種の起源: On The Origin of Species By Means of Natural Selection or The Preservation of Favoured Races in The Struggle for Life
38ページからはハトの品種がたったひとつの原種から生まれたことを説明する内容です。またっ??、って思われる人もいるでしょうけど、こういうところダーウィンは徹底的。
飼育されているハトのすべての品種はたったひとつの原種、カワラバト Columba livia に由来するであろうこと。
もしそうでなく、”それぞれの品種はそれぞれの原種からうまれた”とするのならかなり無理のある仮定をしなければいけないこと。そのことを理路整然と指摘します。
すなわち、”ハトの飼育品種はすべて別々の原種に由来する説”が成り立つには、
:カワラバトのようでありながらまったく違う姿をした原種が何種類もいて、それらがまったく痕跡をのこさずに絶滅した、あるいは、じつは生存しているのだがいまだに人に知られていない。これらを仮定しなければ成り立たない仮説であるが、それにも関わらず明らかに近縁の仲間であるはずのカワラバトはそのへんで平気で繁殖していて絶滅しそうにないこと。
:さらにもし幾つかの原種がそれぞれ独自に家畜化されなければいけないこと。野生動物には飼育にまったく適さないものがいて、家畜化は難しいことを考えるとこの点からもありえなさそうであること。
:さらに家畜のハトはハト科の動物としては異常な特徴を持つこと。ショートフェイスト・タンブラーのくちばしやジャコビンのエリマキのような逆立った羽毛やファンテールのような尾羽など、これらハト科として異常な特徴をどう説明するか?。人間に育種されたからこそ出来上がった異常な特徴とみるべきか、じっさいにこんな得体のしれない特徴を持ったハト科の野生種がいたと仮定するべきか?。
さらにちょっと飛びますが42ページではハトの品種がそれぞれ交雑可能であることも証拠として上げています。
:もし同じ原種からつくられた子孫なら、なるほどいくら形が変化してもまだ交配できるのだな、と説明できる。しかし、もともと違う原種の子孫であるというのならなぜ交配できるのか?。もともと原種どうしが交配できたと仮定することはできるが、普通これだけ違う形態をした自然の生物種は交配しても繁殖できる子孫はうまれない。そうダーウィンは指摘します。
ちなみにここで注意を、逆にいえばここでダーウィンは人為淘汰では別種(交配しても子孫ができないという意味での別種)は作れないのだってことをいっている。だから彼のいう通りなら飼育栽培品種と自然の種はやっぱり本質的に違うんじゃないの?って思わないでくださいね(というか思ってもいいけど、それが正しいと結論するのは早すぎまいか?)。
自然界の種ってものでも平気で交配して繁殖できる子孫を残すものもいます。場合によるとA種がB種に交配によってのまれて消滅してしまうような場合もあります(ダルマガエルとトノサマガエルとか)。これを聞いてもなるほどそうかもしれないが自然界には交配不可能な種がいる、しかるにそもそも人間は同じ品種から交配不可能な子孫どうしをつくっていないじゃないかって指摘する人もいるでしょう。というか実際にいるのですが・・・。
しかしながら(倍数体とかはさておき)そもそも飼育栽培品種がお互いに交配できなくなるような淘汰を私達はしていませんよね?。だいたい育種の過程では異なる品種を交配して求める遺伝子を導入したり、本来なら交雑しない種類どうしでさえ無理矢理交配させたり交配以外の方法で遺伝子を導入したりしますからね。これでは”交配できない”という変化が起きやすいとは思えない(注:起きにくいのではないか?ということをいっているだけで、起きないといっているわけではない)。
さらに、これは北村がイヌのブリーダーの人に聞いた話なのですが、大型犬と小型犬、交配はできるのだけど、交配そのものや妊娠などがうまくいかないって話があるのです。
