あこがれの信州暮らし 2010年 いなずみ なおこ

トップ  読み物・目次  ←2009  2011→


あこがれの信州暮らし その88(2010年12月)

クマにあったらどうするか

あー、やれやれ。12月も中旬になり、ようやく!クマの冬眠の時期を迎えつつあります。「クマはもともと臆病な動物で、滅多に人里には近づかず、奥山でひっそりと生きている」というイメージでした。だから登山の際に鈴を鳴らして人間の存在を知らせれば、クマが人間との遭遇を避けてくれると信じていました。でも近年の出没状況をみると、最近のクマは、鈴やラジオ、人の声や車の音ですら、慣れっこになっているとしか思えません。この秋は本当にヒヤヒヤの日々でした。

そんな時に依頼された小学校5・6年生対象のブックトークに、今回は迷わず「クマ」を選びました(ブックトークというのは「読み聞かせ」ではなく、あるテーマに関して複数の本を紹介しながら、「本を読んでみたい」という気持ちになるように話をすること)。それぞれの学年で1時間づつです。

クマを題材にした童話には『クマのプーさん』やパディントンシリーズをはじめとして「クマ」を「愛すべき動物」として描いたものが多数あります。宮澤賢治の『なめとこ山の熊』をモチーフに立松和平さんが書いた『くらかけ山の熊』もぜひ読み聞かせで紹介したい本のひとつ。でも、今回ブックトークで紹介した本は姉崎等さんの『クマにあったらどうするか』(木楽社)という近年まれにみるスゴイ本。(宮崎学さんの『ツキノワグマ』『となりのツキノワグマ』も少しだけ紹介しました。これもお薦め)。実は『クマにあったらどうするか』は、2002年に話題になった大人向けの本です。アイヌ民族最後の狩人である姉崎等さんに片山龍峯さんがインタビューして350ページにまとめたもの。銃を手放すまでの60年以上の狩人生活で、単独猟で40頭、集団で獲ったものを合わせると60頭ものクマを獲った姉崎さんは誰よりもクマのことを知っています。クマの習性や生態を知っている狩人でないと、それだけの猟はできなかったでしょう。生半可な知識では「殺られる」わけですから。私自身、猟師が足跡をたどって追っていくと、ある所から突然足跡が消える「止め足」の話(猟師の眼をくらますために、クマが自分の足跡の上を全く同じように踏んで後ずさりすること)に驚き、「手負い」のクマの恐ろしさ、あるいは姉崎さんが4~5mの至近距離でクマと対峙したときの話など、読んでいて喉がカラカラになるような緊張感を味わったものです。冬眠に欠かせない「止め糞」の話(冬眠が近くなると枯れた植物質のものを摂って、肛門の出口に「栓」をすること)などは、クマを仕留めたあと一人で解体し腸や肛門の中をも、納得のいくまで観察する姉崎さんならではのものです。

小学生に話したのは、本の中のごくごく一部。クマの好きな食べものや、嫌いなもの、クマの走る速度、どれくらいの期間を母子で暮らすかなど。それでも子どもたちは、クマは何よりもヘビが嫌いという話に喜び、クマの走るスピードがオリンピック選手よりずっと速い100m 6秒!(時速60km)という事実には「おぉーっ」とどよめきが起こりまし た。いやはや、子ども向けか大人向けかに関わらず、子どもは確かな経験と鋭い観察に基づいたホンモノの本に反応するんですね。大変な集中力でした。それで「クマにあったらどうするか」って? ぜひこの本を読んでみてください。獰猛なクマなんぞ絶滅した方がいいのか、あるいはクマと共存することは可能なのかを考えるのに格好の本です。


あこがれの信州暮らし その87(2010年11月)

降参!

11月は忙しい月です。本格的な冬の訪れが迫っていますから、あれもこれもとやらなくてはならないことがいっぱいあって・・・。強い霜がおりて地上部が立ち枯れてしまったヤーコンを大急ぎで堀り上げたり、栗のイガを掃き集め、枯れたウドの茎葉を刈り取って一緒に燃やしたり・・・。好天が続きそうならサツマイモを蒸して干し(芋干し)、雨ならりんご(紅玉)のジャム作り。気温が穏やかな日には何日もかけて窓掃除・・・といった具合です。もちろん、これからニンジン、大根、太ネギ、白菜などの収穫、お菜(野沢菜)漬け、たくあん漬け・・・と冬支度のスケジュールは目白押し。庭木の冬囲いも待ってますからね。

夜になって「今日も一日よく働いたもんや!」と自画自賛しながら、入浴後にようやくホッとして本を読む幸せ。私たち夫婦のそんなささやかな幸せを邪魔するのがカメムシです。パシン、パシンと蛍光灯の笠に体当たりしながらぶんぶん飛び回るんですよね。これが私のカンに障る。何度も言いますけどね、私はムシには寛容です。私に直接かつ甚大な被害を与えるブヨを除けば、やたらに嫌ったりはいたしません。暖かい日に電柱の黒いカバーにびっしりと貼り付いてモゾモゾしているテントウムシの巨大集団なんぞは、あんまり私の好みとは言えませんけどね。でも、それが戸棚の扉の内側でない限り、大騒ぎすることなく知らん顔をしていられます。でも、カメムシは別。あのパシン、パシンの音が、静寂な読書の時間をどれほど台無しにしていることか!

