あこがれの信州暮らし 2009年  いなずみ なおこ

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   あこがれの信州暮らし その77(2009年12月)

お古を着てても心は錦   

末っ子(高3)の学資保険が満期を迎えました。昔、年齢がひと回り上の人から「今は大変でも学資保険だけは掛けておく方がいいよ。親に万一のことがあっても、子どもの進学費用を心配しなくてすむからね。それに配当金がつくから、満期時には掛け金総額の1.5倍近く受け取れるよ」と言われて掛け始めた私たち。でも、もともと家計全体に占める食費の割合が高いのに加え、特に子どもが保育園児だった頃は、保育料と3人の子の学資保険の掛け金で本当に苦しかった。それなのに受け取った配当金は満期保険金の1%あるかないか(トホホのホ)。それでも、3人の子どもが皆、入院保険金には一度も縁がなく無事に育ち、親にも万一のことがなく過ごせたことに感謝!です。

来年度から始まる予定の子ども手当には該当しないし、(来春には末っ子も高校卒業ですから)高校の授業料実質無料化の恩恵にも浴することはできません。だから「えぇ〜っ!なんだかずいぶん損してない?」の世代です。でも、子どもは社会で育てるという理念には賛成。本当は「子ども手当」よりは、大学を含むすべての教育費無料化が理想ですよね。子ども手当はその第一歩になるんじゃないでしょうか?

末っ子が運良く来春の受験に合格すれば、わが家は大学生3人を抱えることになります。上の息子は大学「院」に「入院」しており、当分「退院」しそうにないし、2番目の息子もアブナイ。・・・これはえらいことですよ。学資保険は学部4年間しか想定していませんからね。えぇ、わが家はとっくに「事業仕分け」をしてきました。家は買わない、車は中古を親からもらう、たばこは吸わない、つきあいの時以外ふだんは飲酒しない、・・・。パートナーも私も、自然と本そして音楽さえ身近にあればハッピーですから。日曜日に家で受験勉強している娘に「父さんと母さんはデートしてこようと思うけど、一緒に行く?」と声をかけたら「いや、いい。どーせ、ハマフラワーパーク(園芸店)とみどりの店(JA農業資材の店)でしょ?」と言って、机に向かったまま振り返りもせずにバイバイされました。あっそう。それにしても、なんて安上がりの夫婦でしょう!

学生結婚して以来29年。私たち夫婦が買った服は(肌着以外は)数えることができるほど。私のスーツだって(体形の変化があまりなかったおかげで)ずっと同じ2着のみです(夏用と春秋冬用)。それ以外の服も亡き母や恩師や友人たち(年下も含む)から譲って頂いた服の寸法直しをし、時にはしみ抜きをして着ています。そりゃぁ、私だって着てみたい好みの服はあります。フェアトレードの服でも着たら「馬子にも衣装」だと思います。でも、私たちは衣服費より食費や書籍費捻出の方が重要でした。結局、大学生の息子たちも似たような生活ぶり。制服のない高校に通う娘も新品の服ではなく、多方面から譲って頂いた服をじょうずに組み合わせて着ています。彼女が今、着ている防寒着も私が20年ほど前に着ていたもの。先日、「今までずっとお古でよく辛抱したね。卒業進学も近いから新しいジャンパーを買ってあげようか」と言ったら、「私はいいよ。母さんのを買いなよ」。・・・泣かせるじゃぁありませんか!!


  あこがれの信州暮らし その76(2009年11月)

度胸が違うわ!

毎朝、目覚めると真っ先に地域紙の天気予報欄を見ます。農的生活の随伴者は何と言っても「お天気」ですから。とりわけ「凍みる」季節を前にしたこの時期は、やっておかなくてはならないことがたくさんあります。干し芋づくり、干し柿を手揉みする、大根・人参・太ネギ・カブ・キャベツなどを収穫して収納する、野沢菜漬け、沢あん漬け、庭木の剪定と冬囲い、そして車は冬タイヤに交換して・・・・・、「To Doリスト」にずらりと並んだ項目を眺めながら私は少し焦り気味。このところ、週末が悪天候のことが多くて、はかどってないんです。どんな作業でもひとりでやれないことはないけれども、やっぱりひとりだといちいち大変。高3の娘は週末もたびたび模試があって、もはや戦力にはなりませんから、この頃はすっかりパートナーと二人です。彼が動ける週末に冷たい雨でも降られるとホント困る! えっ?!今度の週末に仕事が入った?・・・キャンセルできへん?

