては凡ての者は、その境遇はいかようなものであっても、等しく僕であるということであり、主の王国または天界では最も偉大な者は(即ち、最も内なるものである者たちは)、最大の服従の中にあり、他の者よりも更に深い卑下の中にいるため、他の者以上に僕となっている、なぜならこれらの者は『最も偉大なものとなる最小のもの』により、また『最初のものとなる最後のもの』により意味されている者たちであるからである―

 

 最初のものは最後となり、最後のものは最初のものとなるである(マタイ19・30、20・16、マルコ10・31、ルカ13・30)。

 

 

 

天界の秘義7161

 

『におい』は快適なものを知覚することを意味しているため、それは信仰と仁慈とを知覚することを意味している、なぜならそれらは快適なものであるからである(1519、4628、4748番を参照)、そしてこれらのものは快適なものであるため、従順は極めて快適なものである、なぜなら従順は信仰と仁慈との善そのものであるからである、ここから『におい』によりここでは従順が意味されているのである。

 

 

 

 

4.デボラ

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻上P167

 

『人生の困難のうちにあっても、素直である者は幸いである。』

彼は真の勝利とは何であるかを知っているので、自分の望みがかなえられることを欲し、むなしい同意を獲得して優位にたつために他人の心を支配しようとして、苛立ち、怒り、または横暴な態度に出るようなことはしない。彼は、そう、幸いである。なぜならその柔順さが私の英知を迎え入れるので、母の胎内にいる子どものように、彼の中でこの英知が生き、その遺産としてこの地上と、地上にある生きとし生けるものを得るのである。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P172

 

従順は人を聖化する。

 

 

 

 

5.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P152

 

私の魂にとって、この地上の全ての物事は天国のそれに比べますと、まるでなにか腐敗物であるかのような感覚さえ与えられていましたので、身体の中にとどまっていなければならないという義務はなんと辛く感じられたことだったでしょう。他の人にとっては感覚的に気持ちのよいことでも、私にとっては煩わしく、苦しみに満ちたもののように思われましたし、また他の人びとでしたら、その人と会話を続けるために、どれほどの礼儀と丁重さをもって接するであろうかと思われるほど、非常にきれいであったり、重要人物であるような人びとでも、私にとっては無関心であるばかりでなく、退屈にさえ感じられるのでした。私の心はほんの少しの満足や嬉しさの影をも感じるわけではありませんでしたが、これらの人びとをただ神の似姿として眺める時にのみ、我慢できるのでした。まさにそのようでしたから、私の心は非常に騒ぎ、落ち着かなくなり、絶えず天国への関心と憧れにせかされて、イエスに訴えておりました。私の内面はこの地上の物事にたいして非常な心痛、にがみ、嫌気などを感じ、これら全てのことは、この世でこれ以上生きつづけることを不可能にするのではないかと信じさせるほどまでに私を苦しめるのでした。しかし私にとっては全ての出来事のうちに存在する従順が私の前に立ちふさがり、これ以上死を望まず、神が望まれることに従うようにという絶対的命令をもって、大変うまく私にブレーキをかけました。私にできる範囲内で、頭の中から死についての考えを遠ざけるように努めました。しかしそれにもかかわらず、私の心の中には天の故郷への憧れと熱望をこめた絶え間ない射祷のかずかずがしっかりと刻まれているのでした。それから私の心は従順によって大部分静まりましたが、完全にではありません。時折りちょっと逃げ出したり・・・本当を申しますと相当不完全でした。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/第2巻P112より

 

<イエズスのために母親の役を続ける。従順という名の貴婦人。>

1899年8月16日

 

イエズスは私が、ご自分の母親役をするようにと望み続けた。愛らしい幼児の姿をして泣くので、なだめるために、主を腕に抱いて歌いはじめた。歌っている間は泣きやむけれど歌うのをやめると、また泣きだす。どんな歌を歌ったかは黙っています。なぜなら自分自身の外に出ていたので、すべてを覚えている訳ではないのです。それとあまりつまらないことは言いたくないから。でも従順という名のご婦人は情け容赦ない方で、許してくれそうにない。彼女が望むようにさえすれば、支離滅裂でも満足してくれる。人は、この「従順婦人」は盲目だというけれど、なぜか私には反対に全部が目のような気がする。ごく小さなことにも気づくし、もし言うとおりにしないと、平和を与えてくれないから。

でも、この美しい貴婦人と平和にやっていこう。事実、言うとおりにすると、とても良い方で、望みがすべてかないます。それでは私の子守り歌を、覚えているとおり記してみよう。

 

小さい、強い子、

お前はみんなの慰め。

可愛い、きれいな子、

お星さままでお前に見とれる。

坊や、私の心を盗んでおくれ、

お前の愛でそれを満たすために。

優しい子よ、

私も幼児になりたい。

坊や、お前は天国、

ああ、永遠(とこしえ)の微笑のうちで私を遊ばせておくれ。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/第2巻P113

