あこがれの信州暮らし 2004年  

 いなずみ なおこ

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あこがれの信州暮らし その22(2004年12月)
おおいそがし、こいそがし

             
 「おおいそがし、こいそがし」(平凡社)という絵本に、韓国の冬支度の様子が描かれています。トウガラシを干して、栗を拾って、豆を叩いて、柿を干して、白菜をキムチに漬けて、大根を土の中に埋めて・・・家族総出でやがて来る冬に備えて働きます。街に住んでいた頃は、「冬支度」という言葉は私の中では死語でした。それが今では、あ〜、どこもおんなじなのねぇ!!と感慨深い。

今年は白菜も野沢菜も完敗でした。太ネギ、大根、人参は大丈夫。ホント、畑仕事ってわからないものですね。「無農薬なのでムシにやられて失敗しました」と言っていられるってことは、道楽でやってるからこそだねと言われても仕方がない(トホホ)。幸い、わが家より数日早く種を蒔いて無事収穫できた大家さんから分けてもらいました。有り難いことです!

畑の野菜は全て収穫し終わってそれぞれ収納し、沢庵も漬けたし、栗の渋皮煮や干し柿もでき上がって、わが家の冬支度も着々と進んでいます。11月中旬の日曜日には家族総出で「干し芋」づくり。庭に竃(かまど)を据え、その上に蒸籠(せいろ)を置き、どっしり重い木蓋を載せて、薪をくべてボンボン燃やします。皮を剥いて1.5cm程度の厚さに切ったわが家のサツマイモが次々に蒸されていき、それがまた次々に、庭に並べた筵(むしろ)の上へ。えぇ、竃(かまど)に蒸籠(せいろ)に筵(むしろ)です。全部、大家さんから借りてきました。こーゆー道具を見ただけでワクワクしてしまう私は、少々興奮気味。いずれも、大家さんちのご先祖様が大事に使ってきたものばかり。筵(むしろ)は昔、養蚕をしていた頃に使っていたものだそうです。その筵(むしろ)と同じ大きさに作ってある持ち運びできる四角い竹の笊(ざる)状のものも借りてきました。これを棚のように重ねておく櫓(やぐら)も借りてきて車庫に設置しました。こういう道具が暮らしを支えていた頃を想像するだけで、人間の叡智はなんて素晴らしいのだろう、と思います。「蒸し上がったよ〜!次はまだぁ〜?」と竃(かまど)係の高1の息子が庭から叫びます。大きな斧を振り上げると心なしかふらつく父親を尻目に、丸太を次々に割っていきます。長い間兄の助手役だった彼も、兄が進学して家を離れ、役割分担がいっきに昇進したというわけ。「待ってよ〜〜!こっちだって急いでるんだから〜!」と応酬する中1の娘。私と一緒にサツマイモを包丁で切ります。気をつけて!と何度も口酸っぱく言っていた私が包丁で指を切りました。家族総出で仕事をしていると、子どもの成長と親の老化を実感します。夜間に車庫の櫓(やぐら)に干したままにしておけばネコやネズミが狙うかもしれないし、玄関の中に取り込めば、そこを髪の毛の生えたネズミが通るたびに数が減っていきそうだし、私はあちこちに目を光らせるのに忙しく・・ようやく干し芋ができあがりました。こういうのを滋味っていうんですね。干し芋を噛んでいるとじわ〜〜っとした甘みが口の中に広がります。それに腹持ちもいい。

息子は高校にこの干し芋をおやつに持っていきます。干し芋をかじりながら女の子と話が弾むのかしら?と母は気を揉みます。娘はというと、長いこと焼き芋、栗、干し芋、干し柿がおやつに続いた頃、ため息まじりに言いました。「ねぇ、母さん。ふつーのおやつはないん?」


あこがれの信州暮らし その21(2004年11月)

自分で自分を守る力                               

ここ安曇野でもあの新潟県中越地震の時には、大雨のあとだけに不安でした。ここで体験した震度2とか3でも十分怖いのに、震度6や7の(想像を絶する)揺れを体験された被災者の方たち。どんなに怖かったことでしょう!しかも、いまだに強い余震が続いているなんて! 

