主をお喜ばせする

 

 

主を愛す無垢

あなたと話すのは 私の悦び

主との親密さ

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい(ヨハネ13・34)

わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る(ヨハネ14・23)

救霊小さな仕事も愛をもって行う

わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ(マタイ25・35)

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは(マタイ25・40)

敗北

 

 

 

 

1.ルイザ・ピッカレータ

2.トマス・ア・ケンピス

3.ヴァッスーラ

4.マリア・ワルトルタ

5.スウェーデンボルグ

6.聖母から司祭へ

7.マーリン・キャロザース

8.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

1.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P17

 

こんなふうに私は、イエスに向って絶え間なく私の犯した悪について、ほとんどうるさいくらいの調子で申し上げつづけていました。するとある時、イエスは私をきびしくお叱りになっておっしゃいました。

 

「もうこれ以上あなたの過去について考えないでほしい。ひとつの霊魂が悪いことをしたと気づいてへりくだった時、そしてその痛悔してへりくだった霊魂がわたしの赦しの秘跡によって洗われた時には、もう一度わたしを傷つけるよりは、むしろ死んだほうがよいという覚悟が出来ているはずだということを覚えていなさい。霊魂が記憶によってその過去のどろ沼にいつも浸りつづけるということは、わたしの憐れみにたいする侮辱であると同時に、わたしへの愛の妨げになるのです。ですから過去のことを考えて、汚れた考えの中に絶えずとどまりつづけていることを望むかぎり、それはわたしの愛のうちに、天に向って飛ぶことを不可能にさせるのです。

 

ごらんなさい。あなたが犯した悪についてわたしは全部、すっかり忘れてしまったので、もう何も覚えていないのですよ。もしかしたらあなたはわたしに何か恨みを持っているのですか? それとも、あなた自身にたいして何か心配でもあるのですか?」

 

そこで私は、「いいえ、主よ。それどころか、あなたは私がこれほど恩知らずであるにもかかわらずこんなにご親切なので、私にたいするあなたの善良さと優しさを考える時、私の心は裂けるほどにさえ感じられるのです。」

 

すると主は、「さてわたしの娘よ、それではどうしてまだ過去のことにこだわるのですか? わたしたちがお互いに愛し合うことを考えたほうが、どんなによいか分かりませんか? これからはわたしを喜ばせるように努めなさい。そうすれば、いつもあなたは平和のうちにとどまることでしょう。」

 

 事実、よくない態度で過ごした過去をどのように償えばよいかを教えて下さるように、非常にたびたび主にお願いをくり返したとはいえ、私は崇むべき私のイエスをお喜ばせしたいと決心しましたので、あの時以来、もうこのことについて考えたことはありません。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P18

 

全ての人間は消え失せるように。そうすれば、彼らから何か命令された時、あなたはそれをあたかも直接わたしがあなたに命じたかのように行なうでしょう。わたしにしっかりと眼差しをすえているなら、誰をも裁くことはなく、そのことが辛いか、味気ないことか、易しいか、難しいかを眺めることもないでしょう。人からあなたに命じられたこと全てに目を閉じ、わたしにのみその目を開けていなさい。そしてたびたび“主よ、あなたのためにのみ行いつづけ、そして終わりたいので、この仕事がよくできますように必要なお恵みを下さい。私はもう人間の奴隷となりたくありません。”と言いなさい。ですから歩く時も、話す時も、働くに際しても、ただわたしのより大きい喜びと満足のためという唯一の目的のためにして下さい。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P92

 

聖なる無関心をもって、あなたを取り囲んでいる事柄について考え、全てにおいてわたしが望むことを行いながら、いつもわたしを喜ばせることを喜びとしなさい。そうでないならば生けにえの身分として、他の人びとの上に優先することはできないでしょう。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P100

 

イエズス様は罰をほのめかし、主の恩恵に答える必要があると示した。

1899年8月2日

 

