くまの日記 5月
5月○×日

お代官様のお屋敷を見てきました。黒田家代官屋敷。小笠町にあります。
江戸時代の小笠地方のお代官様の屋敷がそのまま残っています。
お屋敷の周りには堀をめぐらし 立派な長屋門を構えています。 間口68尺といいますから20m以上あります。
門の屋根にあるのは置千木というものだそうで11本あるのが 家の格式の高さを表しているのだそうです。
 お代官様の権勢が偲ばれます。ムッフッフ お主も・・・。

 堀には専用船着場もあります。

5月△日つづき
浜岡砂丘にも行ってみました。
ここには 遠州七不思議シリーズ第3弾「遠州灘の波の音」 で紹介しましたように 波小僧の像があります。波の上に小僧で ちょっと安易な感じですが・・・
 漁師の息子って感じです。

砂丘に沿って一面の松林になっていますが、 所々に、薄紫色の なかなか美しい花の木があります。 栴檀という木らしい。
あの「栴檀は双葉より芳し」の栴檀とは別物らしい。双葉が芳しい栴檀は白檀(びゃくたん)のこと。
こっちの双葉は芳しくない。
古語では楝(あうち)と言うそうで 万葉集にも詠まれているようです。
さいかち庵さん向けに一首。
「妹が見し楝の花は散りぬべし わが泣く涙 いまだ干なくに 」(憶良)
また泣いてますね。
大伴旅人が奥さんを亡くしたときの歌だそうですが 、これも難しい。
 実や樹皮は漢方薬になるらしい。

*枕草子にも
 木のさま、にくげなれど、楝の花いとおかし。かれがれにさまことに咲きて、  かならず五月五日にあうもをかし。
 とあります。

5月△日
遠州七不思議第6弾 「桜ヶ池のお櫃納め」です。
桜ヶ池は原子力発電所やゴルフ場で有名な 浜岡にあります。
池のほとりには 池宮神社があります。
池の三方は 鬱蒼とした原生林の山にかこまれています。
神々が住むところとして、立ち入り禁止になっています。 近くまで行ってみますと、風の音がさわさわとなにやら神々しい感じをかもしだしています。
お櫃納めというのは 毎年秋のお彼岸に 行われる奇祭で、 赤飯を入れたお櫃を池に沈めるというものです。
このいわれは といいますと、
平安末期のころ 比叡山の高僧で 浄土宗を開いた法然上人の師匠でもある皇円阿闍梨という坊さんがいまして、 比叡山で難行苦行の修行をしていましたが、どうしても仏道を極めることが出来ない。  お釈迦様から教えを受けたくても もういない。 そこでお釈迦様が亡くなってから56億7千万年後 に姿をあらわすという弥勒菩薩に教えを受けるしかない と考えたのです。
ところで このもっともらしい数字の根拠が良く判らない。 なんでも 弥勒菩薩は 1日が現世の400年 に相当する兜率天(とそつてん)というところで 現在も修行しているらしい。修行をはじめてから未だ4日くらいしかたってないんですね。 この修行を4000年続けないと この世にもどってこないらしい。 そんなこんなで計算すると  ちょっと桁があわないけど・・・ まっいいか。
そして 皇円阿闍梨は 弥勒菩薩に会うためには この世で最も長寿とされている大蛇に化けて その時を待とうと決心したのです。
大蛇となって住むのに どこか良い場所はないかと弟子たちにはなしたところ、法然上人が それなら 遠州に桜ヶ池という静かで美しい池があります。  ということで 皇円阿闍梨は この池で大蛇となって住みついたということです。(1175年)  まあ、お亡くなりになったということですな。
その後 法然は 毎年 供養のため 檜のお櫃に赤飯を入れて池の中に奉納しました。 その行事が 親鸞上人や 熊谷直実(源平合戦の例の事件のあと出家した。)たちに引き継がれ、 現在も続けられているということです。

この辺りの地名は佐倉となっていますから、桜ヶ池の桜は 後世の当て字のようです。

 三方を山に囲まれた 静かな池です。

 皇円阿闍梨大竜神とあります。 神仏一体です。

池のそばに お櫃納めの様子を描いた看板がありました。 遠州灘の荒波で身を清めた地元の若者によって 行われるようです。もともとは 池宮神社の神様用と皇円阿闍梨用の二つのお櫃だけだったのですが、 最近は 百個くらいのお櫃を沈めるらしい。 だんだん願い事が増えてきたためでしょうか。
 竜の目が・・・。

浜岡に来たついでに 中部電力浜岡原子力発電所に寄って 原子炉の安全性について 視察してきました。
電気自動車の試乗のイベントがあったので試乗してみました。思ったより加速性能は良好のようです。 原子力発電とは何の関係もありませんが とにかくクリーンなイメージを出そうと懸命です。何故か風力発電の風車も動いてました。

 原子力館。PR施設も巨大です。

 展望台から 発電所を見渡し 放射能もれがないかチェック。

5月×日
バードウオッチング。  まーえから気になっていたんですが、 やっと 名前がわかりました。 「セグロセキレイ」(背黒鶺鴒)というらしい。 東京では 見かけませんが ここらでは いたるところにいます。
(それで 気になってました。)
 本当は飛んでるところがいいんですが・・・。


5月○日
大日本報徳社の北側あたりを散策しました。
龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんだいゆういんおたまや)という おどろおどろしい名の 建物があります。
三代将軍家光の霊を祀ったものです。
何故掛川にこんなものがあるのかというと、当時(1565年)の掛川城主 北条氏重には嗣子がおらず お家断絶の危機にありまして、 氏重さんが 幕府のご機嫌取りのために 願い出て この霊屋を建てたということです。
しかし この氏重さん必死の策も空しく 氏重さんの死後 あわれ お家は断絶 領地没収とあいなり、 立派な霊屋だけが残ったという次第。

 なかなか 手の込んだ建物です。



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