くまの日記 6月
6月×日
今日は、遠州七不思議シリーズ第二弾。
無間の井戸 を見に行きました。
無間の井戸は 掛川の北東の 粟ヶ岳(527m)の山頂にある 阿波々神社の 裏手にあります。 粟ヶ岳は 掛川の町からはどこからでも良く見えますが、粟ヶ岳の頂上から 掛川市を見渡すことは出来ません。 うっそうとした杉林でちょっと神々しい感じがします。 ただ 社務所のスピーカーから流れる 雅楽の音が興ざめです。 そういえば 森町の石松のお墓がある大洞院でも 食いネエ食いねえ寿司食いネエ の 浪曲が流れてましたっけ。
掛川とは反対側の大井川牧の原台地の一望出来ます。
この日は残念ながら曇っていて富士山は見えませんでした。


アパートの窓から粟ヶ岳を望む。

ところで 無間の井戸というのは次のような話です。
昔々 粟ヶ岳の山頂にあった観音堂に 無間の鐘というのがあったそうじゃ。 その鐘を撞くと、その人は大金持ちになるが、来世は無間地獄に落ちるといわれておったそうじゃ。
しかし、とりあえず金持ちになりたいという 欲深い人々が押し寄せてきて鐘を撞いたそうじゃ。 これを見かねた観音堂の僧が この鐘を井戸に投げ入れてしまったそうじゃった。 それでも人々は 井戸の底の金のご利益を信じて集まってきたそうな・・・。
その井戸が無間の井戸です。 井戸といっても 今は井戸のあとで 石があるだけですね。 


6月△日
今日は遠州七不思議の一つ 小夜の中山夜泣き石 を見に行きました。
中山峠というのは 掛川の東 日坂と金谷の間にある峠です。  夜泣き石のいわれは諸説あるようですが 要はこの峠で 妊婦が盗賊に襲われ 近くの久遠寺の和尚が駆けつけた時には 妊婦息絶えていたが 男の赤子が生まれており 大きな石が この赤子かばっていた。 和尚がこの子をつれて帰り 育てるのですが 夜な夜な この石が悲しげにすすり泣くという話です。 この時 子育てにつかったのが あの有名な「子育て飴」ですね。ばあちゃんのお気に入りです。
ところで、実は 面白いことに この夜泣き石が 中山には二つあるんですね。 一つは 国道1号沿いの みやげ物屋の裏手の階段を登ったところにあります。  東京方面から来ると左側に 夜泣き石の看板が出ているのでわかります。




夜泣き石ときたら 久遠寺となるはづなので 店のオジサンに お寺は何処か 聞くと 全然別の場所 だと教えられました。 国道からずっと離れた 旧東海道沿いにお寺はありました。
確かに 国道1号沿いにあるのがそもそもおかしいわけで 石だけ国道沿いに持ってきたのか  みやげもの屋の商魂か と思って、久遠寺境内に入りますと そこにも 夜泣き石の立て札とともに 大きな石がおいてあるではありませんか。 




ということは国道沿いの石は偽物か ますますみやげものやの商魂か
ところがところが どうも 国道沿いのが本物で 久遠寺のが偽物らしいのです。
もともとは 夜泣き石は 旧東海道の道の真中にあったらしいのですが 明治の初期に 久遠寺の和尚が買い取って 境内に移したらしい。 久遠寺から ちょっと離れたところに 石のあった跡という場所があります。
この和尚が商魂逞しい和尚で 浅草の博覧会の見世物にしようと 浅草まで運んだらしい。
ところが浅草の興行師が 張りぼての石のなかに赤子を入れて泣かせる という見世物で大当たりをとり 本物の石が やっと浅草に着いた時にはあとの祭りだったそうな。 やっぱり和尚ではプロの商魂には勝てない。 運び賃がかさみ 戻す途中の何処かに放置されたままに なっていたのを 小夜中山の茶屋「小泉屋」(国道沿いの店。久遠寺が石を買う時融資した人らしい。) が取り戻し 裏山に置いたということらしい。
それをまた 久遠寺が取り戻そうと 裁判沙汰にもなったそうです。当然久遠寺の負け。
  久遠寺は古そうなお寺で さびれています 徳川家康が植えた松とかあります。 隣りには 子育て飴を売っている 扇屋という 古い茶屋があります。
ばあちゃんお気に入りの子育て飴は 米と麦芽だけで造られていてさっぱりした甘さです。
何処ででも売ってるわけでは無いようです。 ご希望の方はご一報ください。

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