苦しみ

 

 

試練十字架用木・手入れ

困難聖なる病気殉教犠牲捧げる

霊的な者の苦しみ苦しみを熱望する

 

 

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

4.トマス・ア・ケンピス

5.サンダー・シング

6.中山みき

7.ヴァッスーラ

8.聖母から司祭へ

9.マリア・シンマ

10.ルイザ・ピッカレータ

11.シルワン

12.ベルナデッタ

13.アグレダのマリア

14.マルタ・ロバン

15.アヴィラのテレサ

 

 

 

1.聖書

 

詩篇49・21

 

人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。

 

 

 

詩篇66・10―12

 

神よ、あなたは我らを試みられた。

銀を火で練るように我らを試された。

あなたは我らを網に追い込み

我らの腰に枷をはめ
人が我らを駆り立てることを許された。

我らは火の中、水の中を通ったが

あなたは我らを導き出して

豊かな所に置かれた。

 

 

 

詩篇119・71

 

卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの

掟を学ぶようになりました。

 

 

 

詩篇126・5,6

 

涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い

喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

 

 

 

申命記8・2〜10

 

 「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。

 あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。」

 

 

 

イザヤ66・1−2

 

主はこう言われる。

天はわたしの王座、地はわが足台。

あなたたちはどこに

わたしのために神殿を建てうるか。

何がわたしの安息の場となりうるか。

これらはすべて、わたしの手が造り

これらはすべて、それゆえに存在すると

主は言われる。

 

わたしが顧みるのは

苦しむ人、霊の砕かれた人

わたしの言葉におののく人。

 

 

 

マタイ24・8−14

 

しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互に裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。

 

 

 

マルコ8・31

 

それから、イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。

 

 

 

ヨハネ15・9

 

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。

 

 

 

 

使徒言行録14・22

 

「弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」

 

 

 

ペトロ1・4・13

 

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。

 

 

 

ペトロ1・4・16

 

しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。

 

 

 

ペトロ1・4・19

 

だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。

 

 

 

ペトロ1・5・9−10

 

あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っている通りです。しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義1717

 

 「そして彼は凡ての財産を取り返した」。これは内的な人が外なる人における凡てのものを(内的な人に)順応した状態に至らせたことを意味していることは、『凡ての財産を取り返すこと』の意義から認めることが出来よう。ここの『財産』は前に記したことの中に話されたように、ケダラオメルが、また彼とともに王たちが彼らの敵から取ったものである。ケダラオメルと彼とともにいた王たちにより外的な人の諸善と諸真理とが意味されている。彼らがその敵から取り上げた財産はその敵が悪を行い、誤謬を考える力を奪われること以外の何ものでもなかったのであり、そのことが[その敵が悪を行い、誤謬を考える力が]ソドムとゴモラとの富により意味され、また彼らの取った凡ゆる食物によっても意味されたのである。(そのことは前の11節にとり扱われている)。

 

 

 

天界の秘義1717[2]

 

この事柄は僅かな言葉では示すことが出来ないような性質をもっているが、しかしここに以下に記されていることによってそれについて若干知ることが出来よう。試練の争闘の中にいて、征服する者は、悪霊を支配する、または悪魔の一味を支配する力を益々自らに取得して、ついには彼らは些かも敢えて試みようとはしなくなるのである。しかし勝利が得られる度毎に、主は争闘が行われた源泉である諸善と諸真理とを秩序づけられ、またかくてその度毎にそれらは浄められるのであり、そして浄められるに正比例して、愛の天的なものが外的な人の中へ徐々に注ぎ入れられて、相応が行われるのである。これらが凡ゆる財産を取り返すことにより意味されている事柄である。

 

 

 

天界の秘義1717[3]

 

外なる人が幾多の試練の争闘なしに内なる人に相応するようになることが出来ると想像する者は誤っている、なぜなら試練は幾多の悪と誤謬とを消散させる方法であり、また同じく諸善と諸真理とを導き入れ、外なる人に属したものを服従に至らせる方法であり、かくてそれは[外なる人は]内的なまたは合理的な人に仕え、またそのことを通して内なる人に仕えることが出来るのであり、即ち、内なる人を通して働かれつつある主に仕えることが出来るからである。これらの事柄が試練により行われることは幾多の試練を通して再生している者以外には何人も知ることは出来ないのである。しかしいかようにしてこれが為されるかは、最も全般的にさえも殆ど記すことは出来ない、なぜならそれは人間が何処からまたいかようにして為されるかを知ることなしに為されるからである、なぜならそれは主の神的な働きであるからである。

 

 

 

天界の秘義1947[6]

 

 『苦悶』はダビデの書に以下のように語られている―

 

  エホバよ、あなたの天幕の中にたれが宿るでしょう。あなたの聖い山にたれが住むでしょう。正しく歩んで、義を行う者、誓って自分自身を苦しめて、変わらない者、(その者がそれであります)(詩篇15・・1,2,4)。

 

『[苦悶]苦しめること』が、外なる人から発生して合理的なものの中へ入ってくるところの悪と誤謬とを支配して、それを征服することを意味していることは、これまで言ったことから認めることが出来よう。かくて『苦悶[苦しめること]』は私たちが私たち自身を貧乏と悲惨とに突き落とさなくてはならないということを、または私たちは身体の歓びをことごとく放棄しなくてはならないということを意味してはいないのである、なぜならこうした方法によっては悪は支配されはしないし、征服されはしないし、さらに他の何かの悪がかき立てられもし、すなわち、そうした放棄のために功績の意識がかき立てられもして、さらに人間の自由も―その中にのみ、信仰の善と真理とが、それを土地として、播種されることが出来るのであるが―害われるからである。(『苦しめること』が試練をまた意味していることについては、前の1846番を参照)。

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/霊のパン/2009.10/5号/P58

 

 魂とイエズスとの間で交わされた対話の中でイエズスは尋ねます。「あなたは私の杯を飲めますか?」そして魂は答えます。「はい、飲めます。私は主のようになりたいのですから。麦の粒は死ななければ、実を結ぶことがないことを理解しましたから。十字架に架けられるときのみ、魂は神に引き付けられることを理解しましたから。そしてとりわけ、あなたの渇きは愛のほかどんな飲み物も潤すことのできない渇きであることを理解しましたから」。

 神に身を捧げるとは、したがって、苦しみに身を捧げるということです。

 しかしキリストのために、キリストと共に耐えるのは苦しみなのでしょうか? いいえ、それは喜び、とても深く、限りのない喜びなのです。とても長い年月、あらゆる苦しみが押し寄せてきましたから、私ははっきりとそう言うことができます!

