種の起源:

On The Origin of Species

By Means of Natural Selection

or The Preservation of Favoured Races in The Struggle for Life

 

 私達が無意識のうちに動植物を選択(Selection)して飼育栽培品種の形を変えてしまう。このことについてダーウィンはいろいろな例を上げています。

 イギリスがまだ未開で野蛮な時代(In rude and barbarous periods of English history)からすぐれた家畜の輸入と輸出の禁止が行われたこと(<つまり育種が組織的に行われる以前からこのようなことが行われてきた)。

 ある大きさ以下の馬の破棄(destruction)が命令されたこと。

 古代中国の百科事典に選択の原理の記述が明らかにあること。

 古代ローマの記述や創世記の記述にもそれに関するものがあること(以上51ページ)

 イヌの品種、キング・チャールズ・スパニエル(King Charles's spaniel)がチャールズ王以来、意識されないままおおきな変化をこうむってきたこと。

 セッター(Setter)はスパニエル(Spaniel)からゆっくりと派生したらしいこと(以上53ページ)

 バックリー氏とバージェス氏の2名が50年間繁殖しつづけてきたそれぞれの Leicester Sheep がまるで違う変種(quite different varieties)に見えるようになってしまっていること(54ページ)

 ローマの歴史家プリニウスの記述では古代のナシの品質は極めてわるかったらしいこと(<逆にいえば古代の品種と現代の品種が大きく変化している:55ページ)

 などといった例を上げています。

 面白いなと思えるのは57ページでダーウィンは、人間による選択が重要な役割を果たしているという考えにたてば、

 なぜ飼育栽培品種の構造/性質は人間に都合良くできているのか?

 なぜ飼育栽培品種には異常な形質が見られるのか?

 なぜ飼育栽培品種は外部形態には大きな違いがあるのに、内部器官にはあまり違いがないのか?

という以上の疑問を説明できる、としている点です(57ページ)。これ、明らかに帰納で導き出した仮説に基づけばこのようなことがうまく説明できる、ゆえに正しいのではないか?、という論法なわけですよね。たしかにダーウィンのいうように、人間の選択によって飼育栽培品種は作られたと仮定すれば以上の疑問、あるいは現象をうまく説明することができます。だとするとダーウィンのアイデアはかなり確かである。そう考えることができる。

 これは科学ではしばしば使われる考え方で(ようするに仮説演繹ってやつですよねえ)、例えばニュートンは月と地球、太陽の運行、木星の衛星の運動といった事実から重力という力を仮定して、それで天体の運行を説明しています。こうした仮説の確からしさは仮説をサポートする証拠を探し、実際に当てはめてみることで検証が可能。ダーウィンの発想はニュートンの発想と別段かわりません。

 *ちなみに、なんというか科学っぽい仮説を作るのが大好きだ、という科学者ごっこしたがる人が世の中にはいて、一見これに類似した論法を展開する人もいます。例えば恐竜は鳥や樹上生活する動物から進化したのだってアイデアを信じる人たちがいて、そういう人のなかには、そう考えると恐竜の後ろ足の親指が地面につかないこと(<イヌの足の親指のような状態のこと)が説明できる、そう主張する人もいます。どういうことなのかというと、彼らに言わせると、あれはもともと樹の幹をつかむものなのだそうな。

 でもこれは北村が思うにかなりまずい。なにがいかんのか?。恐竜の後ろ足の親指が(基本的には)接地しないこと自体は事実なのだが、その親指が”もともとは幹をつかんでいた”というのは事実ではなく未確認の仮定でしかないのがまずい。

 つまりこのままでは恐竜の樹上起源説という仮説が恐竜の後ろ足は幹をつかむものだという未確認の仮定を説明して、一方では恐竜の後ろ足は幹をつかむものだったに違いないという未確認の仮定が恐竜の樹上起源説という仮説をサポートすることになっている。つまり仮説が仮定を説明し、仮定が仮説をサポートすることになっている。ようするにこれは、宇宙人はシャイで人間に見られたがらない、だから人間の前には姿をあらわさない。人間の前に姿をあらわさないのだから宇宙人はシャイに違いないといっているのと同じで、検証もなにもへったくれもない。なにもいっていないのと同じ。

 ついでにいうと以上の仮説の反証例を集めるのは非常に簡単で樹上性のトカゲの親指は接地する、反対に走行にすぐれたイヌの親指は接地しない。このようなことを考えると以上のアイデアはあまりまともな発想とは言えないのでしょうね。逆にいうと普通、恐竜の足の親指が接地しないのは早く走る適応の結果だというのが一般的な見解。まあ、うちのサイトは恐竜も扱っているので脱線がてら念のため。