 今朝のイエズスは苦悩に満ち、人間に腹を立て、いつものとおり罰を与えるとおどしていた。つまり、稲妻の閃光や雹、炎などによって突然人びとを死なせようと。私はみ心を宥めてくださるように熱心に祈った。

 

「地上から天に向ってなされる邪悪のわざが多すぎます。もしも私の前で犠牲者としての霊魂たちが捧げる祈りが十五分間ほど途絶えたら、私は地から火を噴き出させて、人間たちを燃やしてしまうかもしれない。」それからつけ加えた。

 

「見よ、どれほど多くの恵みを私が被造物の上に注ぐことができるか。答えがまだないので、私はそうせずに、むしろ罰を与えようと思いがちだ。娘よ、お前に施そうとしている多くの恵みに答えてください。私の恵みに答えてくれるなら、心の中に私は迎え入れられ、そこが私の住居の門となる。それは客の訪問を受けるときに人びとが示す敬意、または歓迎に似ている。客は自分に示される尊敬と親切な態度に心魅かれもう一度来ることになり、ついにそこから離れることができなくなるのにも似る。

 全ては私への答え方次第なのです。地上の生活でいかに私に答え、私を扱うかによって、私も天で彼らに答えよう。私に答える者には天の門は開かれており、天の王宮の者たち全員に、彼を歓迎するように命じ、もっとも高い玉座に彼をおこう。しかし私に答えない者にとっては、すべてが閉ざされる。」

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P117

 

イエズスを喜ばせるためにのみ行動する霊魂は、主のみ心を魅き付ける。

1899年8月21日

 

二日間の苦しみを経たあとの私に、イエズスがとても親切で優しいので、私は心のうちで言った。

「主はなんと私に親切なの。私のうちには、主を喜ばすものが何もないというのに。」するとそれに答えてイエズスが言われました。

 

「愛する者よ、お前は、私と言葉を交わし私を喜ばせること以外の喜びも幸せもなく、私以外の他の全ては、味気無いと思えるように、私もお前と話し共にいることが喜びであり、私の慰めなのです。私だけを喜ばせようとする魂が、どれほど私の心を魅き付ける力を持っているかお前は理解できないでしょう。私はその魂とまったく結ばれていると感じるので、お前の望みをかなえてあげずにいられないほどです。」

 

 過日私がひどい痛みで苦しんでいるとき、私は心の中で言った。

「イエズスよ、全てをあなたへの愛のために。これらの痛みは、私が捧げる多くの讃美、誉れ、贈り物となりますように。これらの苦痛はあなたに光栄を帰し、『あなたを愛します』と証言するたくさんの声となりますように。」と。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P134

 

神のためにだけ苦しむことの素晴らしさ。

1899年9月16日

 

 今朝イエズスが来た時、私はそれが悪魔ではないかと恐れ、「あなたの額に十字架のしるしをさせて下さい」と言って十字架のしるしをして安心した。イエズスは疲れていて、私の中で休みたいと望んだ。私もここ数日間の苦しみと、主が少ししか来てくれなかった疲れから、主のうちで休みたいと思った。主は言った。

 

「心の生命は愛です。私は高熱の病人のように、私を食い尽くすこの炎の中で、清涼な水と慰めを捜し求める人みたいです。私の熱とは愛なのです。この私を焼き尽くそうとする炎を癒す清涼水と慰めを、どこに見いだせよう。私を愛する霊魂たちが、私への愛のために捧げる、彼らの苦難と心くばりによってそれはもたらされます。度々私は、誰かが私に向って、『主よ、ただあなたへの愛のためにのみ、私はこの苦しみを忍びたい』、と言ってくれるのをひたすら待っています。

 そうとも。これこそ、私を焼き尽くす炎から私を回復させてくれるための清涼水や涼風となるのです。」

 