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩.P55

 

「それなら私は“全く”神さまを愛しましょう。おお、美しい小さな雀、・・・私はお前に似ている。神さまは、私たちを救うことによって同じように愛された・・・今から私は、あなたを養う。後で放して、お前は森の中に、私は神殿の中に神の賛美を歌って言おう。『待っている人々にあなたの“約束したもの”を送ってください』と、おお、父さま、いつ私を神殿に連れて行くの?」

「私の真珠よ、近いうちに。しかし、お前はお父さんから離れるのが辛くないのか?」

「ああ、辛いです! でも父さまは時々いらっしゃるでしょう・・・。それに痛まないなら、何の犠牲でしょう?」

「それなら、私たちのことを思い出してくれるだろうか」

「いつも。エンマヌエルのための祈りの次に、あなた方のために祈るつもりです。神さまが、あなたがたに喜びと長い長い命を与えて後、救い主となるお方が、あなたがたを天のエルサレムへ運んでくださるまで」

 小さなマリアが、父親の腕の中に抱かれたままヴィジョンが終わる。

 

 

 

マリア・ワルトルタ25・11/天使館1巻P208

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

 

子らよ、わたしたちのために、に仲裁していただくには、希望し、祈り、赦さねばならないのです。あなたたちも、あなたたちの受難を生きなさい。あなたたちの犯した罪に値する受難を。喜びつつ、いかに受難を克服し、それを変えるかをわたしはあなたたちに教えましょう。法外に希望しなさい。信頼を失わず祈りなさい。赦されるために赦しなさい。子らよ、の赦しこそあなたたちが熱望している平和なのです。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ83・2/天使館2巻

 

「苦しむことは何と難しいことだろう!」と、農夫は、一堂に集まった大人、子供合わせて十人ほどの家族に囲まれて言う。

「人間にはそれが難しいことをわたしは知っています。また、父は、そのようなものと知っていて、苦しみを子らにお与えになったのではないのです。それは罪によってもたらされました。それはそれとして、地球上での苦しみはどれほど続きますか? ある人の人生においては? ほんのちょっとの時間です。全生涯続いたとしても、やはり短い時間です。今、わたしは言います。永遠に苦しむよりも短い間苦しむほうがましではありませんか? 煉獄で苦しむよりもこの世で苦しむほうがましではありませんか? あちらではこの世の一時間はその一千倍にもなることを考えなさい。 おお! まことにあなたたちに言いますが、苦しむことを呪わず、いやむしろ祝福すべきです。更にそれを『恩寵』と呼びなさい。更に『慈悲』と呼びなさい」。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P220

 

「そして私の苦しみに遭う事を喜びなさい。私と一緒に光栄の中に入れるように。それは何と大なる報いであろうか。主はアブラハムにおいて、自分のすべての忠実な弟子たちに約束した。天の国は多くの艱難を貫き通して至ると。それに私が行なったように、私の教えを継続する人は、私のいる所に至るであろう。私は天の国について、その道と門とはどんなものであるかを、あなたたちに話した。そして私はだれよりも先に、その道を歩き、そこを通って御父のもとに戻る。他の道があったならば、私はあなたたちに教えたであろう。私は、人間としてのあなたたちの弱さをあわれみ、唯一の道と唯一の門として、それを示した。他には道も門もない。」

 

 

 

イエズスに出会った人々・1・P11

 

「何かの使命を委託された私の下僕たちに、世間でいわれる幸せな一生を与えたことはない。なぜかと言うと、このような使命は苦しみの中に苦しみによって行われるものだから。こういう人々は“人を贖うために苦しむ”という私に似た望みしか持っていないからである。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P367

 

「そして、もし苦しみがあなたたちを訪れるならば―苦しみは人を聖ならしめ、肉欲の腐敗から人を守る没薬ではあるが―私があなたたちを愛しているという信念をもち、私は“その苦しみの中でも”あなたたちを愛し、そして私の愛から来る平和を味わうことができよう。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスたそがれの日々/P6

 

「全く私に倣って生きることは静かな喜びだけではなく、絶えざる苦労と努力であり、苦しみでもある。なぜなら世間は私に与えたことを、キリストに倣いたい人々にも与えるからである。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3./P336

 

「けれども病気、死、災い、悲惨な出来事が続き、皆に見捨てられる時、信、望、愛を忘れず、『いとも高き御方の望みが実現されますように。今起きていることは私にとって有益です』と変わらず言える人こそ、まことに言うが、神の助けを受けるに値するのみならず、神の国での住まいが用意され、もはや清めを必要としない。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3./P195

 

シモン:「病気になった私が一体何の役に立つというのでしょう。」

アンドレア:「苦しむことで、もっと苦しむことで。イエズスは苦しみは労働と祈りに値するものだと言われました。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスたそがれの日々/P60

 

「私は教え苦しみながら人々を救わねばなりません。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスたそがれの日々/P336

 

「今まで罰であった苦しみは、完全な愛に変わり、愛をもって苦しみに耐える者は幸せでしょう。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスたそがれの日々/P337

 

「先生、もう一つ伺いたいのですが、苦しみは罰でなく、大きな恵みであると言ってよろしいでしょうか・・・。我々の召し出しと同じように美しく、しかし、重い恵み。何も知らない人の目には、むしろ悲しくつらいことに見えるにしても。」

 

