あこがれの信州暮らし 2006年  

 いなずみ なおこ

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あこがれの信州暮らし その44(2006年11・12月)
人間の都合ばかりではコトは進まない

昨年から今年にかけて、私が勝手に心の師と仰いでいた人が次々に亡くなっています。絵本作家の長新太さん、公害原論の宇井純さん、そしてつい先日は作家の灰谷健次郎さん・・・。片っ端に読んだ作品を通じて、何が善いか悪いかではなく、また何が正しいか間違っているかでもなく、人の心に寄り添うことがどういうことかを学んだ気がします。11月に中学の2年と3年で読み聞かせをしたのが灰谷さん(挿絵が長さん)の「ひとりぼっちの動物園」。そして1年には(同じコンビの)「マコチン」。どちらも中学生にとてもウケました。何年たっても子どもたちに無条件で受け入れられるものはあるものですね。そんなお話にのめり込んで耳を傾けている中学生を見ていると、人を育てるのは「愛国心」の強要でも「競争」でもないと断言できます。教育基本法の改悪を強行採決したって、灰谷さんの作品には叶わへんわ!

さて、もうじき師走になるというのにそれほど冷え込んできていません。おかげで11月初旬に少し早めに漬け込んだ野沢菜(30キロ分)が、2週間近く味わった頃に酸っぱくなってしまいました。そして、上出来!と自画自賛していた干し芋はいくつもカビが生えてくる始末。マッタクもう!!水がより低いところに必ず流れていくように、微生物の増殖は温度や湿度に正直です。頭ではわかっているのに、9月はパートナーの出張があるし、中高生は忙しそうだし・・とついついこちらの都合を優先して8月下旬に野沢菜の種を蒔いたものですから、手痛い結果に・・・。

このあたりの農事暦では野沢菜の種を蒔くのは9月に入ってから。お菜あらい(おなあらい。野沢菜を収穫して水洗いすることを指す優しい響きの信州の言葉)は、畑で何回か本格的な霜にあたってから、と言われています。うちが早々に野沢菜を漬けたという話を聞いて、大家さんの知り合いの漬け物の達人たちは「酸っぱくならなきゃいいが」と案じてくれました。達人の直感は確かです。幸い畑にはまだ24キロ分の野沢菜が残っていましたので、先日第2弾のお菜あらいをしました。みずみずしい緑が鮮やかです。酸っぱくなった野沢菜も炒めたり煮たりしておいしく食べられるのですが、この鮮やかな緑色の浅漬けを見ると面倒がらずに漬けてよかったとつくづく思います。

白菜はこの陽気でどこも豊作で、しかも需要が低迷しているらしく、価格の下落を防ぐためにトラクターで白菜を潰している様子が新聞に掲載されていました。あんなに小さな種からせっかくこんなに大きな白菜ができたのに・・・生産者の悔しさ、つらさはいかほどか!

近所のリンゴ園は毎年、サルやカラスにリンゴをやられます。今年はそれに加えクマにもやられているとか。裏の大家さんちの小麦畑にもクマの足跡があり、その奥の雑木林の一角でパートナーがクマの糞を多数見つけました。冬眠の時期を前にして今年はクマも必死です。