地震の3日前の台風23号(10月20日)の大雨の時には、ここに引っ越してきて初めて経験した尋常でない雨の降り方と、ゴゴーッと山から滝のように流れ落ちてくる川の様子にすっかりビビッてしまい、ペンションをやってる穂高の臼井さんのところに自主避難。うちの裏は大きな岩も多いし、家の外で何が起きているのかわからない中、家で眠るのが不安だったからです。暖かい布団と「避難場所に選んでくれて光栄だよ」と言ってくれる臼井さん夫婦の存在がどれほど有り難かったことか!

「一緒に避難しましょう」と誘った大家さんは、結局動かずじまい。一晩中、家の周りを見回ったり、山からの水の流れが一ヶ所に集中すると危険が増すことから、川が分岐するところで流れを注意深く観察したりされていたようです。下に住む多くの住人は、そんなことは何も知らずに、誰もが「うちは大丈夫だろう」と根拠もなく信じて眠りについたのでしょうか?一方で、大雨のたびに大家さんがこの土地の守り神みたいに人知れず活躍しているのを知っていながら、さっさと逃げ出す借家人・・。う〜む!・・本当は逃げるのが一番です。でも、逃げる覚悟をしながらもギリギリまでこの土地を守ろうとする大家さんを見ていると、つくづく「かなわんなぁ」と思います。大家さんは雨が降り始めるとすぐ庭にバケツを置いて、気象情報で発表される松本の雨量ではなく、この場所の雨量を自分で測ります。そして、家の裏を流れる川の水の濁りとか水量の増え具合、地盤の緩み加減とか、様々なものを見て回って観察します。そして自分で判断する。・・・天災があると、とかく行政の責任ばかりが取り沙汰される(もちろん行政の責任は大きい)けれども、はたして私たちは自分が住んでいる土地のことを本当に知っているのか?自分で自分を守ろうという努力はしているのか?・・・考えさせられます。

時を同じくして、中1の娘がやっている部活(バスケ)内で、お揃いのウィンドブレーカーを買いたいという話が持ち上がりました。上下セットで1万円だそうです。娘は「いらない。体育のジャージがある」と言います。私も人並みに親心というのもありますので、一応心配しました。ひょっとしたら一人だけ買わないってことになるかもしれないよ。それでも大丈夫?と。結局15人が購入。娘を含め2人が購入しませんでした。子どもたちから「お揃いのものを」という声が出てくるのはわかります。でも、必要性に疑問があるモノを「揃える」ことに対して、経済的なしんどさや精神的に抵抗を感じる少数者の気持ちを思いやるような大人の配慮がなかったことが残念でした。

中越地震の数日後、郵便局で地震災害対策本部に義援金を振り込みました。「貴女がウィンドブレーカーをいらないって言った分のお金を振り込むことができたよ」と言った時、娘の顔がパァーッと輝いたのが忘れられません。


あこがれの信州暮らし その20(2004年10月)

何を大事にして何をあきらめるか

「収穫の秋」は「腰が痛い秋」です。今年は9月25日から栗が落ち始めました。この夏は気温が高かったせいか収量が多く、拾い集めるのもひと苦労です。栗の木のすぐ横を流れるせせらぎの音。悠々と弧を描いて飛ぶトンビ。ススキの穂が風に揺れ、隣りのソバ畑はサワワと波打つ。そこで黙々と2時間近くも栗を拾い集める一人の女性。あれっ!腰が伸びない!