「シモン、そう言ってよい。それが真実です。正義をもって迎える場合、苦しみは罰ではありません。苦しみは一種の祭司職です。それは神の御心に対して大きな力を持ち、その人の功徳となります。罪とともに生まれた苦しみすら、神の正義をなだめることができます。憎しみが人を苦しめるためにつくったものを神はよいことのために使われます。私は罪を消すために、これ以外の手段を望みませんでした。なぜなら、これ以上威力のある手段はないからです。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P220

 

「死と苦しみとは、悪魔の妬みのためにこの世に入った。神が死と苦しみを作ったのではなく、また生きる人々の苦しみを喜ぶものでもない。神のすべては生命であり、すべての人々を救うためである。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P91

 

私の所へ来たことによって、君はこの世の光栄ではなく、苦しみを迎えることになります。しかし辛抱強くその決心を守るなら、天において光栄を得るでしょう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P310

 

シモン、苦しみは罪の結果です。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P310

 

人間に返された聖寵が、聖なる人に隠れた真理を啓示するとき、その人は苦しみの力を知り、自らが生贄になることを望むでしょう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P336

 

私が来るまで、人間は間に合わせの捧げものを捧げて神をなだめていました。愛が知られていなかったからです。これからは、その愛が知られます。そして私は愛を知るための聖寵を与えましょう。愛を知る人間は冬眠から抜け出して、思い出し、理解し、生きる愛と償いの生贄となります。今まで、罰であった苦しみは、完全な愛に変わり、愛をもって苦しみに耐える者は幸せでしょう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P76

 

人間はどんな不幸な目に遭っても、義人でなければなりません。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P162

 

「私の息子は、あなたに限りのない苦難を与えました・・・」

 

「そしてあなたにも・・・だが、それはもうすんだ事です。どうにもなりません・・・けれども、これからあなたは苦しみを役立てることはできます。この傷、私の血、そしてあなたの涙も、共にこの世を清めます。どんな苦しみも、この世を清めるためにある。私の血はもちろん、私の母マリアの涙も、あなたの涙も、そしてキリストと人間への愛のためにあるどんな義人の苦しみも、すべてそうです」

 

 

 

 

4.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・11・2

 

けれども自分の慰めのためでなく、イエズスのおんためにイエズスをお愛しする者はつらい悲しいことや心配のある時でも、この上ない慰めをいただいている時と同様に、かれを賛美するのである。

 そしてたといかれが少しも慰めを与えようとなさらずとも、いつもかれを賛美し、かれに感謝しようとするのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・12・15

 

もし人間の救いのために、苦しみよりももっとよい、もっと役に立つことがあったならば、キリストはきっとそれをみ言葉ならびに模範をもってお示しになっただろう。

 ところがかれはかれにしたがったお弟子たちやしたがおうとするすべての人々に、十字架を負うことを明らかにお勧めになって仰せられるには、「もしわたしの後について来たいと思うならば、自分を捨て、日々自分の十字架を取ってわたしにしたがえ。」(ルカ9.23)と。 だから私たちはすべてを読んで調べた後、こういう結論に達するのである。「私たちは多くの艱難を経て、神の国にはいらなければならない。」(使徒行録14・21)

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・30・5

 

 わたしがあなたに、苦しみ、またはいかなる患難不幸をくだしても、不満に思ったり、落胆したりしてはならぬ。

 わたしはすぐまたあなたを慰め、あなたの苦しみを喜びに変えることができるのである。

 わたしはあなたに対してそういうふうにしても、やはり正義にして大いに賛美すべき者なのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・30・6

 

「もしあなたが正しく考え、真理に徴(てら)して思いめぐらすならば、患難不幸のために決してそれほど落胆して悲しむべきではない、かえって喜んで感謝すべきである。実際、わたしがあなたを悲しみをもって苦しめ、容赦しないのを、唯一の喜びとなすべきである。」

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・30・6

 

「『父のわたしを愛したもうたように、わたしもまたあなたがたを愛した。』(ヨハネ15・9)とは、わたしが愛する弟子たちに告げたところである。しかしわたしがかれらを遣わしたのは、この世の楽しみを受けさせるためではなくて大いなる戦闘(たたかい)をさせるためであり、名誉を得させるためではなくて侮辱をこうむらせるためであり、怠けさせるためではなくて働かせるためであり、休ませるためではなくて忍耐により多くの果を結ばせるためであった。わたしの子よ、これらの言葉を忘れぬようにせよ。」

 

 

 

5.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P79

 

 人と被造物全体は虚無に従っているとはいえ、永遠にそうなのではない。人は従順なる気持ちを失いこの災いだらけの儚き状態に全被造物を巻き込んだが、このような霊的戦いの場においてしか人の霊的力は完全に開発され得ないのである。この戦いにおいてしか、人は完成に必要とされるレッスンを学びとることはできないのだ。そこで、天の完全さの状態についに辿り着いた暁には、人は現世の苦しみと戦いについて神に感謝することだろう。神を愛する者たちのために何もかもがうまく働いてくれていたことが、そのときにはっきりわかるからである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P278

 

[] この世においてもかの世においても、心の渇きが神によってしか満たしえないことを知らずにいる人が非常に多い。そのような人たちの中には―哲学者も犯罪者も含め―この世に満ち足りを感じられなくなって自暴自棄になり、自殺を図って人生を終わらせようとする者がいる。これと逆なのが真の神を信ずる者である。霊的経験の中で成長が高まれば高まるほど困難が増してくるため、彼らは現世において非常に苦しむ。俗な心の持ち主はこのことをまったく理解しないため、彼らは手をさしのべるよりも迫害することの方が多い。ところが、彼らは世俗的な野心を否定して神との交わりの中に平和を実現しているので、絶望のあまり自殺するということがない。もっとも、すべて霊の渇きは神の中で満たされるとはいえ、人は友との交わり、共感に憧れる。そして、このような社会的交わりが満たされない場合には、神であり人であるキリストが、社会的性格の交わりばかりか霊的なそれをも満たしてくださる。人の痛みに対する主のご理解は神の性質からくるばかりか、人として苦しまれたときの実体験からきているので、苦しみの中にあるどのような人々にも完全な助けと憐れみをかけることができるのである。