人間の都合ばかりではコトは進まない。田舎暮らしをしていると、そんな当たり前のことが身にしみます。だからこのあたりには謙虚な人が多いのかな。


あこがれの信州暮らし その43(2006年10月)
自分の身の守り方ってイロイロあるよ   
 夏の畑の片づけも終わり、冷蔵庫の野菜室もようやく隙間ができてきました。一時期は台所だけではなく廊下にまで夏野菜がはみ出しまして・・・何と言っても気温の高い時期ですから「いかに無駄なく使い尽くすか」で連日大わらわでした。たとえばナスひとつとっても、朝は味噌汁の具や漬けものに、昼の弁当には焼きナスを、そして夜はトマトと煮込んで・・などなど毎日20個以上、ピーク時には1日に30個のナスを使うんですけどね、それが使っても使ってもなくならない。おかげで「たまには外食したいなぁ」と思っても「いや、採れた野菜を食べなくちゃ」と断念せざるを得ません。毎日どっさりできてしまう(!)ナス・インゲン・ピーマン・ししとう・きゅうり・トマト・ズッキーニ・枝豆・オクラ・ゴーヤ・パプリカ・とうもろこし・かぼちゃ・・・。これらの夏野菜を手を替え品を替え作っては食べて片づけて、作っては食べて片づけて・・10月に入ってもまだ採れるものですから、まだまだ作って食べて片づけて・・。マッタク!「生きる」というのは「作って食べて片づける」ことなんですね。
 種を蒔き、芽がでればホッとし、苗に虫がつかないかとハラハラし、咲いた花の姿に見とれ・・ようやく実が採れるようになった収穫期の初めの頃はあんなにうれしかったのに、2ヶ月もたつと「まだあるの?」。そして「これで今期のナスはおしまい」という今のこの開放感は何ナンダ?・・ホントに贅沢な話です。でも、正直ホッとしました。これが実感。
 ところが、使いこなしていないものもじつはあるんです。紫蘇の実に山椒の実、そしてミョウガなどなど。もちろんフレッシュなものを折にふれ使います。でも佃煮などに加工するためにまとめて収穫するその時期を逸してしまうんですよね。もっと優先順位の高い畑仕事に追われているうちに、ハッと気づくと収穫適期を過ぎている。こういった料理の脇役たちも存分に活用できるようになったら「信州での田舎暮らしも一人前」と胸を張れるんですけど。まだまだ修行が必要です。
 栗の渋皮煮も、この1週間ですでに3回目。毎回3kg分の栗で作るんですけど、鬼皮を剥くのがひと苦労です。小さな穴が開いているのは、たいていクリシギゾウムシとかいう幼虫が中にいます。幼虫のいる場所の周りの茶色に変色した部分は苦くて食べられません。「これは虫の食痕のせいで苦くなったのではなく、虫の存在を察知した栗自身がこれ以上虫に喰われないように苦い物質を分泌してるんじゃないの?」とうちの昆虫学者に聞きましたら「そのとおり」とのこと。これを誘導防衛と言うんだって。スゴイねぇ!植物って。そうやって外敵から身を守ろうとするんだね。
 ナスもピーマンも秋が深まってくるシーズンの終わり頃になると、苦くなってきます。揚げ物にしても苦い。これも、これ以上食べられないようにして子孫を残そうとした名残りなのかな?
 自分の身の守り方ってイロイロある。いじめがつらくて自殺しようとする子どもたちに、必ずしも「いじめに負けないでたたかう」のではなくても「自分の身と心の守り方はあるよ」と伝えたい。

あこがれの信州暮らし その42(2006年9月)
よくじゃん!                                      

 「白菜はどうだい?」「アレ、ずいぶん大きくなってるじゃん。よく!」・・・この信州弁の「よく!」とか「よくじゃん!」という言葉は「よくやってるね」という褒め言葉。これを地元の農家の方たちに言われると・・何と申しましょうか、へへへっ、ホントうれしい。いつもは品のある私なんですけど、「よくじゃん!」と言われるとつい「へへへ」。

そうなんです。今年は旧暦の朔日(新月の日)に種を蒔き、それに寒冷紗までかけましたからね。白菜も大根も小松菜も小カブも水菜も菜花も、み〜んな元気です。そりゃぁ、ちょっとはハムシに穴を開けられ、ヨトウ虫にポキンと茎を折られたりもしましたよ。でもこれくらいなら大丈夫。「おやおやさん、野菜が足りない時はいつでも言ってね」・・な〜んてね!

それにしても、これだけ何もかもが順調にいくと、どうやってこれを食べていくか、が次なる課題です。暑い最中に種を蒔き、ぐっしょりと汗だくになって草を取り、腰が伸ばせなくなるくらいに延々としゃがみこんで間引きをして、ようやくこんなに大きく育ってきた無農薬有機野菜でしょ。そうは無駄にできないじゃないですか。大根だけでも、最初の間引きの時には直径40cm深さ20cmほどの鬼ザルにいっぱい。その間引き菜をCDを聴きながらせっせとヒゲ根を取って湯がき、卵とじにします。次の間引きの時には何回にも分けてアゲと一緒に煮物にしたり菜めしにしたり。そして昨日は最終間引きで一輪車に山盛りです。いやぁ、うちは今4人家族でして・・。「少しずつ種蒔きの量を減らそうねって言ってなかた?来年は3人家族になるかもしれないんだよ」といつも冷静な娘が言うんですけど、虫にやられた時のことを無意識に考えてしまうのか、私がついつい多めに蒔いてしまうようでして。・・・で、今は最終間引きの大根葉を秋空のもと庭に広げて干してます。こうなったらもう、干した大根葉でふりかけをつくるしかない・・・やれやれ。

昔の農家は大家族だったとはいえ、台所道具がどうしてあんなに大きなものばっかりなの?って思っていましたが、たぶん今の私の心境とおんなじで、不作の時のことを考えて多め多めにつくったんですよ、きっと。そうすると当然、それを調理する台所道具も大きくなる。昔、私がアパートに住んでた頃は直径25cmのボールで2束のほうれん草を洗うくらいだったのが、今じゃ普段使いのボールが30cmを越し、ちょっとまとめて青菜を湯がく時など50cmのボールを使います。味噌づくりや梅干しを作る時などは、もっと大きなボールを大家さんに借りてきて、それをまた何個も並べて・・・。