奴らは、晩秋になると家の中に大量に侵入してきます。山際にあるわが家に潜り込んで越冬するのは主にスコットカメムシ、ツマジロカメムシ、そしてクサギカメムシです。窓や網戸の枠にびっしりとへばりついている集団を掃除機で吸い取ったら、排気口からの匂いの逆襲にクラクラします。小さな箒で掃き出したりもしましたよ。よ〜し、これで一掃した!と意気揚々と窓を閉めたら、窓を閉めた衝撃で今までどこにいたん?と思うくらいバラバラとさらに何匹も落ちてきます。奴らはどんな狭い隙間でも入り込めるんですよね。窓とレールの隙間、換気扇口、給排気口などにもぐり込む。こうなったら何日かかっても根気強く、彼らの絶対数を減らしていくしかありません。私は決意しましたとも!

とにかく片っ端に捕獲するしかない!何かに留まったら、すぐにプラスチックの瓶の口をカメムシの下にそっと近づける。そうすると、カメムシは簡単に瓶の中にコロンと落ちます。隙間に潜り込んだヤツはピンセットでつまみだす。もちろんすぐに蓋をしないとそりゃあもう!臭いのなんのって。たまった瓶はそのまま冷凍庫に入れて、カメムシを凍死の刑に処すことにしました。油で揚げてふりかけにでもできそうなくらいです。要するに、着々と個体数を減らせばいいんです。どんなもんだい!

11月8日(月)のことです。南から暖かな空気が流れ込み、わが家の最高気温も16℃という晴天になりました。気温が上がってきた10時ころから日当たりのいい東と南の窓や白い外壁面にカメムシが集まってきました。そして、午後1時すぎには何千匹!!という数のカメムシがび〜〜っしり。

 いやはや、こんな大発生、初めて見ました。ここ数日の残虐な殺戮作戦のタタリやろか?


あこがれの信州暮らし その86(2010年10月)

非効率的な社会だからいい

穏やかな秋です。暑くもなく寒くもなく、適度な間隔で雨が降り、大根も白菜も順調に生育し、庭ではリンドウやフジバカマ、シュウメイギクが満開で、山では松茸が何年ぶりかの豊作だそうです。3連休直前に栗が5個落ちました。あぁ!腰がよれよれになる収穫の秋の始まりです(ハァ〜)。

子どもたちが巣立ってからというもの、学校行事とは縁遠くなりました。それでも、小中一貫教育の(小学校も中学校もそれぞれ1校しかない)地区ですから、地区内でちょいちょいPTA仲間に出会います。そうすると、どちらからともなく出てくる会話は「○○ちゃん、進路決まったぁ?」

うちは上の息子が大学院に「入院」しておりまして、高学歴ワーキングプアへの道まっしぐらです。そして2番目の息子が大学4年。コヤツも今まさに兄の後を追おうとしています。ちょうど、そういう年代の子どもを抱えている親たちですから、この就職難のご時世に子どもたちが無事社会に羽ばたいていけるか?とヤキモキしてるってわけ。早々に「外資系企業に決まって・・・」という親には「よかったねぇ!」と拍手喝采。「うちなんてエントリーシートですら最初っからはじかれてばっかり。やっぱり名もない大学だと相手にされないねぇ」とため息をつく人には、かける言葉が見つかりません。いったいいつから、若者が社会の入り口で消耗し、傷つき、自信を失うようなことになったのでしょう。あっちもこっちも新採用は厳しく制限され、すでに在籍している従業員ですら危ういなんて!

信州に越してきた当初、役場や保健センターなどの公的施設に限らず、小売店や点在するたくさんの私設美術館や土産もののお店なども、やたら働いている人が多いなぁと感じたものです。事業仕分け人から見ればそれこそ「無駄!」。・・・でも、ほんとにそうなんやろか?