 

 

 

[] この世において霊的心をもつ者が苦しむというのは、真理を味わうことができないために性格が歪み、隠れた罪によって霊的識別力を失ってしまった者たちが誤解するからである。この種の人々は、正しい人間を前にすると違和感を覚えて本能的に敵対せざるをえなくなる。だが、神に敏感な感性と良心をもっているその人は、似た心の人を前にすれば互いに引き寄せあう神の生命をそこに見る。

 真のクリスチャンの生命は、切りかかる斧に対して害を加えず逆に芳香を返すサンダルウッド(白檀)にも似ている。神はヘンリー・スソーに対して「あなたは名声の失墜に苦しむだろう。愛と信頼を求めるところ、あなたは裏切りと苦しみをみる」と警告されたが、これは多くのクリスチャンの経験にいえることである。神的預言者、使徒、キリストご自身さえ苦しまねばならなかったこの世において、苦しみを避けたいと思えば真理を拒否し、神から顔を背け、この世と馴れ合いになるしかない。一方、キリストと受難の交わりを共にすることは大きな特権である。やがて定められたときがきて、主と苦しみを共にした人が永遠の栄光に入り、神とともに治めるときがくる。

 

 

 

[]わたしたちは定められた目的地に辿り着く前に痛みと苦しみと誘惑を通らなければならない。このような段階はすべて、霊的生命の成長にとって、未来の幸せにとって必要である。わたしたちがそこを通るよう神が求められているのはそのためである。これが神の計画でなかったなら、神はわたしたちにそれを求めることもなかったであろう。だが、神が求めておられるのであれば、誰がそれに対抗できよう。わたしたちに降りかかる運命はみな喜んで受けとめ、どんな疑いも抱いてはならない。疑いは人と神との間に壁を作り、神の臨在と交わりを楽しむ力を奪ってしまうのである。

 この世にいる限り、わたしたちは痛みと苦しみに耐えなくてはならない。蜜蜂は蜜を集めるばかりではなく、特別な目的のために針も兼ね備えている。美しく香り高いバラのトゲも、意味なく備わっているわけではない。パウロの肉に刺さったトゲもまた、大いなる計画を実現させるために与えられたのだ。わたしたちは創造された永遠の目的を実現するために、このような試練をくぐらなければならないのである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P279

 

 9.わたしたちは定められた目的地に辿り着く前に痛みと苦しみと誘惑を通らなければならない。このような段階はすべて、霊的成長にとって、未来の幸せにとって必要である。わたしたちがそこを通るよう神が求められているのはそのためである。これが神の計画でなかったら、神はわたしたちにそれを求めることもなかったであろう。だが、神が求めておられるのであれば、誰がそれに対抗できよう。わたしたちは降りかかかる運命はみな喜んで受けとめ、どんな疑いも抱いてはならない。疑いは人と神との間に壁を作り、神の臨在と交わりを楽しむ力を奪ってしまうのである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P93

 

求道者:「ああ、神よ、今日、わたしのいただいたこの祝福が、わたしの弱さや冷淡によって失われたりすることがありませんように。わたしが最後まで忠実であるよう、どうかお恵みください。わたしが常にあなたの真実の下僕であり続け、あなたの中に、あなたのために生きられますよう」

 

メルキゼデク:「常に目を覚まし、祈ることが大切である。世の富を失うとも決して気にかけるな。それは早晩起ることである。だが、今あなたは、自分を失わない限りは他の誰にも奪い取ることのできない、真の富を手にしているのだ。今、あなたは、小船に乗って濁流の上を旅する男のようである。荒れ狂う波風に打たれてこの小船は沈んだ。彼は川岸に向って泳いだが、ポケットの中の小銭以外、すべての持ち物が濁流に押し流された。男は川岸に着くと、賊に襲われ、持っているものすべてを奪われた。こうしてすべてを奪われても、男は決して取り乱さなかった。それは、誰にも奪い取ることのできない、あの真の平和が心の中にあったからである。そこで彼は賛美歌をうたいながら神を讃え、そこを去って定められた務めに着手した。

 今、あなたは、この世の富と名誉を失うことによって心が空にされ、真の永遠の富を受けるに至ったことに感謝せよ。みよ、わたしはいつまでもあなたと共にいる。行って、わが羊たちを牧しなさい」

 真理の探究者は、恭しく頭を下げ、メルキゼデクの足下に身を投げ出し、メルキゼデクは彼を祝福すると姿をかき消した。彼は起き上がり、全身全霊をもって神に仕えた。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P434

 

 キリストに従う者は自我を退け、キリストを証言するために苦しみの十字架を負う。自分の利益ではなく、人のためになることを求めるときに、われわれの人生は百倍も豊かになる。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P322

 

わたしたちが主を知れば、二度と挫かれることはありません。苦しみ、悲しみがあっても、主の臨在を感じることでしょう。生命を与えてくださる主の現存が、わたしたちの生を地上天国に変えてくださるのです。

 

 

 

 

6.中山みき

 

 

中山みき

 

『あんた、苦労したればこそ、神様が分かったやないか。

神が分かれば、これから、どれだけ大きくなるや分からんで、

神のご用に使おうと思うなればこそ、苦労艱難させたのやで』

 

 

 

『出会いに包まれて』藤井明男著、善本社、P209

 

「天理教の初期の先生の中に、加見平四郎という人がある。兵四郎は、小さい時、母に捨てられ、父に捨てられて、たばこ製造屋へ丁稚奉公に出され、人生の苦労をイヤというほどなめて来た。

 

明治六年、兵四郎は、妻の難産から天理教に入信し、教祖中山みきに会い、

『神様は、陽気ぐらしをさせるために、人間をおつくりになったと聞かして頂きますが、兵四郎の今日までの生活は、苦労の連続でした。どうして、こんなにいじめ倒されたのでしょうか』と尋ねた。

 

