種の起源:

On The Origin of Species

By Means of Natural Selection

or The Preservation of Favoured Races in The Struggle for Life

NEW!!! 09.03.31 第4章のおまけをリンク

09.02.11 トップの文章を更新

NEW!!!! 08.09.26 第6章のメモ追加

08.08.07 第5章のメモ追加 第4章のメモに加筆

 このページはチャルズ・ダーウィンの著作、「種の起源」を読むことで進化論への理解を原典から深めようってコンテンツです。ダーウィンの進化理論そのものの簡単な要約はこちらを参考にしてください。このコンテンツでは種の起源、そのものについて考察します。各考察のコンテンツについては以下最下段までスクロール。また、2009年2月12日にこのコンテンツ全体の完成をまたずに、同じ主旨で「ダーウィン『種の起源』を読む」という本を出しました。このコンテンツを見る際の参考になると思いますので以下にリンクを

*ところで種の起源って岩波文庫とかの表題を良く見たら「種の起原」なんですねえ^^;)弱ったことにgoogleで検索をかけると起源の方がヒットが多いし、変換でもこっちが先・・・・。

 コンテンツの予備的な補足説明

 誤解:いわゆるダーウィンの進化論、つまり進化理論は1859年の発表以来、150年をすぎた現在でもその役割をなんら変えていません。しかし一部”読書家と呼ばれる人々”、あるいは”文化人、知識人とカテゴライズされ、さらに自称する人々”にとってはそうではないようです。じっさい本屋にいって進化のコーナーを見て下さい。ダーウィニズムは間違いであるとか、ダーウィンの進化論は終わったとか、いろいろやばそうな本を容易に見つけることができます。ネットで検索してみてください。ダーウィン以外にも今西進化論とか、ウイルス進化論とか、理論は他にもたくさんあるんだとか、創造論やID論も進化理論と同じぐらいすぐれているとか、そういう意見をすぐ発見できます。

 こうした意見は、説明できれば理論は正しいのだ、論理的であれば問題ない、そういう誤った考えに基づいたものです。誤ったというのが言い過ぎならば、非現実的で、言葉と本、そして活字というバーチャル世界だけで通用する仮想的な価値観というべきでしょうか。説明できれば正しい、論理的であれば問題ない。そうであるのなら天動説はまったく正しく、星々と惑星は地球の周りをめぐり、天には天球と天使達がいることになるでしょう。あるいは五行説が正しいことにもなるでしょう。あれはあれで論理的ですから、地上の物質は五行説に基づいた変遷を行うでしょう。四元素説でもいいでしょう。私は五行説や風水を劣悪な理論としか思いませんが、説明できればそれでよいと言う人々にとっては”正しい理論”でありえます。まあ、実際信じている人もいますよね。しかしそれでは、説明できるというだけで天使と天球をも信じるべきでしょうか?

 進化理論は存続をめぐる争い、いわゆる生存競争という競争主義を組み込んだ理論だから正しくない、そう批判する人もいます。生存競争は悪いから理論も悪いに違いないという論法ですが、これは価値観と理論の妥当性を混合した誤りです。理論は現実を説明するものです。現実は人間の価値観に影響を与えますが、価値観は現実を改変できません。もしそうなら念じれば世界は良くなるはずですが、そうではないでしょう。生存競争を否定することで農業に革命を起こそうとした人々がかつていましたが、結局、彼らは無惨に敗北しました。こうした敗北は理論の妥当性を価値観で判断しようとした当然の結果です。

 もちろん、科学はこんなものではありません。科学においては説明できるかだけでなく、説明の質や積極的に答えを導きだせるかとか、あるいは説明が現実といかにどの程度整合的かどうかまで問われます。そう言う点において、進化理論が間違っているという意見は私の設計した自動車は世界一と言いながら、決して車を製造せず、走らせもしない”自称発明家”に似ています。あるいは私は善人だからオレの車は世界一と言うようなものでしょうか。

 ダーウィンが種の起源の中で展開した論法はこうした”自称発明家たち”とは正反対でした。ダーウィンの論法は、では理論の妥当性をテストしてみようではないか、というものでした。それが理解できないと種の起源は理解できませんし、それを理解できないから”発明しない自称発明家”になってしまうのだとも言えます。