渋柿は11月初旬に大家さんが収穫しました。「とって下さい」と言われていたのに、とれずにいたんです。夏のあいだにうっかり見過ごしていたキイロスズメバチの巣が柿の木のすぐそばにありまして、直径60cmくらいの岩と見間違うような大きなものになってしまい・・・。秋口にその巣の存在を知らずに近づいた大家さんは、近づいただけで2発刺されました。どんどん熟れていく柿とますます巨大化していくハチの巣とを遠くから眺めながら、私たちは「今年は干し柿をあきらめなくちゃ」と話しておりました。昔、ハチの研究をしていたパートナーは(その頃に扱っていた大量のハチの怨念のせいで?)ハチ毒アレルギーになっており、こんど刺されたらヤバイ状況。実際、20年ほど前にスマトラ島で刺された時にはしばらく意識不明になりました。

ある日、「私がやってみますで」と大家さんが立ち上がりました。分厚い服の上にカッパを着て、皮手袋をつけ、顔から首にかけて防虫網のついた帽子を被って・・・。「えぇ〜っ!大丈夫ですかぁ?!」私はオロオロして遠巻きに眺めるだけ。「ねぇ大家さん。今年はやめましょうよ。危ないもの」「えぇっ?ホンマにやるんですか?」・・・もし、大家さんがハチの集中砲火を浴びて「ぎゃぁーっ!」ってことになったら、どうしたらいい?駆けつけた私も刺されるだけだよね。救急車を呼ぶ?

遠くのあぜ道をウロウロしている私を尻目に大家さんは柿の木に近づき、緊張した面持ちながら淡々と採り始めました。ホンマに大丈夫かなぁ・・・。

その日、気温が少し低かったおかげでしょうか、大家さんは無事でした(ホッ)。私は翌日から4日がかりで渋柿の皮をむいて2階のベランダに吊るしました。全部で319個。吊るした柿に早速キイロスズメバチが数匹やってきて何個かかじったのにはビビリましたよ。報復やろか?

私は表面が乾いてきた柿を揉み始めました。硬い芯も優しく丁寧に揉むと干した柿がぽったりと柔らかくなります。そしていっぺんに飴色になり、甘い匂いが漂い始め・・・そこに今度はコアシナガバチ。そしてハエも。(ベランダの内側には高3生の勉強机がありますから、頭の黒いネズミにもご用心!)

敵の多いこと!でも、大家さんが「命がけ」でとった柿ですもの、無駄にできませんよね。


 あこがれの信州暮らし その75(2009年10月)

 ひとりで乗り越える経験を

毎年10月前半は栗拾いに追われています。2本の栗の木は、うちの畑のすぐ横にあり、もちろん大家さんのものです。その敷地内の栗を拾いに行くのに、籠に鈴をつけ、ラジオを大音量で鳴らし、ポケットにはトウガラシスプレーを忍ばせています(もちろんクマ対策)。・・・いやはや、栗拾いもだんだん命がけになってきました。

先日、娘(高3)の受験時の宿泊を予約しました(シンプルなビジネスホテル)。上の息子2人の時に経験済みですから慣れてるハズなんですけど、それでも今度は娘ですから少し気を使います。・・とは言うものの、わが家の財布の紐はかなりきついので、宿泊や交通機関の情報を集め、親子で何回相談したことでしょう。えぇ、受験は子どもがひとりで行くことにしています。今どきは親がついていく場合が多いそうですが、子どもが親元を離れて大学に行きたいと言うからには、不案内な街で、不安な気持ちで、それでも一人で自分を奮い立たせながら挑むことも大事では?それもこれも含めてトライするのが受験だし、これからの自立への第一歩になるような気がするんです。

私自身の受験を思い出します。事前に大学訪問するような経済的余裕はありませんでした。地図を見ながらたどりついたのは、部屋の四隅に小さな丸電球があるだけの共済組合の古い宿。ひとつの電球の下に座卓を寄せて、寒さに震えながら毛布をかぶって勉強したものです。当時は3月初旬に3日間で5教科の試験があったのですが、ある朝5cmほどの雪がつもっていました。九州・佐賀県から出てきた私の服装は、制服の上に高校指定の薄っぺらい紺色のコート。くつは薄底の皮靴。受験会場に出かけてみると、あったかそうなセーターにGパン、ダッフルコートやマフラーなどの受験生がいっぱいでした。制服の世界しか知らなかった私の、この時の驚きといったら!