その時、教祖は

『あんた、苦労したればこそ、神様が分かったやないか。神が分かれば、これから、どれだけ大きくなるや分からんで、神のご用に使おうと思うなればこそ、苦労艱難させたのやで』と仰せられた。

 

兵四郎は、それ以後、熱心に布教し、たくさんの人を助けた立派な信仰者になった。」

 

 

 

7.ヴァッスーラ

 

 

ジャック・ネランク/あなたは預言を無視しますか・現代の預言者ヴァッスーラに聞く/P111

 

 私は苦しみが霊魂を清めることを知っています。聖人は自分が十分に苦しんでいなければ、心配になるでしょう。それを理解するには、まず神を知り、愛さなければなりません。苦しみは、私たちが授かることのできる最大の恩寵だということを理解するためには、それが必要です。

 私は自分の苦しみを神に捧げることを、神から学びました。私が自分の苦しみについて嘆いた時、神は私に言われました。

「私が与えているものが分かれば、自分から進んで、どうかもっと試練を与えてくださいと願うだろう」とおっしゃいました。苦しみが霊魂を清めることを教えてくださったのです。

 

 

 

ジャック・ネランク/『あなたは預言を無視しますか 現代の預言者ヴァッスーラに聞く』/P230

 

ネランク: ルイ14世の最期の言葉をご存知ですか? 何日間もの、かなり長い苦しみがありました。彼は、やがてルイ15世として後を継ぐひ孫を病床に呼び寄せていました。当然子供は、すごく苦しいのかと尋ねます。ルイ14世は「とても苦しいが、私がやった事を償うために、できればもっと苦しみたい」と答えたそうです。ルイ14世が、許してもらわなければならないような沢山の罪を犯したことは、言うまでもありません。

 

ヴァッスーラ: アヴィラの聖テレサの話がありますね。彼女はロバから落ちて凍った急流にとびこんでしまいました。ずぶ濡れになり、凍えて聖テレサはイエスに呼びかけました。「どうして、このような仕打ちをなさるのですか?」。イエスは「私は友人をそのようにして、もてなすのだ」とおっしゃいました。彼女は「そのようなもてなし方をなさって、お友達がほとんどいなくなっても、驚いてはいけませんよ」と言ったそうです。私もある時期に、苦しさのあまり、同じことを口走ったことがあります。「私は聖テレサの言葉を繰り返します。黙ってはいられませんから。そのことは申し上げておかねばなりません」。イエスは黙って一つのメッセージをくださいました。最期に出て行くふりをしながら、こうおっしゃいました。「先ほどのあなたの指摘だが、苦しみからどれだけのものを得られるかが分かれば、もっと苦しみを引き受けさせてくださいと、ひざまずいてせがむことだろう。」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P74

 

 ヴァッスーラ、苦しみを受け入れるように、私に選ばれた霊魂は皆苦しんだ、苦しみによって 霊魂は清められる 金が火の中で清めれるように。 霊魂も同じです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P264

‘89・9・24

 

♡ これでもう分かったであろう、我がヴァッスーラ? 私に到達する道は狭く 困難だ、今捧げている犠牲より はるかに多くを要するしかし続けて行けるように助けよう、ときどきそうするように恐れなくてよい、常にあなたの前にいて、聖性へと導いている、私に抵抗しないで、自らを明け渡しなさい、我が愛には?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P267

‘89・9・28

 

では耳を開いて我が婚姻の歌を聞きなさい、あなたが何で出来た者かを知っている: 塵と灰、頭を持ち上げて その暗やみから出て来なさい、私を見るように・・・ 私はあなたを甦らせた者、霊魂をおだやかな静けさの中に置く者、腕の中に包んで霊魂を護っている、我がもとにまで引き上げようとして すべてを与えた。 私は無限の慈しみを現し 我が杯から飲むのを許して好意を示した、そうであろう? 私を喜ばせようと努めなさい、娘よ、我が道を探し求めなさい、私の道は聖である、そこで何でもないことに不平を言わないように気をつけなさい、いつもそばにいて 道を案内して来た、常に単純な心で私のもとに来なさい 我がヴァッスーラ、あなたの地上の日々は過ぎ去る影、消えてなくなる一時的な通り道でしかない。 地上のものは何も残らない。 では私の金言を守り 掟に従いなさい、我が最も貴重な宝石をゆだねた、それを護り、抱きしめ しっかりと身につけておくように、我が平和と愛の十字架は霊魂にとって甘美な苦悩となろう、我が十字架を分かち合いたいという思いは 私と同様あなたのうちにも熱烈に燃え上がろう、我が十字架にたいする渇きは 私と同じように大きくなろう。今はもう私が愛をどう現すかを悟ったようだ、そう、あなたが苦しむのを許している。 霊魂よ! あなたの不毛を 溢れる泉とした、私に対する冷淡さを優しさに変えた、無関心を 我が十字架にたいする情熱に、無気力を あなたの故郷と御父にたいするノスタルジアに変えた、霊魂よ 歓びなさい! 王はあなたの亡骸を包んでいた布をほどき ラザロを復活させたように あなたを甦らせた: あなたを所有するために、

 

ああ イエス、あなたは本当に選り好みなさらないお方ですね!