 そして主は休むため、私の腕の中に弱々しく身を投げ出した。イエズスが休んでいると、主の言葉についてたくさんのこと、特に、主への愛のための苦しみについて理解することができた。ああ、それはなんと計り知れない価値のある硬貨なの。もし皆がそれを知れば、きっともっと苦しもうと競争することでしょう。けれど私たちは皆、これほど貴重なおかねについて、まったくの近視なので、それを理解することすらできない。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P175

 

「私の唯一で善なる方。言って。これほどあなたを苦しめる有毒なこだまを治すには、どうしたらいいの。」

 

「唯一の方法は、常にあなたの全ての行いを、ただ私を喜ばせるという目的のために捧げなさい。そしてあなたの全ての感覚と力を、私を愛し、私に光栄を与えるという目的のために使いなさい。あなたの考えや言葉、他の行動のすべての一つ一つが、私への愛以外に何も望まないなら、あなたのこだまは喜ばしいものとして私の玉座にまで昇り、私の耳に甘美なものとなって聞こえるでしょう。」

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P179

 

この聖なる畏敬その人は、別に何の目的も持たず、ただすべてにおいて神を喜ばせるためだけに行動します。

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P8

 

「優しき我が愛よ、あなたが望まれる私の身体の全ての動きと、私が行いたいと思う他の全てのそれを、ただあなたを喜ばせ、あなたの光栄のためにお捧げいたします。私のまぶた、私の唇、そして私自身のすべての動きも、あなたのみをお喜ばせする目的のためになされるものであることを望みます。ああよきイエスよ、私の全ての骨と神経がお互いの間で響き合い、それらも私の愛をあなたに証す、明らかな声となりますように。」

 

すると主は私に言われました。

 

「私を喜ばせるということのみを目的として行う全てのことは、私の神性の眼差しを魅きつけるために十分な輝きをおびる。それは非常に私を喜ばせるので、それがたとえまつげを動かすだけのことであったとしても、私は、それが私によってなされたかのような価値を与えよう。その代わり、たとえその行為はよいもの、または偉大なことであっても、私のためのみという意向で行われないとき、それはあたかも錆に汚れた金のようなものとなるので、輝くこともなく、私はそれを投げ眺めることすらしないであろう。」

 

「主よ、私たちの行いをほこりが汚すのはなんと易しいことでしょうか!」 主は、

 

「ほこりは払い落とすことができるから気にしないでよいが、注意しなくてはならないのは意向である。」

 

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P96

 

そのとき私は、イエスのおん胸に小さな真珠が光っているのを見ました。それは主のご人性の非常に輝く光を放っていました。私はその意味を分かりたいと思い、その真珠は何でしょうかとイエスにお尋ねしました。それは非常に小さいにもかかわらず、たくさんの光を放っていました。イエスはおっしゃいました。

 

「それはあなたの苦しみの純粋性である。これは小さくても、あなたが私の愛のためにのみ苦しみ、もし私が許したなら、あなたはもっと苦しむ用意があるので、それがこの豊かな光の原因となっている。我が娘よ、人が行動するときに抱く意向の純粋性とは非常に偉大なものなので、ただ私を喜ばせるためにだけ行動する人は、その人の働きすべてに光を送る以外のことをしない。正しい意向をもって働かない人は、たとえそれが善であろうとも、闇を広げるだけである。」

 

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/『貧者の宿』/中世思想原典集成17/平凡社/P329

 

謙虚ですみやかな服従をもってするなら、小さなわずかな奉仕でも、すこぶる神を喜ばす。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・25・3

 

 何事においても、自分を省み、自分の行為(おこない)、言葉に注意し、まったくただわたしだけを喜ばせるように心がけ、わたしの外には何ものをも望み求めてはならぬ。

 そして他人の言葉や行為(おこない)については、かるがるしく是非(よしあし)を言わず、またあなたに任されたことでなければ関係するな。そうすればわずらわしい思いをすることはほとんどなく、あってもきわめてまれであろう。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・15・3

 

 あなたが心を尽くして神に自分をささげ、自分の好みに従ってこれをとったりあれを取ったりせず、自分をまったく主にお任せするやいなや、たちまちあなたは神と合一し平和を得るだろう、それは神のみ意(こころ)をお喜ばせすることほど、あなたを楽しませ満足させることはほかにないからである。