宿でつくってもらった簡素な弁当を中庭で立って食べました。生協食堂のメニューを食べないのに、中に入ってはいけないと思い込んでいたウブな私。足の裏からじんじん冷えてきて、雪の上で足踏みしながら食べたあのみじめな気分。そして、あろうことか不順だった月経が始まりました。月経過多なので、なんと5枚のナプキンをずらしながら重ねて1教科2時間だか2時間半だかを乗り切ろうとしました。椅子に座っても落ち着かない体勢で、漏れないかとヒヤヒヤしながら・・・。その上、女子学生が少なかったせいか、女子トイレは各階にはなく、トイレへの道のりが途方もなく遠かった。(今は、申し出ればトイレに近い教室で受験できるハズです。)

本当に、私はこの時の受験で鍛えられたと思います。そして、眼を見開かされました。寒い日に暖かい格好をするのは当然だということ。「受験は制服で」なんて誰が言ったんだ?当たり前だと思っていた制服が、知らず知らずに私自身の思考まで固定化していたと痛感しました。そして、困った時に困ったと言うことは、決してわがままじゃないってことも。

 ・・だから、(娘に限らず)すべての子どもたちに伝えたい。困った時には助けを求めていいんだよ。(親や先生ではない)誰かの助けを得ながら、ひとりで何とか乗り切っていくそのことが、必ず君自身の力になるからねって。


  あこがれの信州暮らし その74(2009年9月)

志ある人を支えたい

いきなり秋になりました。おかげで、短期間しか使わなかった扇風機の羽根を洗って収納し、座布団を夏用から秋冬用に替え、タンスの衣類を入れ替え、肌布団を羽毛布団に替え、それでも足りなくて毛布も出して・・・と家族で分担しながら大忙しです。だって、朝の気温が突然9℃になるんだもの。いつでも使えるようにとストーブの準備もね。

この夏は長雨の影響でトマトやズッキーニ、ゴーヤが不調だったり、例年6月に実るラズベリーが9月になってようやく実り始めたり・・などなど、うちの庭や畑では(周囲の農家の人の話でも)異変が多くありました。それなのに、店先には当たり前のように野菜や果物が並んでいます。

イネも日照不足が心配されていましたよね。一時期、農協に「いもち病」予防の農薬が山となって積まれていてビックリしました。このあたりの農家の方たちは、自家消費の野菜などに関しては大抵のことには「仕方ないね」とあまり執着しない様子なのですが、出荷するとなると「仕方ないね」では済まない。私たち消費者は、いつもと変らぬ値段と品質を当たり前のように求めるけれど、その陰で毎日見回って手入れしながらため息をついている人、本当は使いたくない農薬の出費に泣いている人がいるってことを、もっと知る必要があります。まして、自然食品店にある無農薬有機食品は、不順な天候の影響をモロに受けて苦労している生産者がいるからこそ。私たちは値段だけに目を奪われがちですが、そんな志ある生産者を支えていく仕組みが(生協に限らず)必要なのでは?

歴史的な政権交代なんだそうです。でも、あまりにも極端な選挙結果は何によってもたらされたのかを考えると、恐いものがあります。その時々のムードが、こんなに変わっちゃっていいんだろうか?二大政党制って、これからも前回や今回の選挙のように一種のムードで決まっちゃうんだろうか。そのムードメーカーって、いったい誰なんだろう? 

ちょうど、ファッション業界が「今年の流行はコレです」と言って大量に売り出せば、誰もがその流行の服を着ているような・・・そんな感じと似てない? レギンスにチュニックだの、手の甲まで隠す袖丈だの、シャツの裾を出してジャケットを羽織るだの、定番テンセルだの・・・いったい何なのか?(確かに私は流行に疎いです。ほとんど私の知らない言葉が飛び交っています。でも、それは「遅れてる」んじゃなくて、「流行に振り回されていない」と言ってほしい!)・・・ファッションにしろ、政治にしろ、何らかの仕掛けに踊らされるんじゃなくて、自分の眼で冷静に見極め、自分スタイルを貫く力を持ちたいとつくづく思います。

新政権の閣僚が誰かとか与党内の政治駆け引きなんて興味ない。その閣僚がどんな仕事をするかに目を凝らしたいです。たとえば公務員削減なんて一般受けする言葉を使いながら、実は公的な機関ですら非正規雇用や臨時職員が増加している実情をどう考えるのかを聞きたい。人員削減とか効率化によって誰かが幸せになった例が今まであっただろうか?

少数意見がなかなか反映されない二大政党制。有機農家も少数政党も、支えなければ存続できない。私たち次第です。


   あこがれの信州暮らし その73(2009年8月)

大切な“無”の時間

ようやくやってきました、信州の夏。外はジリジリと暑いんですが、日陰では涼風が吹くカラッとした空気。これこれっ、これが信州の夏ですよ。やっと!梅干しの天日干しも完了。今年はもう夏が来ないのかと思ったくらいでしたからね。あれっ?ひょっとして、もう秋になろうとしてる?