 

私があなたを選んだ ♡ 一緒に天の王国を嗣ぎ それを分かち合ってもらいたい。 私のするわざはどれも我が栄光のため ♡ 見なさい! あなたはもう自由になった 我が鳩よ、私はあなたの主であり あなたは我がもとに常にやって来て 聖心のうちに いつでも憩いを見出すであろう、我が聖心はあなたの巣 そして避難所、見たであろう? あなたの主人が誰であり 何を求めているかを見分けるように訓練した ♡ あなたの主人 そして王はこれからは愛をあなたに求める、来なさい、我が愛を返しなさい、鏡のように我が愛を反射しなさい、愛ゆえに 私を愛してほしいがためにあなたを創造した、決して何があろうとこれを忘れないように ♡♡♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P5

‘89・9・29

 

卑しめられるのは私のために良いことでした。私はあなたの掟を学ぶようになりました(詩篇119・71)。愛ゆえに苦しみを与えておられるのが分かっています。私を跡継ぎにされたために、愛を惜しみなく注いでおられるのです。愛する人びとを訓練されるのを知っています。あなたは主、焼き尽くす火です!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P130

‘00・10・16

 

書きなさい、我が言葉に心開くどの心にも、言ってきたように、私は 我が王国を打ち立てる。 死すべき人間が あなたを攻撃するのに用いる暴言を 恐れないように、迫害者たちの激怒を恐れないように。 我が言葉であなたの心を封印し 唇からはミルラの雫を滴らせている 優美に開いて平和を予告し 我が息子娘たちの心に 一致をもたらすように、と。 私ゆえに迫害される者たちに 私の霊が与える、その不屈の精神に 傲慢な者たちを驚嘆させなさい、そして今 そうしているように(*7)、あなたと会うのを避けさせるがよい。 私の日には、今度は、私が彼らを避ける。 彼らがひそかにあなたを窺い あなたを厳しく扱おうと、その厳しさを 謙虚に威厳をもって耐えなさい、こうした尊大な人たちを通し 天国で報われよう・・・・あなたはその苦しみを通し 霊魂たちを眠りから覚まし あるいはこの世に心奪われた霊魂たちを引き上げている。

 

 *7ある司教さま方は、私との面会を求められると、名前を聞くだけで すっかり逆上してしまわれます。

 

 

 

8.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1976.5.28

 

 苦しみの道に於いて私にしたがいなさい。

 今や、あなたがたが屠られる時が来ています。あなたがたはますます苦しむために呼ばれています。

 あなたがたのこの苦しみを全部私にください。

 現代は、あなたがたの多くの兄弟たちの誤解やざんげんの時です。

 明日あなたがたは、神の敵、無神論者から迫害、捕虜、処刑にあわせられるでしょう。

 彼らは、あなたがたをどうしても消すべき邪魔者と見ているからです。

 

 

 

聖母から司祭へ1980.1.22

 

 ロザリオをとなえながら、私とともに祈ってください。祈りに祈って、つぐないをささげるのです。それは、あの“とき”が縮められ、私の子らの大部分、すなわち、できるかぎり大勢のものが、永遠の救いをうけるように恵みをねがうためです。

 苦しみが、神から離れてしまったすべての人の改心に役立つように祈りなさい。

 あなたがたが、おん父の愛を、けっして疑うことのないように祈りなさい。おん父は、いつも、あなたがたを見守り、最善を取りはからってくださいます。おん父は、だらく、不忠実、反抗、不潔、無神論の病いからあなたがたを癒す薬として、苦しみを使っておられます。

 いまの私の願いは、あなたがたが、もっともっと祈るということ以外にありません。

 あなたがたのチェナクルムにおける祈りの集いをふやしなさい。

 ロザリオの祈りもふやし、この祈りを心をこめて私とともに、となえなさい。あなたがたの苦しみも、つぐないも、みんな私にささげるように。私は、あなたがたに、せつに願います。どうか、罪人の改心のために祈って、つぐないをささげてください。これによって、父のあわれみをもって待っておられる神のみもとに、私の友、最大の反逆者、遠く離れ去った子らでさえ、つれ戻すためです。

 わたしたちは、いっしょに、大きな愛のあみをつくりましょう。そうすれば、このあみで、全世界を包み、救うことができます。

 こうしてこそ、迷ってしまったすべての人を救おうとする私の母としてのこの最大の干渉を、どこにでも広げることができるのです。

 

 

 

聖母から司祭へ1982.2.2

 

 あなたがたは、無数の苦しみと悩みに生きるように召されています。きょう、私は、あなたたちによって、私の子らを力づけ慰めたいのです。激しい嵐のとき、母は、どれほど自分の子どもたちを慰めるために腕に抱きしめたいことでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1995.4.13

 

 これは苦しみの過越しです。

 愛は苦しみによって証明されます。

 

 

 

9.マリア・シンマ

 

シスター・エマニエル/マリア・シンマとのインタビュー 煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣/P31

 

マリア、地上で功績を得ることが出来るのに、煉獄ではどうして功績を得ることが出来ないのですか。

 

 死の瞬間に功績を得る時が過ぎてしまうからです。地上に生きている間は私たちが犯した罪を是正することが出来ます。煉獄にいる霊魂は私たちに与えられているこの可能性をうらやむのです。天使たちさえ私たちを羨みます。なぜなら、私たちは地上で生きている間は、成長することができるからです。

 

でも地上では人生で直面する苦しみが度々反逆を起し、その苦しみを受け入れ、それを生きるのは難しいです。苦しみが良い実を結ぶにはどのようにすればよいでしょうか。

 

 苦しみは神の愛の最大のしるしです。その苦しみを捧げるならば多くの霊魂を得ることが出来ます。「

 

しかしどのようにして苦しみを(度々しているように)罰や懲らしめとしてではなく、恵みとして受けることが出来ますか。

 

 すべてを聖母マリアに捧げなければなりません。聖母マリアは、救われるために誰がどんな苦しみをお捧げする必要があるかを一番よくご存知であるお方です。

 

 

 

P41

 

たとえば、私が肉体的にあるいは精神的にあまりにも苦しみ、その苦しみがあまりにもきつくて死にたいと言えば、私は何をすることが出来ますか。

 

 はい。これは非常によくあることです。私だったらこう言います。「私の神よ、私はこの苦しみを霊魂を救うために捧げます。」と。そうすれば、主は私に新しい信仰と勇気を与えてくださいます。しかし最近はもうこのように誓う人は一人もいません。これを行うことによって魂は大きな至福、すなわち天国での大きな幸福を得るのだと、言うことも出来ます。天国には何千種という異なったタイプの幸せがありますが、各自が完全に幸福なのです。望みはすべてかなえられていますから。もうこれ以上何も報いられないことを皆は知っています。

 

 

 

10.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P28

 

