くまの日記 2月
2月△×日
掛川開発模様その2
前にも書きましたが この辺りはこのところ建設ラッシュです。 山を崩して木を切り倒し、アパートやら建売住宅がどんどん建っています。
何故こんなにアパートが増えるのか良く判りませんです。 わがアパートの3階なんか 4つのうち 2つが1年以上もあき室状態です。
山を崩しても 所々に 小高く木立が残る所があります。 そこは 大抵 神社のあるところです。さすがに氏神様を潰すわけには行かないのでしょう。 鎮守の森をギリギリまで削って 古い木を少し残し 新たに木を植えてます。
背後をバッサリ削られ 鎮守様も寒そうです。
こんなことをしてると祟りが・・・。

2月○×日
今日は 小笠山を散策しました。
小笠山は掛川の南に広がる山 というより丘陵のような感じで、 かなり広い範囲をさして小笠山といいます。東名にも小笠PAというのがあります。 (わが家から歩いてすぐです。時々裏口から入って そばを食べます。)
山の北側麓付近は わが家からの散歩コースになってますが、山頂付近へは これまでも何回か挑戦しましたが 途中で挫折しました。
今回は 車で 大きく南側に回って 何とか 山頂付近までたどり付きました。(案内板がなにも無い)
山頂付近には 小笠神社があります。由緒には 藤原鎌足が 孫娘の皇子誕生祈願を行い、 無事皇子誕生(後の聖武天皇)。 祈願成就の約束で大宝三年(703年)に建てられたとあります。
急な石段を登ったところにあります。

小笠山は 戦国時代 家康の山城でもあり 家康の御殿などもあったらしい。
家康が 今川氏真(義元の子)がたてこもる掛川城を攻めたとき(1569年) と 武田勝頼がたてこもる 高天神城を攻めたとき(1579年)に この  小笠山城を本陣としたそうです。神社の先に 砦跡の標識がありますが あとかたはほとんどありません。
小笠神社は尾根にあり、北側に掛川の粟が岳方面、南側に高天神城 遠く遠州灘が望めます。
遠州灘の波の音が・・・。

今回 小笠山への アプローチが判ったので これからもちょくちょく散策することにします。

2月×日
今日は 掛川と袋井の間の旧東海道をチャリで散策しました。
掛川の西のはずれに 「曽我鶴」があります。 江戸時代からの造り酒屋だそうです。「掛川城」というお酒を造ってます。この辺りでしか手に入らないお酒です。地酒ですね。
古さを感じます。(自販機がなければ・・・)

このあたりから 袋井の入り口 原川あたりに松並木が残っています。
根元を土盛してあるのが 江戸時代特有だそうです。
立派な松並木です。

道の横に 唐突に 大きな赤鳥居が立っていました。
富士浅間宮の鳥居だそうです。 神社本体はは 鳥居の北側約800mのところ にあるのですが 参道に当たるところには 今は 建物が立ち並び  国道1号や東名が横切っていてこの有様になっているようです。
重文です。

さらに 西に行くと 妙日寺というお寺があります。ここは この辺りを領していた 貫名氏の館の跡です。 貫名氏の4代目重忠の子があの日蓮聖人です。
日妙寺は忠重の遺徳をしのび開創したものといわれています。(1332年)
この寺には 別の伝説もあるのですが またの機会に・・・。
妙日寺本堂

境内では梅が咲いていました。

日妙寺の隣りは小学校です。袋井は東海道五十三次の27番目の宿場で 江戸と京都のちょうど真中にあたります。 袋井では 「どまん中」をキャッチフレーズにしていて いろんなところで「どまん中・・・」がみられます。
「どまん中小学校」


2月○日
掛川グルメシリーズ第6弾 ラーメン屋「若虎」です
国道1号沿いにあります。
外観から受ける感じとは違い 味はさっぱりしたなかにもこくがあって なかなかいけます。
チャーシューがうまい。
外観はかなりどぎつい



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