 

従順について。

1899年8月17日

 

私は、ご聖体拝領のあとイエズスに言った。

「いったいどうして従順という徳は、これほど情け容赦なく、時としては気まぐれなほど強いものなの。」

主は答えてくれた。

 

「この従順という婦人は、なぜそうなのか知っていますか? それは他のすべての悪癖に死を与えるからです。他のものに死を受容させるためには、それはどうしても強く勇敢でなくてはならない。またもしそれだけで足りなければ容赦なく、気まぐれとさえ思うときもあります。とてもか弱い身体を殺すためにも力と勇気がいるのだから、悪癖や情熱に死の一撃を与えるためには、もっとそれが必要になる。でもそれはとてもむつかしいのです。時には死んだと思っても、再び生き返ることがあるから。

この勤勉な婦人は常に動いて様子をうかがっているので、もし人が命令を実行するのにちょっとでもためらっていると、その心にもう一度悪癖が甦ってくる恐れがあるので、その人が彼女の足元にひれ伏し、沈黙のうちに、彼女の望みを礼拝するまで、魂に戦いをいどみ、平和を与えないのです。

さあ、これがあなたの言う、彼女がなぜこれほど情け容赦なく気まぐれかという理由です。ああ、そうなのです。従順なしには、真の平和はない。もしも従順なしに平和を味わっているように感じるなら、それは偽の平和です。それは自分の情熱には合致するが、決して徳と一致はしない。魂は自滅します。なぜなら、従順から離れるのは、この気高い徳の王である私から離れることだから。

従順は自己の意志を殺し、神のそれを溢れるほどに注ぐ。従順な霊魂は、もはや自分自身の意志で生きるのではなく、神のそれで生きているとさえ言える。神の意志そのものをもって生きること以上に美しく、聖なる人生が得られるでしょうか。

他の徳の場合、たとえそれがもっとも崇高なものだとしても、そこには自己愛が混じることがあるけれど、従順にはけっしてそれがないのです。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/第2巻P127

 

1899年9月1日

 

「従順は私にとっての全てでした。従順はあなたにとっても全てであって欲しいのです。従順によって私は生まれ、従順によって私は死に、私の身体にある全ての傷は、従順が私に刻んだしるしです。それは傷つけるためにふさわしい武器をそなえた戦士、とあなたが言った通りです。私のうちには一滴の血すらも残らない。私の肉は引きちぎられ、骨はくだけ、血まみれになってあえぐ私の心臓は、誰か私に同情する人の慰めを捜し求めていました。しかしこの冷酷な専制君主である従順は、私が十字架上で生けにえとして自分を捧げ、愛のために息を

引き取るのを見て、やっと満足したのです。

 

なぜでしょう。この強力な戦士の任務は、霊魂を犠牲として捧げることだからです。そのために霊魂が自分を完全に捧げ終わるまで激しい戦いを起こすだけなのです。霊魂が苦しもうが、喜ぼうが、生きていようが、死のうが、なんの注意も払わない。彼の目は、自分が勝つこと、それのみに注がれていて、それ以外のことには無関心なのです。

 

この戦士の名前は「勝利」です。なぜなら彼は従順な霊魂には、すべてにたいする勝利を与えるからです。霊魂が死んだかのように

思えたとき、その時こそ霊魂にとっての真の人生が始まるのです。従順が私にくれなかったものが何かあったでしょうか。それ以上に偉大なものがあったでしょうか。従順を通して私は死に打ち勝ち、地獄を打ち負かし、鎖にしばられていた人間を解き放ち、天を開き、勝利の王として私のためだけでなく、私の贖罪のわざの功徳を利用したいと思うすべての私の子供たちのためにも私の王国を獲得しました。

そうなのです。人生は私につらく当ったが、従順という呼び名は、私の耳に快く響いたのです。だから私は従順な魂をとても愛します。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/第2巻P154

 

ルイザは、従順の価値について説明するイエズスの言葉を聞いて納得する。

1899年10月3日

 

ある時は従順の方が、次は私がというふうに、私たちは同じ意見になった。この頑固で、ありがたい従順婦人には、とても我慢がいる。

主導権さえ握らせておけば、おとなしい子羊のままでいる。そうしておけばすすんで労をとり、その人を主のうちに憩わせてくれるし、目を光らせて、誰も邪魔したり、眠りを妨げないように見張ってくれる。

その人の魂が休んでいるあいだ、この女の人のしていることといったら。ああ!その人の苦労を身に受けて、額から汗を流すの。これを知れば、どんな賢い人でもびっくりして、心を揺すられ従順婦人を好きになってしまう。こうして記述しつつも、自問した。

「従順て何。何から出来ているの。何を食べているの?」と。

 

そのときイエズスの声が耳に心よく響いた。こう言っていた。

 

