鎌倉散策 ( 源氏山 93m ) 2017.10.18 登山



【PHOTO & 記録 鎌倉散策 5−7】

ついでに師常のやぐらの左手にある階段にて 2階部分に昇ってみると、 そこには石仏や石碑が置かれていたが、こちらは比較的新しいもののようである (写真)

なお、やぐらはこの 2つだけではなく、周辺にもいくつかのやぐらを見ることができる。
しかし、駐車場の裏手のやぐらは物置の様になっているなど、他は少々荒れ気味である

12時50分にやぐら群を後にして先程の道へと戻る。
やがて道が細くなるが、目差す寺へはその細くなる道の手前を左に曲がっていく。

住宅街の中を進んでいくと、 やがて道の左手に 『 浄光明寺 』 の石碑が見えてくる。時刻は 12時53分。

左に曲がって参道を進み、こぢんまりとした山門を潜る。

左手に客殿そして庫裡があり、右手には不動堂と鐘楼がある。

となると、仏殿は何処に ? ということになるが、仏殿は境内の奥の一段高い所にある。
そこに至るために、スリ減って、苔むした石段が正面に見えているが、この階段は進入禁止となっているため、右手から昇って行く。

しかしそちらの階段も昇りきった所でそれより先には進めない。
後で調べると、仏殿 (阿弥陀堂) は木、土、日、祝日のみ拝観可能とのことで、 この日は生憎 水曜日であったために中には入れなかったという次第である。

考えたら、本番当日も拝観可能な曜日ではないので、 遠くから眺めるだけということになる。
なお、仏殿は市指定の文化財で 1668年の建立とのことである。

12時59分に浄光明寺を後にして辿ってきた道を戻る。
岩船地蔵まで戻った所で、ついでといっては失礼だが、当日の予定にはない薬王寺へと向かうべく右に道をとる。
こちらはすぐに道の左側に見えてくる。時刻は 13時4分。

左に曲がり、民家の間の道を緩やかに登っていくと薬王寺の境内であるが、 そこに山門はなく、普通の民家のような門が建っている。

この薬王寺の創建は 1293年で、江戸時代には徳川家ゆかりの寺として栄え、 一時は三千坪ほどの境内に五重の塔や諸堂が造営されるほど大きな寺であったとのことであるが、1720年の火事で焼失。
その後、さらに明治の廃仏毀釈にて荒廃したものの、大正から昭和にかけて第五十世 海榮日振上人、第五十一世 大埜茲稔日照上人が再興に尽力され、 現在の状況を整えたとのことである。

本堂前にはソテツ (と思う) が左右に植えられていてエキゾチックな感じを醸し出しており、 寺にその種の木があることに物珍しさを覚える。

また、本堂右手には徳川三代将軍 家光の弟である駿河大納言忠長の供養塔が立っており、 当然、供養塔には葵のご紋が刻まれている。


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