私が地区の保健センターに胃がん検診に行った時のことです。順番に並んで待っている時に70代後半から80代とおぼしき男性が「おら、朝飯で満腹だ。この上バリウムなんて飲めるかや?」と言い出しました。バリウム検査です。朝食をとっていたら、もちろん検査になりません。「おや、朝ご飯は食べちゃいけないんじゃなかったかい?」と近くにいた女性が言いました。「そうだ、そうだ」と周囲の人たちが言いました。近くにいた保健婦さんが「ご飯粒ひとつでも写ってしまうだよ。だから朝ご飯を食べてると検査にならないでね」と言いますと、本人は「せっかく来たんだ。ご飯粒が写ってたって構わないだよ」などと頑張って・・・。

役場でも医院でも、こんな場面にちょいちょい出くわします。こんな時、効率的な社会では容赦なく「今日はできませんので」と追い返すことでしょう。でも人員に余裕のあるこれまでのムラ社会では、追い返すのではなく、高齢の方の非論理的な話にもつきあい、諄諄と諭している様子が見られました。そんな時、これからの高齢化社会で必要なのは「効率」ではなく、優しさを生む時間的、人的「余裕」ではないかと思うんですよね。

グローバル化社会で競争に勝ち残るためには「効率化」が何より大切?でも、若者が「自分は必要とされていない」と感じ、高齢者は追い返される社会で、いったい誰が幸せになれるんだろう?


あこがれの信州暮らし その85(2010年9月)

隣人たちに脱帽!

 信州ではずっと「夏の暑さもお盆まで」と言われてきました。例年、梅雨明け後3週間ほどをしのげば、トンボやコオロギの到来と共にすっかり秋の空気に取ってかわるんです。それが今年は梅雨明け後7週間たってもまだ「盛夏」。おかげで秋野菜の播種時期を迷いに迷い、例年より遅く先日ようやく播きました。とにかく日中の強烈な日射しは畑に出る気力を萎えさせ、涼しい朝夕の時間を何とかやりくりして作業しています。

だから、地域紙に掲載された「夏の花輝く100歳の生きがい」(市民タイムス8月26日付)には驚きました。自宅の周囲と畑の土手400mほどに植えたマリーゴールドなど約500本が見事に咲いている写真つきの記事です。花作りをしている100歳の方は「(花を育てていると)自然に体が動く。命ある限りやめられない」と語っています。いるんですよねぇ!こういう方が。私のように実利的に野菜をつくるだけではなく、道行く人たちの目を楽しませるために汗を流すなんて!つくづく頭が下がります。安曇野では道路沿いの土手に色とりどりの花を植えている人も多いし、うちの近くの道路と水路を隔てるフェンス沿いに300m近くペチュニアのフラワーポットを並べている数人の女性グループもいます。当然、朝夕の時間に水やりをしておられることでしょう。脱帽!!

今、民主党代表選ではこの国を引っ張っていけるリーダーはどちらかと喧しいです。でも、この国を支えてきたのは、猛暑の中、黙々と花を植え水やりをしているこういう方たちなのでは?

さて、この夏はヒタヒタとわが家の生活圏に迫り来るクマの脅威を感じています。6月下旬から7月上旬には私が住む地域でも目撃情報が相次ぎ、小学校近くにも出没しました。小学校はうちの裏山から4kmは離れた下界にあるのに、いったいどこをどう通って行ったのか? 8月中旬には乗鞍登山道も一時立ち入り規制になったし、松本市梓川や安曇野市三郷では重傷被害も出ました。

うちの隣(といってもうちから北に200〜300m離れている)に、3年半かけて自力で建てたログハウスで、湧き水を使って暮らす素敵な一家がいます。親子ともに年齢が近く、移り住んだ共通点もあって親しくしてもらってます。

6月末の夕方近く、私が畑で収穫作業をしていたら「クマ出没にご注意ください」と市の広報車が周辺を走りました。こんなこと初めて。すぐに家の中に入って隣人に電話しました。「広報車のアナウンス聞いた?どこに出たのか知ってる?」って。そうしたら隣人(妻)は言いました。「あぁ、今日のは知らないけど、うちには5日前に来たよ」「何が?」「クマ」「えーっ!うちってどこにぃ!」「作業小屋のところ。子グマだったよ」「子グマの近くには必ず親グマがいるよ」「そうなの?子グマだけだったけどなぁ。シュルシュルっと木に登って桜の実を食べてたよ」「えーっ!出たんだ!」「だって毎年のことじゃん」「だけど、裏の山の中に出るのとそこに出るのとは違うよ」・・まったく!山麓線からさらに西に入った山際に住もうっていう人は、やっぱ違うわ、肝っ玉が。

私?私の肝は小さいです。だから、敷地内の畑に出るのに、クマ撃退用のトウガラシスプレーを持参しています。でもクマに出くわしたその時、私が風下だったらどうなるんやろ?


あこがれの信州暮らし その84(2010年7・8月)

役にたたん!