「従順が何か知りたいですか。従順とは、一番純度の高い清い、完全なるもので、もっとも苦しい犠牲から生まれるもの。神を再び生きるために、自らをも破壊してしまうものです。従順は高貴で神聖な者で、人間に属するものはひとつもなく、すべてが自分自身である人だ。

だから、一生懸命、霊魂の中で神の高貴さに属さないものすべて、なかでも自己愛を破壊しようとします。そのあと、その魂に関わることで少しくたびれてしまうけれど、最後は魂を休ませてくれる。つまり従順とは、私なのです。」

 

聖なるイエズスがこう話すので、私は驚くと同時に、うっとりとなった。ああ、聖なる従順様、あなたはなんて分かりにくいの。私はあなたの足元にひれ伏し、あなたを崇める。人生の困難な歩みを教え導き、照らしてください。清い光に導かれ、教えられ、護衛されれば、きっと安全に永遠の港に着けるでしょう。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P75

 

「用いられる薪がどういうものかによって、炎の燃え具合が決まるが、その結果、その上に置かれたものを消費する具合、または燃やす時の火の強さも左右されてくる。炎が強ければ強いほど、それが発散する熱と光も強くなる。このように従順も、それがより良いものであるほど、物質的なものを破壊することにおいて、霊魂をより有能にする。従順は、ちょうど柔かいロウのように、霊魂を望みの形に作ってゆくのである。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P49

 

「なぜ従順は、霊魂の中に神の似姿を刻印するほどに賛美され、栄光を受けるのか、という理由を語ることができるか?」

 

イエスは私におっしゃいました。

 

「従順は、人間の情熱を根こそぎにし、霊魂の中に存在する地上的、物質的なものの全てを破壊し、霊魂が最初から有していた状態を、偉大な栄光をもって彼女に返還するということをしてくれる。だからこれほどの誉れを受けるのである。霊魂の最初の状態とは、つまりエデンの園から追い出される前に、初期の正義のうちで神から創造された状態のことである。この崇高な状態の中では、霊魂は善であるもの全てに強く魅かれるのを感じ、善いもの、聖なるもの、完全なものの全てが身に付いていることを感じる。反対に悪についてはその影に対してですら、非常な恐れを感じるほどとなる。従順の巧妙な手から受けたこの幸いな性質によって、霊魂はもはや受けた命令を果たすことに困難を感じることもなくなる。従順は常に善を命令するからである。また従順は、神の似姿を霊魂のうちによく刻むだけでなく、その人間的性質を神的なものへと変化しさえする。事実、善にして聖なる方、完全な方であられる神のように、霊魂もすべて善いものを志向し、悪を極度に嫌うようになる。従順とはこのように、人間的本性を神性化する徳を有し、霊魂に神の特性を獲得させる。したがって霊魂が、従順の非常に巧妙な手に形成されるままに自分を委ねれば委ねるほど、神の特性を獲得してゆき、自分自身のものを破壊してゆく。

 さあ、これが、なぜ従順がこれほど讃美され、崇められているかという理由である。私自身も従順の下に身を置いたので、そのために讃美され崇められたのであった。私の子供たちが不従順によって失った誉れと栄光を、私は従順を通して彼らの皆に返してあげた。」

 

この徳が含蓄する内容は非常に高い水準に達することですので、私の貧しい人間的言語では、それを言い表すすべを知らないのです。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P61

 

従順は、私の意志と結びついていなければならない。この徳は、地上で私があなたに与えた長上との関係についてであるが、この従順はまた、私の意志とも直接関係する従順である。両方とも従順の徳と言うことができるだろう。ただ違うことは、一つは人間への従順で、他方は神に関する従順であるということだ。しかし両方とも同じ価値を有しており、一方なしに、もう一方はありえない。だからあなたは、両方とも同じ方法で愛さなければならない。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/第四巻P90

 

愛する子よ、従順は長い視野をもっており、太陽の光そのものよりも、その美しさと鋭さにおいてまさるものとなる。ところが自己愛は、つまずくことなしには一歩も進めないほど、非常に短い視野しかもっていない。常に落ち着かない小心な霊魂は、自分は非常に遠くまで見える視力を所有していると信じてはならない。

むしろこのような霊魂は、自己愛で編まれた網の中にはまり込んでおり、とても近い視力しかもっていないので、その網で先ず自分がころばされ、それから自分の内部にも様々な不安と小心が生じてくるのを感じる。この霊魂は、今日は多くの恐れと細心をもって嫌ったことなのに、翌日もまた新たにそこに落ち込んでしまう。こうして彼らの生活は、いつも自己愛が編み込まれたこの不自然な網の中にはまり込んでいることになる。

 反対に、従順という、自己愛を殺すことのできる非常に長い視力は、とても長くて明るいものなので、すぐに偽りの歩みをする可能性があることを見通して、寛大な精神をもってそれを避けるので、神の子の聖なる自由を満喫することができる。闇が、またもう一つの闇を引き寄せるように、光も他の光を引き寄せる。こうして従順の光は、「みことば」という光を自分自身のもとに引きつける。この二つは一致して、全ての徳をその霊魂の中に織り込むのである。