こうやってどっさりとれた野菜を無駄にしないように冷凍にしたり瓶詰めにしたり・・ずらりと保存瓶が並んだストック棚を腰に手を当てて眺める時の満足感といったら!!もったいなくて滅多なことでは使いたくないくらいです。だって滅菌したガラス瓶に詰めて脱気までしてあるんだもの。

というわけで冷凍庫には昨年の栗がまだあるっていうのに、もう今年の栗が落ちそうになってきて、正直あせり始めています。昨年のトマトソースを使い切らないうちに、今年のトマトソースが500mlのガラス瓶に20本。もったいないとケチってきたものを食卓に大安売りする悔しさといったら・・!!


あこがれの信州暮らし その41(2006年8月)

あんパンもいいけどメロンパンもいい                                               

ちょうど4週間、暑い暑い夏でした。1ヶ月前にあれほど待ちわびたギラギラの太陽も、梅雨明け後5日でうんざりしました。家中の窓という窓に垂らしたスダレに加え、今年は玄関にも高さ10尺(約3m)のタテスを立てかけて陽差しを遮り、ひっそりと静かに過ごすよう心がけました。えぇ、ちゃんと心がけましたよ、大学生の息子が帰省してくるまでは・・。アヤツが弟や妹にちょっかいを出すから私が声を張り上げざるを得ないのです。幼い子どもじゃあるまいし、わぁ〜わぁ〜キャーキャーとスリッパの取り合いまでしてふざけて、うるさいことといったら!図体のデカイのが1人増えるとそれだけで室温がぐっと上がってるような気がします。そして家族全員の声が大きくなる。・・あぁ、暑ッ!

まだまだ暑い陽差しが照りつけていた8月24日に秋野菜の種を蒔きました。この日はなんてったって新月(闇夜)の日ですからね。この日に種を蒔けば、白菜も大根も丈夫に育つことになってます。それに、今年はついに畝全体に寒冷紗をかけることにしました。薄いポリエステルの白い布です。稚苗を食い尽くすあの憎っくきハムシをやっつけるのに、ここ数年どれほど苦労したことか!あの無数のハムシどもが稚苗の匂いを嗅ぎつけて、寒冷紗の周りをウロウロしているのが目に見えるようです。カッカッカッ。もう、うれしくって笑いが止まりません。今年はきっと大豊作ですぞ。

信州の夏は短いです。都会に住む友人一家が盆休み登山の帰りに立ち寄ってくれました。いぃなー!信州はお盆明けにすぐ学校が始まるから、何だか余裕がないんです。その短い夏休み(小中学校は3週間、高校が4週間)に高3の息子は模試に追われ、中3の娘は夏休み中も予定がいっぱいでした。薬草集めや加工用トマト収穫作業は、中学校生徒会の資金集め。委員会活動で学校の図書室の整理作業に丸一日費やし、総合学習で取り組んでいる常念太鼓の自主練習や、9月末にある文化祭の後夜祭で有志でバンド演奏をするとかでその練習も。美術の宿題でポスターを描き、国語の宿題では読書感想文。その上、中3だから宿題にはなってないのに自由研究に打ち込んで・・。中学生は充実やね!

明日から学校という日の夕方、娘の友人の男の子(中3)が私に電話をかけてきました。「国語の宿題に選んだ作文で夫婦別姓について書こうと思うので、稲角さんがなぜ夫婦別姓にしようと思ったのかを聞かせて」とのこと。私の話に15才の子が相づちをうちながら「オレ、男だから今まで考えたことなかったけどわかります」「へ〜、そんなに夫婦で何でも話し合うんですか」などと言います。

ここ安曇野で夫婦別姓についてアジったこともないし、運動を広めようとしたこともないけれど、読み聞かせなどで学校によく出かけるせいか、ここの小中学生は私に「○○ちゃんのお母さん」ではなく(娘の姓とは異なる)私の姓で「稲角さん」と話しかけてくる子が多いです。それだけでも「いいなぁ」「うれしいなぁ」と思っていたのに、今回はもっと直接的に話を聞きたいということですから、ホントうれしかった。「多くの人があんパン(同姓)が好きと言ってても、少数の人がメロンパン(別姓)が好きってこと(福島瑞穂さんの言)に関心をもってくれてうれしいよ。ありがとね」


あこがれの信州暮らし その40(2006年7月)
ふつーの暑い夏が待ち遠しい!                                  

