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第二中間期は、エジプトが始めて、外国からの脅威に晒されることを知る時代である。便宜上「ヒクソス」と呼ばれるアジア系の部族によって下エジプトの中心地メンフィスが奪われ、東方の神々が外国の文化とともにやって来る。エジプトの王や民たちは、自分たちの神とともに上エジプトのテーベへ引っ込むしかなかった。

砂漠の主セト神を守護者とする下エジプト、古来の神々の残る上エジプト。
やがて時が満ちると、第17王朝の王たちの、下エジプト奪回を賭けた長い戦いが始まる。

※「ヒクソス人」とは
「異国の支配者」を意味する「ヘカ・カスウト」に由来する呼び名。
マネトーが書く様に一度に大挙して押し寄せたわけではなく、実際は、中王国時代から少しずつ移住が行われていたようだ。
また、「ヒクソス」は単一の民族ではなく、実際は多数の部族をまとめて便宜上呼んでいたともされる。(その意味では第14王朝の王も一部はヒクソスであった可能性がある)

※第二中間期の開始時期について
第13王朝または第14王朝の半ば以降を「第二中間期」とする分類方法もあるが、12→13王朝がスムーズに切り替わっていることと、第14王朝は13王朝と並列だったため、ここでは15王朝以降を第二中間期として紹介する。

時代区分 王名 埋葬地
第十五王朝
(ヒクソス人王朝)
?−前1530年頃
セムケン -
アペル=アナティ -
サキルハル -
キアン -
アペピ -
カムディ -
第十六王朝
(テーベ王朝・
第十三王朝の末裔)
?
ジェフティ -
セベクヘテプ8世 -
ネフェルヘテプ3世 -
メンチュホテピ -
ネブイリアウ1世 -
ネブイリアウ2世 -
セメンラー -
ベビアンク -
セケムラー・ジェドワセト -
デドゥメス1世 -
デドゥメス2世 -
メンチュエムサフ -
メンチュヘテプ6世 -
センウセルト4世 -
アビドス王朝
(別のエジプト人王朝)
前1650年頃−1600年頃
セネブカイ アビドス
残り15人程度の王 -
第十七王朝
(テーベ王朝)
?−前1540年
ラーヘテプ -
セベクエムサフ1世 -
アンテフ5世
(インイオテフ5世)
ドゥラ=エブ=ナガ
(テーベ西岸)
アンテフ6世
(インイオテフ6世)
ドゥラ=エブ=ナガ
(テーベ西岸)
アンテフ7世
(インイオテフ7世)
ドゥラ=エブ=ナガ
(テーベ西岸)?
セベクエムサフ2世 テーベ西岸
タア1世
(セナクトラー・タア)
テーベ西岸
タア2世
(セケエンラー・タア)
テーベ西岸
カメス テーベ西岸


◆第二中間期前後の勢力概要

■新たな信仰の樹立・神々はいかにしてエジプトに来たか


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