 

 

 

 

6.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ17・12/天使館1巻P140

 

あの木、それは子らの従順を試す手段でした。

 神の命令に対する従順とは何でしょう?それは良いことです。神は良いことしか命令なさらないからです。不従順とは何でしょう? それは悪いことです。神に反逆する心は、サタンを思うままに働かせる場になるからです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ31・9/天使館1巻P266

 

従順することは常に救いとなります。たとえ受ける勧めが常に完全ではないにしても。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P223

 

聖母マリア:

 

従順は、いつも救いをもたらします。これをよく胆に銘じておきなさい。それに司祭に対しての尊敬は、いつもキリスト的なよい心のしるしです。

 

イエズスが言われたとおり、使徒的熱心さを失う司祭たちにろくなことはない! けれども同じように、彼らを軽蔑してもよいと考える人々も、ただではすまないでしょう。司祭たちは、天から下るまことのパンを聖別し、分配するからです。そのパンにさわることによって、彼らは自ら聖なる者でなくても、聖別された杯のように、聖とされるからです。

 

しかし、言うまでもなく彼らは、神のみ前に、それだけの責任を負っています。あなたたちは、彼らをそのように見なし、これ以上のことを気にしてはなりません。彼らのことばによって天から下り、その彼らの手に挙げられるわれらの主イエズス・キリストよりもきびしくしてはいけない。

 

そういう司祭が、盲目で耳も聞こえず、心が麻痺し、考えが病気で、自分たちの使命とあまりにも対立する罪のらい病に冒されて、墓の中のラザロのようであっても、彼らを治してよみがえらせるように、イエズスを呼びなさい。

 

 なお、生贄となっている霊魂たちよ、あなたたちの祈りと苦しみとをもって、イエズスを呼びなさい。一人の霊魂を救うことは、前もって自分の霊魂を救うことですが、一人の司祭の霊魂を救うことは、多くの霊魂たちを救うに等しいのです。なぜなら“聖”であるすべての司祭は、霊魂たちを神へと引く網だからです。一人の司祭を救うことは、その人を“新たに聖別すること”で、今、言った神秘的な網を作ることです。その網にかかる獲物は、全てあなたたちの永遠の冠に加えられる光です。

 平和に行きなさい。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P42

 

マルタ:

「妹よ、あなたの言うとおりです。先生について行けないのは悲しいけれど、先生のおっしゃることはどんな小さなことでも守りなさいとラザロも言っています。私たちはそのとおりにします」

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ『私に啓示された福音』509(天使のパン23号P14)

 

従順は愛です。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/8卷上P184/515・3

 

「聞きなさい。一緒に遡りましょう、時の限界を超えて。あなた方は、人の霊魂を悪くしたのは誰か、知っています。サタン、蛇、反対者、敵対者、憎悪です。何とでも呼びなさい。でも、彼はなぜ人を悪くしたのでしょう? 大いなる嫉妬です。彼は人が天へ行くことを見ました。自分が追放された所です。彼は、自分が追放されたように、人も追放されることを望みました。彼はなぜ追放されたのでしょう? 神への反抗です。あなた方も知っています。けれども、何において反抗したのでしょう? 従順です。不従順は悲しみの源泉です。では、秩序を回復するために、完全な服従が必要とされるのは、言うまでもないのではありませんか? 秩序は、常に喜びです。服従は簡単ではありません。特に重要な事柄においては。困難なことを成し遂げようとするとき、悲しみがもたらされます。では、考えてごらんなさい。愛なる方から、神の子らに喜びを取り戻したいかどうか尋ねられているわたしが、神の思し召しに従うために、無限の苦しみを経験しないことがあるでしょうか? ですから、わたしは、勝利のために、苦しまなければなりません。打ち消さなければならない罪は、一つや千の罪ではなく、非常に強力な罪です。ルチフェルの天使的な霊魂や、生命を吹き込まれたアダムにあった罪。神への不服従というその罪は、最後の人間にいたるまで、存在するでしょう。人間たち、神があなた方に求める服従は些細なものです―あなた方にとっては、多大だと思われるでしょうが、些細なものです。正義なる神は、あなた方ができることした、お求めになりません。

神の意志について、あなた方が知り得るのは、理解できることだけです。けれども、わたしは神の要求すべてを知っています。大きなことも、小さなことも、わたしの知識と遂行には、いかなる制限も加えられません。愛の犠牲を捧げる者、神のアブラハムは、生贄と息子を惜しみません。賠償と献げ物を要求する愛を焼き尽くすのでないならば、わたしが何千年生きたとしても、無駄でしょう。太古の昔から、もしわたしが父に『はい』と言ったのでなかったら、何も起こらなかったでしょう。わたしは、神の子である人として、従う覚悟をして、『はい』と言いました。そのわたしを、父は正しいと認められました。