雨がまだ続いています。もういいかげんに梅雨が明けてもいい頃です。信州は例年だいたい7月20日頃には梅雨明けですからね。それに合わせて家中の窓の掃除をしています。網戸の用意もできてます。網戸には強い陽差しをさえぎるようにスダレも取り付けました。もういつ梅雨が明けてもOKよ!・・こうやって準備万端な時に限ってなかなか夏がきません。毎朝まっ先に新聞の天気図を眺めては、梅雨前線が居座っていることに落胆し、週間予報の傘マークの行進にため息をつきます。

ここから車で1時間半くらいの岡谷市で、18日から19日にかけての大雨で被害がでました。常念岳の登山口に向かう林道も崩落して通行止めになりました。23日の新聞には、自宅裏の崖から落ちてきた巨岩が台所に飛び込んできたという上田市の民家の写真。ぞぞ〜っとします。ひとごとじゃありません。それでも落ち着いていられるのは、ひとえに大家さんがいてくださるおかげ。18日夕方の段階で「今夜は相当ひどくなる」と判断した大家さんは、何度も裏山の水路を見回りに行き、大量に流れ落ちてくる土砂をかきだしてもらうよう役所に連絡。ショベルカーがフル回転で土砂の除去をしてくれました。林道にうず高く積み上げられた土砂の山をダンプカーが運び出して・・・、工事車両がこんなに頼もしく思えたことはありません。

それでも、私はそうは眠れない夜を過ごしました。何度も外を眺め、激しい雨音にドキドキしました。そしてやっとうつらうつらしてきた4時半頃、ボコボコッ、ボコボコッという異様な音で目覚めました。家の前の道路の向こうにある水路から音がします。ものすごいスピードで流れ落ちる水が水路からあふれかけていて跳ね上がっている音でした。道路の上にも川みたいに濁流が流れています。もうホントに避難した方がいいんじゃないかとドキドキしてきました。子どもらをいつ起こそうかと悩みます。でも、私がこんなにハラハラしているというのに、どいつもこいつも「心配なことなんて、な〜〜んもない!」という顔をして爆睡してるんです。信じられへん!

結局、記録的な大雨の夜、わが家では何も起こりませんでした。私は大家さんみたいに夜じゅう裏山の水路を見回っていたわけではありません。作業をずっと見守ったわけでもありません。具体的にはなんにもしてないんですけど・・・ぐったり疲れました。ほんとに疲れました。

あれから1週間がたちました。きのうから今朝にかけてまたまた結構強い雨が降りました。でも、昼前から外が明るくなってきたと思ったら、あぁうれしい!晴れてきたみたい。庭のクリーピングタイムの花の群落にヒョウモンチョウがきています。家の外壁にはなぜか今年大量に発生しているヤスデがあちこちで這い上がっています。庭の物干しに近づこうとするとクマバチのオスが威嚇してきました。テリトリーを張っていらっしゃるんです。ちょっとビビッてしまう位の羽音をたてて、私の顔スレスレに飛び回ります。何やねん!勝手に自分のテリトリーに決めんといて!何の変哲もないふつーの暮らし。これが一番!ですよね。 

一日もはやく被災者の方々に穏やかな暮らしが戻りますように。


あこがれの信州暮らし その39(2006年6月)

 6月後半、サツキの花が見事です                                   

 初めて見る人が「ここには、昔お城があったの?」と思うような大きな石垣がうちの裏にあります。大家さんのご先祖さまがひとつひとつ積み上げた石垣です。このあたりは安曇平を見下ろす扇状地の突端部分のような場所なので、大家さんのご先祖さまは、このゴロゴロと転がる巨岩を切り出して開墾し、家の敷地や農地を拡げていったとのこと。うちの庭も小石がいっぱいですが、畑では50〜60cmの大根も曲がらずに立派に育ちます。大家さんが子どものころ、家族総出で何回も篩(ふるい)にかけて小石をより分け、畑の土をつくっていったのだそうです。その話を聞いたあと、私は改めて畑の土を手ですくってじっと眺めたものです。生きるため、家族を養うために身を粉にして働いた先人たち。偉業というのは、こういうことを指すのだと思います。

 さて、その巨岩を積み上げた石垣の上に3〜4層にわたってサツキの植え込みがあり、毎年鮮やかな花を咲かせます。それがまた今年は特に見事で、山麓線からもくっきり。モチロンわが家はサツキ鑑賞の特等席です。6年半前に家を探していた時、不動産やさんが「サツキの花がそりゃぁ見事でね。心が洗われますよ〜〜」と言っていましたが、・・然り。私が昔に比べて少しでも「いい人」になったとすれば、それはこのサツキに心が洗われたおかげです。