 言ってもしかたがないのに、言わずにいられない「暑いですねぇ!!」。・・・マッタク!今年の天候は派手すぎです。5月はちっとも気温が上がらず野菜の生育が極端に悪かった。梅雨の時期は「お日様、たまにはお出ましを」と乞い願った。そして、いったん梅雨明けしたら今度はギラギラと照りつける日差しがハンパじゃありません。それぞれの季節がハッキリ自己主張してるって感じ。

梅雨が明けて気温がぐんぐん上がってきたら、キュウリやサヤインゲンが続々実り、トマトもどんどん色づいてきています。でも梅雨明け後10日以上になりますが、雨がまったく降りません。天気予報で繰り返される「夕立に注意」を期待して適度な雨を待ってるんですが、結局うちには降らないんです。畑の土も連日の高温でカラッカラ。・・・嗚呼!これからしばらくは水やりに追われそうです。宮澤賢治の「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」のように、天候によって右往左往する私。「サウイフモノニワタシハナリタイ」と願っているわけではないんですが・・・。

進学して東京にいる娘から「もう、たまらん!夜になってもなかなか30度以下にならんのよ。暑くて暑くて寝られへん!やっと眠ったと思っても暑くて夜中に目が覚める」とPCメールがきました。日本各地の最高気温が37℃とか38℃とか、この頃はこんな驚く数字を普通に耳にするようになりました。今の時代はもう、西日本や関東・東海地方などではエアコンなしの生活は無理なのかもしれません。もともと環境問題にうるさい娘は、寮に備え付けでついているエアコンをできるだけ使わないようにしているようなのですが、我慢も限界のようです(一方、通学する電車の車内や大学の教室では、冷房が効きすぎていて「寒い」のだとか)。

信州で10年間過ごした娘は、夏の暑さ対策に疎いです。なんといっても、わが家では日中の最高気温が32℃33℃になろうとも、夜は西山から冷んやりとした空気が下りてきますからね。寝る時はモチロン窓やふすまを締め切って肌布団をかけて寝ています。

私は娘にいろいろアドバイスしました。「扇風機を直接からだに当てて寝ると冷えるから、自分の近くの壁や天井などに向けてブンブン回すといいよ。空気が循環するだけでもマシになる」「それでも暑くてたまらずに扇風機の風を自分に当てる場合はタイマーを使うこと」「敷き布団の上に寝ござを敷いて、氷枕をすると寝付きがよくなるよ」「以前サラワクに行ってた時によくやっていたマンディ(水浴)を頻繁にしたらどう?からだから気化熱を奪うので、ちょっとは涼しくなる」「とにかくお茶を意識して飲むこと。暑くても梅干しやお酢、カレー粉を料理に使ったり、中華料理など食欲のわくものをしっかり食べること」「試験期間だからと無理せずに、睡眠時間確保に留意すること」などなど。

この懇切丁寧なアドバイスを京都にいる息子たちにもCC:で送りました。「妹に何かアドバイスない?」って。そうしたら、下の息子(文系)は「オレはいまだにエアコンはきらいだし、まだつけなくても全然平気」とのこと。いつもは反応の遅い上の息子(理系)からもチョー短い返信メールがきました。「簡単なことや。夜活動すればいいよ」。・・・・ったくもう、ちっとも役にたたん!


あこがれの信州暮らし その83(2010年6・7月)

ついていけへん

 信州に越してきて10年、「旅行」にまったく縁がありません。思いがけず私たちには広すぎる庭つき畑つきの借家に住んじゃったものですから、毎週いえ毎日やるべきことがいっぱいあって、旅行どころではないんですよね。庭仕事も畑仕事も「今、この時期に」必要な作業が次々にあるものですから・・・。もっとも、庭や畑で作業しながら、ウグイスやイカル、シジュウカラ、カッコウなどの声を聴けるんですから、10年以上ずっと信州の田舎でグリーンツーリズムしてるようなものなんですが・・・。「八百屋おやおや」の店長さんは、透き通った口笛のような鳴き声のイカルは「マイドオオキニー」と鳴いてると言います。私には「(草とりを)ヨウヤッテルヤン」と聞こえるんですけど。

唯一、遠方の親のところに行くのが、旅行といえば旅行になるのかな?