 こうした誤解の一端にはサイエンスライターの責任もあるのでしょう。サイエンスライターというのは情報収集力があってもしばしば科学の訓練を受けていない人たちです。部品を集めても組み立て方が分からなければ動く機械が作れないように、情報収集だけしても意味はあまりありません。例えばの話、色々な進化論があるんだと嘘も噂も誤解もすべて網羅すれば本が一冊出来ますし、それで稼ぎ、生活もできるでしょう。しかし結果として誤解はさらに広がり、次の世代へと伝えられます。実際、私たち一般人が読み、書き、手にする進化論の本はしばしば壮大な誤りの系譜です。科学者が現実の説明能力で淘汰されるのなら。サイエンスライターは稼げるかどうかで淘汰されます。しかし架空のものでも稼げるように、サイエンスライターのリアルは現実の妥当性とは特に深いつながりをもっていません。

*自覚していない誤りは嘘や道徳的な罪になりません、メディアは自分自身が真実だと信じていれば良いともいえます。真実の追求という言葉もありますが、これがすでに病的な兆候なのでしょう。真実という単語には仮説を検証するというニュアンスが希薄です。この表現はメディアが経験に基づく検証というリアルなものではなく、むしろ疑似科学や宗教に近いヴァーチャルなものであることを暗示しています。

 しかし、論文を書きもしないで根拠のない空論(ダーウィンよりもずっといいものを考えつきました〜〜という種類の思いつき)を本にして稼いでいる大学教官というのもいます。いやはや、給料分の仕事もせずに印税生活とはなかなか適応度が高くなりそうな生活スタイルではないですか。でも、科学者ってやつは論文を書くのが仕事じゃあないのかい? 本職の淘汰から逃げてどうするというのやら。

 

 ネオダーウィニズム:ダーウィンの進化論とはすでに見捨てられた意見でも、滅び去ったカビ臭い遺物でもありません。彼のアイデアは現在でもなお、他のいかなる挑戦者もはねのけて屹立するシンプルなアイデアであり理論です。古典的ダーウィニズムとか、あるいは20世紀に成立したネオダーウィニズムというくくりもありますが、これらも次のように考えればいいでしょう

古典的ダーウィニズム:ダーウィンに賛成したと言いつつ、ダーウィンの理論を理解できずに群淘汰とかを信じていた人たちとその主張(現在ではほぼ絶滅)

ネオダーウィニズム:メンデル遺伝の再発見と統合でダーウィンに追いつき、部分的にはダーウィンをも凌駕するに至った研究者達とその理論体系

以上の説明はいかにも乱暴ですし、現代の進化学者を過小評価しているようなカテゴライズです。しかしまったく何も反映していないわけではありません。統計学を用いてダーウィンの進化理論に正しい遺伝学が組み込まれたのはおよそ1930年のこと、ここに至るまで種の起源から70年あまりが過ぎています。この期間の間にダーウィンの進化理論は間違っていた、そういう誤解が広まりました。そう考えた人々は自分たちはダーウィンよりも多くを知ったと感じる一方で、結局、進化理論をまるで理解していませんでした。少なくとも、結果的にはそうであったと言えます。一部の人々はダーウィン以前の、まるで中世的な世界観にまで退行したようです。

 ダーウィンが提案した血縁淘汰の雛形に生態学者たちが追いつき、それを追い越したのは1963年のこと。それまでは”種のために進化した”とか、あるいは”群淘汰”という結果的に間違っていた/あるいは使えないことがばれたアイデアが流行っていました。ダーウィンの性淘汰を研究者が検証したのは1980年代ですし、化石のデータをちゃんと解析できるようになったのは20世紀の後半になってからです。そうした1世紀以上の長い道のりの間に、多くの思想的なガラクタが生まれました。進化学者はそういうものをすべて捨て去っていきましたが、群淘汰とか獲得形質とか定向進化、唯物論、発展の法則、いわゆるカンブリア爆発(の過激な解釈)、断続平衡説といったガラクタたちは未だに私たちの間に残って悪さを続けています。私たち一般人は書店とネット、そして知識人や文化人の間に漂う、こうしたガラクタとデブリを突破しないと進化理論にまで到達できません。