それが事実かどうかはともかくとしても・・・・、そもそも人間の作った飼育栽培品種のすべてが、なんの問題もなく本当に交配可能なのかちゃんと調べた人いるんでしょうか?。
閑話休題
さて本文に戻ると面白いのは40ページの説明。これまでの説明は原種が複数という仮説は無理があり、原種が1つであるという説明の方がシンプルであり、無理な仮定が必要ない(ようするに最節約である)というものです。いってみればどちらの仮説がシンプルですっきりしているのかを比較しているわけですが、40ページの説明ではハトの品種がひとつの祖先、カワラバトに由来したというもっと積極的な証拠を示しています。
ダーウィンはカワラバトの羽には独特の模様と独特な組み合わせがあり、それがハト科のなかでも独自の組み合わせであることを指摘します。それが飼育品種にもあること。そしてまったくそういう模様をもっていない品種、例えば真っ白なファンテールと真っ黒なバーブを交配する。1代目の子孫はまだらの褐色と黒。そうして今度は1代目どうしを交配すると野生のカワラバトの模様をもった雑種2代目があらわれる。これをどう説明するか?。
これは交配実験ですね。ダーウィンが植物で徹底的に雑種や交配の実験をしたのは有名ですが、ハトでもやっている。そして彼はこの事実を祖先形質への復帰の原理、同じ祖先から”昔の状態に戻りやすいという特徴を遺伝した”、というアイデアで説明します。少しまわりくどいですが、ようするに同じ祖先種のカワラバトから同じ特徴を受け継いでいるからカワラバトの模様が再現されるのだ、と考えているわけです。
彼の理解は融合遺伝に基づいているので、こういうまわりくどい説明らしいのですが(41〜42ページにかけてその説明が語られています、以下でもそれにちょっとふれます)、いずれにしても彼はこの事実から真っ白なファンテールにも真っ黒なバーブにもカワラバトの模様をつくる遺伝があることは見抜いている。
今の私達はメンデル遺伝で考えますが、ダーウィンの交配実験で具体的にどういうことが起こっているのか北村には分からないので(そもそも例えばどういう機構でファンテールが真っ白になっているのか分からない。模様の発現をおさえる遺伝子があるのか、あるいは模様を作る遺伝子が壊れたのか、あるいは配置がどうかなっちゃったのか分からない、原因が分からないから交配すると、どうして雑種2代目でカワラバトの模様が再現されるのか分かりませんが)、少なくともカワラバトの模様をつくる遺伝が両者にかくれているというダーウィンの結論は妥当なものなんでしょう。そう考えてよいように思えます。
そしてそれは同じ祖先、つまり原種のカワラバトから受け継いでいるわけです。ゆえにファンテールもバーブも他の飼育栽培品種もおなじ原種に由来する。
ちなみにダーウィンの理解の根底にあるもの、祖先形質への復帰の原理で理解できる、という言葉(原文では We can understand these facts, on the well-known principale of reversion to ancestral characters,)、彼の言葉からすると、ようするに先祖返りで理解できるってことをいっている。このことからするとやっぱりダーウィンが説得しなければいけなかった”先祖返り”と、ある特徴が祖先の状態に戻る先祖返り、とは別ものだということなんでしょう。
さて、すでに書いたのですがダーウィンは以上の説明をメンデル遺伝でなくて融合遺伝で考えているようです(当たり前だけど)。
その考えに基づいて彼は、実験に使ったファンテールとバーブが過去にカワラバトと交雑していて、その遺伝があらわれただけではないのか?、これは2つの品種がカワラバトに由来したという証拠にはならないのではないか?、という反論に答えます。
彼にいわせると、もしそんな交雑が過去にあったとしてもそのカワラバトの遺伝はファンテールが世代を重ねるごとに消えてしまうはずだ。だから成り立たない。