 従順は悲しみであり、栄光です。従順は、霊魂と同じく、死ぬことがありません。まことに、わたしは言います。真に従順な人は、自分自身とこの世とサタンとに絶えず逆らって、神に似た者になるでしょう。従順とは光です。人は、従順になればなるほど、聡明になり、見えるようになります。従順とは忍耐で、人は従順であればあるほど、物事や人を耐えることができます。従順とは謙遜です。人は従順であればあるほど、隣人に対して謙遜になります。従順とは慈しみです。それは慈愛の行為ですから、人は従順であればあるほど、その行為は増え、完全になります。従順は英雄的です。霊魂の英雄とは聖人です。天の住人、神に近づいた人です。慈愛とは、三位一体の神を見出す徳ですから、従順という徳の中で、あなた方の先生であるわたしに会うことができるでしょう。すべての神聖なことに、絶対的従順を示すことによって、あなた方がわたしの弟子であることを、世に知らせなさい。

 

 

 

515・4

 ユダを呼びなさい。彼にも言っておくことがあります・・・」。

 ユダが来る。イエズスは山を下りてきて狭くなった視界を指さして言う、

「あなた方、将来霊魂の先生になる人たちのために、短い譬え話をしましょう。あなた方は、辛く厳しい完全への道を上るにしたがって、視界が開けるでしょう。先ほどまでは、ペリシテとシャロンの二つの平原、多くの村、畑や果樹園、はるか遠くの青い広がり、つまり、大きな湖も見えました。そして、その先には、緑のカルメル山も見えました。今は、ほんの少ししか見ることができません。下るにつれて眺望は狭まり、谷底に着くころには何も見えなくなるでしょう。霊魂においても、上らずに下る人には、同じことが起きます。その人の徳と知恵は徐々に失せ、判断力は狭まり、ついには消えてしまうでしょう。すると、霊魂の先生は、その使命を果たすことができません。もはや、判別も指導もできなくなります。もはや死体となり、腐ってしまいます。下ることは、ときには魅力的で、心を誘われます。底には感覚的満足があるからです。わたしたちも、休息と食事を求めて、谷間へと下っています。わたしたちの体のためには、それが必要です。けれども、道徳や霊魂のためには、官能の谷へ下って感覚的満足や霊的怠惰にふけることは不要です。あなた方が行くことを許されている谷は、ただ一つです。謙遜の谷です。なぜなら、神ご自身が、謙遜な霊魂たちをご自身の所へ引き上げるために、そこへと下るからです。自ら遜る者は高められるでしょう。その他のすべての谷は破滅的で、人を天から引き離します」。

「先生、このために、お呼びになったのですか?」。

「そうです。あなたは、質問する人たちと、長い会話をしていましたから」。

「はい。でも、何にもなりません。彼らの頭は、ラバよりも鈍いです」。

「それで、すべてのことを消散させる考えを教えたいと思いました。あなたの霊魂の滋養になるように」。

 ユダは、当惑した表情を見せる。自分が褒められているのか、叱られているのか、分からない。他の者たちは、ユダと同行者との会話に気づいていなかったので、イエズスがユダの高慢さを叱っていることが分からない。

 

 

 

515・5

ユダは、話題を変えようと思って尋ねる、「先生、どうお思いになりますか? あのローマ人たちや、ペトラの男は、あなたの教えを受け入れることができるのでしょうか? あなたと接したのは、ほんの僅かですから。それに、あのアレクサンドロは? 行ってしまいました・・・二度と会わないでしょう。そして、この人たちも。彼らは本能的に真実を探すと言う人もいますが、彼らは異教崇拝に首までつかっています。彼らが、何らかの成果を得ることなどあるでしょうか?」。

「真理を見出せるか、という意味ですか?」。

「はい、先生」。

「なぜ、彼らは成果を得られないと思うのですか?」。

「彼らは罪びとですから」。

「彼らだけが罪びとですか? わたしたちの中に罪びとはいないのですか?」。

「もちろん、たくさんいます。だからこそ、わたしは言います。昔から知恵と真理で養われて来たわたしたちでさえ罪を犯し、あなたが示される真理を行う義人になることが難しいです。それなのに、あのように悪に浸った彼らに、どうして可能でしょう?」。

「どんな人でも、どこから出発したとしても、真理、すなわち神に到達して自分のものにすることができます。心に驕りがなく、肉体的逸脱がなく、誠実に真理と光を追い求め、純粋な意図を持ち、神に憧れる人、そういう人は、確かに神への道にいます」。

