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今年の海外旅行は、、冬のポルトガルを旅する事にした。
私達が学校で習う歴史でもお馴染みですが、1543年
(天文12年)種子島にポルトガル人が漂着したのを切っ
掛けに日本が初めてヨーロッパの存在を知り、日本が歴史
上最初に交流したヨーロッパの国、ポルトガルに旅する事
は日本の近代化のルーツを探る意味で、大変興味のある旅
になりそうだ。
午前11時過ぎ、成田空港を飛び立ち、ロンドン「ヒース
ロー空港」で乗り継いで、おおよそ20時間(5時間の乗
り継ぎ待ち時間込)でようやく夜も更けた10時過ぎにリ
スボン空港に到着した。

最近は何処の国も空港のテロ対策が一段と強化され、帽子
や上着、ベストやベルトは勿論の事、靴まで脱がされるが
肝心の確実正確に運ぶ本来の目的が手薄になっているのか
今回も参加者のスーツケースが一人だけロンドン空港で積
み忘れが発生、行方知れずになってしまった。事故の処理
手続等で時間を取られ、ホテルへ着いたのが11時過ぎ、
荷物の整理や風呂等で就寝したのが日を挟んで1時を回っ
ていた。

真冬の日本、其の中でも特に雪深い日本海側から来た私に
とっては、ポルトガルのリスボンはとても暖かく感じた。
雨は今日の昼間に少し降った様だが、道路の一部が濡れて
いる程度。冬場のヨーロッパ旅行はイギリスに次いで2度
目、ロンドンは雨、霧、寒いの三拍子、観光どころでは無
かった経験から、今回も価格が安い分、観光環境が相当悪
いのだろうと、半ば覚悟して来たが、道路沿えには街路樹
としてヤシの木やオレンジの木が植えられており、暖かい
空気が町全体を包んでいる印象で、地中海沿岸の温暖な国
々を思い浮かべてしまった。
添乗員の話では、ここ暫らくは好天が続くと、予報が出て
いるとの事、願わくば的中して欲しいと願うばかりだ。



ポルトガル豆知識

現在の日本語の中にもポルトガル語を語源とする言葉が今も沢山使われている。シャボン、
天麩羅、トタン、ジョウロ、タバコ,ラシャ、オルガン、キリスト、キリシタン、オンブ(背負う)、
コップ、カステラ、金平糖、合羽、サボテン、カルタ、ザボン、パン、フラスコ、ブランコ、ボタン
、メリヤス、ヨーロッパ、ロザリオ、ピン(→キリ)、ビー玉、チャルメラ等々まだまだ沢山有り
ます。
一方日本語がポルトガル語になったのも沢山あ、,カタナ(刀)、ビョンボ(屏風)、ボンゾ(坊主
)、カキ(柿)、ダイミョウ(大名)、ファシス(箸)、カラオケ、キモノ(着物)、ジュジツ(柔術)等々
国交当初は此れほど深い交流が有ったが、当時のポルトガルは宣教師ザビエルに寄るキリ
スト教の布教をてこに、途上国を植民地化し、富を搾取しようとする下心が露骨で、キリシタ
ン大名やキリシタン信徒の拡大と不穏な動きに危機感を感じた当時の権力者、豊臣秀吉の
時代に国交を断絶した。
その後ポルトガルの国力が衰退した事と相まって、日本との交流が疎遠になって今日に至
っている。日本はポルトガルを追放した後、純粋に貿易だけを目的としたオランダを中心に交
易し、明治維新まで続いた。
ポルトガルはイベリア半島南西部、国土面積は日本の約4分のT  人口は日本の約10分
のT  首都リスボン の人口は70万人(首都圏は250万人)政体は共和制、EUに加盟 
 宗教はカトリックが97%  言語はポルトガル語



二日目(1月11日火曜日)

