最後の審判時の終わりの使徒

収穫・刈り入れ浄化

 

 

 

イザヤ30・24

 

地を耕す牛やろばはふるいや箕でえり分け醗酵させた飼葉を食べる。

 

 

 

エレミヤ15・5−7

 

エルサレムよ、誰がお前を憐れみ

誰がお前のために嘆くであろうか。

誰が安否を問おうとして、立ち寄るであろうか。

 

お前はわたしを捨て、背いて行ったと主は言われる。

わたしは手を伸ばしてお前を滅ぼす。

お前を憐れむことに疲れた。

 

わたしはこの地の町々の城門で

彼らを箕であおり、まき散らし

わが民の子らを奪い、滅ぼす。

彼らがその道を改めないからだ。

 

 

 

マタイ3・12、ルカ3・17

 

そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。

 

 

 

続 最後の審判26(最後の審判とバビロンの滅亡に併録)

 

「巡視」もまた天使により行なわれた。なぜなら状態の悪い社会が滅ぶ前には、常に巡視が行なわれるからである。天使たちは彼らに思い止まるように勧め、もしがえんじないなら、破滅を宣告した。それから彼らはまた彼らと入り混じっている善良な霊を探し求めて、これを分離した。しかし群集はその指導者によりたきつけられて、天使たちをののしり、彼らを広場に引きずり出し、これに憎むべき仕打ちを加えようとして、彼らにつかみかかった。それは丁度ソドムで行なわれたことそのままであった。彼らの大半は仁慈から分離した信仰にいた、そこには仁慈を告白しながらも恥ずべき生活をした者もいたのである。