「心の驕り・・・肉体的逸脱・・・先生・・・それでは・・・」。

「あなたの思いを言いなさい。それはよいことです」。

 ユダは、ためらい、そして言う、「では、彼らは神に到達できないのですね、彼らは邪道にいますから」。

「ユダ、あなたはそれを言いたかったのではないでしょう。なぜ、自分の思いや良心に蓋をするのですか? おお! 人が神の所に上るのは、なんと難しいのでしょう! その障害物は、その人自身の中にあります。彼は自分を見つめて、過ちを認めることをしません。実のところ、サタンは非常にしばしば、霊的崩壊の原因をすべて負わされて中傷されます。また、神もすべての事が神の原因にされて、もっと悪く言われます。神は人間の自由を侵害しません。サタンは、善へとしっかり向けられた意志を支配することはできません。はっきり言いますが、人が犯す罪の百回のうち七十回は、自分の意志によるものです。そして―人はそれをよく考えませんが、そうなのです―そして、彼は罪から立ち上がりません。それは、自分の良心を確かめることをしないからです。自分の中で、良心が予想外の反応を示して真実を叫んだとしても、彼はそれをよく考えようとせず、その叫びを押し殺します。自分の知性にとって厳しく悲しいと思われるその姿を破壊し、その糾弾の声に影響されかけた思いを、なんとかねじ伏せます。そして、次のように言うのを拒みます。たとえば、『それでは、わたしたちは、真理に到達できないのですね。なぜなら、わたしたちの心は驕り、肉体は堕落していますから』と。そうです。わたしたちが神の道を進むことができないのは、わたしたちの心に驕りが、肉体に堕落があるからです。サタンの驕りに匹敵する驕りで、神の業が、人や仲間の利益に合わないと、それを批判し、妨げます。それゆえに、多くのイスラエル人が、永遠に呪われるでしょう」。

「でも、全員がそうではないでしょう?」。

「ええ。どの階層にも、また善い人たちがいます。教養ある金持ちの中よりも、謙遜な人びとの中に大勢います。確かにいます。でも、どれくらいいるでしょう? このパレスチナで、約三年の間、宣教し、支えて来ました。このパレスチナの人びとの中で、どれぐらいいるでしょう? 彼らのために、無駄だったのでしょうか?イスラエルでわたしの王国に喜んで来ようとする人よりも、たくさんの星が曇り空に輝いています」。

「では、異邦人たちは、あの異邦人たちも、天国に?」。

「全員ではありませんが、大勢が来るでしょう。わたしの弟子たちでも、全員が最後まで持ちこたえることはないでしょう。でも、腐った実が木から落ちることを心配するのは、止めましょう! わたしたちがすべきは、彼らが腐らないようにすることです。親切と、断固とした態度と、叱責と、許しと、忍耐と、愛を尽くすことによって。それでも、彼らが神と、彼らを救おうとする兄弟たちに『いやです』と言い、死であるサタンの腕に飛び込み、悔いることなく死のうとするならば、わたしたちは首を垂れ、その魂を救って神を喜ばせることができないという悲しみを、神にささげることにしましょう。すべての教師は、そのような敗北に出会うものです。それでも、役に立たないわけではありません。彼らは、霊魂の師としての驕りを恥じ、自分の使命への忠誠さを諮問します。敗北によって、霊魂たちの師としての意志をくじかれてはなりません。それどころか、将来のさらなる努力への意欲を掻き立てられなければなりません」。

 

 

 

 

7.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P58

‘87・11・29

 

♡ 私に従い 喜ばせなさい、従順は 悪魔を無力にさせ ♡♡ 退散させる ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P242

‘88・6・10

 

♡ 従順・・・。私の子どもたちが従順により どれだけの悪を克服するかを知るように ♡ 教会は生き返ります、イエスと私はいつもともに働いています 私たちの心が結ばれているからです ♡  私は愛する謙遜なゴッビ神父を道具として この天使の軍団を準備し イエスの聖心は あなたを通してこの平和と愛のメッセージを準備されました、最も弱い、小さくみじめな子どもをすべての人類の中から選ばれて、それでもなおイエスは限りなくあなたを愛しておられ、世にその無限の慈しみを現すためにあなたを選ばれたのです、あなたを通してご自分の愛を現すために。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P266

‘88・8・4

 

パパさまとの公的な謁見の翌日:イエスは周り中にいらして、四六時中にっこりと笑顔を向けて下さっているのが見えました。

 

イエス?

 

♡ 私です、花よ、私のやり方を理解しようと求めないように、単純に私から来るもの全てを受け入れなさい、私、主はあなたを導き入れた、あなたを導いて 非常に愛する我が僕ヨハネ・パウロ二世に会わせた、最愛の霊魂たちよ、あなた方は私に従った、私を信頼し、私に寄りかかっていた、霊魂よ 歓びなさい! 私、あなたの神が 歓びを感じている! 素朴さは私を夢中にさせ、従順は私の聖心を喜びで跳ね上がらせる これこそ悪魔と戦う武器、

主よ、あなたのお手紙をパパさまの帯に差し込むのは正しいことでしたか?

