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第二中間期前後の勢力概要



この時代は特に資料が少なく、頻繁に資料が書き換わっている。そのため、10年前に出版された本とさいきん出た本では書いてあることはかなり違う。最新の状況に追いつきながら更新していくのはまずムリなので、「今のところだいたいこんな感じ」という目安として捕らえてもらいたい。なお、定説とは「賛同者がある程度居る説」のことであり、「現在正しいと信じられている説」ではない。細かい年代や王位継承順については今も論争が続いており、人によって支持する説が異なることには留意されたし。


* 現在の定説概要 *


中王国の崩壊は劇的なものではなく、段階を経て次第に支配力を失っていったものと考えられている。
第12王朝の時代からナイルデルタにはパレスチナ方面からの移民が増えており、それが独自コロニーを作ったのが第14王朝とされる。ナイル第13王朝の最後の100年間はナイルデルタ付近の支配権を完全に失っていたようだ。ただ第14王朝は拡大路線ではなかった。長らくナイルデルタのせまい範囲から出ることはなく、ために第13王朝との平和的な共存が出来ていたものと思われる。

しかし東方から新たに好戦的なヒクソス人が流入して第14王朝を傘下におさめると、エジプト人王朝である第13王朝との対立は決定的なものとなる。イチイタウィは放棄され、王朝首都は上流のテーベへと移される。第16王朝の開始だ。中王国時代・第11王朝の始祖たちはテーベ出身のため、これは祖先の地へ帰ったということでもある。
第16王朝と、第17王朝の間が区切られている理由はよく分からない。首都は変わらずテーベ、エジプト人王朝である。

第二中間期と呼ばれる時代は、紀元前1650年頃から1550年頃のおよそ100年間。
その前後は非常に多くの王たちが即位しては消えていった。名前しか分かっていない王も多数おり、アビドス王朝については近年になってようやく発見・存在が確定された。表には載せていないが、第二中間期にはエジプト人王朝は南部ヌビアの支配権も失っており、南方にヌビア人王朝という勢力も存在する。ナイル上流から、ヌビア人王朝、テーベを首都とするエジプト人王朝、アビドス王朝、アヴァリスを首都とするヒクソス王朝の4つの勢力がせめぎあい、小競り合いを繰り返していたのがこの時代と言うことが出来るだろう。

ヒクソスとの全面戦争に発展したのは、ヒクソス王朝が始まってからおよそ90年後、第17王朝末のことだったとされる。
長い年月をかけ、その戦争に勝利し、分裂していた国土の再統一が達成されたのち、新王国時代・第18王朝が始まる。