連日の雨で私が手出しできないのをいいことに、ぐんぐん伸びていつにも増して元気だったのは雑草です。6月に延べ20時間もの時間をかけて草取りをしたというのに、庭も畑もたった1ヶ月で悲惨な状況に。おかげで、このお盆休みは連日3時間の草取りです。パートナーも畑の畦や土手の草刈りに追われ・・・。それぞれ非農家出身の私たちが、いったいどうしてこんなことになっちゃったのかと時々ふっと思うんですけど、深く考えている暇はありません。とにかく目の前のボーボーの草を何とかしなければならないんです。でも、こんなふうに何も考えずに黙々と草取りをする、そんな“無”の時間が私たちの精神安定に深くかかわっているのかも?とこの頃よく思います。私たちの仕事や生活って、いつも何かしら懸念事項があって、心を“無”にすることなんてなかなかないものね。世の中、やたら活動的に「意味あること」をやってないといけないような雰囲気があるけれど、はたして本当にそのことが人を幸せにしているんだろうか?沈思黙考するような時間はあるんだろうか?

子どもを育てている時にも、「意味あること」に駆り立てたくなるものです。幼児期を過ぎる頃から、やらせたい習い事やスポーツはたくさんあります。できないよりはできた方がいい。何かひとつでも得意なものを身につければ自信になるだろう。ただ遊んでいるよりいいのでは?・・・親たちが皆、わが子に過大な期待をしているというわけではなく、豊かな人生をと願ってのことなのですが・・・。

上の息子が小1の初夏のことです。友だちはサッカーやリトル(少年野球)などに出かけて、たまたま誰も遊ぶ友だちがいなかった午後のこと。息子はひとりで地面に絵を描いたり、道行く人をぼーっと眺めておりました。しばらくして、息子が「母さん、母さん」と小声で呼びます。生後半年の子に授乳し3才の子を寝かしつけてから外に出てみると、息子が「こっち、こっち」と手招きします。「あのね、こいつズルイんで。この花の入り口から入らずに、こんなところに穴をあけて蜜を吸いよるんや」。アパートの庭に植わっていたコンフリー(ヒレハリソウ)の花(薄紫色。つりがね形で下向きに咲く)の基部に小さな穴があり、その穴からマルハナバチの一種が口を突き刺して蜜を吸っているのでした。よく見ると、コンフリーの花という花に、この小さな穴がありました。コンフリーにしてみれば、花の入り口から花の奥までハチに潜り込んでもらい蜜を吸わせるかわりに花粉を運んでもらおうという戦略なんでしょうけれど、口吻の短いタイプのハチが蜜を吸いたいがために、こんな技を身につけていたとは!これを「盗蜜」というのだそうです。無銭飲食とでも申ましょうか、そう、「ズルイ」やりくち。私は驚きました。6才の子でも「暇」だと、こんなことも発見するんですね。大人から教わるのではなく、こうやって自分で「発見」することがどんなにワクワクすることか!・・・こうして私は、大人が腹をくくりさえすれば子どもは自分で(!)豊かな世界を創り出すってことを知りました。


   あこがれの信州暮らし その72(2009年7月)

いま何時やと思てんねん!

 毎年6月に入ると2ヶ月以上カッコウの鳴き声がこのあたり一帯にこだまします。電線に止まって尾を上げ下げしながら、胸に拡声器でも備えているんじゃないかと思うくらいの大音量で・・・。そりゃあ、安曇平を一望するこの場所で鳴くのは気持ちいいことでしょうよ。そやけどアンタ、いま何時やと思てんねん!朝の4時40分やんか。勘弁してよぉ。

ところが昨年、かしこい私は思いついたんです。カッコウってオスが「この場所はオレの縄張りなんやぞ」と宣言するために鳴いてるんでしょ?そしたら、私が♪カッコウ、カッコウ♪と鳴いて、別のオスがここにいるとアヤツに思わせたら退散するんちゃうか?ってね。やってみましたとも! 彼が気持ちよさそうに♪カッコウ、カッコウ♪と鳴き始めた時に、すかさず私も♪カッコウ、カッコウ♪(絶対音感には自信あります)。ピタッと鳴き止んだ彼はクルッとからだの向きをかえてこちらを睨み黙っておりましたが、しばらくすると再び♪カッコウ、カッコウ♪。私も負けずに♪カッコウ、カッコウ♪、もひとつおまけに♪カッコウ、カッコウ♪。そうしたら、彼どうしたと思います? 止まっていた電線から一直線に、私の足元から30cmくらいの地面すれすれをかすめ、近くのネムノキの枝へすごいスピードで飛んだんです!すごい形相で!(これはウソ。表情まで分かるわけありません)。たまたま2階の部屋から笑いながら見ていた娘もビックリ。私が追い打ちをかけるようにもう一度♪カッコウ、カッコウ♪と鳴いてみせたら、彼はネムノキの枝から羽音をたてて下界へと飛んで行きました。ほ〜らねっ!