 だから、だれでも純真な心で、その志を高く神に向け、被造物をむやみに愛したり憎んだりする念から離脱する者は、最も恩恵をこうむるに適し、敬虔の賜物を受けるに足るだろう。

 なんとなれば主は、容物(いれもの)が空虚(から)であるのをごらんになる時そのおん祝福をお与え下さるからである。

 そして人がこの下界の物事を、完全に捨て去れば捨て去るほど、また自分を軽んじて自我に死すれば死するほど、恩恵はますますすみやかにくだり、ますます豊かにはいり、ますます高くその自由な心を引きあげるだろう。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P38

‘87・11・10

 

「人類の上に私の種を蒔く時が来た、私のメッセージを推し進めなさい、あなたの引き受ける全てを助ける、みことばを知らせ、我が被造物にこの大きな愛を、限りない慈しみを 知らせなさい、 ♡ 私の支配は平和、愛と一致によるものとなろう、私は 無力でみじめな者、役立たずで言葉も出せないようなヴァッスーラを選んだ、 ♡ これも書くように(*)、

 

 

  次の分を仰しゃるのを聞いて、当惑と躊躇の思いで主のほうを見つめました。

 

 

そう、我が教会にたいする基本的な知識をなんら持たないため、白紙のカンバスのように、主である私が私だけのもので埋め尽くすことが自由にできた、書かれたものが全て私の口から出ていることが明らかとなるために、全てのわざは私によって成される、彼女を通して、私は彼女を通して話し、彼女を通して行動する ♡ 私は彼女を形造り、このメッセージを担うことができるように 私の全てのわざを注いだ、そしてそれはいずれ知られよう ♡ 私のメッセージを推し進めてくれるか? 私のためにそうしてくれるか? 思い出すように、私イエス、神の愛する子、全人類の救い主、そしてみことばが あなたを祝福している、あなたの仕事を祝福する ♡ 喜びに出会おうと 悲しみに出会おうと安心しているように、賛意を与える、いつも前を進み 導きながら ♡ 我が教会の一致は 私の栄光となろう! 血を流している私のからだの内奥にまであなたを導く、棘を指し示し、あなたはそれらを見分けるであろう ♡♡ 私の栄光のほかは関心を持たないように、私のわざを決して疑ってはならない、愛があなたの上に輝いている 愛する者よ、私を喜ばせるように努力しなさい、さあ、あなたの横に私はいる(I Am)」 ♡♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P58

‘87・11・29

 

♡ 私に従い 喜ばせなさい、従順は 悪魔を無力にさせ ♡♡ 退散させる ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P46

‘89・11・26

 

子よ、あなたに平和、聴きなさい、慎重に振舞い、この啓示からでないことには触れないように、この啓示と 聖書にあるみことばを用いなさい、私はあなたの師です、慎重に振舞いなさい ♡ 私に頼っているように。 私は(I am)あなたの救い主。 あなたの聖なる者(I am)。 私は(I am)在りて在る者です ♡ そこで私に頼っているとよいではないか? 微笑みかけるなら 私を喜ばせる、子どもっぽい信仰を愛している ♡ ヴァッスーラ、勇気を持ちなさい、敵をすべて打ち倒そう、勇気を 娘よ、追放の地 そして死の谷で生きるのが辛いのは分かっている、しかし私の愛を確信していなさい、傍らにいて 最も些細な事柄であっても助けよう。 愛があなたを愛している

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P24

 

これからも教えを 預言のようにして注ぎ出す・・・私は教えるのを喜びとする、特に私を喜ばせようと子どものように熱心で、気だてがよく、私に頼るしかないあなたのような霊魂を! そのような霊魂を悦びとする ♡

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P182

‘96・5・23 エジプト―アレキサンドリア

 