栗拾いに追われるのは2週間あまりです。今年も虫喰いが多いので、よりマシなのを選別し、鬼皮を剥いてあく抜き5回。シロップに漬け込んで一晩置いて、煮沸消毒した保存瓶に詰めて脱気して・・・渋皮煮をつくるのに3日かかります。ストック棚に並べてふ〜っと深呼吸したら、足元には次の加工を待ってる栗がまたまたどっさり。食べる時や誰かに贈って喜ばれた時には「やっぱりつくっておいてよかった」と思うのに、家の中が加工場となるこの時期は「えぇ〜っ!まだあるの?」と思ってしまいます。でもね、毎日こんな作業を続けていると、華やかな歴史の陰には名も無き人々のこういう地味な生の営みがあったのだとしみじみ納得したりして・・。だって「あく抜き」にしろ、保存方法にしろ、すごい知恵の結晶だとつくづく思うもの。

中1の娘がこの頃少し浮かぬ顔。なぜって、多少なりとも自負する気持ちを持っていたスポーツで少し悔しい気持ちを味わっているせいらしい。部活(バスケ)の秋の新人戦を前にユニフォームはもらえたもののまだ少ししか出してもらえそうにないとか。「当たり前じゃん。1年生でしょ!」と一笑に付したいところですが、まずは「うん、うん」と頷きながら話を聞きます。小学生時代からミニバスをやっていた友だちが同学年でも何人もいること。社会教育関係のクラブに入って土・日や夜にも練習している子もいるし、しかも、他校には鬼コーチみたいな顧問がいてレベルの違う練習をがんがんしていて、そんなところと試合しても全然相手にならないこと・・などなど。なるほどよくわかるよ。でもね。要するに、何を大事にして生活するかってことなんだよね。ひとつのことに打ち込んでいる人って、成果の如何に関わらず素晴らしい。もちろん、人知れず涙をたくさん流すこともあるだろうし・・。でも、それだけひとつのことに打ち込むってことは、それ以外のものをたくさんあきらめるってことなんだよね。それを子どもの頃に決めて鍛えるってのは早すぎると母さんたちは思ってる。今はまだ、いろんな経験をすることの方が大事。高校生くらいになって「やっぱり自分はこれが好き。これをやっていこう」と決めたら、それからでもじゅうぶんやれると思うよ。あれもこれもやりたい、認められたいと思う気持ちはよくわかる。でも、それは無理。何を大事に考えるかをよ〜く考えて、自分で決める時が必ずくるから・
・・。ユニフォームをもらえなかった子や試合に出してもらえない2年生の気持ちに思いを寄せることができたとしたら、それがこの秋一番の収穫じゃん。・・・

「何を大事にして何をあきらめるか」・・それはまさに私自身が直面してきた問題だと改めて思います。信州に暮らし始めてもうじき5年。この頃やっと、「私が大事にするもの」に確信がもてるようになってきたような気がします。


あこがれの信州暮らし その19(2004年8・9月)

田舎暮らしの中の騒音

「村」で生活を始めて驚いたことのひとつに「防災無線」があります。各戸に受信装置1台が貸し出され、毎日3回(6:00、12:30、20:00)の定時放送に加え、霜注意報とか台風の強風による農作物への対策を喚起するような緊急放送が流れてきます。定時放送の最後にはお悔やみ情報もあり「○○区の△△さんの御母堂××さんが○月×日にお亡くなりになりました」と流れます。時には「迷い犬のお知らせ」もあるし、先日は緊急放送で熊出没!(わが家から南に1.5kmくらいのところ)という情報も流れました。夏休み前には、「小学生の子が一人まだ家に帰っていない」という放送があり、夕方に目撃した人からの情報が寄せられ、何人もの人が捜索に加わって無事見つかったという深夜の放送もありました。

