浄め
1.聖書
2.マリア・ワルトルタ
3.ヴァッスーラ
4.地の塩である人びとは、火による試練を受けない
5.ルイザ・ピッカレータ
6.トマス・ア・ケンピス
ヨハネ3・18−19
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
ヨハネ5・24
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
ヨハネ6・47
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。
ヨハネ8・51
よくよく言っておく。私の言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。
ヨハネ11・25
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
ヨハネ12・24−26
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3./P336
「けれども病気、死、災い、悲惨な出来事が続き、皆に見捨てられる時、信、望、愛を忘れず、
『いとも高き御方の望みが実現されますように。今起きていることは私にとって有益です』と 変わらず言える人こそ、まことに言うが、神の助けを受けるに値するのみならず、神の国での
住まいが用意され、もはや清めを必要としない。」
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/6巻上/376.11/P192
でも、ラザロ、元気を出しなさい。キリストを信じる人は、もう裁きが済んでいます・・・
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/7卷中P91/463・6
まことに、わたしは言います。泥水も、太陽で蒸発されれば再び清くなります。太陽は水を温めて空へ昇らせ、有益な雨や露として降らせます。水が太陽に近づくと汚れから解放されるように、神である偉大な光に近づく霊魂は、『わたしは罪を犯して汚れています。でも、あなたに憧れます、おお、光よ』と叫びます。すると、創造主に向かって昇った魂は、潔められます。あなたがたの命を、命を買う金に変えて、死から恐怖を除きなさい。あなたがたの過去を、汚れた衣装のように脱ぎ捨てて、徳の衣を纏いなさい。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P120
‘90・3・3
覚えているであろう、あなたは死んでいたが 私が引き上げた、冷ややかだったが あなたのうちに私の炎をかきたて 愛で燃え立たせた、私に対して無関心だったが 熱意を与え 渇き求めるようにさせた。 これほどの愛をこめて造った被造物のうちに、何年もあなたの神 私は、憩いも慰めも見い出さないまま、その荒廃した地で暮らしてきた。 私は深い落胆のうちに 離れて行く様子を見て、こう言うだけでもよかった: 「この荒れ果てた乾いた地が歓喜するように! 」と。 しかしあなたの協力がほしかった、自由を侵害したくなかった。 あなたを自由にするために 愛する者よ、砂漠まではるばる引いて行き 独りにするほかなかった ♡ その時はじめてあなたは自分の裸の身に気がついて 霊魂がどれほど罪で汚れているかを悟った、そして大きな恐れを抱いて 私の足元まで飛んで来た ♡ 独りではどれほど不十分であるかをあなたは悟った、次にあなたの荒野で私がどれほど苦しみ 唇が愛に渇いて あなたのために言い表せないほど渇き切ったかを理解させた。 それから内にまむしが恐れなく巣を作り卵を産む格好の荒れ地と化した あなたの内部を視るようにさせた(**)。 ♡ 後に私の美しさが目で見えるよう 覆いが落ちるのを許した、そして我が指をもってあなたに触れ 変容させた、あなたを永遠に私のものとし 我が神秘を授ける器として仕上げるために あらゆる手だてを駆使した。 砂漠を泉に 荒野を川に変容させた、
* *この啓示の一番はじめに神は霊魂の内部が分かる霊的直感を下さいました。まむしを飼っている自分が見えました。
そうです! もう直ぐあなた方(*)の焦土を湖に、乾いた地を水溢れる泉に変えるのは 私です、死んで行くにはまかせない、聴きなさい、多くの人を奮い立たせ 聖所から発する我が声を届かせる、私を承認するように 多くのくに民に我が聖性と慈しみを示すであろう。 私は聖なる者であり 皆も聖なる生き方をしなければならないと 分からせるつもりです ♡
* 全世界
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P227
‘90・9・10
そう、この世代はすべて姦通を犯している・・・しかしあなたを救ったように あなたの世代も救うつもりです。 砂漠まで引きずって行き、あなたにしたと同じようにしなければならないとしても(*):私は彼女の目に 彼女の裸の身をさらす、そして悔い改めの声を聞いた途端、あなたのもとに飛んで来たと同じように 彼女のもとにも飛んで行く、それから我が天使たちを前にして 愛の歌を歌って聞かせよう。彼女のもとにも飛んで行く、それから我が天使たちを前にして 愛の歌を歌って聞かせよう。彼女を妄想の道からつれ戻し 我が掟の恵みを授けよう。 こうして私の手に彼女の手をとり 我が家に連れ帰って、聖心のすべての富を明かそう。 我が心が時の終わりのために取っておいた宝を:
*煉獄のような浄め。神の目で自分の罪を見たのです。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P230
‘90・9・12
あなたを救おうと思う 世代よ、はるばる砂漠まで引きずって行き 語りかけねばならないとしても、そこではあなたの不毛と からだ全体が闇に閉ざされているさまを見せよう、あなたを救うためにはそうする。 ああ、被造物よ! あなた方のためにしないことが何かあろうか・・・
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P191
‘91・9・15