 

私に従ったのだ、他の者たちにとっても従順の手本となろう、どのように状況が困難に映ろうと、信頼して従いなさい、私に従い 我が意思を行うのを見出したなら いつでも助けを与える。 これを私のために行うよう なぜあなたに頼んだかを理解しようと求めないように  ♡ 覚えておきなさい、私の名のもとに一致させるのは主なる私であると、そして私の望みがすべて達成されるのは我が力による、私の指を置かせたまま 我が子よ あなたをこうして用いさせ、あなたの上に覆いをしておくのを許してもらいたい 私の注ぐ全ての恵みに有頂天となってしまう悪から護る、私、神はあなたを愛おしむ そして最も危機的状況にあっても決して見放さない ♡ 愛があなたに霊感を与える、聞くように、僕ジェームズ神父の献身にたいし私の聖心とあなたの母の汚れなき御心がどのようにこころ動かされたかを伝えてほしい ♡ 彼は 与えられた全てのものの上にしっかりと立ち 他の者たちにも 謙遜をもって従うように教えるとよい、謙遜に従うなら 悪と戦うことになると私の子どもたちに伝えるがよい ♡ 知恵はいのちを愛する、知恵には聖という名があり 私に従うすべての者に与えられる、全ての指示は知恵から降る、私に信頼し 聖(*)という種を蒔きなさい

 *知恵という意味

あなた方の上に平和、おいでなさい、私の聖なる現存を忘れないように、微笑みかけなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P272

‘88・8・9

 

イエス?

 

♡ 私です、我がヴァッスーラ、ジェームズ神父も居るように、彼と話しをする ♡

(イエスはジェームズ神父にこうして私とともに「会う」ことをお許しになりました。)

私の平和を受けなさい、あなたの歩む一歩一歩を、主なる私は祝福する ♡ 私はペトロの葬られた場所にできるだけ近くまであなたを連れてきた、それを望んだのが私であることを疑わないように ♡

(ジェームズ神父がおいでになり、ともにひざまずき、この特別な仕方でイエスに「会い」ました。)

兄弟よ! あなたの救い主を見なさい、見よ、愛である私が、私自身の者たちの手で 再び十字架に架けられている ♡ 兄弟よ! 偽りに 気づくように、悪と戦い、誤りを正しなさい、私を迫害するすべての者に従順を呼びかけなさい、私の家は荒廃し、聖所は荒れはてたままになっている

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P77

‘88・11・21

 

花よ、私の平和をお受けなさい、さあ 注意なさい、従順であるように そうすれば何も恐れることはありません、ああ ヴァッスーラ イエスは際限なくあなたを愛し 心に留めておられます、あなたと主は十字架を分かち合っているのです、イエスは決してお見捨てになりません 永遠に、そう、私です、来て休むように ともにいます ♡ 『私たち』?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P58

‘89・12・4

 

(イエスが呼んでおられるのを感じ、大急ぎで飛んで来ました。)

 

娘よ、あなたは眼に入れても痛くない者、それ以外の考えを持たせようとする 誰からも騙されないように。 あなたの弱さはたえず私を夢中にさせる、あなたの無力は 私の師としての力に、絶え間なく、頼らなければならなかった最初の弟子たちを 思い出させる、娘よ 私を礼拝し すがっていなさい、私はいのちだからです ♡

我がヴァッスーラ、人にたいする従順より あなたの神、私にたいする従順が優先する。 この言葉を黙想しなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち8巻P90

 

あなたをいとおしんでいなかったなら こうしたことを行おうか? あなたが有頂天となって私を悲しませる機会がないよう これからも目に覆いをかけておく。 自らを打ち消す従順な者となるように 我が好みの霊魂たちを私はこのように扱う。 私は王 彼らを治め こうして彼らは我が三位一体の聖性にとって誉れとなり 全き善良さに達しよう。

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P222

‘96・10・22

 

我が教会の娘よ、教会に従順なら、私をがっかりはさせない・・・たびたび赦しの秘跡を受け、自分を罪びとと認めなさい、そうするなら毒蛇、偽りの父は、あなたを騙せない・・・悔い改めのうちに ふさわしい果実:愛の実を常に実らせよう、こうして我が愛のうちに 成長していきなさい・・・さあ来て 私のメッセージを書くように:

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P63

 

ああ、この不思議中の不思議を行っている間 なんという悦びを得てきたか! 私は 回復を間近に予知して、我が情け深い慈悲の行為に なんという神聖な喜びを得たことか! あなたをその悲惨と悪の拘束から解放し、絶え間なく私と戯れる子どもとなるよう 私のほうへと引き寄せている時、なんという歓びと幸せに心満たされたか。 それから王としての我が威厳にあなたが目を留め 永に私たちの婚姻を記念するよう、我が名を称えるであろうその唇に 最も甘美な口づけをした、こうして我が至高の甘美に いっそうの注意をひいて、あなたがこのように言うのを聞けるように、「主なる神は私を娶り、私の霊魂をご自身をもって飾られました、ああ 霊魂がしなやかで従順ですと 主はなんとお喜びでしょう、主の計り知れない知恵が その中に分け入って すっかり主へと引き寄せますから。」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P230