つい先日も福岡で一人暮らしの父(80歳)のところに行きました。この2月〜3月、父は眼底検査のあと(タクシーで帰宅するように医者から言われたのに!)視界がぼんやりした状態で道を歩き、段差でつまずいて足指の骨を4ヶ所骨折して入院しておりました。パートナーは最も多忙な時期、娘は受験・合格・住まい探し・引っ越しというややこしい最中でしたので「どうしよう?」と私は青くなりました。でも、私も普段からおつきあいしている近所の方が「来んでよかとよ。もう病院に送っていって入院させてきたけん。入院しとるっちゃけん、かえって安心ったい。肌着の洗濯くらい私がしちゃるけん心配せんでよか。娘の大事な時やけん、ついてやっとかないかんよ」と言ってくださって・・。この近所の方々のご厚意と、退院時には京都にいる大学生の息子たちが駆けつけてしばらく滞在して炊事洗濯などをしてくれたおかげで、何とか乗り切ることができました。遠距離介護は大変ですが、親身になってくださる近所の方と家事をこなせる息子がいれば、何とかなるものですね。

いつもは飛行機で福岡まで飛ぶのですが、6月から新たに就航した飛行機の便が時間的に使いづらいので、今回初めて電車で行きました。特急しなのと新幹線の乗り継ぎです。速度でいえば飛行機の方が圧倒的に速いハズなのに、なぜか特急電車や新幹線の方がやたら速すぎるように感じます。私の体内の臓腑がそのスピードについていけず、しんどかった。外の景色を見たらいいかと思ったら、よけい目が回りそうでした。特急しなのはけっこう激しく横に揺れます。春に初めて特急あずさで東京とのあいだを往復した時にも、私はスピードについていけなかったものです。

父と一緒に久しぶりにテレビのニュースを見れば、アナウンサーのしゃべる速度にびっくり。天気予報の画面もつぎつぎに変わって詳細な情報満載なんですね。でもこんな速いスピードで情報を流されても、みんなついていけてるんやろか?

鳩山さんから菅さんに首相が替わったら、普天間問題はすっかりニュースから消えてしまっています。え〜っ?なんでぇ?な〜んにも解決してへんやん。「どうしたらいいか」「どんな方法があり得るか」ってな〜んも議論してへん。なんで?もう終わりなん?マスコミって閣僚人事や参議院選挙の動向、W杯しか興味ないん?・・・・・移り気なニュースにもついていけずに地団駄ふんでます。


あこがれの信州暮らし その82(2010年5・6月)

「1980年の天候」って覚えてる?

 農家の方たちが話しています。「おかしな天気だねぇ」「ちっとも大きくならないじゃん」「こんなに冷えてるようじゃ育たないせ」・・・ホントにちっとも気温が上がらない5月でした。東北地方の「ヤマセ」を想起したくらいです。おかげで、例年ならば消費するのに苦労するアスパラガスはポツリポツリとしか出てこないし、キヌサヤやスナップエンドウもちっとも育たない。キャベツやレタスの玉はいつになったら大きくなってくれるのやら・・・。挙げ句に、苗がそれほど大きくならないうちに頂花蕾をつけたブロッコリーがあっという間に花開く始末。自家消費野菜をつくってるだけの私でも「ガックリ!」なのに、出荷する農家の方たちの心中はいかばかりか。

近くの農家の方によると、今年の天候は冷害だった1980年に似てるんだそうです。私は1993年の(日照不足と長雨の影響による)米の不作と値段の高騰、そしてタイ米輸入のニュースは記憶にあるんですが、「1980年の天候が・・・」なんて言われても全くわからない。完全に消費者サイドにいましたから、1993年の米の値段の高騰しか印象に残ってないんですね。これって何だか象徴的。日々の気温や日照を気にかけながら作物を生産する人がいる一方で、そんなことまったく気にかけることもなく、むしろ今年は涼しくていいわと思いながら、食べものの値段が上がれば大騒ぎする消費者。・・・それにしても「1980年の気候と似てる」なんて言える農家の人ってスゴイよね。

1993年の米不足の時でしたか、「茶碗一杯のごはんがそんなに高い?」という主張を新聞で読んだことがあります。その時の私のメモによると、茶碗一杯のご飯が150gくらいだとすると、炊く前の米(精米)は65gくらいだそうです。これが全国平均の米の価格で計算すると30円にも満たないんだとか。5kgで3500円の有機栽培米でも約45円なんですよね。たとえば今や水筒を持ち歩く人は珍しくなり、誰も彼もペットボトルの飲料を手にしています。私たちはペットボトル飲料の値段には文句を言わないのに、なぜ米や野菜の値段がちょっと上がると大騒ぎするのか?・・・・考えさせられます。

アスパラガスやキヌサヤなどの出来がいまいちなので、庭にあるフキを炊いたり、大家さんが敷地内で採ったワラビをいただいて卵とじやわらびご飯にしたりと「あるもの」で何とかしのいでいます。種を蒔いてから3週間たってようやく大きくなった春大根の間引き菜(このあたりでは「おろぬき菜」と呼びます)を薄揚げと炊いたり、水菜やルッコラ、リーフレタスなどの間引き菜を山盛りのサラダにしたり・・。何とか育った間引き菜のおいしさを味わうことができるのも、自分で育てているからこそ。