 一方、現代の進化学者たちが上げた業績はやはり驚くべきものです。ダーウィンも驚き、目を見張るでしょう。現在の科学者達は生き物が進化する様子をリアルタイムで観察しています。生物はゆっくりと進む時間のなかでひとつの型にはまって凍り付いたしろものではありません。数十年、あるいは年、あるいは数カ月、あるいはもっと短い時間で姿を変動させブレ続ける存在です。

 いまや研究者はどのような自然選択がどのように生物に作用するのか解きあかしつつあります。ある場合、自然選択はその生き物が個体によって異なる特徴と変異を持つように作用しています。ある場合には少数者が消え去るように、ある場合には少数派と多数派が絶えず入れ代わるように働いています。

 彼らは種分化の過程を実際に目撃しつつあります。競合によって種分化が起きたり系統が分化することも明らかにされています。これがネオダーウィニズムというダーウィンの科学的な末裔たちがしていることです。開祖以来、より精緻になり具体的になった理論。しかしこれはダーウィンの基本アイデアそれ自体はそのままだということでもあります。これを保守的だと勘違いする人もいますが、それは科学はテストと検証の連続であるということを忘れた人々の思い込みでしょう。テストに合格したから理論が受け継がれているのです。それだけダーウィンのアイデアがつぶしがきいたということですね。

 

 ダーウィンと種の起源:ダーウィンの種の起源は個人的にはおそろしく頭を使う本だと感じています。正直、具合が悪くなるくらい。ダーウィン自身は手紙の中で「種間交雑の不妊に関する議論を考えると胃が万力で締め上げられるような気分になりました」、そう書いていますが、これを紹介したイギリスの科学哲学者ヘレナ・クローニンは「私自身も、一、二度以上そうしてみた結果、ダーウィンと、そして彼の家族とに同情したくなりました。」そう書いています(「性選択と利他行動 クジャクとアリの進化論」 工作舎 583ページ。

 これを書いている北村自身はそれこそ種の起源を解説した(解説を試みた)だけですが、種間交雑の不妊性の進化を論じた第8章を読んで考えているだけでも頭痛がしてきました。実際、「ダーウィン『種の起源』を読む」170〜171ページにおける北村の表現、

「これは交配するか/しないかという話でしかないことだ。このような条件では、たとえばロバに求愛しないウマは進化で登場するかもしれない。だがウマとロバの雑種であるミュールは子供をつくれないという進化は起きない。」

これは説明としてはいかにも不十分であると思います。指摘されているように子孫に対する投資の無駄を最小限に押さえるメリットゆえに、雑種の子が流産してしまう変異も有利になりえるでしょうし、条件次第では育児放棄をするということもありえます。それにしても、もし強壮なミュールがそれ以上数を増やさないようにする変異が存在した場合、それは有利になりうるのでしょうか? もしそうなるとしてもそれはどんな条件でしょう? それは起こりうることでしょうか?

*ちなみにミュールとヒニイの大きさや性質が違うのは雄親/雌親の遺伝的なうんぬんではなくて、雌親の大きさに由来する違いだそうです。ここんところは「ダーウィン『種の起源』を読む」では省略しています。

 そもそも交配するか/しないかという表現からしていかにも単純で、さらには誤ってさえいるのでしょう。意図的に単純化したつもりなのですが、それ自体が誤りになりえます。もちろん、誤っているというのは程度の問題でもあります。例えば地球は太陽の周りを円軌道でめぐるという表現はひとつの説明なのですが、それは単純すぎるし、不正確なものです。説明というものはどうしても誤差やら誤りやら、あるいは大間違いさえ含んでしまうということなのですが、それではこの問題と表現をどうしたものか? そもそも現在の進化学者の見解と、ダーウィンの見解を自分が正確に把握しているかどうかが問題となります。で、ぶつぶつ考えて文章を読んでいるとダーウィンとクローニンさんたちの気分がちょっとだけ分かってきます。頭が痛いし疲れるし、ついには気持ちまで悪くなってきたのであきらめて寝ました、はい。

 種の起源は和訳を読んでさえ理解が容易な本ではありません。訳が悪いとかうんぬん言われる以前に(確かに原文の方がきれいに理解できますが)、150年前の最初の進化学の本だというのに、内容がいきなりハードすぎます。進化学の最初のテキストがこれだというのは”あんまり”ではないでしょうか? 本屋に売っている適当な普及書を読めば種の起源なんか読まなくても充分だよ、そう言う人もいますが、それはある意味では正しい選択肢でしょう。そのへんの普及書で触れられている内容は種の起源の内容にまったく届いていません。それで充分なら種の起源を読む必要はたしかにありません。というか読んでもダーウィンの言っている意味が分かりません。現代の進化学のテキストとか教科書と言えるものをまず読まなければ種の起源は理解不能です(参考文献は以下スクロール)。理想的には論文を読まなければだめでしょう。