一生の出来事すべてをはっきりと見るのを 霊魂に許すがゆえ。 私は 次々とそれらを繰り展げる。 あなた方の罪ゆえに、贖いの霊魂の、無実の血がどれほど流されたかに気づいて、霊魂はろうばいしよう。 次は いかに我が掟を全然守らなかったかを霊魂に見せて悟らせよう。 展げた巻き物のようにして、私は契約の櫃を開き あなたの不法を意識させる。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P88
‘92・6・16
当初あなたは 一つの目的、自分自身のため、だけに生きていた、自分の虚栄心に仕えていた。あなたは当時 身に輝きと栄光をまとっていると信じていた。 しかし現実には すっかり裸の身だった。私自身が訪れ、あなたを照らし うちなる闇に輝くまでは どれほど裸の身かを知らせる者はなかった。その時はじめて、真理の光に照らしだされた自分自身を その目で見た、あなたはありのままの自分を 見させられた。 私が思いやりを示さなかったなら 剣が待ち受けていたであろう。 しかし、私はあなたを哀れみ 慈悲をこめて、鼻から息を吹き込んで 生き返らせた。 こうして私たちの関係を 記憶に呼び覚ました ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P228
‘02・6・1
愛に基づく我が教えと 我が掟を守り、地の塩である人びとは、火による試練を受けない、私を彼らの神とし、私をいのちの主として受諾したがゆえ。 彼らはすでに試され、もはや私の一部として至高の神と一致し 絶え間なく我が聖なる光のうちに存在する。 そしてあなたも言ったように、娘よ、ノアの時代には 我が訪れと共に 天は大雨を降らせた。 そして今地上は 火によって炎に包まれ こうして試される。
天界と地獄491
直ぐ天界に挙げられる者は世で再生し、従って天界に入る準備をしていた者たちである。再生し準備していて、ただ身体にある自然的な不潔なものを斥けさえすればよい者たちは天使によりすぐ天界へ連れて行かれる。
結婚愛430
しかしこうした不潔なものは悔改めた者の愛の歓びからは発してはいない。それは彼らは世でそうしたものから洗われているためである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・12・1
「自分を捨て、自分の十字架を取ってイエズスにしたがえ。」(マタイ16・24)とはひどい言葉だと多くの人は思っている。
しかし「のろわれた者よ、わたしをはなれて永遠の火に入れ。」(マタイ25・41)という最後の言葉はもっとひどく聞こえるだろう。
だからいま喜んで十字架の言葉を聞き、これにしたがう者は、永遠の刑罰の宣告を聞く心配はあるまい。
主がさばくためにおいでになる時には、この十字架の印が天に現われるだろう。
その時生前自分を、十字架に付けられたもうお方に肖(あや)からせた十字架のしもべたちは、みな大きい信頼をもって審判者であるキリストに近づくだろう。
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P147
私はすっかり困惑してしまい、なんとお答えしてよいか分からないでいますと、イエスはお消えになりました。少ししてから戻ってこられましたが、主と一緒に、非常に死を恐れている様々な人たちを見ました。私はそれを見て申しました。
「愛すべきイエスよ、多くの人が死を恐れているのを見ますが、私が死を恐れないことは欠点でしょうか? 私が思いますには、死はいつまでも私とあなたを一致させますので、別離という私のつらい殉教も終わるでしょう。死についての考えは、私になんの恐れも生じさせないだけでなく、私にとっては慰めです。それは私に平和を与えてくれますので、私は、それと共に死をもたらす他のすべてのことを放棄して、死を大歓迎するでしょう。」
「娘よ、本当をいうと、死についてのこのおかしな恐れは、馬鹿げたことである。各自は皆私の功徳、私の徳、私の働きを、天に入るためのパスポートとしてもっているのだから。私はそれを皆に贈り物として与えて、皆に、彼らの功徳、徳、わざを付け加えてあげた。このようなこと全てがあるというのに、死について何の恐れを抱くことがあろうか? このもっとも確かなパスポートによって、霊魂は自分が望む場所に入ることができ、このパスポートのおかげで、皆彼女を尊重し、通路をあけてくれる。
あなたに関しては、私と関係したことと、崇高な善との一致はいかに甘美で愛しいものであるかを体験したのだから、まったく死を恐れる必要はない。私に捧げるために可能な、もっとも私から好まれる贈答品は、私と一致するために死を望むということである、ということも覚えておきなさい。これが、霊魂が自身を浄めるためと、何の仲介も経ずにまっすぐ天への道をたどるための、もっとも美しい心の態度である。」
こうおっしゃると、イエスは消え去られました。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・24・2
はずかしめられて、その自分の心の痛みよりも相手の悪意を悲しみ、進んで反対する者のために祈り、心からその不正をゆるし、他人のゆるしをねがうことを躊躇せず、怒りよりもあわれみの情を起しやすく、しばしばきびしく自分を抑え、肉体をまったく霊魂に従わせようと努める忍耐強い人は、大きい、ためになる煉獄の浄めをこうむっているのである。
いま罪を清め、悪を根絶やしにすることは、未来の清めの時までこれをそのままにしておくよりもはるかにまさっている。
まことに私たちはむやみに肉体を愛して、自分をあざむいているのである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・12・1
『自分を捨て、自分の十字架を取ってイエズスにしたがえ。』(マタイ16・24)とはひどい言葉だと多くの人は思っている。
しかし『のろわれた者よ、わたしをはなれて永遠の火に入れ。』(マタイ25・41)という最後の言葉はもっとひどく聞こえるだろう。
だからいま喜んで十字架の言葉を聞き、これにしたがう者は、永遠の刑罰の宣告を聞く心配はあるまい。
主がさばくためにおいでになる時には、この十字架の印が天に現われるだろう。
その時生前自分を、十字架に付けられたもうお方に肖(あや)からせた十字架のしもべたちは、みな大きい信頼をもって審判者であるキリストに近づくだろう。