どんな場所でどういう暮らしをしていても、プランターでほんのちょっとの野菜を育ててみることでも「生産」の体験はできます。すべてを「消費」するだけではなく、ほんのちょっとでも「生産」することでわかることって少なくない。

この夏はどんな天気になることやら。昨年の冷夏のおかげで今春の花粉症が過去に例がないくらいに軽かった私は、今年も冷夏だったらいいなぁと期待したい気持ちもあります。勝手なものですね。


あこがれの信州暮らし その81(2010年4月)

 春の「いのち」をいただきながら

 会う人ごとに「変な天気だよねぇ。からだがついていけないわ」と話しています。晴れて日中の気温が上がる日は、翌朝の最低気温がぐぐっと下がり1日の気温の変動幅が20℃近くになることも。こんな日は農作物への霜の被害を心配しなくちゃならないし、冷たい雨が降る日は日中もほとんど気温が上がらず、16℃に設定したストーブがつきっぱなしです。

以前は簡単に風邪をひいていました。しかし私も50代ですからね、賢くなったものです。4月はこまめに衣服を調節するしかないんですよね。片付けた厚手のセーターをもう一度引っ張り出す勇気を持たなければなりません。せっかくクリーニングに出したんだからとケチって「我慢しよう」「気合いで乗り越えよう」なんて気をおこしちゃいけません。スタッドレスタイヤもようやく普通タイヤに履き替えました。山沿いにあるわが家は4月下旬まで油断できないんです。今年も4月17日に15cmほど雪が積もりました。

例年に比べて気温の低い日が多いせいで畑仕事は進まず、作物の生育状況も悪いです。でも、こういう時こそ収穫後に備蓄していた野菜が威力を発揮します。うちにはまだ白菜も大根もあるんです。実は4月上旬でも白菜がまだ20個近くあって「どーする?」と途方に暮れていたものです。もちろん外葉部分は枯れ枯れなんですけど、何枚か剥いてやると大丈夫。いろんな友人知人にお裾分けする一方で大量に塩漬けしたら、これがまた旨い!冬越ししてさらに甘くなったみたいです。サラダ感覚で毎日シャクシャク食べてます。

ニンジン、ジャガイモ、タマネギは春の訪れとともに芽がニョキニョキ伸びてきますから、競争するように食べていきます。保存していた段ボールの中からこちらめがけて一斉に伸びているジャガイモの芽の力強いことといったら!まさに「生きてる」って感じ。もちろん、ジャガイモの芽にはソラニンという強毒が含まれていますから、この芽をしっかり取らなきゃならないんですが、「いのち」をいただいているという実感!市販のジャガイモは微量の放射線照射で芽のもとになる細胞だけ分裂できないようにする「芽止め」処理がされていますから、ジャガイモが「生きてる」なんて普通は感じない。信州では新ジャガを収穫するのは夏ですから、それまでの端境期のこの時期、「いのち」をごく身近に感じることができます。

それでも、青もの野菜が恋しくなってきた頃です。(小松菜や野沢菜の)菜の花やウドばっかりでもなぁ・・・と思っていたら、大家さんが畑のホウレンソウやちりめん冬菜をお裾分けしてくださいました。おいしい!長く零下の気温に耐えてきただけに驚くほど甘いです。そして、大家さんが原木に椎茸菌糸のついた種駒を埋め込んで(「駒打ち」して)栽培した生椎茸、さらに大家さんちの池のそばのわき水のところで大きく育ったワサビも何度もいただいています。いやはや、「食べもの」って労働あってこそのものなんだ!と改めて思います。まだまだ、大家さんにはかないませんわ。

「おいしいねぇ」と2人向き合って食べております。「子ども全員が巣立って、寂しいでしょう」って? いえいえ、スイートルーム状態です。子どもたちは「父さんも苦労多いね」と申しております。


あこがれの信州暮らし その80(2010年3月)

