くまの日記 7月

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7月○×日
今日は 袋井にある 可睡斎に行ってきました
可睡斎は 遠州三山の一つで 室町時代から続く曹洞宗の名刹です。
可睡斎とは 変わった名前ですが 名前の由来には 家康が関わっています。
元は寺号を東陽軒と称していたのが 11代住職等膳和尚のとき、 今川氏の人質になっていた家康を助けたことから 家康の帰依 保護を受けた。
家康が 浜松城主になったとき 等膳和尚を城に招いたが 和尚は高齢のため 途中で居眠りをはじめ これを見た 家康が 「和尚睡る可し」と言った ということから 可睡斎と寺号を改めたということです。
ところが 等膳和尚が浜松へ行ったのは こんな呑気な話ではないというのが真相 のようです。
そのころの家康は 信長から命ぜられて 妻の築山御前を殺害 ノイローゼ状態。 等膳和尚は 家康をノイローゼから 解放するための祈祷をするため 浜松まで出かけたらしい。これにより家康も心が安定したという。
「睡る可し」と言われたのは 家康のほうだったとか。

 萬松山可睡斎本堂

寺の境内には 秋葉三尺坊大権現真殿があります。
秋葉三尺坊大権現は 元々は 秋葉山にいる 火防の神様です。
秋葉山は 掛川の北 春野町にあります。
三尺坊というのは奈良平安のころの実在の僧侶で信州にいたらしい。難行苦行の末 無量の神通力を得たということで、 一般には 天狗の姿で 秋葉山に降り立ったと言われています。神仏混合の世界です。
江戸時代には 秋葉詣でが盛んに行われ 街道には秋葉常夜灯が建てられたり 盛んに信仰されたようです。
明治になって 神仏分離で 秋葉神社と秋葉寺に分かれ、さらに寺は廃寺となったため 本尊をこの可睡斎に移したものらしい。
神社のほうは そのまま秋葉山にあります。神仏がややこしい。
東京の秋葉原にも昔 秋葉霊場があったらしい。

 本殿の屋根から覗いているのは天狗様か。

なお 可睡斎の隣りには ゆり園があります。 これは一見の価値があります。

7月△日
遠州七不思議番外編その2 相良町推薦「子生まれ石」
これは 結構不思議です。
岩壁から石が生まれるというのです。 私、早速行ってきました。
(なんか TVの三流芸能レポータ風になってきました。)
掛川の南東の相良町に大興寺というお寺があります。 そのお寺の裏山に流れる川の岸の岩から石が生まれるというのです。 600年位前から始まったらしい。
行ってみますと 確かに 岩から 丸い石が頭を出しています。 これが いずれそのうち 落下すると言うのですから不思議です。
この石は 代々寺の住職が 亡くなると一つ生まれると言われています。 今の住職が何歳か知りませんが 見渡したところ 近々転げ落ちる様子の 石はみあたりませんでした。
何故か石が落ちた凹跡も見当たらないのがまた不思議です。



大興寺では その生れ落ちた石を 代々住職の墓石(無縫石)としているということで、 お寺の方へ行ってみますと なるほど 瓢箪型の石が並んでいます。
なんとも いえない 雰囲気です。

 不思議な雰囲気が漂っています。

これは 七不思議に認定しても良いかも。

7月○日
ここで 1年以上かけた 総力徹底取材による 「遠州七不思議」のおさらいをしておきます。

 1.小夜中山の夜泣き石 (去年の6月)
 2.無間の井戸 (去年の6月)
 3.遠州灘の波の音 (去年の8月)
 4.三度栗 (去年の9月)
 5.京丸牡丹 (今年の4月)
 6.桜ヶ池のお櫃納め(今年の5月)
 7.片葉の葦 (今年の6月)

実は 遠州七不思議には この他にも いくつかの不思議があり それぞれの地域で
七不思議の中身がちがうようです。
夜泣き石、波の音、三度栗、桜が池 あたりは だいたい当確のようです。
私的には 京丸牡丹なんかいいと思いますが。

そこで 今日は「遠州七不思議 おらが村編」その1 大須賀町推薦の「晴明塚」に行ってみました。
掛川の南 大須賀町の大渕浜海岸の松林にあります。150号線沿いに小さな立て札 がありますが、よほど注意しないと通りすぎてしまいます。(3回行ったり来たりしてやっと見つけました。)
晴明とは あの陰陽師安部晴明のことです。昔 晴明がこの地を訪れたとき、津波の来襲を予知し、 ここに 赤い石を置いて熱心い祈った後 立ち去った。以来この地を津波が襲ったことはないという。
また赤い石には病気治癒のご利益があり 赤い石を一つ借りて帰り 病気が治ったら お礼に普通の石を一個つけて 返すと その石が一夜にして赤い色に変わると言われています。

    赤くない石もけっこうあります。 そりゃそうだ。


7月×日
以前 東海道中膝栗毛の掛川の部分がない と書いたら 先日 さいかち庵さんのほうから 掛川の部分のコピーを送っていただきました。 どうも 有難うございます。
掛川では 弥次さん北さんが 二人連れの座頭を 騙す話ですね。
日坂宿で一泊した 弥次さん北さんは 次の朝 出発、掛川方面へ向かいます。 「ふるみや誉田の八幡を打ち過ぎ」とあるのは 事任神社のことのようです。
しばらく行くと 「塩井川といふ所にいたりける」 とありますが、今の地図には塩井川という名の川は載っていません。  東海道は日坂の辺りから 逆川と並行し掛川に向かっていて、 事任神社から1.2Km位のところに塩井神社と言うのがあります。 この辺り の地名が塩井川原と言うので 塩井川は逆川のことではないかと思います。
塩井神社と言うのが また不思議な神社で 鳥居と神社の間に川(逆川)があって 橋はありません。

  鳥居の下の 急な階段を降りると 川が流れている。

さて 弥次さん北さんですが、塩井川に来ると、  昨日の雨で 橋がおちている。
ふとみると 座頭の二人連れが じゃんけんで負けた方が 勝ったほう をおぶって川を渡ろうとしている。
それではと 弥次さんが代わりにおぶさって渡る。 続く北さんは途中で気づかれ 川に投げ出され ずぶ濡れ。
このあと 掛川の宿の茶屋で 先だっての座頭が 今度は二人で酒を飲んでいるのを 北さん、 川に落とされた仕返しとばかり 横合いから座頭の酒を 飲んでしまう。
これも そばで見ていた子供がいて ばれてしまい 結局金をはらうことになる。
という 弥次北らしい話です。

道中は続き、「やがて 秋葉三尺坊の分かれ道にいたり」 さらに 「沢田、細田を打ち過ぎ」  二人は 袋井へ向かうわけですが 途中薄暗い砂川の坂道で 物乞いが出てきて 一瞬二人が肝を冷やす場面があります。
砂川という地名も地図にはありませんが 細田 沢田 と原川の間ということで 解説にも垂水川とありますから、岡津の善光寺橋辺りと思われます。

岡津善光寺。東海道ど真ん中の寺。

このあと 原川の松並木へと続くわけです。
これで 東海道中膝栗毛 掛川編を一通り踏破できました。


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