リスボン→ロカ岬→シンドラ→オビドス→アルコバサ→ナザレ、ホテルの部屋は思っていた
より格段に良く、設備も満足出来る内容だった。朝食は格安団体ツアーなので当然の事、
アメリカン・ブレックファーストだったが、観光OFFシーズンだったせいか?、それともポル
トガルが物価が安いせいか?、JTBが力が有るせいか?思ったより内容が充実しており、
品数も多く、全く問題無く美味しく頂く事が出来た。
早朝空を見上げると、空気は暖かいが、どんよりとした曇り空、雨が降らなければ良いがと
、念じつつ出発。パラパラと小雨程度の雨が一瞬降ったが、行動に支障をきたす程では無
く、ロカ岬で傘を短時間さした程度。

ヨーロッパの観光と言うと、世界遺産の教会や城郭、中世都市などが主な見学コースだか
ら、観光している内に、どれも皆同じように見えてしまう。少し混乱してしまう感が有るが、
目を見開き、頭をフル稼働させ、気分を高揚させて態勢を立て直さないと、折角の旅が残
念な結果に終わってしまうので、気持ちを新たに貪欲な知識欲で明日から望む事にする。

夕食後ホテルに入り携帯電話に電源を入れたら、日本から電話が入っていたが不在にな
っていたので、電話を掛け直す。
最近の海外ローミングでの携帯電話は、以前なら考えられない便利さで、日本国内に居る
のと全く同じ操作で、国内のとなりの町から掛けていると何の違いも無く会話が出来る。
技術の進歩を再認識する。



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ヨーロッパ最西端到達証明書

ポルトガル国旗

ロカ岬

こんなお土産が最適
オビドスの酒「ジンジャ」


サクランボを漬け込んだ果樹酒 口当たりが
良いからと言って飲み過ぎない様に、アルコ
ール度は18%〜20%ワインより少し強め。
思い出インフォメーション

グーグルアースのお勧め、「グーグルアース」は
衛星写真に航空写真、地図、さらに3Dグラフイッ
クを駆使し、地球を丸ごと閲覧出来るソフト、無料
で配布されているので、是非利用をお勧めします。
今回旅したリスボンを検索すると、世界遺産のジェ
ロニモス修道院やベレンの塔、発見のモニュメント
等今自分がそこに立って周囲を見渡している其の
ままに、臨場感を持って体感出来ます。
私達が乗って来た観光バスの駐車場脇、出発の
時間を待ちながら、腰掛けたベンチの場所まで
ありありと確認出来、旅の思い出が一層鮮明に
再現出来ます。是非利用をお勧めします。



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三日目(1月12日水曜日)

ナザレ→バターリャ→ファティマ→アベイロ→ポルト
朝4時頃目覚める、昨夜は早めに就寝したため、睡眠時間は十分、快適な目覚め。
出発時間は、ゆとりの9時、天気が良ければ早起きして、「ナザレ」の町を散策する予定。
雨は心配なし、天気も良さそうだが、それでも気になってホテルの窓から度々外を眺める
が、一向に明るくならず現在7時過ぎ、未だに真っ暗で日本より夜明けが相当遅い様に思
われる。
やっとうっすらと白みかけた街や海岸を散策に出掛ける。人気も無く、夏場の観光シーズ
ンはさぞかし賑わったと思われる広々と広がる砂浜、日が昇り暖かい光が街を包み込み
始めると、夏場のリゾート地の雰囲気を彷彿させる海岸通りは旅情を誘う。

ポルトガルへ来てまだ数日なので本当の事は分からないが、この間で見聞した限りでは、
国の経済が順調とは言えないように見受けられた。歴史地区の建物が古いのは当然とし
ても、手入れが行き届いているとは言え難いし、日本などは、ビルの新築がそこら中に行
われているが、ポルトガル観光をスタートしてから現在まで、徒歩や車窓からでも、建築
中の建物を見掛ける事が無かった。
街の至る所、落書きだらけ、此れはヨーロッパの何処の都市でも同じ惨状で、似たり寄っ
たりだが、ヨーロッパやその周辺の国々の国民性か、まったく気にならないらしい。
日本人は完璧主義か、綺麗好きか、たまに落書きなどが目に付くと、大騒ぎになり、新聞
などに大々的に取り上げられたりするのを良く見聞きするが、こちらの国々は日本と大違
いで、何年か前に日本の学生が大聖堂の壁に落書きをした事で話題になり、泣きながら謝
りに行ったのがニュースになっていたが、ヨーロッパの国々の現状を見れば、大した問題
で無い事が良く分かる。

