わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。

閉ざされた園、封じられた泉。

雅歌4・12

 

雅歌天国の門

 

 

 

1.聖書

2.マリア・ワルトルタ

3.ヴァッスーラ

4.グリニョン・ド・モンフォール

5.聖母から司祭へ

 

 

 

1.聖書

 

 

雅歌4・12

 

わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。

閉ざされた園、封じられた泉。

 

 

 

エゼキエル44・1−3

 

それから、彼はわたしを東に面した聖所の外の門の方へ連れ戻した。門は閉じられていた。

 主はわたしに言われた。「この門は閉じられたままにしておく。開いてはならない。だれもここを通ってはならない。イスラエルの神、主がここから入られたからである。それゆえ、閉じられたままにしておく。

 しかし君主だけは、ここに君主として座り、主の前で食物を食べてもよい。ただし門の廊から入り、またそこから出て行かねばならない。

 

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

天使館/聖母マリア/上/P36

 

<愛しい方よ、ご自分の園に来て、ご自分の木の実を食べて下さい・・・愛しい方よ、ご自分の園、香草の花床に来て、園で群れを養い、ユリの花を集めて下さい。愛しい方は私のもの、私は愛しい方のもの、あの方はユリの花の中で群れを養う>[雅歌5・1、6・2−3]。そして、無限の彼方から、光の奔流から、人間の耳には聞こえず、人間の喉では出せない一つの“声”がやってきて、言いました。<あなたはなんと美しい、わが愛する人よ!あなたはなんと美しい!・・・あなたの唇は野生の蜜を滴らせる・・・あなたは閉ざされた園、秘められた泉、おお我が妹、約束されたわが花嫁よ・・・>[雅歌4・1、11−12]そして二つの声が一つになり、永遠の真理を歌いました、<愛は死よりも強い。何があろうと、我らの愛を終息させることも、消すことも出来ない>[雅歌8・6−7]。

 

 

天使館/聖母マリア/上/P88

 

ヨセフはマリアに次のように話します。

 

「・・・私の宝、私の絶対の貞潔を永遠にあなたに捧げます。神のおとめであるあなたの傍らで生きる者として、よりふさわしくあるために。雅歌の作者とされる私たちの祖先[ソロモン]がおそらくあなたを見ながら歌っている通り、『わが妹、わが花嫁、閉ざされた園、封じられた泉』[雅歌4・12]であるあなたにふさわしくあるために。・・・私は、香草の園の番人となります。その園ではもっとも貴重な果物が実り、命の水の泉が穏やかなうねりとなって湧き出しているのです。ああ、わが花嫁よ、いとも美しきものよ、あなたの優しさは汚れなき純潔で、私の魂を虜にしました。あなたはあの黎明よりもさらに麗しく、太陽のように輝いています。なぜならあなたの心が輝き、あなたの心が、神とこの世への愛で満ち溢れているからです。そしてあなたの女性としての犠牲を捧げて、この世界に救い主をもたらしたいと願っているからです。さあ、行きましょう、私の愛する花嫁よ」と言ってヨセフは優しくマリアの手をとり、ドアの方へといざなう。皆が二人のあとに従う。家の外では白の正装でヴェールをかぶった参会者たちが賑やかに二人を出迎え、[婚約式の広間へと歩を進める]」(T)。

 

 

聖母マリアの詩上P91

 

ヨゼフが

「マリア、私はあわれな無智な人間にすぎず、貧しい労働者でしかありません。学問もなく、財産もない。けれども、あなたの足元に私の宝物として、永久に私の“絶対的”純潔を置きます。“私のいいなずけの姉妹、閉じられた庭園、封じられた泉”神の処女(雅歌4・12)である、あなたのそばにいるにふさわしい者でありますように。私たちの祖先が雅歌を書いた時に、多分あなたのことを書いたのでしょう・・・。私は最も貴重な果物のある香り高い庭園の番人となります。その庭園からやさしく生きる水がほとばしる。」

 

 

 

聖母マリアの詩上P78

 

