種の起源:

On The Origin of Species

By Means of Natural Selection

or The Preservation of Favoured Races in The Struggle for Life

 

Variation under Nature

自然における変異

No one definitions has as yet satisfied all naturalists

すべての博物学者を満足させた(種)の定義はまだひとつもない

 

 自然における変異、この章のタイトルは自然界の生物にも変異があることを示すものです。その意味は明らかで、第1章で論じたことが自然界の生物にも適用できるということですね。

 事実、ダーウィンは本文で次のように述べています。

 pp65:前章で到達した諸原理を自然状態の生物に適用するには、まずその前に、それらの生物がなんらかの変異を示すものかどうかについて、簡単に論じなければならない

 pp66:同種のすべての個体がまったく同じ鋳型で鋳造されたと想像するような者は、まったくいない。これらの個体的差異は、われわれにとって、非常に重要である。というのは、それらは自然選択のために、人間が飼育栽培生物で個体的差異をどんな方向にでも集積させられるのと同様な集積の材料を、提供するものだからである。

 重複になりますが、つまり彼のいわんとすることは、

 :たとえ自然界の種であっても個体によって違いがあること

 :そうした違いは人間が育種をする時に変異が必要であったように、自然界の進化でも必要であること

ということです。要約すれば自然淘汰で変異が集積すればおのずとその集団はもとと違ったものになる。

 ところで、同種であっても個体によって違いがあることが明白だったからか、彼の話は具体的な変異の記述は比較的簡単にすませてしまいます。その後の話はむしろ変種と種の話。

 ダーウィンの言い方からすると種と変種という言葉は(少なくとも当時は)かなり違う意味合いが込められていたらしい。

 博物学者ならだれでも、種についてのべるときには、それがどんな意味であるのかを、漠然と知っている。ふつうこの言葉は、特殊な創造行為という未知の要素を含んでいる

( yet every naturalist knows vaguely what he means when he speaks of a species. Generally the term includes the unknown element of a distinct act of creation.)

 <変種>という述語も、ほとんど同様に定義が困難である。ただこの場合には、由来の共通性ということが、ほとんど普遍的にその意味のなかにふくまれている。もっとも、それが証明できる場合は、稀である。

(The term 'variety' is almost equally difficult to define; but here community of descent is almost universally implied, though it can rarely be proved.)

 以上pp65~66

 ようするに、

 種という言葉は、神によって創造されたもの、を指し示す言葉であって、

 変種という言葉は、なにか共通の祖先から由来した変化したもの、を指し示す言葉であるというわけです。

 じっさい、種は神の創造物で不変のものであると考えていたリンネも幾つかの変種は種が変化したものではないか?と考えるにいたったようですから、これは当時、かなり普通な受け取り方なんでしょう。つまり種は創造されたが、創造以後、種から変種が生じる。

 しかしながらそれだけにとどまらずダーウィンは変種と種の区別があいまいであること、そしてその幾つかの実例をあげて、変種の延長に種があること、由来の共通性の延長に種があることを明らかにして持論を展開します。すなわち、種というものも変種同様、創造ではなく進化によって生じたものである。

 68〜76ページは変種と種の区別があいまいであることを述べていきます。たとえば72ページではサクラソウとキバナクリンソウは一見すると別種であるとみなしていいものだが、両者の中間的なものが幾つか存在すること、それら中間的なものは雑種とは思われない特徴を示すこと、こうしたことから2つの一見すると別種に見える植物たちは実際には変種(由来の共通するもの、同じ祖先から進化で生じたもの)であろうという具体例を上げてみせます。

 つまり変種と種の区別はあいまいである。

 さらに74ページに書かれているダーウィンの次の言葉、

 たしかに、種と亜種ーつまりある博物学者の意見では種にひじょうに近いが、その階級には完全に達してはいないものーのあいだに、明白な境界線はまだしかれていない。亜種と十分はっきりした変種とのあいだ、あるいは低度の変種と個体的差異とのあいだでも、同様である。これらの差異は相互に融合して目だたない系列をつくっている。そしてそのような系列は、実際の推移という観念をわれわれの心にきざみつける。

Certainly no clear line of demarcation has as yet been drawn between species and sub-species - that is, the forms which in the opinion of some naturalists come very near to, but do not quite arrive at the rank of species; or, again, between sub-species and well-marked varieties, or between lesser varieties and individual differences. These differences blend into each other in an insensible series; and a series impresses the mind with the idea of an actual passage.

これを考えれば、ダーウィンが、変種の延長に種があり。由来の共通性の延長に種がある、そういう論を展開していることはおそらく明白でしょう。

 ダーウィンは

 個体の差異→わずかに違う変種→はっきりした変種→おおきく違う変種→亜種→種

とこれらが連続していることを示しています。個体の差異(今でいう変異のこと)の集積で進化が起き、そして品種と呼ばれるものや種と呼ばれるものがうまれる。ダーウィンがそういう結論にたっしていたことがここから良く分かります。ようするに原子論者が原子や分子から周囲の現象を説明するように、ダーウィンは個体差といういわば最小単位に近いものから生物界全体の構造を組み上げ、説明し、そして考えているわけですね。

 さらに75ページでダーウィンは次のように述べます、

 以上にのべたところで、私は種という語を相互に近似している一連の個体に便宜のため任意にあたえられたものとみなしていること、およびそれは、それほど著明でなくまたもっとばらつきの多いものにあたえられた変種という語と本質的に違うものではないとみなしていることが、諒解されたであろう。pp75

From these remarks it will be seen that I look at the term species, as one arbitrarily given for the sake of convenience to a set of individuals closely resembling each other , and that it does not essentially differ from the term variety, which is given to less distinct and more fluctuating forms.

 錬金術師が世界を説明するのに必要であると信じる概念、例えば炎の精霊サラマンダーや風の精霊シルフを原子論者が必要としないように、個体とか個体の変異から生物界を理解しようとするダーウィンにとって種という概念はあまり必要でないものだったのでしょう。

 ようするにダーウィンは種が系統を反映したものであることを明らかにしたけれども、種というものの存在は信じていない。

 「系統分類学」文一総合出版 1991 pp27 で、ワイリーが、種は実在しないという論者の筆頭にダーウィンをあげたのは当然ですね。「種の起源」はたしかに種と私達が呼ぶものの起源は明らかにしたが、種というものが便宜的な概念であって実在しないことを示した画期的な、あるいはおそるべき著作なのでしょう(ところでワイリーは、種が便宜的な概念なら種分化も人為的なものである、といったのですけど・・これはおかしな論法だと思う・・・)。

 後、蛇足ですが68ページでダーウィンは、

 私は、これらの多形的な属には構造の諸点において、種のために役にもたたず、害にもならず、したがってのちに説明するように、自然選択の作用をうけずにそれによって明確なものとなることのなかった変異がみられるのであると、推量するほうにかたむいている。

と述べていますが、これは現在でいうところの中立遺伝とか中立、中立変異の話ですね。「岩波 生物学辞典 第4版」pp918 中立 neutrality では、

 中立変異の概念はC・ダーウィンにまでさかのぼるが、分子進化との関係で重要性が指摘され、今日では常識的な概念となったのは木村資生(1968)の中立説による。

とあります。

 まあいろいろと革新的なことを提案したんですねえ、Mr.ダーウィン。

 

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