北アフリカの都市の様に小さな店が雑然と古いビルに入居して商売しており、夜になると
外灯の間隔が長いためか、道路は薄暗く、何故か一般家庭の灯りが殆ど外に漏れて来な
い。商業施設の灯りも抑え気味で、町の灯りで夜空を照らし、煌々と浮かび上がる、明る
い日本の町を見慣れている私達は少し異様な感じさいする。

当初の心づもりでは、真冬で雪さえも降りかねないと思って、防寒具も其れなりの準備をし
て来たが、今日までの二日間で見る限り、反対の方に予想が外れて温暖で、気にする程
の雨にも会わず、観光シーズンオフ期間の関係と思うが、観光客は少なく快適な観光が
出来ている。この調子では冬の防寒具は不要で、日本で言えば4月頃の暖かさ、ヨーロッ
パ大陸は大寒波が襲来し、フランス、ドイツ、イギリス等の都市では大混乱していると、ニ
ュースで流れていたが、ポルトガルは北大西洋海流の影響とオリーブの植生に最適な地
中海性気候のエリアに含まれている関係で温暖な気候なのだと思う。




ナザレ

映画の主題歌でアマリア・ロドリゲスが歌ったファド「暗いはしけ」で一躍有名になった港町
、さぞひなびた時代に取り残された漁師町かと思いきや、南フランスのコートダジュール
やプロバンス、スペインのコルソ・デルソルに似た長い砂浜に沿って広がる海のリゾート地
であった。夏場は海水浴客で賑わうそうだが、冬場は人気も少なく、観光客目当ての店は
殆ど閉まっており、閑散としていた。日本の冬場の海の観光地と違い、風景、空気が明る
いので、裏寂しい感じは無かったが、いま一つ盛り上がらない趣きだった。




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高台の町より海岸通を望む



ファティマ
聖母マリアの奇跡が起こった聖地

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アヴェイロ


ポルトとコインブラの間に位置するアヴェイ
ロの街は入り組んだ潟が内陸に大きく食い
込んだ、自然の良港

駅はアヴェイロの風景を描いたアズレージョ
(陶板)で美しく飾られている。

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アヴェイロのお菓子「オヴォシュ・モーレシュ」

15世紀修道院の修道女が作り始めたもので、小さな
魚や貝殻の形をした白い煎餅状の薄皮の中に黄金色
の卵黄クリームがたっぷりと詰まっている。
見かけは最中そっくり。 お土産に購入した。

奥に見える透明な袋はポルトガルが本家の(日本名)
金平糖、日本のものより粒が小さく、味もイマイチ、
日本の金平糖が数段美味しく思われた。



四日目(1月13日木曜日)

ポルト→ギマランイス→コインブラ
ポルトガル国名の由来の地、ポルトは暗くなってからの到着だったので、バスの中から見る
限り、今迄の町と同じく暗く沈んだ印象だったが、夜が明けて観光に出発すると、さすが街
全体が世界遺産に指定されるだけの価値があると、今迄の印象が一変した。
天気は快晴、ドロウ川を挟んだ景観は正に息を呑む素晴らしさ、14〜15世紀には良港であ
る事を活かしてポルトガルの海外進出への拠点となった港町、対岸にはポートワインの醸造
所が立ち並び、積出し湾としても繁栄し、かって運搬を担っていたラベーロ(帆船)が川岸に
係留されている光景は、一服の絵になる。
そうだ過去に見た事のある景観だ! 平成18年5月下旬に旅したハンガリーのブダペストに
そっくり、ドナウ川の両岸の美しさ、そのままに思い出が蘇えった。
自由時間を利用しポルトのランドマーク、グレリゴ教会の塔に登る、細いらせん状の76メー
トルの石段は息も切れるが、旧市街地の眺望が素晴らしく、苦労した分心に残った。