私です(I Am)。 ああ! 理解してくれたのを心から喜んでいる。 我が子よ、あなた方皆が、時間を捧げ、私に向って声を一つに祈るときは どんなに嬉しいか分かってほしい。 あなたと一緒に何でも分かちあう それがどんなに嬉しいか分かってほしい。 私は 愛だけを求める。 最愛の霊魂たちよ、私をいつも思いのうちに留めおくなら もうそれがどんなに嬉しいか分かってほしい。 私は 愛だけを求める。 最愛の霊魂たちよ、私をいつも思いのうちに留めおくなら もうそれで我が誉れとなる。 覚えておくように、小さなものごとを私は喜び この目にとっては大きなものとなる。 そこで私に愛されていると感じなさい。 私とあなた、あなたと私は、愛で結ばれている。 私、イエスは、礼拝の時間を捧げてくれたあなたを 祝福する。 我が平安を受けなさい。 ic

 

 

 

ランプのあぶら1・『花むこから花嫁への呼びかけ・ヴァッスーラの証の記録』P67

 

学びなさい。誰であろうと私を一心に喜ばせようと願って私のほうを向くなら、心から喜んで、そう、心から喜んでその人には特別な好意を示そう。そして、この人びとが自分たちの旅路を私とともに終えるよう、我が善良な姿を現わす。

 

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P99

 

イエスは、いつも私のかたわらにいるとおっしゃっています。私がなにをするときにもイエスはいつも私と一緒です。もしもなにかやりたいことを選びなさいと言われたら、いつもイエスのお側で祈ったり、お話しを聞きたいと思います。でも家庭では、料理をしたり、掃除機をかけたり、洗濯をしたり、あれやこれとやらなければならないことばかりです。イエスは私をご覧になって、こうおっしゃいます。「いいかね、私のためにやりなさい。これからやろうとしているすべてのことを、私に捧げなさい。愛情をこめて、私のために。そうすればあなたにとってつまらない雑事が、私の目には重要なものになる。もしあなたが愛情をこめてそれを行えば」。

 

 

 

 

4.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ70・8/天使館第1巻P627

 

イエズスは言われる。

 

「わたしのヨハネともう一人の弟子の間には、もう一つの対比があります。この対比はわたしの愛弟子の人柄をますます澄明にします。

 彼は『弟子』であるために、その考え方、判断の仕方までも捨てるような人です。我意がなく―自分自身を二の次にして―余すところなく自己贈与する人です。ユダは自分自身を捨てない人です。だから彼のは実在しない贈与です。そこには彼の自我、傲慢と官能と貪欲という病が巣くっています。彼は自分の考え方に拘(こだわ)ります。そういうわけで、贈与と恩寵の効果を相殺します。

 ユダは、不成功に終わったすべての使徒の元祖です。その数は厖大です! ヨハネは、わたしへの愛のために、自らをホスチアにする人の元祖です。あなたの元祖です。

 

わたしは、至高のホスチアです。そこに到達するのは難しいというよりも不可能です。わたしたちの生贄は、完全に苛烈を極めたものでしたから。しかしわたしのヨハネは! 彼なら、わたしの熱愛者たち、すなわち処女たち、童貞たち、殉教者たち、証聖者たち、福音宣教者たち、活動する、あるいは観想するのしもべとのしもべたちも模倣できるホスチアであり、皆のための一つの模範です。愛する人です。

 

 異なる物の考え方に注目してください。ユダは探り、詮索し、屁理屈をこね、人の揚げ足を取り、自分を責め、たとえ譲歩はしても、実際は自分の考えに拘ります。ヨハネは自分を無だと見なし、すべてを受け、理由を尋ねず、わたしを喜ばせて満足しています。これこそ鑑です。

 

 彼の単純さと情愛の深さを見て、あなたは大いなる安らぎを感じませんでしたか? おお! わたしのヨハネ! それからわたしの小さなヨハネよ。あなたがわたしの愛弟子にますます似てほしいと思います。この使徒のように、いつも『先生あなたのなさることはすべてよく、うまくいきます』と言って、すべてを受け入れてほしい。『あなたはわたしの愛のやすらぎだ』と、いつもわたしに言われる人になるために。マリアよ、わたしだって慰みを必要とするのです。それをわたしにください。あなたの休息のためにはわたしのを」。