都市居住者からみ見ればプライバシーの侵害になりかねないと感じるだろうし、実際私たちも越してきた当初はあまりにもローカルな内容に「ひぇ〜!」と驚きました。でも、「村」の生活が5年近くにもなってくると、だんだん気にならなくなってきたのは不思議。子どもが3人もいて、村にひとつの小・中学校に長く関わってくると、地元の人以上に人間関係も拡がってきます。放送される内容からその背後にある人の顔が浮かんでくるし、第一放送担当者も息子の同級生のお母さんだもの。役場でも農協でも村に二つある内科医院でも、どこに行っても知り合いだらけの世界。例の夜間に行方不明になっていた男の子も、その子の仲良しの友だちのお母さんが「誘拐されるような子じゃない」と言い切ったら、思わず頷く人ばかり。案の定、遊び疲れて軒下で眠りこけているところを発見されたのでした。

この春には名古屋地裁で防災放送塔の迷惑放送差し止め請求に棄却判決があり、現在控訴中だそうですが、誤解しちゃいけないのは、原告は防災放送塔の設置そのものには反対しておらず、音楽放送やチャイムを毎日強制的に聞かされる迷惑を問題にしている点。そりゃそうだよね。いったい何でこうもまたスーパーといい商店街といい駅の構内といい、どこもかしこも聞きたくもないバックミュージックや繰り返しの多いお仕着せ放送の騒音にあふれているのか!静穏環境の文化的意義ってものがないがしろにされています。「村」の防災無線は聞きたくない時は受信装置の音量をゼロにすることができます。それでも緊急放送は自動的に大きな音でなるので「防災」の機能は果たすわけ。 

さて、これ以上ないくらいの静かな田舎暮らしの中で騒音といえば、若者の出す音の方がうるさいものです。帰省してきた大学生の息子は、茶碗を洗う時に「XJAPAN」だの「BACKSTREET BOY」だのを聞かないとできないとかで・・・あぁ、うっとおしい!ボリュームを下げろ、下げないでひともめします。高校生の息子はというと、どこがどう琴線に触れたのかここ2年ほどは小田和正にご執心。掃除機をかけながら声を張り上げ、風呂に入れば延々とメドレーで歌います。昨日も♪君を抱いていいの、好きになってもいいの♪と何度も繰り返し歌うので、私がぬか床をかき混ぜながら「いいよ!」と言ったら、ピタリと歌が止まりました。うるさい思春期を黙らせるにはコレに限ります。


あこがれの信州暮らし その18(2004年7月)

農的生活の必需品          

まさかこんな日々が訪れようとは思っていませんでした。 

「母さん、母さん」とまとわりつく乳幼児がいた時代には、親二人で「あと○年」「あと○年」と念仏のように唱えながら過ごしていました。あと○年たったら、いろんな家事が分担できるようになる。そうしたらもうこっちのもの・・、と。大人がやった方がダンゼン早い家事も、いつの日か楽になる日を夢見て丁寧に時間をかけて教えました。だからこそ、息子二人も娘も着々と家事を覚えました。ぞうきんがけは幼児から、掃除機や洗濯機は小学校低学年から担当し、朝の味噌汁づくりはどの子も5年生からは一人で担当するようになりました。トン・・トン・・・トン・・とつたない包丁さばきがトントン・・トンと進歩してきて、トントントンとリズミカルに叩く音になってきた頃には「いいぞ、いいぞ」とほくそ笑んだものです。「おいしいわ〜」と褒めちぎったり、サボるのを覚えてきた子には「誰だって本読みたいんやで」と諭したり、それなりに苦労しながら、あと少しで目標達成!のハズでした。

