遠足の子供達で賑わう芝地を抜け、
化粧坂 (けわいざか) への分岐を右に見て暫く進むと、車道にぶつかる。 無論、銭洗弁財天にも立ち寄る予定であるが、当日はこの順序で歩き、 林の中にあるため鳶に弁当をかすめ取られる心配が少ない神社前のベンチで昼食とするつもりである。 その葛原岡神社には 11時50分に到着 (写真)。 | |
途中、林の中にある日野俊基の墓に立ち寄り、
その後は道路に戻らずにそのまま林の中を進んで、東屋そして丸い生垣のある広場に至る。 写真は 葛原岡神社に祀られている日野俊基の墓。 |
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車道に出た後は右に進んで銭洗弁財天を目差す。 銭洗弁財天の鳥居の前には 12時1分に到着。 実際、弁財天にお参り後、坂を登り返してみると確かにキツイ。 | |
すると、思った通り、左下に弁財天を見ながらの山道が続き、
やがて銭洗弁財天から佐助稲荷神社へと至る道と合流する。 再び山道を戻り、先程の車道に合流する。 写真はその山道側から銭洗弁財天に下りた所にある鳥居。 |
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源氏山公園への入口には 12時13分に戻り着く。 再び公園内の遊歩道を辿り、源氏山公園案内図のある所から左に折れて化粧坂 (けわいざか) へと向かう (写真)。時刻は 12時14分。 道はすぐにコンクリート道から土の道に変わり、その後 やや足下の悪い坂道となる。 ここは化粧坂切通と呼ばれており、鎌倉七口 (三方を山に囲まれた鎌倉に入るための 7つの陸路入口。 他に朝比奈切通、名越切通などがある。) の 1つで、武蔵国からの入口であったようである。 | |
この化粧坂の名は、『 平家の大将の首を化粧して首実検したため 』 とか、 『 木が多いので 「 木生え坂 」 から転じた 』 など諸説あるようだが、 Wikipediaでは 『 「 けわい 」 は身だしなみを整えるという意味に使われており、 「 都市 」=「 ハレの場 」 に入る境で 「 身だしなみを整える 」 という意味で 「 ケワイ (化粧) 坂 」、つまりは鎌倉との境界である坂との意味 』 との説を押しているようである。 ここは、名越切通のように両側を崖に囲まれている訳ではないが、
当時の雰囲気が十分残るなかなか味わいのある坂道である。 |
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