苦しみを熱望する
1.ルイザ・ピッカレータ
1.ルイザ・ピッカレータ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P166
数分間の休みのあと、イエスはまたお現れになり、続けて申されました。「わたしの花嫁よ、もし信仰が霊魂の視力としての役を果たすとしたら、希望は信仰の栄養物です。それは信仰がその背景に設定するあのいくつかの善を取得しようというエネルギーと熱望を霊魂に注ぎ入れます。さらに希望は霊魂に常に心の落ち着きと完全な平和をもって難しい事業にいどむための勇気を与えてくれます。それは、その働きに幸運な成功を与えることができるのに適した方法と道をたどって行けるように、霊魂を不屈なものとしてくれます。
愛徳とは、そこから光と信仰の滋養物が現れる本体です。それなしでは、ちょうど火なしには光も熱もないように、信仰も希望も持つことはできないでしょう。鎮痛剤の軟膏のように希望の焦がれと信仰の視野の成熟に効果を与えながら、どこまでも広がり浸透していくのは愛徳です。それはその愛の甘美さをもって苦しみを香ばしく甘いものとするので、霊魂は苦しみを熱望するまでにいたります。まことの愛を有する魂は神の愛のうちに、その愛のために働くことによって、自身の周りに神ご自身から汲み取ったあの天的な香りを発散します。もし全ての徳が霊魂をほとんど孤独で内気なものにするとしたら、愛は光、熱、微妙な香りなどを放つ本体であり、最も香り高い効果をもった香油であるので、霊魂が神にたいして抱いているあの限りない愛によって人びとの心を一致、いや、むしろ融合させてしまいます。最もひどい苦しみを喜びをもって忍ばせるのは愛です。」愛のうちに完全に変容させられた霊魂は、もはや苦しみなしに生きることはできないまでになり、それが欠けたときには神に叫んで言いたくなります。「イエスよ、花で私を支え、果実の酸味、すなわち苦しみによってあなたのうちに私を入れて下さい。私の魂はますますあなたに焦がれ、あなたのために忍ぶ甘美な苦しみによってでなくてはそれを満足させることはできないのです。ああイエスよ、よりにがいあなたの苦しみをお与え下さい。私たちを愛するがゆえに御心を支える愛の熱烈さをもって、あなたがこれほど苦しまれるのを見るのに、私の心はもう耐えられないのです。」
するとイエスは私に、「わたしの愛は燃え尽くす火です。それがどれかの霊魂に燃えつく時それは他の徳のことを心配することなく全てを行います。それは全てを変化させ、それらを自分自身の内奥に取り込み、それが全ての他の徳の女王になるようにと、それらを治め、支配し、どんな権威にも譲歩しません。」と言われました。このように甘く魅力的なイエスのお言葉の結果として私にかもしだされた気持ちをどう説明したらよいでしょうか? ただ、それは私のうちに苦しみへの非常な渇望の火を灯しましたので、あらゆる痛みや苦しみを熱望することはほとんど自然なこととなり、この時から以後、苦しみがないということはもっとも大きな不幸であると考えるようになったということを申すことができます。
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P183
イエスはこのように話されているあいだに、主が苦しまれた時におぼえられた味わいと喜びの全てを私に感じさせて下さいました。そのお言葉は苦しみへの熱い望みと愛の昇華、少しでも早く主のように十字架につけられることへの熱望の火を私の中に燃やしました。そこで、あらん限りの声をふりしぼって私は次のように祈りました。「ああ聖なる花むこよ、苦しみを与えて下さい。十字架をお与え下さい。それによってあなたがいかに私を愛して下さるかが分かりますように。そうでなければ、あなたを否定した私へのあなたの愛についての不安のうちにいつも生きなくてはならないでしょう。」するとイエスはいつになく私のこの嘆願を気に入られて、すでに私が前に見たひとつの十字架の上に私が身を横たえることをお許しになりました。