天国の門
1.聖書
2.トマス・ア・ケンピス
3.マリア・ワルトルタ
4.聖母から司祭へ
5.デボラ
6.グリニョン・ド・モンフォール
1.聖書
詩篇100・4
感謝の歌をうたって主の門に進み
賛美の歌をうたって主の庭に入れ。
感謝をささげ、御名をたたえよ。
雅歌4・12
わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。
閉ざされた園、封じられた泉。
エゼキエル44・1−3
それから、彼はわたしを東に面した聖所の外の門の方へ連れ戻した。門は閉じられていた。
主はわたしに言われた。「この門は閉じられたままにしておく。開いてはならない。だれもここを通ってはならない。イスラエルの神、主がここから入られたからである。それゆえ、閉じられたままにしておく。
しかし君主だけは、ここに君主として座り、主の前で食物を食べてもよい。ただし門の廊から入り、またそこから出て行かねばならない。
マタイ7・7−8
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
マタイ7・13−14
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。
ルカ13・24
狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
黙示録21・21
また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。
2.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/マリアにならう/P197
ああ、もっとも聖なるおとめよ、ああ、栄光のマリアよ、ああ、おん母よ。あなたこそは、天国の門、いのちの源、主の聖殿、聖霊のもっとも愛される聖所です。
3.マリア・ワルトルタ
聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P248
信仰、希望、愛徳はマリアからもたらされます。彼女は神に至る門なのです。慎ましさ、公明正大さ、力強さ、思慮分別が彼女からもたらされます。恩寵と数々の恵みが彼女からもたらされます。世の救いは、彼女を通して出現するのです。
おお、わが母よ! 大祭司から最後の平信徒にいたるまでのすべての信者にとって、あなたは聖なる聖体容器(チボリューム)です。その中で聖体は信じるもの誰にでも与えられるために待機しているのです。一切の神の恵みがあなたの汚れなき身体と無原罪の御心を通して流れ出ます。あなたに神秘と真実、秘跡と賜物を求めるものだけが、真の知恵によって神の恵みを理解し、真の意味でそれを味わい、実を結ぶことが出来るのです。あなたは霊魂と太陽、神と霊魂の間にあるスクリーンです。人類はあなたを通して神性を観想し、あなたを通して人間性が完全なる神に捧げられるのです。かつて神を人類に与えた母は、いまや、その微笑みと愛をもって人類に教えることによって、今度は人類を神に与えるのです。
わが小さなヨハネよ、いつでも御母マリアを通して私のところに来なさい。これは聖人たちが用いる秘訣です。そして彼女は閉ざされた扉です。いまだに人間の暴力では打ち破られたことがなく、これからも決して無理に開けることはできません。彼女は神の子供たちが愛をこめてノックするときにだけ、扉を開けるのです。御母に向けられた魂が謙遜で純粋であればあるほど、御母はよりすばやく扉を開け、あなたを歓迎します。彼女はあなたを母親として優しく腕のなかに抱きかかえて歓迎し、知恵と愛について教えるのです(『手記‘44』8月2日)。
4.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1991年12月8日
―わたしは、あなたたちの救いのために開かれる門です。
それは、あなたたちみなが、一人ずつ主と出合うためにこの門をくぐらなければならないからです。
このためにこそ、わたしの子イエズスは、わたしを全人類のまことの母として定められたのです。
あなたたちは、このわたしの門をくぐることによってのみ、苦業とつぐない、信仰と祈り、謙遜と潔白、愛徳と聖徳との天の花園に辿りつくことができるのです。
5.デボラ
デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻下P60
しかしあなたは愛しなさい! 生きる苦しみそのもの、あのように多大な『憎しみ』の責め苦に際して、決して神の権能ある力により頼もうとせずに耐えた、唯一の人間である私が愛し、許すように、あなたも愛しなさい! あなたの苦しみは、私の目にとっては真珠である。それらは私の黄金の宮殿の門をあなたに開くのである!
デボラ/生ける神より明かされた英知/3巻下P73
イエズス:「マリアは私の門である。大きな声でそれを言いなさい。この方は私の花嫁、私のはした女。その輝きゆえに、彼女を讃えなさい!」
6.グリニョン・ド・モンフォール
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/
262.A聖霊は、教父たちの口をとおして、マリアのことを、次のようにも呼んでおられます。
(a)“東の門”(エゼキエル44・1〜3)。大祭司イエズス・キリストが、ここからはいって、またそこからこの世に出られる“門”が、マリアなのです。大祭司イエズス・キリストが第一の、つまり最初の地上ご来臨のときお通りになった門は、マリアでした。当然、第二のご来臨、すなわち再臨のときも、マリアという名の門をお通りになるのです。
(b)“神の聖所” “三位一体のいこいの場” “神の玉座” “神の都” “神の祭壇” “神の宮” “神の社交場” ―これらすべての讃辞は、マリアにピッタリ当てはまっています。いと高き神が、ご自分の栄光の玉座をそこに置かれているマリア―このマリアのうちにはいり、いつまでもそこに住まうことのできる人は、ああ、どれほど光栄の至りでしょう。どれほど楽しく、どれほどしあわせでしょう。