 まあこんな話はこのへんにしておいて、

 いずれにせよダーウィンのアイデアは観察可能な事実を非常にシンプルに説明する。つまり高い説明能力があることになり、ゆえにアイデア自体の確からしさが確かめられることになる。

 さて、59ページからダーウィンはかなり面白いことを述べている様子。

 その前の57〜58ページでダーウィンはこれまでの議論を踏まえて生物には変異がわずかながらにあること、人間がその違いを選んで選択すること、例えば尾羽がクジャクのようになっているファンテールも当初はいくらか尾羽が広がっているだけのハトだっただろうこと、そして実際にジャワにいるファンテールはそのようなものであること、このようなことを述べた上で、彼は59ページから次ぎのような事柄を述べます。

:品種は言語の方言に似ており、起源がはっきりしていない(a breed, like a dialect of language, can hardly be said to have had a definite origin.)

:誰かがある小さな変異をもった個体に注目して品種改良を始めたとしても、こうした変化の過程は記録に残らず、また名前もつけられないままだろう

:それが広まり、さらに改良され、そして人間にとってはっきりした価値を持った時に名前がつけられるだろう

 これは非常に面白いことを言っているのだと思えます。そもそもダーウィンの考えた”進化を説明するアイデア”とは生物に使い道が限られたものではなく、進化するものでさえあれば、それが言語であろうが写本であろうが、あるいは思想、チェーンメールであろうが適用できる。そうしたことが今では分かっています(例えば「幸福の手紙に潜む進化のルール」ベネット、リー&マ 日系サイエンス 2003, 09, pp64~71 これは幸福の手紙(<ようするに不幸の手紙とかチェーンメールのこと)の進化とその解析方法を論じたレポートです)。

 ではダーウィン自身はそのことに気がついていたのか?。一般的には

 彼自身はそのことに気がついていただろう。

と言われます(「進化論という考え方」佐倉統 2002, 講談社現代新書 pp27,pp54~57 を参考にしてください)。それは種の起源の記述や文章の展開から明らかなのですが、この部分もまさにそうですよね?。ようするに冒頭数十ページ目にしてそのことを物語る文章がでてくる。

 そうして次ぎの指摘、変化の過程は記録に残らない、最初は名前もつけられず、人間に認知された時(ようするに違いが大きくなった時、あるいは違いなり有用性が認識された時)に名前がつけられるという指摘は重要ではないでしょうか?。

 なぜなら以上の彼の主張は、進化は連続した過程であるはずなのに中間種がすくなくとも連続した形で見つからないのは地層記録の不完全性が原因である、という説明と同じだし、人間が認知すると名前がつくっていうのは明らかに分類の話ですよねえ?。この話はどちらも後ででてきます。

 地層記録の不完全性については先のコンテンツでもちょっとふれましたが、ようするに連続しているはずの進化の過程が(完全には)連続して残っていないのはなぜか?。それは地層に残された化石記録が不完全だから、という地学では常識になっている説明のことです。まあ説明というよりはそれは観察可能な単純な事実(波に侵食されて破壊される地層を見よ)なんですが、どうもダーウィンはこのことと、飼育栽培品種の品種改良の記録がすっぽ抜けていることを対比させているか、あるいは同じ論理でとらえているらしい。

 分類に関してもダーウィンは後の章で、同属別種の違い、同じ種の亜種の違い、品種の違い、個体差。これらは連続している。人間の分類は自然の体系を反映しているが、じつは連続したものを区分した恣意的なものであるといっている。これは飼育栽培品種の起源を論じた第1章後半といってることはおそらく同じ。

 このように前後の章の内容を比較するとなぜダーウィンが飼育栽培品種の話から種の起源をはじめるのかが良く分かります。ようするに記録をある程度追跡することができ、実際に変化の過程をさぐれる飼育栽培品種をみよ。生物は実際に姿や性質が変化するし、そしてまた記録はしばしば抜けており、まるで品種が突然出現したように見えるではないか。事実飼育栽培品種を見よ。おそらくは自分達に識別できるようになると名前をつけるのではないか?。違いが大きくなったり有用性があるとみなされれば名前がつけられる。本来は連続しているものであるにも関わらず区別して呼ぶようになっている。

 この仮説は確かめることができるか?。できる。さまざまな国の品種を集めれば、品種間の大きなギャップをうめることが実際に可能ではないか。連続していたからこそ間を埋めることができるのではないか?。