こうしてようやく安眠できた昨年の夏。今年はどうかなと思っておりましたら、性懲りもなく来たんです、アヤツが。えぇ、同じ顔(?)をしております。はたして、彼は今年も堂々と♪カッコウ、カッコウ♪と鳴き、負けずに私もまた♪カッコウ、カッコウ♪と鳴きました。そうしたら彼はすぐに黙りこくってしまい、しばしの沈黙のあとバタバタッと羽音をたてて飛び去りました。ネッ、すごいでしょ?撃退成功!

カッコウは確かに私の家の敷地からは遠ざかりました。遠くで鳴いております。そのかわり、例年以上に(カッコウが托卵しているという)モズが増えてるような気がするんです。

庭の巣箱に今年もシジュウカラが巣をつくりました。6月上旬に巣箱から雛の声が聴こえ始めたら、いやにモズが近寄るものですから、シジュウカラの親鳥は警戒して必死に鳴いておりました。知り合いの鳥の研究者に聞くと「それは間違いなく雛はモズにやられます」とのこと。無条件でか弱きものの味方をするパートナーは、肉食のモズが巣箱に近づくと「こらぁ〜!」。でも昼間の番人(私)も忙しいんです。1週間後パタッと雛の声がしなくなり、シジュウカラの親も去ってしまいました。あ〜あ!

そして今、朝の4時40分から別の透き通った美声が響いてきます。昔、カッコウに托卵されていたというホオジロです。クヌギの梢のてっぺんで、胸を反らせて高らかに!♪チョッチョッピーチリーチョ、チョッチョッピーチリーチョ♪ いったい、いま何時やと思てんねん!そやけど、ホオジロの鳴き声を真似るのって、これは相当!難しい。だいぶ練習しないといけません。

娘は「うちが隣のないとこでよかったわぁ。メッチャ恥ずかしいやん」と言っております。


   あこがれの信州暮らし その71(2009年6月)

ことばの力

今朝(6月2日)の地域紙によると、松本市でこの春確認されたヒノキ花粉の飛散量が96年の観測開始以来最多だったとのこと。どおりで!私も長期間苦しかったわけです。5月に入ってもなかなか治まらず、もうええやろとヤケになって洗濯物を外に干したり畑に出たりした日なんぞは、鼻水と涙でヒサンでした。その翌朝には鼻づまりから眼痛、頭痛に発展するお決まりのコース。5月下旬になっても続く症状に、私はもはやスギやヒノキのみならず、マツやニセアカシアの花粉にまで反応し始めたのか?はたまた道端のイネ科の雑草?それともヒメスイバ?・・・と身の回りの植物全部に疑いの眼を向けたりして・・・。 

症状を少しでも緩和したくて、ぬるま湯で鼻腔洗浄をしたり、目を洗ったり、洗顔したりしています。こんなふうに神経質に花粉を目の敵にするから、かえって過敏に反応するようになってしまったのでは?という考えが頭をよぎったり、イヤイヤ不快な症状を取り除きたい感情ってフツーのことじゃんと自分を慰めてみたり・・・。たかが花粉症でもこうやって少し滅入っている時は、周りの人のちょっとした言葉にまで敏感になります。

昔、主宰していた育児サークルで、重度のアトピーっ子を持ったお母さんたちの話にとことん耳を傾けた経験があります。痒くて肌をかきむしるわが子を泣きながら抱きしめ、赤ん坊を見るなり「かわいそうに」と言われれば自分を責められている気になり、自分のおっぱいが毒をつくっているような気にさえなったといいます。アレルゲンがダニの場合には寝具はもちろんのことカーテンまで週に一度は洗濯するようにと指導されて途方に暮れ、卵・小麦・乳製品の三大アレルゲンだけでなく、主食の米までアレルゲンだと知った時の絶望感・・などなど。

そんな時に「がんばって」と言われれば「これ以上何をがんばるの?」と反発し、「そんなにがんばらなくても・・」と言われれば「痒がっている子がいれば放っておけないじゃない!」と叫びたくなるとか・・。そんな話を聞いて「そうかぁ、そうだよね」「よくやってるねぇ」と言った時、ハラハラと流れた彼女たちの涙を今も忘れられません。

闘病中の大人だって、受験勉強中の子どもだって、きっと同じなんですよね。

昨年、何の話でしたか2番目の息子(当時19才)と話していた時に「そうだね。○○(息子の名)の感性は正しいと思うよ」と言ったことがあります。そうしたら、息子から「母さん、その言い方はよくないよ。子どもが親に正しいと言ってもらえるようにしゃべるようになるよ」と言われました。う〜〜〜む。確かに。厳しい指摘です。・・・ことばって難しい。