 それほど見事な眺めですから、大家さんちには「サツキを見にいかせてください」というお客さまが絶えません。もし、私がこういう土に触れる暮らしを知らずにいたら、やっぱりそうやって「見せてください」と気軽に頼んで、「素晴らしい」と感心し、次々にでてくるお茶うけの数々に「さすが信州」と感激し、「ありがとうございました」と礼を言って帰ることでしょう。実際、私は20代のころ、こんな感じであちこちを訪ね歩き、それぞれの土地に伝わる「とっておきの」食べ物に舌鼓をうちながら話を聴き、それで「食文化の研究」をしていると思っていました。「食を探検する」という意味で「探食」という言葉を造語して悦に入っていたものです。・・つくづく若かったと思います。

 たとえば、サツキの植え込みの間から無数に生えこびる雑草を大家さんが何日もかけて草刈りをしていること。それがまた石垣の上の急斜面で、もし草刈り機を持ったまま滑り落ちでもしたら命を落としかねないくらいに極めて危険であること。サツキの枝にアシナガバチがたくさん巣くっていること。サツキに絡まる蔓性の植物を、その急斜面に這いつくばってひとつひとつ手で取り除いていること。・・・・こういうことにもいっさい気づかず、想いを寄せることもなく、ただ「きれいですねぇ〜。見事です」と感想を言って帰るだけだったと思います。信州のお茶うけの数々がどれだけの労力と工夫の結晶かを、本当のところはわからなかったと思います。

 誠心誠意、人をもてなしている大家さんを見ていると、やはり同じく、できることをすべて出し尽くすかのように人をもてなしていた亡き母を思い出します。母の人生は手料理と共にありました。意識が混濁してきた最期の数日ですら、うわごとで私に料理をさせて来客にお茶を勧めようとしていたのには涙がでました。・・・きょうは、亡き母の5回目の命日です。


あこがれの信州暮らし その38(2006年5月)
まずは身近なところから

 最高気温が25℃を超える夏日になって日中はTシャツ一枚で過ごす日があるかと思えば、防災無線で「農作物の管理にご注意ください」と霜注意報が流される日もあり、そうかと思えば、朝からどんよりとした曇り空で日中冷たい雨が降り最高気温が16℃という薄ら寒い日まである今年の5月。おかげで「老いた」身体は不調です。気温の変化についていけないせいだと思います。パートナーも私も咳が止まりません。いったん咳き込み始めると、これがなかなか止まらない。涙を流しながら咳き込み続けることになります。もう2週間以上にもなります。

その横で暑い日も冷える日も、半袖Tシャツの上に綿シャツを羽織るだけというおんなじ格好をしている思春期(高3の息子・17才)が悠然とすました顔で日々過ごしています。くしゃみひとつしません。高校時代、図体も態度もデカかった上の息子が2年前に巣立ってホッとしていたのに、ちゃんと次の思春期が育ってきてるってワケです。「今日は冷えるよ。上着を着なさい。風邪ひくよ」って言ってるのに、低い声でボソボソっと「寒くない」って言うんです。「ほ〜ら!風邪ひいたでしょ!だから言わないこっちゃない!」ってソノ時には声高に言おうと思ってるんですが、なぜかちっともひかないんですよね、風邪。傍若無人な年頃(思春期)というのは、気温の変化にも強いんですかね。

親ふたりがタチの悪い風邪にやられて、やっとのことで日常生活をやりくりしているわけですが、そんな事情にお構いなく、グングンと伸びゆく雑草たち。一雨ごとにグングン。合い間に夏日があると余計にグングン。おかげで庭も畑もヒサンな状況になりつつあります。ハルジオンが咲き誇り、ヒメスイバが風にそよぎ、ヒメオドリコソウがそこらじゅうに広がり、スイバやヒメムカシヨモギが林立し、イネ科の牧草みたいなのまで!!・・恨めしいです。すごく気になります。これからますます繁茂して庭中エライことになるんじゃないかと気が気じゃありません。でも、こんなに咳が出るのに草取りまで手を回して寝込んでしまっては元も子もないと自重するしかない。少しでも咳が楽になったら草取りを始めよう・・と思うんですが、その時にどこからどうやっつけていったらいいのか・・・。「やっぱり大学入試のためには英語を勉強しないと話にならん」と今頃になってやっと悟っても、どこから手をつければいいのか途方に暮れている息子とよく似た状況なのだろうな、とふと思います。

私が庭の雑草を前にため息をつき、息子が英語の点にボー然としているのと同じように、今、この国を覆う黒雲を、どこからどうやって払いのけていけばいいの?と思っている人は多いと思います。共謀罪、米軍再編、教育基本法の改悪、そして憲法改正の国民投票法・・よほど私たちが無力だと舐められたのか、とにかく次々にやられそうな勢いだもんネ。でも実際問題、国会前のデモは遠すぎる。長野や松本での集会に参加するのもなぜか気が重い。そんな人でも身近な人に「おかしいよね」と話すことはできるよね。

