服従

 

摂理

従順感謝

 

 

 

1.最初の生命はそれ自身を服従により明らかに示すのであり、服従は意志の最初のものである

2.自然的なものがそれ自身を働かせて、服従しさえするなら、善は自然的なものの中に真理に接合される

3.全的な服従

4.善が支配するや否や、自然的な、または外なる人はそれ自身を服従させ、そのときその人は霊的な教会となる

5.マーリン・キャロザース

 

 

 

 

1.最初の生命はそれ自身を服従により明らかに示すのであり、服従は意志の最初のものである

 

 

天界の秘義3870

 

信仰の真理は外なるものであり、仁慈の善は内なるものである。信仰の真理が生きるためには、それは意志の中で生命を受けるために、意志の中へ導き入れられねばならないのである、なぜなら真理は知ることからでは生きないで、意志することから生きるからである。生命は主が人間の中に創造られるところの新しく意志することを通して主から流れ入っている。最初の生命はそれ自身を服従により明らかに示すのであり、服従は意志の最初のものである、第二の生命は真理を行うことを求める情愛によりそれ自らを明らかに示すのであり、それは意志の進歩であり、真理を行うことの中に歓喜と祝福とが認められるとき存在するのである。このような信仰の進歩が起こらない限り、真理は真理とはならないで、生命から分離した事柄となり、時には誤謬を確認し、時には誤謬を納得させるものとなり、かくて醜悪なものとなるのである、なぜならそれは人間の悪い情愛または欲念に、即ち、仁慈に反した人間自身の固有の意志にそれ自身を結びつけるからである。そうしたものが現今多くの者により信仰であると信じられ、仁慈の業が無くても救うと信じられている信仰である。

 

 

 

2.自然的なものがそれ自身を働かせて、服従しさえするなら、善は自然的なものの中に真理に接合される

 

 

天界の秘義5368

 

「彼があなた方に言うことを為しなさい」。これは、服従が在りさえするなら、を意味していることは、『たれかが言うことを為すこと』の意義から明白であり、それは服従することである。このことにより、自然的なものがそれ自身を働かせて、服従しさえするなら、善は自然的なものの中に真理に接合されることが意味されているのである。自然的なものがそれ自身を働かせて服従することについて若干のことを言わなくてはならない。世的な物の中にのみいる者らは、更に身体的な物の中にいる者らは、ましてや地的な物の中にいる者らは、自然的なものがそれ自身を働かせて、服従しなくてはならないという言葉により意味されていることを把握することは出来ない。彼らは人間の中には只一つのものしか働いておらず、それゆえ人間の中には命令する物と服従する物とは存在してはいないと考えているが、それでも命令しなくてはならないものは内なるものであって、服従しなくてはならないものは外なるものであり、そしてその人間が世を目的としないで、天界を目的とし、自己を目的としないで、隣人を目的とするとき、従って彼が身体的な世的な物を手段として認めて、目的としては認めはしない時、その外なるものは服従するのであり、また彼が隣人を自分自身よりも愛し、天界のものを世のものよりも愛する時、彼は身体的なものを手段として認めるのである。こうしたことが実際に行われる時、自然的なものは服従するのであり、自然的なものは外なる人と同一のものである。

 

 

 

 

3.全的な服従

 

 

天界の秘義6138

 

「私たちも、私たちの土地もパロの僕として生きましょう」(出エジプト47・19)。

これは全的な服従を意味していることは以下から明白である。即ち、『私たちと私たちの土地』の意義は(すぐ前にように、6135−6137番を参照)善と真理との容器であり、『僕』の意義は人間自身のものから発している自由を持たないことであり(5760,5763番を参照)、かくて全的な服従である。容器により人間の形そのものが意味されている。なぜなら人間は主から生命を受ける形以外の何ものでもなく、この形は遺伝と実際の生活とによって、主から発している霊的な生命を容認することを拒絶するといったものとなっている。しかしこれらの容器が最早その人間自身のものから発している自由を何ら持たなくなる程にも放棄された時、そこに全的な服従が生まれるのである。再生しつつある人間は、荒廃することと支えられることとが再三繰り返されることによって遂には最早自分が自分自身のものであることを欲しなくなって、主のものとなることを欲するようになり、そして彼が主のものとなった時、彼は自分が自己に放任される時、悲しみ、不安に襲われるような性質の状態に入り、この自己の状態から解放されると、幸福と祝福の中へ帰って来るのである。天使たちは凡てこうした状態の中にいるのである。

 

 

 

天界の秘義6138[2]

 

主は人間を祝福し、幸福にされるために、全的な服従を望まれるのである。即ち、人間が一部分は、その人間自身のものであり、一部分が主のものであることがないように望まれているのである。なぜならその時は二人の主人がいて、何人も同時にこの二人の主人には兼ね仕えることは出来ないからである(マタイ6・24)。全的な服従はまたマタイ伝の主の御言葉により意味されている―

 