しかしその一方で”過去への形質に復帰する傾向”が両者にあれば、それはそのままファンテールやバーブに受け継がれていくはずだ。だからファンテールとバーブを交配すると祖先であるカワラバトの羽に先祖返りするのだ、と説明しています。これは多分こういう理解↓ではないかと思うのですが・・・
まず過去に1度ファンテールとカワラバトが交配したとして、融合遺伝の理論に基づいてその遺伝の運命を考えると多分・・
ファンテール×カワラバト
↓
1代目雑種←カワラバトの羽模様の遺伝はもとの1/2に薄まっている
↓
1代目雑種×ファンテール
↓
2代目雑種←カワラバトの羽模様の遺伝は1/4
↓
ファンテール×2代目雑種
↓
3代目雑種←カワラバトの羽模様の遺伝は1/8
↓
〜
↓
20代目雑種←カワラバトの羽模様の遺伝は1/1048576
このように融合遺伝の考え方(毎世代ごとに親の遺伝が1/2になるのなら)なら20世代目には104万分の1以下にまで遺伝が薄まってしまう。たとえファンテールとバーブが過去最近にカワラバトと交配していたとしてもこんな薄い遺伝が発現するとは考えにくい。
でももしもファンテールとバーブがカワラバトから育種される過程でカワラバトの羽模様を変異で失ったのなら、さらに祖先的な形質に戻る特徴が両者に少し残っているのなら、そういう特徴を両親が持っているのなら(というか育種されて同じ祖先を共有するならそういうことになろう)、そうした両親から子供がうまれても”祖先に戻りやすい”という特徴は薄まらない。薄めた絵の具どうしをまぜてもそれ以上は薄まらない。
だからこれは最近カワラバトと交雑したのだと考えるよりも、祖先形質に戻る傾向が保存されていたのだ(つまり同じ原種のカワラバトからつくり出されたのだ)と考える方が自然である。
どうもダーウィンはそう考えているらしい。そしてその説明に基づいて対抗仮説、つまり”実験に使ったファンテールとバーブが過去にカワラバトと交雑していて、その遺伝があらわれただけではないのか?”を否定します。
なおメンデル遺伝に基づいて説明するとこれとは少し違う論法になるのでしょう。メンデル遺伝で(単純に)考えるとファンテールとカワラバトを交配させたらカワラバトの遺伝がもし劣勢の形質なら20世代では消えないでしょう。もちろん交配している集団の大きさにもよりますけど、もしもカワラバトの羽の模様が劣勢の形質だったら(直感的には原種のカワラバトの模様が劣勢というのはあまりないような気がしますけど・・・)隠されてかなり長期間残るかもしれません。
例えばウシの品種Holstein:ホルスタイン(英名ではFriesianだそうな)。原産はドイツなのだけど品種として確立されたのはオランダ、フリースランド。ホルスタインには白黒のイメージがあるけど1870年代ごろに品種が確立した時、赤毛の遺伝子が入り込んだのだそうな。それで今でも100頭に1頭の割合で赤毛のウシが生まれてくるそうです。赤毛の遺伝子はホモ結合にならないと発現しないので、いくらそれを選抜して取り除いても、ヘテロ状態の赤毛遺伝子が残るのであまり効果はないのですよね。
参考:「遺伝学概説」(原書第7版)培風館 pp198 [Genetics Notice (seventh edition), J.F.Crow 1976 Burgess Publishing Company] 「原色図説 世界の牛」内藤元男 1978 養賢堂
でもいずれにせよ、交雑実験の結果カワラバトと同じ模様がでることから遺伝に基づいてファンテールとバーブがカワラバトという共通祖先に由来するのだ、というダーウィンの結論は妥当ではないでしょうか?。
そもそもハトの飼育家はいつ何と何を交雑させたかなんて把握しているはずだし。ファンテールとカワラバトと交配させたなんて、そんなことがあったらハトクラブで話題になりそうです。それにホルスタインの話だって劣勢ホモ接合は100頭に1頭はでてくるよって、そんな頻度の高い話ですからね。白いファンテールと黒いバーブの交配実験とは違う話になりそうです(ただ検索をかけたら少なくとも現在のファンテールにはカワラバトと良く似た(あるいは同じ)模様をもつものもあるらしい。ダーウィンの時代とは違うのでしょうか?。後、日本のファンテールと外国のファンテール、まるで姿が違う)。