まずは庭のひとつかみの草を刈り始め、英単語ひとつを覚え、この国のありようについて誰かひとりの人に語りかける・・・実は、そんな小さな一歩から状況を変えていくしかないのかもしれません。


    あこがれの信州暮らし その37(2006年4月)

あっちもこっちを見てる授業参観

4月中旬以降になって積雪が2回!!4月21日に最高気温が6℃だもんね。あわててタンスからセーターを引っ張りだしてコートを羽織って。マッタク、信州の春7年目を迎えますが、この気温の変化の大きさにはなかなか慣れそうにありません。わが家の近くの桜の木も遅ればせながらようやく満開。あちこちに三脚を設置して撮影するカメラマンがいっぱいです。うちってそんなに何度もシャッターを押したくなるようないいところ?ふふっ、そうですか。ネッ、心が洗われるような景色でしょう!安曇平を一望できるんですからね!すごいでしょう!!へへへっ。・・いえ、借家なんですけど。

近所の方から昨年いただいたミスミソウ(雪割草)が可憐に咲いたあと、今度はエビネが今ちょうど満開です。裏の山椒の木の根元にはカタクリの花。ウスバサイシンの花は控えめながらハッキリした意志をもつひと(女性)のよう。・・少しずつ身の回りに山野草が増えてきました。でも、自生環境に近づけるためにけっこう気配りがいるんですよね、山野草って。それだけに花が咲くとうれしい。

末っ子の娘も中3になり、いろいろな学校行事もひとつひとつが最後やなぁと感慨深く過ごしています。3人の子どもの授業参観にも今まで何度足を運んだことか・・。3人目ともなるとさすがに飽きてきて「もう、行かんでもえ〜やろ」としょっちゅう思うのですが、重い腰をあげて出かけてみれば必ずいろいろ見えてくることがあるから不思議です。先日も道徳の授業を参観したら、中3でもけっこう自由にものを言い合っているクラスの雰囲気に安心しました。当てられてもパスしたい子がいて、それを「それもアリ」と認めている担任のことを、帰宅後に私が感心して盛んに褒めていたら、娘が「そうそう!そうなんよ」と担任のいろんなエピソードをうれしそうにしゃべります。

中学生にもなると、親の中には「子どもが来なくていいと言うので」といってホントに学校に足を向けなくなる人が多いのですが、そうは言いながらも見に来てほしい気持ちをどの子も持っているのでは?私が教室の後ろの戸から入っていった時、ニコニコしながら会釈して娘の背中をつついている子たちを見ていると、そんな気がするんですよね。おばちゃんは、みんなを見てるからネ!

授業参観ではわが子の姿に赤っ恥をかくことも多いのですが(実際つかつかと歩み寄ってコツンとしたことも・・)、それもこれも子どもの姿。見て損はないというのが小中学校PTA歴15年目の私の結論です。そういえば、高3の息子が「あの時はほんっと恥ずかしかった」というので「何?」と聞くと「母さん、オレが小6の時の授業参観で手を挙げて発言したやん。O先生はオレらに考えさせようとしてたのに、母さんが発表しよったんや」と言います。「あ〜ぁ、アレね。だって、だ〜れも発言せんのやもん。おもろないやん」と私。「オモロイとかオモロナイとかいうもんやないんよ!授業参観は。可哀想にO先生、真っ赤っかになっとった」「そうやったっけ?」「あ〜、恥ずかしかった!覚えとるわ〜」と息子。
娘も勢いづいて「私も授業参観の時って気が気やないわ。母さんが何をしでかすかと思って」だって!

そうかぁ、授業参観ってあっちもこっちを見てるわけね!


 あこがれの信州暮らし その36(2006年3月)

♪春なのに〜♪・・・コルセット

つい2ヶ月ほど前は、このまま気温の低い日が続いてこれからず〜っと冬なのでは?と思ったくらいに寒かったのに、気がつけば春分も過ぎて、日一日と昼間の時間が長くなってきました。3月に入ってからは暖かい日や冷える日を何回か繰り返して・・あら、もうすっかり春本番。そして杉花粉の飛散も本格化。「ある年に突然花粉症にならなくなるってことはないのかなぁ」と発症する前は毎年期待するんですが、春が必ず巡ってくるように、花粉症も毎年必ず発症します。最近は鼻や眼の症状だけでなく、マスクの場所以外の顔の皮膚が荒れてカサカサになってヒリヒリします。花粉に反応したアレルギー性の皮膚炎なのだとか。まったくもー、顔中全部マスクしたい気分。「したら?世間の人みんなその方がいいって言うよ」と4月から高3になる息子。何て言い返したらいいと思う?