水彩画10号



対岸から世界遺産の旧市街地を望む


ポートワインの貯蔵庫


ポルト市街


国内最古のコインブラ大学と図書館

蔵書は30万冊、華麗な金泥細工による内部装飾や調度品、全て皮張りの蔵書、異次元
(中世時代)に迷い込んだような驚きと、先人の知識欲に元ずく本に対する執念を体感す
る事が出来る。



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コインブラ大学の図書館正面


図書館内部

インフォメーション

ポルトガルの此れまで訪ねたどの都市も、街道や家庭の庭
や公共施設にオレンジの木が植えられており黄色い実がた
わわに実っていた。ギリシアやスペインでも同じ光景が見ら
れたが、ポルトガルがそれだけでも、温暖な国だと分かる。

日本を出発する時は冬真っ盛り、気持ち的に寒さ対策に力
が入ってしまうが、この国がこんなに暖かいとは想像できな
かったので、春先用の薄いコートの準備が無く、汗をかきか
きの観光になってしまった。



五日目(1月14日金曜日)

コインブラ→エボラ→リスボン

ツアー観光旅行は毎回同じ問題に直面するのだが、足早に中世都市や大聖堂や修道院
や城郭など世界遺産を観光すると本当は皆夫々に違いが有り、歴史的背景も様々なのだ
が、深く見極める事も無く見て回る為、混同してしまい、訪ねた事は記憶しているが、個々
に区別して思い出せなくなってしまう。
その為にも帰宅後ホームページを作る事は、記憶の整理に大変役立つ。
今日は薄雲がかかっていたり、晴れて陽が射したりする天気だったが、雨の心配は皆無。
冬場の観光旅行にしては、文句ない一日だった。
ポルトガルを南下し、リスボンに近ずいてきたら一面に霧が立ち込め、遠くを見晴らす事が
出来なくなった。此れも冬場の暖かい気候がもたらす現象かと思えば、我慢も出来る。

インフォメーション

ポルトガル全地域で松の木やオーストラリア原産のユーカリの木が多い。
バスの中から移動中に眺めていると、圧倒的に目に飛び込んでくる。
添乗員の説明ではユーカリの木は成長が早く3年経てばパルプの原料
として利用出来、7年経つと建築材料として利用できる程、成長が早いとの事、
その為に木の皮が成長について行けないのか、蛇の抜け殻のように上被が
次々に剥がれて、枝に垂れさがったり、地面に積もったりで決して美しい
森林風景とは言えない。ユーカリの木は油分を多く含んでいる為
火が付きやすく、森林火災が毎年絶えないとの事。

天正遣欧少年使節ゆかりの
オルガンが有る。
カテドラル

1584年9月にエボラを
訪れた天正少年使節団の伊
東マンショと先々石ミゲル
はこのカテドラルでパイプ
オルガンの腕前を披露した
事で知られる。

ディアナ神殿
2〜3世紀にかけてローマ人により
造られたコリント様式の神殿。



六日目(1月15日土曜日)

リスボン市内観光
リスボンの人口は70万程、日本の中程度の都市クラスだが、周辺地域(首都圏)の人口は
250万人、今回まわって来た地方都市は観光シーズンでは無かったので、閑散としている
街も多かったが、さすがに首都だけの事はあって、人の動きも活気が有り、観光客に頼っ
た都市ではない様に見えた。
今日は観光最後の日、午前中は昨日に引き続き霧が立ち込めていたが、雨の心配は無さ
そうだ。地球の歩き方「ポルトガル」に掲載されいるリスボンの主だった観光ポイントは大体
見聞出来たと思う。
ポルトガルは消費税率が25%で5%の日本とは雲泥の差だが、元々物価が安いせいか、
私達観光客からすると、あまり割高感はなかった。
治安も悪く無く、旅行中危険な目に会ったり、イタリアやフランスの様に、スリの存在を感じ
たり、不快な思いをしたりする事も全く無かった。
ポルトガルは日本の国土の四分の1程度の広さなので、観光ポイントも比較的狭い範囲に
集まっており、大方のポルトガル関係のツアーはスペインをメインにし、1日〜2日間ポルト
ガル観光を組み込む日程がほとんどですが、今回の私達の旅行は実質6日間、小さい国
だから、国内の主だった観光地は大体廻る事が出来たのではないかと思う。