 

こう書かれている、主を畏れる霊魂、この霊魂が 魂も体も、自らを創造主なる、私に明け渡し、今や私の一部となった後は、この霊魂は「新妻のように迎え入れられる。」そして私は、花嫁を悦ぶ伴侶として彼女に何も不足がないようにと面倒をみる。 次の層(レベル)では、彼女のあまりにか弱い霊魂を養い始め、それと同時に、絶妙な仕方で彼女を整えてから、一つの誓いを与えて 守らせる、それは無条件で伴侶に従うというもの。 私の行く先々 どこへでもついて来るという誓い。

 

それから私は 花嫁を愛する伴侶として、地上では見いだせない、天の蔵の、最も貴重な宝石を 我が花嫁の身に飾らせて、我が聖なる愛を示す。 私は、我が親密な一致のうちに、私自身をもって彼女の身を飾り 霊魂を生き生きとさせる、こうして、互に 忠実と理解に至るように。 突然、彼女の目の前から 全世界が薄れ去っていく。 彼女は自由を見いだした・・・自らの神を見いだした・・・そして自由へと飛翔しながら 香宣言しよう:

 

「今やこの世界は 追放の地、私はその中にいません その近くにもいません。 わが霊魂は、人類の恋人よ、あなたの支配へのたえまない思慕に圧倒されます。今はもう、わが霊魂の愛しいお方よ、心は定まり 無条件でみ跡に従う用意ができました。」

 

そのときはこう答えよう、「共に歩くがよい、そうするなら我が正義の規則を学ばせよう。 ほかの誰でもなく私が 教育係りとなる。 私は 目には見えず達し得ない ものごとすべての由来を耳もとにささやこう しかもこれらは あなたの師である神の教えによって 見えるようになり 達し得るものとなる。 いのちの言葉は、無償で与えられよう・・・」

 

 

 

 

8.シルワン

 

 

シルワンの手記/P74

 

 聖なる師父たちは断食や祈りよりも従順を重んじた。なぜなら、不従順な修道者は、自分が苦行者であり、祈りの人であると思い込んでいたからだ。しかし、自分の長上、自分の霊父の手に自分の意志をゆだねた修道者だけは、精神的な清さをもつ。

 

 したがって、不従順な人は清い祈りをいつまでも知ることがない。高慢で頑固な人は修道院に百年暮らしたとしても霊的な清さを知らない。不従順によって、長上を侮辱し、神を侮辱する。

 

じぶんの考えに対して警戒することによってのみ、私たちは内面的な平安を保つことができる。

 

 他人を裁かないこと。たびたび、人は私たちが全然知らないことについて、あるいは十分に知らないことについて話す。その兄弟は霊的に天使のようなのに。

 

 おせっかいしないこと。自分の勤めに注意して、受けた命令に従うこと。そうすれば、神は恵みによってあなたを助けてくださるし、あなたは平安と絶え間ない祈りという従順の実りを味わう。

 

 

 

シルワンの手記/P77

 

 人は従順によって、高慢になることを免れる。神はその従順によって、祈りの恵み、聖霊を与えてくださる。したがって、従順は断食と祈りよりも大切なものである。

 

 

 

 

9.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1976.4.13

 

わが子は神でありながら、十字架の死に至るまで従順でした。

 

 

 

聖母から司祭へ1982.11.20

 

 愛する子らよ、日々、私から育てられるままでありなさい。私の望みは、あなたがたが、完全に私のおん子イエズスの模範にならい、御父の御旨にすなおに従うことです。

 私が、司祭である私の子らの善徳でいちばん大切に思うのは、従順です。こん日あなたがたが、すべての人に示さねばならない手本は、自分の目上、とくに教皇に喜んで従うことです。

 今では、なぜ多くの人が教皇の話に耳を貸さないのでしょう? また、教皇が何かを決めるとき、なぜこれに従わないのでしょう。しかも、この不従順の悪い手本をまっ先に示しているのは、ときには司教であり、司祭であることがあります。また、私の何人からの子らでさえもあります。こうなれば、教会の内的な一致は、ほんとうに危険にさらされてしまうのです。

 

 

 

 

10.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P74

 

 なぜ私たちは服従しなければならないのでしょうか。神は私たちの古い性質を知っておられます。それを飼い慣らす唯一の方法は、従順をとおしてしかないのです。すべての罪の根源は、不従順と反抗にあります。それは私たちの神との関係を破壊します。イエスは言われました。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7・21)と。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P75

 

本当の成熟に至る道は、従順をとおして見出せるのですが、天の御父が私たちを愛しておられ、私たちのために最善のことを望んでおられることを私たちが知らなければ、そこに至ることはできません。神のその心を知っているなら、それは、神が私たちに従順に受け入れることを願っておられる難しい環境に対して、私たちの古い頑固な自我が戦いを挑んでいる渦中においても、私たちを守る頼みの綱となります。