あなたと話すのは 私の悦び

話し相手

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P135

‘96.1.27

 

あなたは 我が豊かさの実り・・・ 心たのしい子よ、天からあなたの部屋に下って来るのは 私にとって何であろう? 私の玉座を下り あなたを訪ねるのは何であろう? 見よ? そして私の香りであなたを薫らせるのは、我が子よ、私にとって何であろう? いっさいは 私にとって何でもない。 あなたは私が叩くのを聞いて 戸を開けてくれた。 あなたと話すのは 私の悦び。 訪れて、そのたびごと私の名をあなたに印すのは、我が誉れとなる。 私の香りであなたを薫らせるなら 我が王国はあなたのうちに確立する。 ああ、ヴァッスーラ、私との交わりは あなたの霊魂を夢中にさせている、その耳にささやくすべては いのちなるがゆえ。 私との交わりを受け入れ どのような時も私の前に歓んでいなさい、あなたの造り主 万物の父とともにいる悦びをもって。 知恵は子どもたちのもの、そこで子どもとして やって来なさい、我が現存のうちに遊ぶ(*)ときも。 我がみことばが中傷を招くと 恐れているのか?

 

*神は 私にウィンクされるとき、「遊んで」おられるのです。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P134

勝利を得る者には、いのちの木の実をたべさせよう(黙示録2・7)

‘43年8月18日

わたしは天の高みからもはや遠くない住まいを定め―そしてわたしたちは一つだから聖霊わたしと共に―わたしは語る。わたしはわたしを愛する心に住まい、そこではわたしの言葉はもはや囁きではなく、満ち渡るで語り、それはもはや切り離されず、連綿と持続する。その時、わたしは真の『』である。わたしは二十世紀にわたって倦むことなく群集に話しかけ、そして今、それに耳を傾けるすべを知り、わたしが恩寵の運河にする愛する者たちに語ることを無上のよろこびとするである。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P151

‘43.12.6

 

 同じ日の12月5日、朝8時、イエズスは言われる。「愛する人よ、辛抱してください。貴女と話さずにいることがわたしにはできない。わたしを愛してくれる者と語るのは、わたしの悦楽、わたしの希求、あなたたちを愛するわたしの心臓の必要なのだから。

 

 貴女は、心から愛し合っている新婚夫婦がどうするか見たことがあるか? 妻は家にいて始終時計を見、いつ彼が仕事から帰って来るかと落ち着かず、窓辺に駆け寄り、時の過ぎ行くのを待っている。夫は、辛うじて時間がとれるや、妻に愛の言葉を囁くためにオフィスを飛び出す。妻を残して家を出たばかりなのに、彼女を幸せにするあの言葉この言葉を言わなかったことを思い出して、仕事から解放されるやいなやそれを言うために妻のもとに馳せ参ずる。彼らに拍車をかけるのは愛なのだ。

 

 わたしも、語り終えるやいなやもう貴女に言うべき別の事を感じる。昼も夜も休む間もなく貴女と語りたいし、貴女の全部をわたしのものにしたいし、あなたがそのすべてをわたしに捧げてくれたらと願う。わたしがどんなに貴女を愛しているかを貴女が知ったら!

 

 今聞きなさい。数年前、わたしのしもべ福者コンタルド・フェッリーニの書いたものを読みながら、貴女は幾度となく自問していた―なぜなら神秘主義についてあなたは無知だったから―『での対話』とは何か、と。

 

 それはこういうことだ。貴女はわたしの言葉に耳傾け、わたしは貴女に語る時、祈りを表面上つぶやいている時、わたしは貴女を啓示の火の中に拉致し、わたしのものにし、貴女がわたしに『イエズス、来て、あなたの婢に語ってください』と言う時、貴女が、地球上の貧しい人々と渇いている人々に与えるために、金庫の中、水がめの中のように、貴女の内に預けてあるわたしの言葉の味を味わう時、その時、わたしたちは天での対話をしているのだ。