ところが、ついにわが家にひとりの小学生もいなくなったこの春から、予想以上の厳しい事態に。末の娘は中学の部活の朝練が7:20に始まるせいで(家が遠いため)6:30に家を出ます。こうなったらもう味噌汁をつくるどころではありません。親二人が5:30に起きて、パートナーが味噌汁をつくり(私は高校生と親二人の弁当をつくり)、娘は6時前後に朝食を食べて出かけます。かろうじて、高1の息子(7:10に家を出ます)がニワトリのエサやりや掃除を分担します。帰りは部活で二人とも遅く、手伝いどころではありません。風呂洗いや食事づくりはもちろん、畑の収穫をするとか、かつお節を削るとか、ゴマを擂るとか、豆のスジを取るとか、そんな細かな手伝いすら、平日はやり手がいなくなったのです。その上、5〜7月は中学部活の完全下校は18:30。全部歩いて帰れば19:30です。こんなご時世ですから、暗くなってから娘が一人で帰る(一人で歩く距離が長い)のは不安で、19時を過ぎると車で途中まで迎えに行きます。夜は夜で(わが家は中学生は21時に、高校生は22時に寝るキマリで)子どもたちは大急ぎで宿題にとりかかり、パートナーが茶碗を洗って、私が拭いて・・・。

何だか悔しい。部活に子どもを取られた気分です。もちろん、子どもには言いました。「部活は必ず入らなきゃいけないわけじゃぁないからね」「朝練は自主練なんでしょ」「たまには(できればちょくちょく)サボってもいいんじゃない?」って。・・・ところが、どいつもこいつも部活と体育のために学校に行ってるようなお方。1日も欠かしません。ひょっとするとヤツらは、「朝練に行かなかったら朝っぱらから畑の手伝いをさせられるだけや」と思っているのかも?

6月下旬からたわわに実ったラズベリーも私一人で摘みましたとも。こちらの都合も考えず平日に次々に実る恨めしさ。・・「農的生活の必需品は冷凍庫と小学生や」とつくづく思います。


 あこがれの信州暮らし その17(2004年6月)

虫には寛容なんです

自分で言うのもナンですが、私は大抵のことには寛容ですし忍耐強いです。だからわが家で共存している虫は幸せです、きっと。廊下の真ん中を堂々と歩いておられる甲虫類を目にしたら踏みつけないように歩きます。窓を開けた途端に入ってきたアシナガバチですら、それが黄色っぽいオスならば刺さないので放っておきますし、茶色っぽいメスならそっと窓を開けて出ていってもらいます。冬には、台所の収納棚の戸の内側とか東側南側のよく日の当たる窓にテントウムシがウヨウヨいますが、彼らは静かなのでまぁ許します。でも、70〜80匹のテントウムシが一箇所にかたまって集団でモゾモゾ動いていたりすると私は無条件に掃除機で吸い取りたくなります。一度実行しようとしたら、パートナーが「なんということを!」とすっ飛んできて、「掃除機で吸われるくらいなら」とせっせとピンセットでつまんで、標本にするためにアルコールの入った瓶に入れました。掃除機で吸うことが標本にするよりも野蛮で残酷なこととは思えないのですが・・。とにかく、多くの虫と私はお互い知らん顔をして平和にやっています。

そんな平和主義者の私が、唯一、いや二つですが、我慢できないものがあります。

窓ガラスや蛍光灯のかさにわざわざ体当たりしながら大きな音をたてて飛ぶカメムシ。いくらカメの甲羅のように堅い殻をもっているからといって、あちこちに不必要にぶつかってエネルギーを無駄に消費するような飛び方をしなくてもいいでしょうに・・。私がイライラしながら「いったい何のためにこんな飛び方をするワケ?」とうちの昆虫学者に聞いたら、彼はそれまで読んでいた本から目を上げて「カメムシはぶつかることを別に気にしてないと思うよ」と答えて、また続きを読み始めます。「私が気にする!」と憤然と宣言し、蛍光灯のかさに留まったカメムシを捕虫網の先でツンとつつきます。こうするだけでバカなカメムシは網の中にコロンと落ちてきますから、それをティッシュでつまんで、ここぞとばかりに潰すわけです。カメムシですから、もちろん臭いです。でもね、私は香菜(コリアンダー)が好きなので、まぁカメムシの匂いも我慢できるってわけ。