さあ、春です。活動開始!と言いたいのに、私は花粉症でまだしばらくは外仕事はできません。そして娘は・・・。4月から中3になる彼女は昨年秋の部活の大会あたりから時々腰痛を訴えていたのですが、先日「腰椎分離症」という疲労骨折になっていることが判明。6月にある中学生最後の大会を前にハリキッテいたところに思わぬドクターストップがかかりました。何せ「スポーツ命」のお方ですから、医者の説明を聞きながら顔面蒼白、意識を失いそうになりました。中学生にとってはオリンピックに出られなくなったくらいの気持ちになるみたい。

部活に関しては、ず〜〜っと過度な練習にならないように目を光らせていました。土日のうち1日しかダメ。それも半日のみ。夜練なんてトンデモナイ・・と。それでも、秋の中信大会の前に腰痛を訴え始めた時、大会が終わったらハードな練習も一段落するし、しばらく休息させたらいいだろう、と軽く思っていました。実際、10日ほど部活を休ませたら「楽になった」というので医者にかからずにいたのです。そしてその後も時々軽い腰痛はあったものの冬を越し、春休みになって午前中3時間の練習日が続いて・・そして今回強い痛みを訴えたというわけ。あ〜、早く医者に診せておけばよかったなぁ。親としては迂闊なことでした。

子どものスポーツ障害って最近ごく頻繁に耳にします。中・高生の部活の話題になるといつも誰かが故障しているような・・。小学生だって「野球ひじ」だとか「オスグッド氏病」という膝の障害だとか、よく話に出てくるもんネ。今回子どものスポーツ障害について調べてみたら、どれも要するに「スポーツのしすぎ」が原因とのこと。そして「スポーツ障害はトレーニングが1日2時間を超えると増えてくる」「練習量は1日1時間半以内に。週に1日は完全休養を」と力説してありました。

娘の場合は人一倍激しく動いて全試合フル出場し、それでも決して弱音を吐かずに食らいついていくタイプだということが災いしたのかも?だからこそ親がもう少し早い段階でスポーツ障害についての知識を持っておくべきでした。でもなぁ、集団スポーツの場合、個人でとれる対策には限界もあります。スポーツの指導者には、勝敗よりも子ども達が故障せずにスポーツを楽しめる環境を考えて欲しいよね。元気印の子どもさんをお持ちの方、要注意ですぞ。遠慮せずに声を挙げていきましょう。


 あこがれの信州暮らし その35(2006年2月)
切り抜いた記事が私にも問いかける
 この冬の「農閑期」は、ここ数年切り抜いたままため込んでいた新聞の切り抜きを整理しよう!と一大決心。そりゃぁね。今はインターネットというものがありますから、何か調べものをしたい時でもすぐにネットで検索できます。便利です。「さすがにこういう情報はないやろなぁ」と思うようなマイナーなことでも、驚くことに大抵は何かしらヒットします。世の中広い!と感心します。だから今となっては、新聞の切り抜きなんて前の時代の遺物みたいなものですが、それでもやっぱり私には大事にしたいことのひとつ。だって、ネットで検索しようとするのは、私が知りたいと思って接する情報でしょ。でも新聞では私が知らなかった情報に接することができるもの。特に、「対論」とか「異論」とかそういう類のタイトルで掲載される記事で「な〜るほど」と目を覚まさせられるような思いをすることも少なくない。自分の守備範囲じゃないことに気づくっていう面で、新聞はまだまだ捨てがたい。あるいは単に、私がまだネットを使いこなすことができていないだけかもしれないけれど。
 たとえば、「障害児」ってホントに「障害」なの?誰にとって「障害」なの?その支援のあり方として、身近な友だちから離れて「適切な教育を施す」ってことがホントに大事なの?・・そんなことを問いかける視点も、私は30年近く前に新聞で知りました。それこそ当時は身近に「障害」を持った人がいなかったから、こういう見方は私の中からすっぽり抜け落ちていたんですよね。
 切り抜いた記事を整理するのは冷蔵庫の中を整理するようなもので、「あっ、これ使える」「こ〜んなところにあった」などと、まるで掘り出し物を見つけたようなうれしい気分になります。中には私の中で特別な位置を占める文章となって、繰り返し眺めるものもあります。
 私が折にふれ読み返す切り抜きのひとつをご紹介します。4年前に掲載された投書の記事です。
[私に問いかけ 12年前の手紙]  
 ー高校生小川なつき(宮崎市18歳) 2002.01.10朝日新聞「声」ー
 先日、母が「こんなものが出てきたよ」と古ぼけた封筒を差し出した。故マルセ太郎さんからの手紙だった。12年ほど前、マルセさんのお芝居を母と見に行き、その感想を書いて出したら返事を下さった。 「がっこうのべんきょうもがんばってください。べんきょうをがんばるのはひとにかつことではありません。おとなになったとき、よわいひとのたちばにたってものごとをかんがえるようになるためです。つよいということは、よわいものをいじめることではなくよわいひとのためにたたかえることです。つよくやさしいひとになるため、べんきょうしてください」
 当時7歳だった私にはよく分からなかったが、今読み返してみて、とても考えさせられた。 私は受験生で、がむしゃらに勉強している。しかし何を目標に勉強しているのだろう。弱い人のためだろうか。大学に入り、自分の夢をかなえるためだけではないだろうか。果たして、それでいいのだろうか。
 マルセさんは12年越しに私に問い掛けている。
 ・・・私はそれまでマルセ太郎さんのことをほとんど知りませんでした。そしてこの投書をきっかけにネットで調べ、そして「マルセ太郎語録」は私の宝物になりました。

