くまの日記 10月
10月××日
今日は 日坂の宿を訪ねてみました。掛川宿の東隣りの宿場です。
広重の絵では 小夜中山峠の夜泣き石のところが描かれています(10月○日)が 宿場は峠を下ったところ、峠の出入り口に位置してます。
東西700m位のこじんまりした宿場です。今も国道一号の北側に隠れるように 昔ながらの町並みが残っています。

東海道中膝栗毛では 弥次さん喜多さんは 雨の日の午後2時ころ この宿に入りましたが、 ある旅籠の軒先で雨宿りをしているとき ちょっときれいな娘が何人か泊まっているのを 見つけて そこに泊まる事にします。 あとで その娘たちが巫女であることが判って、弥次さんが 「そいつは面白そうだ。ひとつ 死んだかみさんの霊をよんでもらおうか。」 という事になります。 やがて出てきた女房と話をしているうちに、弥次さんは いんちきな巫女の話とわかっていても 思わずしんみりとしてしまいます。
膝栗毛のなかでも ちょっと泣かせる場面になっています。

ところで 弥次さん喜多さんも 次はいよいよ掛川。掛川では一体何をしたのだろうかと期待して読んできましたが、 (勿論 現代語訳。しかも子供向け。これしか無かった。)なんと 一気に浜松までとんでしまった。 原本もそうなのかしらん・・・・。

手前が旧東海道 真中が国道一号 高架が最近開通したバイパス。

宿場の西端にある秋葉信仰の常夜灯。江戸時代末期の建立です。

当時そのままの旅籠 川坂屋。脇本陣格の高級宿だったらしい。

  

昔の旅籠には 今の旅館と違って 部屋に布団を入れる押し入れというのが無いのです。
そもそも 布団なんていうものを使わなかったのです。庶民は大部屋で雑魚寝が普通だったそうです。と説明してくれました。

こちらは 庶民向けの旅籠。萬屋。弥次さん喜多さんが泊まった所かも。

 扇屋 本陣跡。 今は幼稚園。

日坂のマンホールの蓋。



10月□日
今日は天竜浜名湖鉄道(通称天浜線)にのって郊外を散策してみました。

のんびり走ってます。歩いてる人はこの電車を降りた人です。

街をはずれると 美しい田園風景が広がっています。

途中に休耕田のコスモス畑がありました。



10月△日
今日は広重の五十三次、掛川宿で描かれている場所に行ってきました。
広重の掛川宿。左側が切れちゃいました。 本当は秋葉参り帰りの坊さんの姿が描かれています。
国道一号 大池橋

旧東海道は 国道一号の南側にありますが この大池橋の手前4〜500m位のところ(十九首塚のあたり)で
北に曲がり、国道一号と合流しています。 橋を渡ったところで すぐ また左に入って 国道と離れます。
旧東海道が 川の手前がちょっと高台になっているのを迂回しているようです。
橋を渡ったところを 右に行くと 秋葉道となります。つまりこの場所は 東海道と秋葉道の分岐点になってます。
広重の絵の右上に描かれているのは秋葉山といわれていますが 実際には見えません。 

10月○日
今日は 島田の宿から 越すに越されぬ大井川の様子を見に行きました。
島田といえば 思い出すのはMさん。
あなたぁ〜のリィードでぇ〜 島田もゆれる〜 芸者ワルツはぁ〜
と座布団を抱いて踊るのがMさんの宴席の定番です。 新入社員歓迎会では、必ず新人を舞台に並ばせて実演させてましたっけ。今では考えられない光景ですね。
大井川は 駿河の国と遠江の国を分けています。
雨が降って川の水位が上がると 川止めとなり 旅人は 島田宿で足止めとなります。 そのため 島田宿は 大いに潤い 栄えたようです。 なにかと派手好みで、帯祭りというような絢爛豪華な祭りもあるようです。 島田髷のような派手な髪型が生まれたのもうなずけます。
対岸の金谷も事情は同じですが こちらは質素な感じです。やはり お国柄でしょうか。
向こう岸は金谷の宿。牧の原台地を望む。

東海道は大井川のところで行き止まりになっていて 河原は公園になっています。 川越えのための連台(人を乗せて人足が担ぐ) などが展示されています。(写真左下)
近くには大井川川越遺跡として昔ながらの家並が残っています。

川止めがあけた時の様子を 十返舎一九は
いそぎ川ばたにいたり見るに、往来の貴賎すき間もなく、この川のさきを争ひ越へ行く中に、ふたりも値段とりきはめて、 蓮台に打ち乗り見れば、大井川の水さかまき、目もくらむばかり、 今やいのちをも捨てなんとおもふほどの恐ろしさ、たとゆるにものなく、 まことや東海第一の大河、水勢はやく石流れて、わたるになやむ難所ながら、 ほどなくうち越して蓮台をおりたつ嬉しさいはんかたなし。
「蓮台にのりしはけつく地獄にて おりたるところがほんの極楽」
かくうち興じて、金谷の宿にいたる。
とあらわしています。

川会所 川越の切符(川札)売り場
番札 川札をお金に換えるところ

河原の公園には 広重の東海道五十三次の版画も並んでます。
広重の島田の宿

広重の五十三次を眺めていて気が付いたのですが 金谷の次の日坂の宿 の版画を見ると 道の真中にある大きな石を 旅人が不思議そうに見ているところが描かれています。
これが あの小夜の中山 夜泣き石なんですね。
広重の日坂の宿
石のあった辺りは 実際はこんな急な坂道ではないです。
掛川の宿の版画も 写真を撮ってきたので 後日 現在の同じ場所の写真と並べて 掲載してみます。

10月×日 
今日は金谷から旧東海道石畳を昔の旅人の気分で歩いてみました。
  JR金谷駅から 急な坂を登って国道に出たところから 石畳道が復元されています。
杉の木立に囲まれてますが、 かなり急坂です。でこぼこしていてとても歩きにくいです。
だけど石畳がない頃は、ぬかるんだ坂道で スッテンころりん、 旅人が難儀をしたそうです。
それで 金谷宿の旅人サービスで石畳だできたとか。
途中にすべらず地蔵というのがあります。
受験生が願をかけにくるらしい

700m位登ると 石畳は終わり 牧の原台地に出ます。
さらに 平坦な道(自動車道)を500m位進むと、今度は下り道の 菊川の石畳になります。

  こちらは視界が開けていて、粟が岳が望めます。
この先下ると 今度は小夜の中山峠の登りになり 例の 夜泣き石となるわけですが 
今日は 菊川の石畳で引き返しました。             


掲示板はここをクリック
戻る