聖なる町・神の都
犬/
1.聖書
2.グリニョン・ド・モンフォール
3.マリア・ワルトルタ
4.アグレダのマリア
1.聖書
詩篇59・7
夕べになると彼らは戻って来て
犬のようにほえ、町を巡ります。
詩篇59・15−16
夕べになると彼らは戻って来て
犬のようにほえ、町を巡ります。
彼らは餌食を求めてさまよい
食べ飽きるまでは眠ろうとしません。
詩篇87・1−7
聖なる山に基を置き
主がヤコブのすべての住まいにまさって愛される
シオンの城門よ。
神の都よ
あなたの栄光について人々は語る。
「わたしはラハブとバビロンの名を
わたしを知る者の名と共に挙げよう。
見よ、ペリシテ、ティルス、クシュをも
この都で生まれた、と書こう。
シオンについて、人々は言うであろう
この人もかの人もこの都で生まれた、と。」
いと高き神御自身がこれを固く定められる。
主は諸国の民を数え、書き記される
この都で生まれた者、と。
歌う者も踊る者も共に言う
「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。
シオンについて、人々は言うであろう
この人もかの人もこの都で生まれた、と。
2.グリニョン・ド・モンフォール
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心7
神の聖なる都であるマリア
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心48
“マリア”という名の「ソロモンの神殿」「神の都」
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心48
世界終末の夕べ、全世界の人が、父なる神のふところに帰っていくため、また神の義への飢えかわきをいやすため、犬のようにほえ、食をもとめて、うろつきまわる“町”とはマリアという名の町です。マリアは聖霊から“神の町”“神の都”(詩篇87・3)と呼ばれているからです。
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/P306
ここで霊魂が、イエズス・キリストの姿に形造られ、またイエズス・キリストも、この霊魂の姿に形造られるためです。なぜなら、教父たちが言っているように、マリアのご胎こそ、「神の密室」であって、ここでこそ、イエズス・キリストをはじめとして、すべての選ばれた者が形造られたからです。「だれもかれもがここで生まれました」(詩篇87・5)。
3.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P266
エルサレムについて、マリア・ワルトルタが:
聖なる町は、イスラエル人たちの“まことの女王”だった。
4.アグレダのマリア
アグレダのマリア/神の都市/P197
聖ぺトロはキリストの代理者、戦闘の教会の頭になることになっていましたし、聖ヨハネは主の御受難の後、主の代わりに御母の世話をすることになっていました。使徒たち全員が御母に対して献身することは、私たちの理解力を越えます。福音史家聖ヨハネは、神の都市である御母の神秘にもっと深く立ち入り、御母を通して神の啓示を他の使徒たち以上に受けました。受けたままに聖書に書いたのです。聖ヨハネは純潔の他に、鳩のような単純さ、優しさ、謙遜と柔和の諸徳も備えていました。柔和で謙遜な者は御子を一番良く見習う者ですから、聖ヨハネは御母から一番愛される使徒となりました。聖ヨハネも御母に一層の愛情を持って仕えました。主に召し出されて以来、一貫して聖ヨハネは他の使徒たちよりももっと良く御母に仕え、時々、奉仕の競争を天使たちと共にしました。一方、御母は謙遜に励み、諸聖人・諸天使以上に謙遜でした。
アグレダのマリア/神の都市/P271
これらが福音の教会の幸せな始まりであり、黄金時代です。教会は神の都市とも呼ばれ、新しい楽園でもあります。この楽園の真ん中にある生命の木が聖母です。当時、信仰は生き生きとしており、希望は堅く、愛は熱く、誠実は純粋で、謙遜は真で、正義はもっとも公正であります。信者たちは貪欲も虚栄もなく、所有欲、誇り、野心もありません。