 

 

 

 

5.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義85[]

 

天的な人の休息はイザヤ書に安息日により記されている―

 

もしあなたが安息日からあなたの歩みをかえし、わたしの聖い日にあなたの望むことを行わず、安息日の事柄をエホバの聖いものに対する歓び、尊いものと呼び、それを尊んで、あなた自身の道を行わず、あなた自身の求めるものを見出さず、また言葉も話さないならば、その時はあなたはエホバに歓ばれるものとなり、わたしはあなたを地の高い物の上に連れ行かれるようにし、ヤコブの嗣業[遺産]をもってあなたを養おう(イザヤ58・13,14)。

 

天的な人の特質はこうしたものであるため、かれは自分自身の願いに従って行動しないで、かれの『願い』である主の悦びたもうことに従って行動する。かくてかれは―ここでは『地の高い物の上に連れ行かれる』ことによって意味されているところの―内なる平安と幸福とを楽しみ、同時に『ヤコブの嗣業[遺産]をもって養われること』により意味されているところの外なる静謐と歓喜とを楽しむのである。

 

 

 

天界の秘義5949[4]

 

 この凡てから神を絶えず眼前に仰がなくてはならないということは如何ように理解されなくてはならないかが明白である。すなわち、それは神を絶えず考えなくてはならないということではなくて、神に対する恐れ、または愛が遍く支配しなくてはならぬということであり、そうした場合神は凡ゆる細々とした事柄の中においても眼前に仰がれているのである。こうした場合、その人間は神に反抗し、神の心をいためることを考えはしないし、語りはしないし、行いはしないのであり、もしそうしたことを行なうなら、遍く支配して、内にかくれているものが、現れてきて、かれをいましめるのである。

 

 

 

天界の秘義6107

 

「幼児」の意義は無垢の善

430,2126,3183、5608

 

無垢は最も内なるものから発して、仁慈の、また愛の凡ゆる善を変化させるものである。なぜなら主は無垢を通して仁慈へ流れ入られ、無垢に応じて仁慈は受け入れられるからである(2780,3111,3183,3994,4797,6013)。無垢の性質は小さな子供たちから以下のことにより鏡中におけるように認められることができよう。すなわち、かれらはその両親を愛し、両親のみに信頼し、両親を喜ばせる以外には何の思いわずらいももたないのであり、従ってかれらは単にかれらの必要のためのみでなく、またその歓喜のためにも食物と衣服を得ているのであり、かれらはその両親を愛するため、情愛の歓喜をもって、何であれ凡てかれらの[両親の]心にかのうことを為し、かくて両親の命じることのみでなく、また両親が命じようと願っているとかれらの考えることも為し、さらに何ら自己を求める思いも持たないのであり、その他幼児の多くの特徴は言わずもがなのことである。しかし小さな子供たちの無垢は無垢ではなくて、たんにそれに類似したものにすぎないことを知られたい。真の無垢はただ知恵の中にのみ宿っており(2305,2306,3494,4797)、知恵は小さな子供たちがその両親に向かって、今し方述べた方法でつくすように、愛の、また仁慈の善から主に向かって自らを振舞うことに在るのである。

 

 

 

 

6.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1984.1.21

 

 わたしの興味は、わたしのいった言葉を、あなたがたが実行することだけです。実行してこそ、あなたがたの心は、愛に暖められ、その魂は、わたしの光で照らされ、こうして、わたしは、あなたがたを内的に新しいものとすることができます。わたしがそうするのは、日々あなたがたが、イエズスのみ心を喜ばせることをするように導くためです。

 

 

 

 

7.マーリン・キャロザース

 

 

マーリン・キャロザース/あなたはいま幸せになれる/P246

 

 人はときとして私たちに大きないら立ちを与えるものです。あるいは、みなさんもすでに気づいておられるかもしれません。すべてがうまくいき、あなたは幸福感に満ちあふれている日があったとします。するとそこへ、いつもあなたをいら立たせ、あなたを怒らせるあの人がやってきます。さて、あなたはどうしますか?