その声は私に、私だけに“美しいオリーブの実よ、おいで。甘いりんご、封印している泉よ、私の小鳩よ、おいで・・・”と呼びかけている感じでした・・・。

 

 

聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P98

 

そしてマリアが世のために、私と共に、私を通して、崇高なる犠牲を成し遂げたその時になって、真の信仰と愛にあふれた信者たちは、ようやくマリアの名の真の意味を理解するのです。そして未来永劫、まことの信仰と愛にあふれた信者一人ひとりにこのことを悟る恵みが与えられます。偉大なる御母、聖なる乳母の御名、それはキリストのすべての子供たちをその涙で養い、天国の永遠の生命へと慈しみ育て上げるのです。

 

 

3.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル P167

‘92.10.5

 

天と地の創造主、私は言う、聖霊は花嫁の配偶者、その花嫁とはあなた方を救い 贖い、その血潮によって自由と 罪の赦しが得られた幼子を 抱いたお方です。 聖霊は閉ざされた庭園のようなその方を見出した、その御方は最も稀な徳の本質を持ち、封印された泉、女性の中でも最も美しい人、そしてただ一人 非の打ちどころない方であるために 清らかさに覆われている。 我が霊はこの方に臨み その影で覆い 神の母、人類すべての母 また天の元后となすことで 私に栄光を与えた。(*) 聖霊の富はこのようなもの、私は今・・・今日・・・あなた方皆に我が聖霊を降り注いでいる、私、全能者であるヤハウェは言う:

 

*ここに特記しておきたいことは、御父が聖母マリアについてこの個所を書かせておいでのとき、神でいらっしゃりながら、このことを通し高められたと書きたくなるほど、そのお歓びが非常に大きかったことです。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P154

 

お心は 囲われた我が庭園、封印された泉。

 

 

4.グリニョン・ド・モンフォール

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/5

 

マリアは、聖霊の『閉じた園』(雅歌4・12)です。マリアは、聖霊のいとも忠実な妻です。聖霊だけが、この閉じた園に、はいることがおできになるのです。

マリアは、聖なる三位一体が、お住まいになる聖所です。マリアは、聖なる三位一体のいこいの場所です。マリアという名のこの聖所、このいこいの場でこそ、神は宇宙の他のいかなる場においてよりも、もっと神らしく、もっと素晴らしいのです。ケルビムやセラフィムの上におけるお住まいなど、マリアのそれにくらべたら、テンで問題になりません。異例な特権でも与えられない限り、どんな被造物も、マリアという名の聖所にはいることは許されません―どんなに純潔な被造物であっても。

 

 

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/263

 

 だが、しかし、わたしたちのような罪びとにとって、かくもけだかい、かくも聖なる地上楽園にはいるための許可・能力・光明を取得することは、どれほどむずかしいでしょう。なぜなら、マリアという名のこの地上楽園は、むかしのエデンの園のように、ケルビム大天使ではなく、聖霊ご自身が警備しておいでになるからです。

 聖霊ご自身が、この新しいエデンの園の絶対主となられ、ご自分のこの園について、こう言われるのです。「わが妹、わが花嫁は閉じた園、封じた泉のようだ」(雅歌4・12)

 そうです。マリアは、閉じた園です。マリアは、封じた泉です。エデンの園から追い出されて、涙の谷に泣き叫ぶアダムとエバのみじめな子らは、聖霊の特別なお恵みなしには、またこのお恵みを血と汗で取得することなしには、絶対にこの新しいエデンの園に入ることはできないのです。

 

 

 

 

5.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1977.7.29

 

おん子が、常に、お住みになるのはここです。私の心は、み言葉が人間としての命を受けた家であり、イエズスが助けと慰めを見出す避難所でした。

 イエズスは、最初の弟子たちをそこに連れていったのは、彼らが強められ、そして、ご自分と同じ特徴をしるされるためでした。この花園で、ご自分の計画どおりに、じょじょに育まれ、より謙遜に、清く寛大に、強くなることができました。イエズスの希望どおりに、一人一人がご自分に似るまで、ここで養成されました。