浄化

 

時の終わりの使徒

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P197

 

最後の時のキリスト者は司祭以上でなければならない、反キリストの蛮族の迫害は残酷であろうから。主の傍らにいられる人は、聖なる麻を着ている人々で、彼らは苦労をいとわない。自分たちの完全さで残った僅かの信者の霊魂にタウをしるす。地獄の炎がそのしるしを消せないように、司祭たちか、否、天使たちであるべきである。空気をサタンの悪臭から清めるため、自分たちの徳の香であふれている香炉を振る天使たち、そして私であるべきです。最後の時の信者たちが最後まで、徳の道を続けられるように。以上の事を、私はあなたたちに話したかった。だが未来の善と悪とは現在に根を張っており、雪崩は雪の一粒の結晶から始まる。信仰のない、誠実のない、味わいのない、相応しくない、異端者の司祭は、同じような罪を犯している一般の信者の十倍の悪をする。それに多くの人を悪に引っ張る司祭職での堕落の不浄の教えは、利己心、貪欲を生む。司祭職においての貪欲は、どこに達するかと言えば、神殺しに達する。未来においては、神の子はもう殺される事はないが、神に対しての信仰はそのようになると考えている。そのために、尚更ただされない神殺しが行なわれるであろう。それには復活はない。おお! それは行い得る。私は見ている。未来の世紀のあまりにも多いケリオットのユダのために行われ得る恐ろしい事! 私の教会の司祭たちは根こそぎにされる。神の教会では、悪魔の誘いによって、あるいは人間の弱さにより、世紀にわたって、イエズスの裏切り者の使徒ユダに従う司祭たちや修道者が無くなる事はない。彼らが作る悪は、権力とスキャンダルの理由で、非常に重いものである。だが、神と信者の前で、私に忠実な司祭たち、修道者たちによって補われる事であろう。私の生贄によって救われ支えられているにもかかわらず、彼らは司祭の心がなく、司祭の服しか持たない地獄の蛇によって動かされ、波のうねりを煽り立てる。