 さて、この文章以下に北村が種の起源を改めて読み進めながらつらつらと書いた内容がリンクされています。基本的には北村自身のメモ帳の域を出ませんが、参考までに。なお、このコンテンツの中身に間違いがあるとしたらそれは北村の責任です。また、それぞれのリンクにコンテンツ内容のキーワードをつけておきました。また、事実上、第3章おまけまでが「ダーウィン『種の起源』を読む」を書き上げる以前にアップしたコンテンツです。

  

 序言  

 第1章01:変異・変異の原因・枝変わり・メンデル遺伝と融合遺伝   

 第1章02:先祖返り・飼育栽培品種と原種・ハトの品種・仙骨の変動

 第1章03:ハト品種の交雑実験と形質の先祖返り・融合遺伝による理解・アクバル大帝   

 第1章04:選択の力・野蛮人という言葉・ビーグル号航海記・エジプト文明・記録の不完全

 第1章05:無意識の選択と育種・仮説の説明能力・記録の断絶・人間の認識・ギャップは埋まる

 第1章 reversion に関して:ダーウィンの理解の基礎にあった遺伝理論に基づく反論 

 第1章まとめ:着工予定は未定 

 第2章:種・変種・創造と由来の共通・個体差から種までの連続性・種は便宜的な概念で実在しない  

 第2章02:同属の別種・大きな種の亜種・予想を観察で確認する・仮説の説明能力の違い 

 第3章01:生存闘争・存続をめぐる争い・子孫を残すことが大事・一年生植物の千個の種   

 第3章02:存続をめぐる争いを把握しないと自然は理解できない・牛が植生を変える・未来を予想する 

 第3章03:アカツメクサとシロツメクサ・マルハナバチ・ミツバチ上科・マメ科の花

 第3章04 番外編:伝染病・病原菌と社会の共進化

 第3章おまけ:存続をめぐる争いが多様な自然をつくる・否定論者は説明能力をうばう

 第4章メモ:第0段落

 第4章おまけ:社会動物のCommunity・ちょっと不思議な翻訳  NEW!!! 09.03.31

 第5章メモ:第0段落 

 第6章メモ:第0段落 

 以下工事中

 参考文献:

「種の起源」(上下)チャールズ・ダーウィン 岩波文庫 1990 第1版の和訳

「ビーグル号航海記」(上中下)チャールズ・ダーウィン 岩波文庫1959 1960 1961

「現代進化学入門」 C・パターソン 岩波書店 2001 

「進化生物学」(原著第2版) ダグラス・J・フツマイヤ 蒼樹書房 1991

「進化のメカニズム」W・H・ダウズウェル 河出書房新社 1973 ([The Mechanism of Evolution] 1970, W.H.Dowdeswell, Heinemann Education Books limited)

「疑似科学と科学の哲学」 伊勢田哲治 名古屋大学出版会 2003

「生物系統学」 三中信宏 東京大学出版会 1997

「進化論という考え方」 佐倉統 講談社現代新書 2002

「進化と人間行動」 長谷川寿一 長谷川眞理子 東京大学出版会 2000

「現代によみがえるダーウィン」長谷川眞理子 三中信宏 矢原徹一 文一総合出版 1999

「植物の受精」チャールズ・ダーウィン 訳 矢原徹一 文一総合出版 2000

「性選択と利他行動 クジャクとアリの進化論」ヘレナ・クローニン 長谷川眞理子/訳 工作舎 1994

 ↑進化に関して基本的なことを知りたい人は以上の参考文献をどうぞ(おいおい増える予定)。ちなみに北村がいうのもなんですが、サイエンスライター(場合によっては科学の世界よりも一般の読者にむしろ知られている研究者もそうなのだけど)の書いた”普及書”とかはしばしばとんでもないことや中世的な古い思想に基づいて書かれていることが多く、また文章や理屈が混乱的なのでお勧めしません。

 

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