わたしよりも父と母とを愛する者はわたしにふさわしくない、わたしよりも息子と娘を愛する者はわたしにふさわしくない(マタイ10・37)。

 

ここでは『父と母』により遺伝から人間自身のものとなっているものが全般的に意味され、『息子と娘』により実際の生活から人間自身のものとなっているものが意味されているのである。人間自身のものはまたヨハネ伝の『魂』により意味されている―

 

自分の魂を愛する者はそれを失うであろう、しかしこの世で自分の魂を憎む者はそれを保って永遠の生命を得るであろう。たれでもわたしに仕えようと欲するなら、わたしに従わなくてはならない、わたしのいるところに、わたしの僕もまたいるのである(ヨハネ12・25,26)。

 

全的な服従がまたマタイ伝の主の御言葉により意味されている―

 

他の一人の弟子が言った、主よ、私に先ず父を葬りに行かせてください。しかしイエスは彼に言われた、死んだ者にその死んだ者を葬らせなさい(マタイ8・21,22)。

 

 

 

天界の秘義6138[3]

 

服従は全的なものでなくてはならないことは教会の最初の誡命から非常に明白である―

 

あなたはあなたの神、主を心[心情]を尽くし、魂を尽くし、心[思い]を尽くし、力を尽くして愛さなくてはならない、これは最初の誡命である(マルコ12・30)。

 

かくて主に対する愛は人間から発しないで、主御自身から来ているため、受容する器官である心の凡ては、魂の凡ては、思いの凡ては、力の凡ては主のものとならなくてはならないのであり、従って服従は全的なものでなくてはならないのである。これが『私たちも、土地もパロの僕として生きましょう』という言葉によりここに意味されている服従である。なぜならパロにより、内なる天的なものの庇護の下に在るところの自然的なものが全般的に意味され、その最高の意義では主の庇護の下に在る自然的なものが全般的に意味されており、主がその意義では『ヨセフ』であられるからである。

 

 

 

 

4.善が支配するや否や、自然的な、または外なる人はそれ自身を服従させ、その時その人は霊的な教会となる

 

 

天界の秘義6567

 

本章には霊的な教会を再び設立することが記され、この記事には自然的なもの中に在るものが内なるものの下に服従することが記されているのである。この服従については、霊的な教会は何人のもとにも、自然的な、または外なる人に属しているものが霊的な、または内なる人に服従してしまわない限り、設立することは出来ないことを知られたい。信仰のものである単なる真理が人間を支配して、仁慈のものである善が支配しない限り、自然的な、または外なる人は霊的な、または内なる人には服従してはいないのである。しかし善が支配するや否や、自然的な、または外なる人はそれ自身を服従させ、その時その人は霊的な教会となるのである。それが真であることは、その人間は真理の教えるところを情愛から行い、この情愛に反したことは、自然的なものがいかほどそれを欲しようとも、行わないという事実から知られている。情愛そのものとそこから生まれる理性が主権を持ち、自然的なものの中に自己と世を求める愛の歓喜を征服し、同じくまたそこの記憶知に満ちていた妄想をも征服し、遂にはその征服がその人間の楽しさの一つとなる程にも完全なものとなると、その時は自然的なものは静止し、後には一致し、そして自然的なものが一致すると、その時それは内なるものの楽しさに与るのである。この凡てから、自然的なものの中に在るものが内なるものの下に服従することにより意味されていることを知ることが出来るのであり、そのことが『彼の兄弟たちも行って、彼の前に平伏して、言った、見られよ、私たちはあなたの僕です』により意味されているのである。

 

 

 

 

5.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P76

 

 自分が何者であるのか分かっているとき、服従は、本当のあなたにとって少しも脅威にはなりません。むしろ、あなたの中の古い性質にとって最悪の事態となります。だからこそ、古いあなたは非常な抵抗を示すのです。最初のうちは、小さなことに服従することさえ、戦いです。あなたがその気でいることを神に申し上げ、反抗心を告白しなさい。あなたは、服従するにつれて、神があなたを内部から変えられることに気がつくようになります。それは一生続くプロセスですが、最初が一番難しいのです。あなたが一歩前進するごとに、それはたやすくなります。

 軍隊では、上官に一目置かれ、一番早く昇進するのは、服従することを厭わない兵士です。昇進するたびに、その兵士は、服従するよう外から要求されることが減る一方、自発的な忠誠心と服従心がますます自分の一部となっていることに気づきます。

 

 

 

マーリン・キャロザース/この世に天国を/P77

 

サタンはあなたがそういった状況の犠牲者であるとささやきますが、彼はうそつきです。自発的にその状況に服従し、神に感謝することによって、神に愛されている子としての権威を行使することができます。そうすれば、悪の力は打ち砕かれてしまいます。あなた自身とあなたの状況は、神の御手の中にあって安全であり、神は完全に全てを掌握されています。それが真実であることは、内面のごたごたが神の平安にとって替えられたことによってわかります。