「愛する者よ、これらの過去の出来事は、あなたのうちに小さな準備をしたにすぎないのです。さあ今度は仕事を始めましょう。このようにして、あなたがわたしの最もにがい受難の広大な海の中に入り込むために来てくれるように、あなたの心を用意したいのです。こうしてわたしの苦しみの激しさと、全てをあなたのために苦しもうという望みに燃えているわたしのことを、そしてあなたのために苦しんだわたしは誰か、また卑しい被造物でしかないあなたは何者であるか、などということを理解した時、その時初めてあなたはわたしへの愛のために苦しむために、あなたの受難の激しさや苦痛に反抗しなくなるでしょう。そうすれば愛に燃えた心をもってわたしがあなたのために、しばらく前から用意してある十字架を受け入れることができるでしょう。むしろ、あなたの師であるわたしがあなたのために苦しんだということを考えるだけで、あなたの苦しみは影のようにしか見えず、苦しむことは甘く、そのうち苦しみなしにはいられないというところまで辿りつくことでしょう。」

 

このように語られるイエスのお言葉に、私はかつてないほど苦しみへのあこがれを感じるのでしたが、それにもかかわらずその時は、私が忍ばなくてはならないと思われる苦しみを考えただけで、私の本性は動揺するのでした。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P30

 

 

私のほうに押し寄せてくるあの光線は、私にとっては、黙って私に語りかける多くの叱責でした。そして私に「これほど忍耐強い神であるのに、おまえは? ・・・敵にさえ従われたこんなに謙遜な神だが、おまえは? 完全な愛である神はおまえのためにたくさん苦しまれているというのに、主への愛のためのおまえの苦しみはどこか?・・・」などと言っているようでした。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P77

 

 

霊魂に与えることのできるいちばん美しい贈物は何か知っていますか? わたしにとっていちばん愛しいものとされたのは、わたしがもっとも近しく触れたあの十字架と、その苦しみだということを? 十字架の道においては、あなたはまだ少女にしかすぎません。ですからあなた自身まだあまりにも弱いと感じています。しかしもう少し大きくなって、苦しむことがどれほど貴重なものであるかよく分かった時、そのときにはあなたの中で苦しみへの望みはもっと生き生きとしたものになるでしょう。とにかくわたしを信頼しなさい。そして休みなさい。そうすれば苦しみへの力と愛を獲得するでしょう。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P23

 

 

イエズスは十字架の貴重さを示される。

1899年3月31日

 

 今朝お慕いするイエズスは十字架につけられた姿で現れ、その苦しみを私に伝えられたのちに言いました。

 

「私の受難において私を苦しめた傷は多くあったが、十字架は一つでした。このことは、私が霊魂を完徳へと導く道は多くあるが、これらの霊魂が一体化する天国は一つであるのを意味しています。もしその天国を間違うと、彼を永遠に祝された者としてくれる天国はもう他にはないのです。」

 それからつけ加えて、「ここを見てごらん。十字架は一つでも、十字架は幾つかの木で作られています。つまりそれは、天国は一つでも、栄光の多い場所と少ない場所との組合わせで出来ているのです。それはこの地上でその人が耐えた苦しみの量によって、各々の場所があてがわれるということです。ああ、もし皆が苦悩に耐えるということの貴重さを知ったなら、きっと彼らはもっと苦しみたいと思って競争することでしょう。でもこの知恵はこの世では知られていないので、人びとは、自らをより富んだ者としてくれるこの真理を嫌うのです。」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P232

 

「いいえ、苦しみが欲しいのです。私に苦しみをくださることによって、もっと愛をくださるでしょうから。私はこのことを経験によって知っています。ただ苦しみを通してのみ、それが所有しているお恵みと愛を獲得することができます。あなたの行為、好み、喜びなどのすべてに値するための唯一無二の道は、あなたへの愛のために苦しむことです。」

 

 

 

11.シルワン

 

 

シルワンの手記/P37

 

 

 主は私たちを愛して下さる。しかし、私たちが謙遜になり、自分たちの無力さを認めるように、主は苦しみを与えてくださる。貧困や病気のため苦しむ人が、謙虚にその苦しみを耐えないなら、いたずらに苦しむだけである。けれども謙虚な人は神が彼の宝と喜びであるために、常に喜びに満たされる。

 

 

 

12.ベルナデッタ

 

 

ルネ・ローランタン/ベルナデッタ/P261

 

 

ベルナデッタはそのシスターにこう言ったそうだ。

「ねえ、シスター・オギュスタン、これは神様のためよね。神様のために苦しまなければならないのね。神様そのものが、私たちのためにあんなにも苦しまれたんですもの。」

 

 

 

13.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P186

元后の御言葉

 

 

 私の娘よ、御子の御受難と十字架には大変な価値があり、十字架の道行きに参加する人々にもその価値があることを私は理解しました。従って、私自身も御子に付き添い、御子の悲しみと苦しみ全てを共に受ける許可を御子に願い、頂きました。その苦しみの期間、神がいつも下さる喜びを抹消して下さることもお願いし、そうして頂きました。御子は私を心から愛しておられるので、私のこの願いは御子の希望でもあったのです。喜びが消えると御子はよそよそしくなり、私をカナの婚宴や十字架刑の時、私を母と呼ばず、婦人と呼ばれたのです。御子自身の苦しみと私の苦しみを一致同化するための印です。

 私たちの内、ほとんど全員は、自己犠牲と十字架への本当の道を嫌がり、怖がります。そして、この世の真の最高の祝福を失います。受難は、罪からの回復のための唯一の手段であるから、苦しみを避ける限り、回復は不可能となります。苦しみと悲しみにより、罪の湯気は減り、情欲は押し潰され、誇りと高慢は引き下ろされ、感覚はコントロールされ、悪への傾向はなくなります。自由意志は理性による枠の中に入れられ、情欲に我が身を任すことはなくなるでしょう。神の慈愛は、苦しみ悲しむ人々の上に注がれます。この苦しみの意味を知らない人や、苦しみから逃れる人は、愚かか気違いです。