興味深いのは融合遺伝でもそれなりにこういう現象が説明できるってことですね。というか当たり前の話で、現象を説明できなければだれもそんな理論に見向きもしない。説明できる理論として融合遺伝は考えられているわけだし、説明できるから受け入れられたはず。逆にいうと説明できればいいってわけじゃあないということになる。実際、天動説も地動説も天体の運行を説明できる。
だから現状では物事を説明できている理論も絶えずためさなくてはいけないことになる。そうしてニュートンの万有引力は正確にはアインシュタインの理論に置き換わったわけだし。何千年間も安定していた天動説は地動説にとって代わられ、その地動説は何百年も安定していて、いまや仮説ではなく単なる事実。
いっぽうダーウィンの進化理論はむしろ補強されて現在も中核はそのまま残り、科学者はたえまなくダーウィンの進化理論を試すというわけ。
さて、43ページからはすべてのハトの飼育品種がカワラバトから作られたという多くの博物学者たちの意見をさらに補強します。イングリッシュ・キャリアーやショートフェイスト・タンブラーには多くの品種や亜品種があり、さらに国ごとに違いがあること。それらを配置するとほとんど完全な系列をつくれること。つまるところ別種だと考える必要がない。
そしてとても長い期間、ハトは育種されてきたこと、つまりハトの飼育品種がとても大きな変化をこうむる十分な時間と労力があったことを述べています。
時間についてはハトの飼育の歴史は古いこと、紀元前3000年のエジプトやローマ帝国に記録があることなどを取り上げているのですが、北村が面白いなあと思ったのは労力の部分。インドのAkber Khan アクバル・ハーン、ようするにムガール帝国アクバル大帝(1556~1605)がハト飼育をしていたこと、品種改良をおおいにしていたこと、2万羽あまりのハトを飼っていたこと、王宮の歴史家が
イランやツランの王が非常にめずらしいハトをハーンに送られた
陛下はまったく新しい方法で品種の交雑をおこない、それらをおどろくばかり改良された
と記述していることを取り上げています。
(原文では The monarchs of Iran and Turan sent him, some very rare birds; and , continues the courtly historian, 'His Majesty by crossing the breeds, which method was never practised before, has improved them astonishingly.)
それにしてもアクバル大帝、ハト好きですかあ・・・。じつはアクバル大帝のおじいさん、モンゴル帝国の後裔、ティムール帝国の末裔にしてムガール帝国の創始者であるバーブル。バーブルは11歳の時にお父さんが死んで即位することになったんだけど、そのバーブルのお父さん、ハトが大好きだったそうな。ところがバーブルのお父さんはハト小屋でハトの世話をしている時に、城塞のハト小屋が岩盤ごとくずれて死んでしまったのだとか(北村はバーブル自身による著作、バーブル・マーナは読んでいない、それなのにこんな話をするのもどうかと思いますが、「三日月の世紀 ー「大航海時代」のトルコ、イラン、インドー」那谷敏郎 新潮選書1990 には以上のエピソードがでてきます)。
ムガール王室がハト好きな家系なのか、はたまた中央アジアの支配者はハト飼育が趣味だったりステータスだったりしたんでしょうか?(アクバル・ハーンにハトを送ったというTuranって中央アジアのトルコ系の人々のことですよねえ。当時のIranだって中央アジアからきたトルコ系のサファビー朝だし)。