新型インフルエンザに揺れた5月。ただでさえ未知の病気で不安だったであろう感染患者に、私たちの社会はあたかもバイキンをばらまいた犯罪者でもあるかのような視線や非難の言葉を投げかけたことを思い出すと、今でも胸が潰れる思いです。

ただ、そっと見守り、回復してきた彼らにはこう言いたい。「よかったね」って。


   あこがれの信州暮らし その70(2009年5月)

山野草を見つめる日々

 春の訪れと共に、山野草の鉢植えが次々に花を咲かせています。清楚な花を咲かせるショウジョウバカマに可憐なイワウチワ。私がもっとも心惹かれるヒトリシズカは、休眠から目覚めて芽が出てきたと思ったら、じきに4枚の葉に包まれたブラシ形の花穂が1本立ち上がってきます。はかなげな白い花。何ともいえない上品さがあります。驚いたことに、この白い花に見えるものは、実は雄しべなんだそうです。へ〜え!・・・そして、今はエビネが満開!

「山野草栽培なんて、何でまた老後の趣味みたいなものを始めちゃったのさ」と口の悪い友人に言われます。「地植えで育つものだけ育てたらいいんだよ。信州の冬を外で過ごせないようなものを鉢で育てることないじゃん」と別の友人にも言われました。私もそう思います。野のものは野にあるのが一番です。でも野のものがより身近にあることで優しい気持ちになれるってことを、私は信州で知りました。庭でも福寿草や各種スミレ、そしてカタクリの花が咲き、今はニリンソウやフジバカマ、クロユリなどが伸び始めています。こういった地植えのものも、モチロン楽しみなんですけど。

4年前に近所の人にエビネの花を見せてもらったことから、鉢植えの山野草とのつきあいが始まりました。「うわぁ、きれ〜ぃ!すご〜い!」と感嘆した私たち。その時、エビネ一鉢を頂いたのです。それから、そのお師匠さんの指導のもと、水や肥料のやり方を学び、半日蔭をつくるために“よしず”をたてかけ、水切れのいい棚を設置しました。そして、特に冬は外気温によって鉢を玄関の中に入れたり出したりと忙しい。でもね、そうして身近に毎日見ていると、今まで知らなかった植物の表情を垣間見ることができるようになりました。昔は山野を歩いている途中でたまたま出会った花を写真に撮っていました。図鑑で調べ、名前を野帳に記録しました。それで終わり。今は、毎日見ています。大きくなってきて窮屈そうに見えると、もう一回り大きな鉢に植えかえたり、お師匠さんに株分けの仕方を教わったり・・。ごくごく小さな芽生えがどんなふうに大きくなり、ずんずん伸長して、どんな花芽をつけ、それがどんなふうに膨らんで花を咲かせるか、毎日見てるわけです。

植物って動かないものとばかり思っていました。でも鉢植えを観察していると、たとえばキクザキイチゲとかホタルブクロなんかは、新芽が鉢の隅っこから出てくるんです。地下茎が横に這ってその先に新しい芽を出すので、どうしても新株は鉢の周囲に寄るんですね。ネっ、これって結果的に植物が「動こうとしている」って言えないのかしら?

お師匠さん(70代)の本職はリンゴ栽培です。1年中、休む暇のない大変な作業が続く仕事ですが、山野草の世話も実に熱心にやっておられます。そうして、私の力量に合わせて、少しずついろんな種類の山野草を株分けしてくださる。無事に花開いたわが家の鉢を、まるで孫を見るように目を細めて眺めておられる様子を見ていると、「みどりのゆび」を持った人っているんだなぁと思います。

私がこんな風に、じっとひとところに留まって鉢植えの植物の世話をするようになるとは、10年前は思ってもいませんでした。どこにも出かけず淡々と過ごす毎日ですが、発見と驚きの日々です。


   あこがれの信州暮らし その69(2009年4月)

全国のティモシーへ

もうすぐ新学期。4月から高3になる娘は「さ〜て、これから1年、勉強するぞ〜」と張り切っておられます。この高らかに宣言するようなセリフを聞くと、「あ〜ぁ、失敗したなぁ」。6年前に上の息子が高3になった時、「しゃーない。これから畑仕事や鶏の世話をできるだけ免除したるわ」と、つい言うてしもたんですゎ。そうしたら、3年前に下の息子が高3になって「これから1年、あまり手伝えないけどごめんね」となぜかうれしそうに言いました。そして今度は娘です。農作業の助っ人が次々に・・・。