 

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P221

元后の御言葉

 

 

これらの罪を考え、御受難の時と、全生涯に於て私がしたことをあなたにもしてもらいたいと私は願います。人々の涜聖を贖うため、私は主を祝いました。人々のそしりに対し、私は主を讃えました。不信仰に対し私は信徳を実行しました。もし、あなたが自分の弱さのために倒れるなら、自分の過失を嘆き、直ちに私の取次を願いなさい。普通の過失の代償として苦難を堪え忍び、どんな苦しみも喜んで受け入れなさい。苦しみは、病気、他人からのいじめ、肉欲とか、見えるか見えない敵からの攻撃かもしれません。これらの苦しみ全てを信仰、希望と高潔な感情により我慢しなさい。我慢すれば光明を見出し、真実を理解し、見える物事から心を解脱させ、主に向けます。主は苦しむ人たちの所に来られ、一緒に御苦しみになります。

 

 

 

14.マルタ・ロバン

 

 

マルト・ロバンの面影P79

 

苦しむときは、もっと多く愛することを学ぶ学校にはいっているようなものです。苦しみを知らなかった人は、決して、喜びを完全に味わうことができないでしょう。

 

 

 

面影P83

 

 苦しみの最中にあってこそ、愛することはどれほど快いことかを経験している。特に、苦痛の中にあってと私は言いたい。なぜなら苦痛は、ほんとうの愛を学ぶ比類のない学校なのだから・・・苦痛は神の愛の生きた表現であり、人類の偉大な教育者だ。苦痛の中で、また苦痛を通してだけ、愛することを覚え、真実に愛することができる。真の苦痛は、この世の生活の人間的な楽しみの中から生まれることはなく、むしろ自分をはぎとり自己を捨て去ることの中に、また主の十字架の上に築かれるのだから。

 

 

 

面影P84

 

 苦しみによって、血まみれの傷を受けたことのない心は、高みおよび天からくる生き生きと力づけ聖化させる空気を、自由に呼吸することができない。すべての昇華はみな乗り越えた苦しみに養われている。昇ること、それはすべてを越えること、それも絶えまなく自分を乗り越えることである・・・それはまた神のために、愛によって、すべてを与え、すべてをいけにえとすることなのだ。(1927年3月17日)

 

 

 

面影P156

 

 病気であるということは、はずかしめ、欠乏、みじめさにさらされることです。しかし、神を愛したいと思う霊魂にとって、このはずかしめ、欠乏、みじめさは、燃えるともしびに変わります。

 たしかに、『天』への道はどんなに暗くとも、少しも恐ろしいものではありません。決して絶望することはありません。ああ、わたしは、苦しみはみあるじに身を委ねる小さな霊魂にとって光明であると言いたいと思います。断定したいと思います。『もしも小さい者がいたら、わたしのもとに来なさい。わたし自身その力その慰めになるでしょう』。感動すべき真理ではありませんか。なぜなら、恩寵に従順な霊魂は、わたしたちを迷わすことのできない『かた』に、心たのしく、身を委ねるからです。

 『かれ』のように情深い『友』、慈愛に富む『父』、愛深い『天配』に守られているのに、苦しむことができるでしょうか。泣くことができるでしょうか。絶え入ることができるでしょうか。いいえ、『かれ』ほど理解し、慰めてくださるかたはありません。神のくださる慰めにくらべるならば、人間の慰めはきわめて冷たいものです。人間の支えは、苦しむ者をしっかと支えるには、きわめて弱い葦のようなものです。限りないすべての苦しみを支えてくださった神だけが、これをみなやわらげてくださることができるのです。

 愛は心を彫ります。愛は清めます。悲しみは平和をもたらします。

 ああ、わたしのイエスよ、あなたの小さいいけにえは苦しむべきです。しかし、あなたが愛してくださったように、あなたを愛すべきです。あなたを離れては、生きることも苦しむこともできないでしょう。ああ、イエスよ、わたしを永久にお守りください。わたしはあなたのものです。わたしに忍耐をお与えください。なにごとにおいても、平静をお与えください。

 あまり前やうしろを眺めないようにしましょう。いつも高いところを眺めましょう。

 

 

 

十字架とよろこびP115

 

すべての存在は、カルワリオであり、すべての霊魂は、それぞれの生活の杯を黙って飲みほさなけれなならないゲッセマネの園なのです。

 

 

 

15.アヴィラのテレサ

 

 

イエズスのテレジア(アヴィラのテレサ)自叙伝11章・11(P122)

 

 これらの苦労はみな価値があります。私は長年間それらを堪え忍んだ経験によって、よく知っております。それで私は、ついにこの祝された井戸から一滴の水を引き出すことの出来た時は、神のご恩寵とみなしておりました。これらの苦しみはたいへんつらいものです。私はそれをよく知っています。それらは、この世の多くの労苦よりも、ずっと勇気を要求します。しかし私は、はっきりと見ました。神はすでにこの世からでさえ、それらに必ずお報いになるということを、実際、主が私の霊魂にご自分を味わわせてくださったこれらの時間のうちのただ一時間だけでも、私が念祷に堅忍するために長い間忍んだ、あらゆる悩みを、支払ってあまりあることは確かです。主は、初心者に、また時としては目的に近づいている人々にも、こういう苦しみやその他の多くの誘惑を、たびたびお贈りになると私は確信しております。それは主を愛する人々を試すためであり、彼らに大いなる宝をお与えになる前に、主の杯を飲むことができるかどうか、主が十字架を担われるのをお助けできるかどうかをごらんになるためです。聖主が私どもをこの道を通してお導きになるのは、疑いもなく私たちの善益のためであり、私たちが、自分がどんなにつまらぬ者であるかをよく悟るためです。のちに私たちに与えられるであろうお恵みは、きわめて高い秩序に属するものなので、ルシフェルのような失落から私たちを守るため、主は、まず、それらを与えられる前に、私たちが自分のみじめさの深淵を経験によって、よく知ることを欲せられるのです。