 たとえばジャワのファンテールを見よ。

 種の起源の第1章ですでにダーウィンの主張の基本的には語られているわけですね。以上の文章の主語を自然界における種とか品種に置き換えれば全く同じ。まあ誰でもなにか書く時はまとまった考えがあって、そしてそれに基づいて説明を始めるわけですから第1章で基本的な主張が語られるのは当然といえば当然。とはいえ、その割にはあまりそういう目的が明瞭でない(あるいはそのように感じる)のは、彼がありとあらゆる反論にすべて対応して説得力をつけようとした結果なんでしょう。逆にいえば論点が多少ぼけているようにも見える。でもちゃんと読めばちゃんと書いてある。ただし、このことは種の起源という本を全部読み終わってまた読みなおさないと把握できないかもしれません。そういう点で、種の起源はとても初心者向けの本とは思えませんねえ(<少なくとも北村程度ではどうもいかんということになるらしい)

 ともあれこうして第1章は結ばれ、最後はまとめで終わります。ここまでで63ページ。

 では次ぎは第2章へ→ 

 第1章のまとめ→

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 おまけ:

 連続した変化を人間は便宜的に区別して考えます。例えば連続した波長であって区別など本来ない可視光線を赤とか黄色、オレンジ、青、緑とか区別して呼びます。もちろん明るさや暗さ、鮮やかさ、モノクロに近いかどうかなどに基づいてもっと色を細かく区別することもできる。例えばヴァーミリオン、カーマイン、ワインレッド、ダークレッド、などなど。でも結局は連続したものを恣意的に区別していることにはかわりない。

 「赤があるだって?。バカじゃないの?」これは北村の知人のイラストレーターがいった言葉ですが、過激ではあるがたしかに彼がいわんとすることは北村にも分かります。赤という言葉は恣意的で範囲も広い。解像度が悪い言葉だし、なによりも恣意的だから結局は存在しない。赤がある、といったとたんにうさんくさくなるし、赤が存在するんだ!!といったら、たしかに彼がいうように「お前の頭は大丈夫か?」と問われることになるのでしょう。

 でも人間のすべてがそう考えるわけではない。「区別できるのだから違うに違いない」と主張する人はしばしばいます。ましてやダーウィンが指摘するように絶滅で間が抜けると実際にギャップができてしまう。だとすると人によっては区別できるものの差は歴然としてあると思い、さらにはその溝を越えることができないと考える。

 この(じつはありもしない)溝を越えようとするために何人もの人がなにか特別な未知の過程/あるいは力を想定して進化を説明しようとしました。例えば今西進化論や、あるいは断続平衡説のように種間の越えがたい溝を転位するかのように何かが起きるって考えるわけです。そういえば検索かけたら量子力学のアナロジーでこのことを説明しようとしていたサイトがあったと思いましたけど、それも同じなんでしょう。

 しかしダーウィンに言わせればそんな未知のパワ〜〜〜〜を仮定しなくても種の進化は説明できるというわけ。それは飼育栽培品種と記録の断絶、品種間のギャップを見れば分かる。連続しているものが断絶しているように見えているだけなのだ。ありもしない溝を未知のパワ〜〜〜〜〜〜っで乗り越える必要はない。

 そして飼育栽培品種から得た知識に基づいて視点で自然を眺めた時、やっぱり同じ構図がダーウィンには見える。あるいは飼育栽培品種から考えて見ると、自然界の種のありかたも理解できる。

 つまるところ種の間の溝とは本来ないものである。

 ダーウィンの理論の圧倒的な有利さは、

:既存のすでに知られている事実だけから構築されていること

:それだけで説明できること

:実際にサポートする証拠があること

にある。それにしても、ダーウィンに反対する人々は種を認識できるから断絶と溝が見えるわけで、それで必死に説明しようとするわけです。つまるところ種に拘泥するのは自然理解には向かないということなのでしょう。じつは種の起源というのはおそろしい本で、種と我々が呼ぶものの正体がじつは系統の反映であることを示しているのと同時に、連続した系統のどこを種と呼んで区分するのかは便宜的だ、と結論づけている本なのです。これはさながら光は存在するし、波長の違いもあるのだが、それらを赤とか黄色と区別すること自体は便宜的で、赤というもの自体は存在しない、というのと似ています。

 ようするに「種の起源」は種の正体を明らかにした一方で、種という概念自体を抹殺した本だということでしょう。

 

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