くまの日記 7月
7月△×日
今日は 掛川の自然破壊の様子を見に行きました。 


この道路は 東名掛川インターから 静岡スタジアム エコバ までの直通道路です。
先ごろ行われた ワールドカップ 3〜4試合のために、
途中にある小笠山を崩して 突貫工事で 完成させてました。
建設中は ダンプの行列で 土煙がもうもうとしてました。
この他も 掛川は工事ラッシュで ここ2年位の間に わが家の周りの 緑の小山が  幾つも突然消えてしまいました。
何か 地形が変わって風向きも変わってしまったようで、
来た当初は いつも吹いていた強風(遠州空っ風)が  最近は 弱まってしまったような気がします。

7月×日
今日は ここ掛川へ来たときに  驚いた風景です。 


これは 利神社のそばの東海道本線の踏切ですが、 なんと 「サオを車で押して出る」という札が下がってます。 踏切に突っ込めというのか!!

7月×△日 Rev.2
今日は 大日本報徳社へ行きました。


大日本報徳社というのは あの有名な二宮尊徳の教えを広めるために設立された  ものです。 ここ掛川が本社です。門には 経済門と道徳門と彫られています。 経済と道徳の調和が大切であることを示してます。 この辺は 調布の専門分野ですかね。


講堂。明治時代の立派な建物です。 だいぶ老朽化が進んでいるようです。


正面右側。外壁も剥げ落ちています。


仰徳学寮。
報徳社の近辺は 他にも明治の木造建築が 少しだけ残っています。

ちょっと風情のある民家です。


武家屋敷跡の白壁。

7月△日
今日は わが家から歩いて20分位のところにある 十九首塚に行って来ました。



十九首塚は 平将門とその一族の首塚です。940年におこった 平将門の乱で討ち取られた将門以下19人の武将の首が 常陸の国から京へ送られる途中 京から来た首実検の使者とこの地で 行き会い ここで首実験が行なわれたそうです。 
首実検のあと 捨てられていた首を地元の 住人が懇ろに葬り 十九の塚を建てて 守り神として供養したそうです。
今でも掛川市十九首町という町名になっています。 近くには 首実検の時に首を洗ったといわれる血洗い川が流れてます。
また 川のところで首を 懸けたので掛川という説もあるようです。
先月行った時には この写真とは少し離れた 場所で 本当に安アパートの軒下みたいなところに 一つだけ残った塚(写真の真中にある塚で 将門のものといわれている) があったのですが 最近 ちょっと小公園風に整備して 塚も18人分新しく建てたようです。
守り神として町名にまでなっているのに 粗末に扱ってきて気がひけたのでしょう。 

7月○日
今日は わが家の近くにある 利神社に行って来ました。 会社からの帰りはいつもこの利神社の前を通ります。小さな寂れた神社で気にも止めていなかったのですが、 最近 司馬遼太郎の 竜馬が行く を読んでいたら この利神社が出てきました。
たしか 竜馬が水戸藩士の用心棒として 江戸から京へ上る 途中 この掛川の宿の利神社で 刺客に襲われる場面だったと思います。
 ここなんだあ と思ってみてみると 杉の木立なども 大木で 古さを感じさせます。 能書きによれば 利神社は地元の氏神で 延喜年間 西暦901年頃からの神社のようです。
竜馬が行く では 杉並木が宿場町の方から続いているように描写されていますが 今は神社のすぐそばまで 住宅が迫っています。 裏手のほうは 未だ 杉の森が残っていますが つい最近また森の一部が削られて アパートが建ちました。



掲示板はここをクリック
戻る