素晴らしい出会いがありますように 

 庭の花壇ではフクジュソウ、クロッカス、そしてクリスマスローズが春を告げ、玄関先ではミスミソウ(雪割草)やシロバナショウジョウバカマが春爛漫という勢いです。その花を眺める暇がありません。
 この3月、娘が高校を卒業し大学に合格しました。やれやれです。しかし、それからが大変。住まい探しと引っ越し準備で、今世界では何が起こっているのかわからないような怒濤の日々です。関西へと巣立った兄たちとは違って、娘は東京に行くことになりました。学生時代を京都で過ごした私にとって、東京は遙かなる未知の国です。これまで3回しか足を踏み入れていません。その東京で娘の住まいを探すのが、これほど困難を伴うものだったとは!
 ネットを駆使して事前に下調べはしておりました。もちろん、東京の学生向けワンルームが信州のわが家(5LDK)の家賃よりも高いらしいとは知っていました。でも、な〜に!私の嗅覚でもって根気よく探せば「古くても小綺麗な」そして「安価な」部屋が必ず見つかると高をくくっていたんです。
 甘かった!大学生協に張り出された物件のカードを娘と2人で片っ端に吟味していくのですが、目玉が飛び出るどころか、私の脳みそがぐちゃぐちゃに混乱しそうな金額が並んでいるんです。そのカードを躊躇なく取り出し、次々に決めていく周囲の親子。ため息をつき、途方に暮れている私たち親子。アルバイトの学生さんも見かねて一緒に探してくれました。しかし、私たちの予算に合うものがない。3日間粘ってもまだ決まらず、結局大学生協の斡旋ではなくネットで探した、改築したてのシェアハウスに決めて5日目に帰宅しました。予算の上限を少し超えてはいたんですが・・・。
 もちろん大学の寮に応募はしていました。でも倍率が高いので期待できません。・・・ところが、なんと1週間後に入寮許可通知が届きました。3人の子どもが全員自宅外の大学生や大学院生というわが家の状況に同情してもらえたのか、思いがけない知らせに大学の合格発表より興奮しました。とにかく親にとっては実にめでたい!娘は、ちょっと複雑そうでした。シェアハウスはこの春オープンのところで内装は新品。共用とはいえ広いシステムキッチンで、料理好きな彼女は見学時に目を輝かせていました。圧倒的な家賃の差さえなければ、当然このシェアハウスを選んだことでしょう。
 彼女は寮を選びました。もちろん家計を考えて・・・。でも、それだけではなく「具体的な生活の場で、他の学生、特に(英語圏の人に限らない)たくさんの留学生と触れあい、刺激しあえる」それに「自分で働いたお金で家賃を払う社会人の人たちと、仕送りをしてもらって家賃を払う自分が同じシェアハウスで、こんないい部屋に住んでもいいのか?」と思ったそうです。寮は大学から少し遠いです。キッチンは超ミニ。シャワーとトイレが見事に(隣り合ってるんじゃなく)合体!しているという(究極の)効率を求めたつくりで、見学した時には思わず息をのんだほどです。それでも私が「みんな工夫しながら暮らしてるんだろうね」と言うと、娘は「そうだよねぇ」と深く頷きました。
 どんな場所でも、どんな環境でも、いろいろ工夫しながら乗り切っていく・・・そんな貴重な経験ができそうです。これから、素晴らしい出会いがいっぱいありますように。

 あこがれの信州暮らし その79(2010年2月)

「メダルをとろうと思わんでええんや」
 保存している秋野菜を、冬の間ずっと食べています。発泡スチロールの箱に大根を入れておくと、収穫して3ヶ月にもなるのに今もまだ瑞々しい大根おろしを食べることができるんです。ついでにカブもホウレンソウも水菜も(根っこつきで)入れておいたら、驚くほど新鮮でした。それでも、さすがに2月も中旬を過ぎると葉もの野菜は食べ尽くし、もっぱら大根、白菜、タマネギ、人参、太ネギ、ジャガイモ、キャベツをあれこれ組み合わせて、和風、中華風、洋風、エスニック風・・・同じ材料だと気づかれない位に手を替え品を替え・・・はぁ、大変ですわ!でも、もうじき小松菜や野沢菜の菜花が伸びてきて、フキノトウやノカンゾウの芽も出てきます。それまでの辛抱、辛抱。

淡々と過ごした冬でした。どこにも行かず、家の中に籠っておりました。・・・というのも明朝、大学受験へと旅立つ娘がおりますのでね。今年はとりわけ(流行はすでに下火とはいえ)新型インフルエンザの心配がありましたから、できるだけ出歩かないように私まで自重しておりました。

娘の友人の中には、早々に推薦入試で決まった子がいる一方で、センター試験の受験科目を間違ってしまった子も・・。複数科目が一緒に綴じてある問題冊子から自分の選択科目を選んで解答する時に「政経」ではなく「現社」を解き始めたり、「数TB」と間違えて「数T」を解いてしまったり・・。娘の仲のよい友人も1日目の最初の科目でこれをやってしまい、試験時間の半分近くになってから気づいてパニックになり、それからあとの科目はショックで胸はむかむかするわ、頭はふらふらするわ、やっとのことで受験を終えたんだそうです。・・それでも最後までよく頑張ったよね!センター試験の点数による第一段階選抜の足切りにひっかかって二次試験が受けられないクラスメートもいます。それでも、休まずに学校に来て淡々と勉強してるんだとか。自分は受験できない二次試験直前で周囲は何となく浮き足だってるだろうに・・。でも、必ず報われる時がくるからね。