ハトの育種や系統の歴史はほとんど知らないのですけど、「原色飼鳥大図鑑」保育社をみたらファンテール(クジャクバト)はインドで固定され、改良が加えられたものでって書いてある(ジャコビンはイギリスで固定されたらしいけど)。ティムール帝国はサマルカンドを首都にする中央アジアの帝国で、そこからアフガニスタンのカブールをへてバーブルはインドにやってきてムガール帝国を打ち立てた。彼らトルコ系遊牧民がくるまえからハトの飼育はインドで盛んだったのか、それともファンテールはバーブルたちの遺産なのか?、いずれなんでしょうね。そして大英帝国がインドの直接統治を開始したこの時代(種の起源は1859年、セポイの反乱は1857〜58年、イギリスのインド直接統治は1858年)、ダーウィンの時代にはイギリスにたくさんのハトの品種がいたわけです。
それにしてもアクバル大帝、余のひいおじいさまはハトとともにお亡くなりになったのだ、とか、我が王室はハトと深い縁がある、とかなんとか言っていたんでしょうか?。言っていても不思議はないように思えます。
さて、45ページからはなぜハトの品種の話をながながとしたのかが語られます。
ダーウィンにいわせるとハトの飼育品種が共通の祖先、カワラバトから由来したという説明を受け入れることと、何種類ものフィンチが同じ共通の祖先に由来するという説明を受け入れること、このどちらにも同じように自分は困難を感じたからなのだとか。逆にいえばこの困難を説明できれば品種改良と自然界での種分化を同じように説明できる。
実際、当時のかなり多くの育種家が自分達があつかっている品種はぜんぶ別起源の原種に由来すると信じていたそうです。またダーウィンの言い様からすると、彼はヒアフォード産のウシは長角のウシに由来するのではないか?と育種家に聞いて、そんなことあるわけないじゃん^^)って笑われたことがあるらしい。
だからなんですね、これだけ長々と徹底的に説明するのは。
ダーウィンのこだわりと論の進め方は徹底しています。でもおかげで注意して読まないと言わんとすることがよく分からないと受け取られるかもしれません。そもそも第1章19〜46ページのこれまでの部分でダーウィンがいっていることってようするに、
飼育栽培品種はひとつの原種に由来したもので自然界における自然の品種や種のありかたを説明できるものである
ってことなのですよね。それをまあ、飼育栽培品種では変異がおきるが、こうした変異が品種をつくる材料になること。その変異の原因の考察、いっけんまるで違う変異の相関性の考察、遺伝があるということ、(おそらくは)飼育栽培品種は原種から本質的には変化していないという意味での先祖返りという現象ははっきりとは認められていないこと、逆に言えば飼育栽培品種から自然の品種を考察することが可能であること、飼育栽培品種は1つ、あるいはせいぜい数種類の原種に由来すること、逆にいうと飼育栽培品種がそれぞれ独自の原種に由来するという説明は非現実的な仮説であること、ハトの飼育栽培品種同士の交雑実験から共通祖先を持っていることが推測できること、などなどなどなど書くこと書くこと。
なるほど徹底しています。でも、これでは「種の起源」という本が誤解されるのは当然ではないでしょうか?。何も知らない、何も理解できない、予備知識もない人間がこれを読んだら「種の起源」とは、ただ情報を網羅しているだけの本に見えてしまうんじゃないでしょうか?。
まあ、北村の知人がいったように、当時の大英帝国は今の日本と出版事情も違えば読者も違う。そもそも教養の高い上流階級の人たちが読むことを想定されているのだからこれでいいのかもしれない(たんてきにいうと北村のようなレベルの人間が読むことは想定されていないのかもしれぬ)。
とはいえ、当時の他の本や著作とくらべてどうなのだ?とは思いますし、そもそもダーウィンはあらゆることをやり、あらゆる論難に対処しようとする。それにしても普通やりますかね?、ハトの飼育栽培品種を交雑させて雑種2代目で祖先の特徴があらわれるのを確認するってこと。どうも書いてあることからすると他にもいろいろやったみたいだし。