新入学の時期ですね。「うちの子は大丈夫か」と心配されている方も多いことでしょう。学校というのは、社会の縮図。私たちの社会は、やたら「同調すること」を強要する雰囲気がありますからね。学校ではそれがもっと濃縮されてます。「みんなと一緒に」とか「みんなに迷惑をかけないように」とか「目立ってもいけない」けど「取り残されてもイヤ」とか・・。親も「できるだけ普通でいて欲しい」けど、実のところ内心は「普通よりも少し優秀であってほしい」・・とかね。

私も昔はそういった煩悩がありました。でも、一人目の子(上の息子)が強烈な個性の持ち主でして、ことごとく私の煩悩を打ち砕いていったんです。「みんな」が砂場から引き揚げておやつを食べて次の活動に移って、さらにお昼ごはんになっても、彼は砂場から絶対に離れないだとか、クラス全員が歯ブラシを持って口をあけている絵を描く中で、自分は頑としてクワガタムシの絵を描くだとか。彼は、先生が与えた課題ではなく、前日に自分で捕ったクワガタムシをきょうはどうしても描きたいわけです。えぇ、「三つ子の魂、百まで」。その後の小・中・高、彼は一貫してそうでした(ハァ〜)。

14年前にアメリカのボストン近郊で9カ月間暮らしたことがあります。その時に息子たちが通学したのはシュタイナースクール。そこの幼稚園で週に1度、保育補助に親のボランティアを募ったことがありまして、私はいったいどんな時間を過ごすのかと興味しんしんで志願しました。真冬の零下の気温でも学校の裏手にある森で毎日過ごす時間がありました。先生が高音の澄んだ声で歌いながら編み籠に枯れ枝や実を集めていると、一緒に歩いてお手伝いする子たちもいれば、集めた枯れ枝でティーピーという簡素な小屋づくりに励む子たちや、かくれんぼに興じる子たちもいました。

ティモシーという男の子が、毎回ひとり離れたところで小刀で枝を削っておりました。さぁ、心優しい親切なおばさんはティモシーが気になって気になって仕方がない。6才の子が黙々とナイフで枝を削っているのを放っておいていいんだろうか?友だちの輪の中に何とか入れてあげられないか?ってね。先生はさりげなく見ているようですが、何にも言わない。私が「じょうずねぇ」と言うとティモシーはニィとして、また削り続けます。ある日、思い切って「あの子は集団が苦手なタイプなのかしら?」って先生に聞きました。そうしたらブリジッタ先生はにっこり笑ってこう言いました。「いいえ、ティモシーはひとりの楽しみを知っているのよ」。

全国のティモシーへ。君が君のまま、お節介な大人に邪魔されたり矯正されたりせずに、君の世界を楽しんで過ごすことができますように。


   あこがれの信州暮らし その68(2009年2月)

   知ってる?学校の図書館にいる教育者

高校2年の娘に薦められて、池上彰さんの「そうだったのか!」シリーズを読んでいます。今、読んでいるのは「そうだったのか!現代史パート2」と「そうだったのか!ニュース世界地図2009」(いずれも集英社)。これが、実におもしろい。たとえば昨夏のグルジア紛争など、旧ソ連の国々が揺れている背景もコンパクトにまとまっていて、まさに「そうだったのか!」とよくわかるんです。資源高を背景に力を回復したロシアが旧ソ連圏での勢力回復を狙ってるってことは、その時々の新聞紙上でも解説されていたことではあるんですけど、私はそのころ畑仕事で忙しかった。日々流れていくニュース記事を斜め読みしながら「なんでまた、こんなに強硬にやるかねぇ」と思いつつも、とりあえずは草取りに追われる日々。その間に「新しい冷戦」とも言われる事態になっていたとは!

この「そうだったのか!」シリーズは娘が高校の図書館にリクエストして全部揃えてもらったんだそうです。毎日頻発する事件を追っているだけではわからない背景や歴史を解説されることによって目を覚まさせられることって確かにある。ビルマ(ミャンマー)がイギリスから独立する時に活躍したアウン・サン(アウン・サン・スー・チーさんの父)と日本軍のつながり(当初は日本軍がビルマ独立を支援すると約束したので行動を共にしたが、後に日本軍に裏切られたこと)なんて、恥ずかしながら私は「そうだったのか!現代史パート2」で初めて知りました。

娘は現代の社会問題に関心があるようで、その手の本を読みまくっています。ちょうど高校生の時期って、それぞれの興味がその人固有のものになる時期のようでして、思えば私も高1の頃に読んだ本多勝一著「ニューギニア高地人」(1971講談社文庫)に触発されて進路を決めました。上の息子たちがそれぞれの興味の本にど〜〜っぷり浸かったのも高校時代。定期試験が近づこうとも授業中(!)であろうとも「やめられない、止まらない」。でも、誰に強制されるわけでもなく「やめられない」ことこそが、その人が本当に好きで「これからやりたいこと」のとっかかりになるものですよね。