 最近のことですが、親しい同僚のひとりが、私にははっきりまちがいだとわかることをしてしまいました。このことで彼と対決する前に、私は知恵を求めて祈りました。ところが、祈れば祈るほど、問題はややこしくなっていったのです。もし、私がこの人を助けるつもりなら、彼を傷つけるのではなく、助けになるやり方で対決する必要がありました。でも、この問題をどんな形で持ち出しても、彼は動転するだろうし、私がこの件で彼に言ったことに対して恨みをいだくに違いないと私には思えたのです。そう思いながらも、私は何か言うかあるいは何かをする必要を感じていました。しかし、いったい何をすればよいのでしょう?

 祈れば祈るほど、私は当惑を覚えました。祈りは、普通なら、喜びを与えてくれるのですが、このときばかりは違ったのです。いったい何が起こっていたのでしょう? 私は学んでいたのでした。あなたが同じような状況に直面するならば助けになるであろうことを学んでいたのです。

 主は私の霊に語りかけられ、ぺテロにおっしゃったことを繰り返して言われました。

「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネの福音書21章22節)

「主よ、そのとおりです。でも、私はこの人をどうしたらよいのでしょう?」

「あなたが関心を持つべきことはただひとつです。私を喜ばせることをしなさい」

「主よ、わかりました。そうしなければならないのはわかっています。しかし、何をすれば喜んでいただけるのでしょうか?」

「あなたが彼のことを考えている間は、平安はありません。彼のことは私にまかせなさい」

神さまのおっしゃることを聞いた瞬間、私には平安が戻りました。

他人は、神さまに属する人たちであって、私たちのものではありません! 他人の行ないを正すことの99%は神さまの仕事であって、私たちの仕事ではありません。両親とか監督者とか牧師の立場にあれば、ときには、他人の行ないを正す決定を迫られることがあるかもしれません。しかし、私たちのほとんどにとって、「主に仕える人たち」の行ないを正す責任を持つ立場になることはありません。神さまがなさるべきことを、私たちがしなければならないと思いつめるとき、ほとんど例外なくフラストレーションに陥り、喜びを失うのです。神さまが、イエスさまに似せて人を形作るという業を、しかも、私たちの手助けなど受けずに進めていらっしゃるのを知るとき、私たちの喜びはどれほど大きなものでしょう!

 

 

 

マーリン・キャロザース/信仰その驚くべき力/P78

 

 

 しかし、自分が神に喜んでいただけるほど良い人間ではないと知ったら、どうしたらもっと良い人間になれるかと、迷い続けることになります。

 でも、ある一つのことがはっきりとしてきました。それは、人が天国に入るために、もっと善人になる努力をすることなど神は要求しておられないことでした。確かに神は、善良で従順な神の子となるために、できることは何でもしなさいと人に求めておられますが、それは、私たちが、「神を愛するゆえに! 」その努力をしなさいということなのです。

 私たちが行う、または行わないことも、それが神を愛するためでなかったら何の意味もありません。子供たちが小さな贈り物をくれたとき、それが、私たちを愛するがゆえの贈り物と知れば、人間の私たちでさえ、それを高く評価するではありませんか!

 忘れないでください。人生でもっとも大切な目標は、どうしたら神を愛することができるようになるかを知ることです!

 

 

 

 

8.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P111

 

このよき御母はまたいらっしゃって、

“あなたがイエズス様をお慰めしたいと思うなら、何がみ主をお喜ばせするか教えてあげましょう。それは、自分の利害を少しも考えないで、ただ み心の光栄のためだけに、霊魂を救うよう凡てを捧げることです。”