 あこがれの信州暮らし その34(2006年1月)

じっと春を待つ

 厳しい寒さです。朝の気温が−10℃近い日々が当たり前のように続いています。幸い今のところ雪は少なく快晴の日が多いので、室内にいると陽差しがあって暖かいような気がするのですが、いやはや外の空気の冷たいことといったら!・・でも、私はこのキッパリとした冷気がけっこう気に入っています。空気が頬に突き刺さるあの感じが好きなんですよね。だから、亡き母が「いい加減にお化粧くらいしなさい」とうるさかった20代の一時期も何とかくぐり抜け、ず〜〜っとノーメークです。おかげでシワもソバカスも顔全体に拡がっているのが丸見えですけど。 

こんなに寒い日が続いていると、何だか自分が植物にでもなったような気がします。じっと、ひたすらじっと風雪に耐え、凍えながら春を待ってるみたいな・・・。実際12月に雪が10・くらい積もったあとに−10℃以下に冷え込んだ日が続いた頃は、物理的に出かけることができず「じっと」していました。何せ、家の前の道路の雪が融けずに凍ってしまいアイスバーン状態でしたから。そんな時に車を運転する怖さといったらもう!!だから、余程のことがない限り下界には降りていかないことにしました。何度か高校生の息子を駅まで送ったのですが、坂を下りるのは何とか滑りながら下りても、上がる時が問題で、毎回ヒヤヒヤものでした。一度どうにもこうにも上がれなくなって以来、車に塩カル(融雪剤)と金属スコップを常備して、対向車が来ないことを祈りながら(大声で「来ないでよぉ〜!」と叫びながら)駆け上がっています。ちょっとでも減速したら止まっちゃいますからね。

そんなわけで滅多に外出もせず、ひたすら「じっと」しています。片道小一時間もテクテク歩いて中学に通う娘なんぞ、本当に「偉いなぁ」と思います。娘が登校する朝の6:30段階で−12℃だった日に「今日は学校休んだら?寒すぎる。こんな日に体育館で朝練なんて凍えてしまうよ」と言ったら「母さん、何を甘えたこと言っとんよ!」と一蹴されてしまいました。あの寒さの中でも歩いて「学校に行く」と言う決然とした意志は何なのでしょう?ぬくぬくとした家の中よりいいことがあるんやろか?小学校2年の冬に越してきて以来ずっとこの坂道を歩き続けている彼女こそは、頑張り屋さんでズク(根気)のある「信州っ子」かも。・・ってことは、上の息子2人は歩く年数が足りなかった?

それにしても、私がこうやって「じっと」春を待つ植物みたいな生活を楽しむようになるとは、我ながらオドロキです。以前の私は活動的で、能動的で、子どもの時から「積極的」という言葉が付きまとっていました。目立つこともイヤじゃなかった。だから「おかしい」ことはハッキリ「おかしい」と言って運動したし、おもしろそうな事があれば進んで加わり、新しい試みをしようと立ち上げることも多かったです。でも、それが今は違う。信州の風土の中で自然に「時機を待つ」ことを覚えたのか、言葉や行動で発信する以前に問題を「観る」ことの重みを知ったのか、それとも派手なパフォーマンスよりも一人に語りかける深さを信じるからか。・・・いや、単に年をとっただけなのかもね。

とにかく、「じっと」して枯れたようにみえる冬の草木もちゃんと生きてるってことが、理屈ではなく実感を伴ってわかっただけでも、信州に住んだ甲斐があるというものです。


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