それぞれの子どもに常にさりげなく寄り添ってくれたのは「学校司書」の先生です。図書館で数学の本ばかり読んでいた上の息子には、当時熱中していた数学の内容を外部の科学賞に応募するよう勧めてくださったり、毎日1冊(ときにはそれ以上!)のペースで小説を読んでいた下の息子とは小説談議をしてくださり、生徒主体で行う自主的な学習会「図書館ゼミ」を主宰する娘には具体的なアドバイスをしてくださっているとか・・。学校司書というのは教育職ではなく行政(事務)職ということですが、うちの子どもたちの話を聞く限り、高校時代の彼らにとって何よりの「教育」をしてくださっているという印象です。学校の中に、成績をつけることとは無関係な、しかしそれぞれの生徒の興味を察して、励まし、伸ばそうとする支援者がいる長野県の学校図書館。本があるだけなら単なる書庫ですが、そこに専任の「人」がいるから教育の場になるというもの。長野県の学校司書の方々による長年の取り組みが全国的にも有名で先駆的だってこと、ご存知でしたか?

自治体の財政が厳しかろうと何だろうと、何としても守りたい大切な職種だと思います。


   あこがれの信州暮らし その67(2009年1月)

率直に語り合って

ようやく平穏な日々になりました。年末年始は大学生の息子2人が帰省してきて連日3食プラス午前午後のお茶の時間に家族全員がリビングに集まって、お茶を飲むだけでなく、必ず何か食べて、しゃべりまくり・・・。ハァ〜、エネルギー溢れる若者たちが加わりますと、こちらもだんだん声のトーンが上がりまして・・・あぁ、疲れた!

今回の息子たちの帰省には、もう1人珍しいお客さんが加わりました。イスラエルから京都にきている男子留学生です。2番目の息子が昨年10月から1年間、彼のチューター(留学生のお世話係。1人の留学生に1人の日本人学生が担当する)になっているので「じゃあ、お正月を信州で一緒に」ということになったのです。高校を卒業後3年間の徴兵(女性は2年間)を終えてからテルアビブ大学に入った24才。日本の縄文時代を研究したいとのこと。ルーマニア系ユダヤの方ですので、私は料理に豚肉やエビ、カニ、貝類は使わないようにしたのですが、「わが家はそんなに厳格ではないので、中華料理店にも行きます」とのこと。むしろ「出されたものは感謝して全部食べる」というしつけで育ったのでしょう。雑煮はもちろん、昆布巻きも、田作りも、数の子も・・・、味噌汁も、野沢菜漬けも、梅干しも、大家さん手打ちの十割そばも・・・、ぜ〜んぶニコニコしながらじょうずに箸を使って残さずに全部平らげておりました。息子たちと一緒にスキーに出かけた日には、帰ってくるなり「見て!これ、ボクがスキーで滑ってるんです!」とデジカメで撮った動画をうれしそうに見せる屈託のなさ!

折りしも、年末にイスラエルがパレスチナのガザ地区を空爆し年が明けてからは地上侵攻も始まりました。けれども、私たちは彼に政治的な質問はしないようにしました。短期間のつきあいの中で、その国の問題についてあれこれ質問されることの苦痛を思うからです。私も学生時代、韓国にひとりでフィールドワークに出かけた時、田舎のバスの車中で突然若い男性から「かつてこの村で日本人が何をしたか君にわかるか!」とまくしたてられたことがありました。その時同行していた高麗大学の学生が懸命にとりなすものの収まらない。私は「ごめんなさい。多くの日本人は本当に申し訳なく思っています」と言うのが精一杯。その時の悲しさ、情けなさと言ったら・・・。

唯一「あなたの家は安全なところなの?」と尋ねたら、彼は「北の方なので全く大丈夫」「フェンス(イスラエルが自爆テロ対策と称してパレスチナ自治区との間に建設した分離壁)があって監視塔もある」「検問所を通らないとパレスチナ人は(イスラエル側に)来れない」「とはいえ、ロケット弾は飛んでくるからフェンスがあれば絶対安心というわけでもないんだけど」「まぁ、ボクたちも籠の中の鳥のようなもので」・・・などと話しておりました。息子たちと弾けるようにしゃべっては笑い、日本の伝統文化やアニメにあこがれ、遠慮しながらも好意を素直に受け入れ、感謝の気持ちを心から表現する礼儀正しい好青年です。そんな普通の青年が戦争に駆り出されている現実。そして徴兵制とは斯くも普通の若者の心をコントロールするのかという憤り・・・。拙い英語でも構わない。息子たち日本人学生と彼が信頼関係を築き、これからどんなふうに語り合うのか、そうっと期待しているところです。


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