ポルトガルは日本が当時ヨーロッパを殆ど知らなかった時期に、深く関わりを持った国なの
で、一度は来て見たいと思っていたが、今回希望を叶える事が出来大変満足でした。
冬場のオフシーズンで旅行費用の関係からも、安かろう悪かろうを覚悟して来たが、
気候も良く、何の問題も無くスムーズに観光が出来、他のヨーロッパ諸国と違い、人々の
観光ずれしていない所が大きな魅力だと思った。



発見のモニメント
日本発見の年号も刻まれている。
べレンの塔
16世紀船の出入りを監視する要塞
ジェロニモ修道院
ヴァスコ・ダ・ガマ航路開拓記念。


リスボン名物、レトロな電車



ジェロニモ修道院
ヴァスコ・ダ・ガマの棺


ジェロニモ修道院のステンドグラス

リスボンで「ファド」のデナーショーを見る。

ファドは社会の底辺にいる貧しい人達の人生の喜びや悲しみ、やるせなさ、郷愁の思いな
どを奏でるポルトガル人の心の歌と言われているが私の感受性に問題が有るのか、歌い
手の力量に問題が有ったのか?前評判程の感動を味わう事が出来なかった。
むしろ昨年スペインを旅した折、グラナダの洞窟レストランで見た、フラメンコの踊りと歌の
方が感動と共に印象に残っている。



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七日目(1月16日、日曜日)

帰国
リスボンを朝早く出発しロンドン経由成田まで、17時間を掛けて帰国。乗り継ぎでヒスロー
空港に着陸する折、滑走路の使用状況の関係か、ロンドン上空を5〜6回旋回した為、何
度かロンドンに来て見覚えのあるテムズ川、国会議事堂、大きな観覧車のロンドンアイ、ロ
ンドン塔、ウエストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、タワー・ブリッジなどを遊覧飛行さ
ながらに、ロンドン上空から心行くまで、望む事が出来、懐かしく感じた。
今回の飛行機はブリティッシュ・エアウェイズだったが日本航空と共同運航便だったので
日本語でのサービスが受けられ、大変リラックスする事が出来た。



アズレージョ

ポルトガル芸術を語るとき、忘れられないのが
アズレージョだ、アズレージョとは装飾タイルの
事で、リスボンの国立アズレージョ美術館をはじ
め教会、駅、レストラン、修道院、民家の壁など
いたいたる所に見られる。
焼き栗

ポルトガルの繁華街の何処でも屋台で売って
おり、日本の焼き栗と違い、小ぶりの釜に塩を
小皿一杯程度入れて、もうもうと煙を出しなが
ら豪快に焼く。日本の金銭感覚では相当安く、
1ユーロ(115円)で大粒の栗が10個以上袋
に入っていた。以前スイスに旅行した折、レマン
湖の畔で食べた焼き栗が美味しく、忘れられ
ない思い出だったが、ポルトガルの栗はその
上を行く美味しさだった。
簡単な道具で商売出来そうだから、日本でこの
商売を始めたら、絶対成功すると思う。

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街散策スナップ写真

ギマランスの街

ゴミ箱

シンドラ城の置物


郵便ポスト


お土産店


古城を活用した国営レストラン



暖かいためソテツが大きく育つ。
ナツメヤシの大木も多かった。


ポルトガル特産コルクの木、コルクを材
料にしたお土産も多く売られている。


7つの丘の町リスボンの便利なエレ
ベーター、頂上に展望台がある。


ポルトガル人が始めて日本を発見
した、記念の世界地図。


町の何処にでも見掛ける、
アズレージョ(装飾タイル)

町角に見付けた趣の有る水のみ場。

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第一展示室へ
油彩・水彩

第二展示室へ
油彩・水彩

第三展示室へ
油彩・水彩

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