うちにはどんな大変な時も「大丈夫。何とかなるさ」と言い切る大人がひとりいます。子どもがテストでどんな点数を持ち帰っても、(私はすかさず「できてない」部分を見つけるのが得意なんですが)彼は必ず、まずは「できている」部分を見つけて「すごいやん」「こんなんができるなんて、大したもんや」と褒めます。以前ふたりだけの時に「できてない部分が気にはならへんの?」と聞いたことがありますが、彼曰く「できてないことって自分がいちばんわかってるよ」とのこと。「できたことに自信をもてば十分」。はい、おかげ様で3人の子みんな、お気楽な楽天家に育ちました。

先日、娘が「給与奨学金をもらうのって入試の成績で決まるん?だったら私、相当頑張らんと。うちも大変やしね」と言いました。私は思わず「そらそうや!」と言いそうになったのですが、彼は「そんなこと心配せんでええって。大丈夫。お金は何とかなるから」と言いました。何とかなるなんてことは(決して!)ないってことを私はよ〜〜く知っておりますが、「最後まで完走したとか、転んでもくさらずに最後までちゃんと演技できたとか、それでええんや。メダルをとろうとするから硬くなる。ひとりで出かけて無事に受験できたら、それだけで大したもんや」と言う彼に、大きく頷いたのでした。


あこがれの信州暮らし その78(2010年1月)

「本当に何も言わないの?」

この冬は寒いです。これが本当に寒いのか、寄る年波のせいかはわかりません。昔、年配の女性ってやたら厚着をしている気がしていました。ぼこぼこに着ぶくれた服のそのまた上にかっぽう着を着て、首にはスカーフをぐるぐる巻き、帽子を被って、厚いキルト地のズボン(「パンツ」ではなく「ズボン」!)を履いて・・・・あれっ?今の私そのもの?!

若いお母さんたちから中学校の制服について相談されました。曰く、「制服があまりに高額」(男子の学生服上下で3万5千円前後。女子のブレザー・ベスト・スカートで4万3千円前後。もちろん白のカッターシャツや夏服はまた別ですから、多くの親のスーツより高価かも?)「女子のスカートは信州の冬には寒すぎるのでは?」「特に男子は成長著しい時期だし、一度は買い換えなきゃならない?」・・などなど。1月下旬の今頃がこの春入学の子が制服を注文する時期なんですよね。

えぇ、わが家の子どもたちも制服を巡ってはイロイロありました。他県で中学に入学した上の息子の時は「標準服にしか過ぎない制服を強制はできないはず」と自由服登校を試みようとして、当時の校長や教育委員会とさんざん揉めました。信州に越してきてから中学進学した下の息子の時には、小6の時点で私が仲間を募って学年の親子全員にアンケートをとりました。結果、子どもの7%しか自由服希望はいませんでした(多くの子にとって制服は「一度は着てみたい」らしい)。それでも息子は、入学後も生徒会や文化祭の意見文発表などで制服問題を取り上げていました(「衣替えの時期が決められているのはおかしい」ということ以外、目立った成果なし)。そして、3人目ともなると親の方は年老いて(?)意見を言う気力がなくなっていた入学説明会で、娘自身が「どうして男はズボン、女はスカートという区別があるのですか?」と質問して、中学の先生が答えられずに沈黙してしまうという「事件」もありました。娘は入学後も3年間ずっとスラックスで通しました。

制服のために首筋などのアトピー症状が悪化するという子がいます。制服が学校という「同調圧力」の象徴に感じて苦しくなるという不登校気味の子もいます。そしてこの不況下、制服を購入するお金を捻出するのが苦しい人も・・。そんな状況が確かに「学校」現場にある中で、私たち大人は(その当事者ではないとしても)どうしたらいいのでしょう。私はこう伝えました。「わが子と一緒に家庭の中でとことん話し合う素材として制服問題ほどいいものはありません。自分は、わが子はどうするか?自分の意見をどう表明し、どう行動するか?たとえ自分自身は制服がよくても、自分が多数者側にいることで少数者を圧迫することにならないか?など考えることがいっぱいありますから」と。

15年前に過ごしたアメリカ・ボストン近郊のシュタイナー学校でのことです。ある夜、保護者会で日本の制服を話題にしたことがあります。次々に驚きの声があがる中で発言した一人の父親の意見が忘れられません。「ボクは揃った服ってけっこう好きだよ。だって見た目が綺麗でしょ?聖歌隊なんていいよね。ただ、わからないのは、子どもが毎日着る服を強制されるってことについて、日本の親たちは本当に何も言わないのかい?」


トップ  読み物・目次  ←2009  2011→