もっと腹立たしいのはキンバエです。大きい羽音をたてて飛び回り、大抵のことには忍耐強い私が「もう限界や」と蠅たたきを手にすると余計にブンブン飛び回って私をあざ笑います。しかも、許せないのはわざわざ私を挑発するかのように突進してくるんですから、ついこちらも本気になってしまうではありませんか。何度か空中戦を試み、それが失敗すると敵は狂ったように飛び回ります。こうなると蠅たたきではもうダメ。私は部屋の戸を閉め切って、捕虫網を振り回します。「エイッ!」・・見事しとめて、網の中をボ〜然としながら歩いているハエを蠅たたきでパシンと叩いて、捕虫網を手に玄関に出ていきます。庭に死骸を放り投げるためです。 

・・・と、そこに「こんにちは」と訪ねてきた客人。「おっ、立派な捕虫網。何か珍しいものでもいましたか?」・・・「あっ、いえ、そのう・・ハ、ハエが一匹・・・」


 あこがれの信州暮らし その16(2004年5月)

つくづく強欲なのね

今年初めて挑戦したイチゴが収穫期を迎えました。といっても、まだ1日に大小合わせて20粒ほど。これを4人で分けるとひとり5粒。息子が1人巣立って家族の人数が減ってよかった!これを5人で分けていたら4粒になるところだった・・こんなセコイことを考える程、イチゴがおいしい!無農薬有機栽培のイチゴは高価です。高価だけのことはあるとつくづく思います。えっ?割り切れない数だったらどーするか?そりゃぁもう、4人でジャンケンをします。たとえ同数でも大きさが違うので、ジャンケンで勝った人から順に4つのお皿を見比べて選びます。もっとも、パートナーも、そして中・高生も部活で帰りが遅いので、私が収穫担当ですからね。たいていは割り切れる数になってますけど・・。これを「畑仕事に福あり」ともいいます。

大変、大変と始終言いながら畑仕事を続けている原動力は、「おいしいから」。でも、それと同じくらい励みになるのは「これをおやおやさんで買えばいくらになるか?」ということです。「これくらいあれば1パック分くらいあるよね。やった!790円儲かった!」って思うわけです。アブラムシにうち勝って(予定)もうじき大きな実をつける(予定)ソラマメだって、そりゃぁもう、塩ゆでしたばかりのソラマメをつまみながらビールを飲みたいとか、ふくよかなソラマメごはんを味わいたいとか思ってるわけですが、収穫してザルに盛るその時には、私は頭の中で「買えばいくらか?」とそろばんをはじいてるわけです。そしてひとりでニンマリします。

500坪以上の畑を好きなだけ使わせてもらっていますので、かなりいろんな種類の野菜を作っています。年間を通じてあまり野菜は買わずに済む・・ハズです、本来ならば。たとえば昨年6月に収穫した玉ねぎは248個。これだけあれば、普通の家庭なら当分もつと思うでしょ?・・ところがこれが5ヶ月しかもたない。玉ねぎがどんな料理にも合う野菜の万能選手ってこともあるけれど、あればあるだけ、ものすごい量を使っちゃうんですよね、これが。昨年「今度こそは長くもたせるぞ」と決心して4月から6月にかけて6回に分けて種蒔きした人参は、数えるのをあきらめた程大量に出来たものの(もちろん冬季は土の中に埋めておいて)半年ほど朝昼晩、馬になってもいい位に大量の人参を食べ続け、その挙げ句3月からは人参を買うハメに・・。うちに人参が大量にある時期は1kgあたり280円なのに、私が買う時期には430円だもんね!11月に立派な青首大根ができたと胸を張り、ふとおやおやさんの伝言板を見たらたったの190円!今度は「安すぎる!」と憤慨します。

無農薬有機栽培の作物を作るなんて大変だろうなぁと頭ではわかっていたつもりでしたが、やっぱり以前の私にとっては「お金を出しさえすれば手に入る」安易なものに過ぎなかったと今では思います。まして「売り物」を作る本業の農家の人はどれほどの忍耐と才覚がいることか!

それにしても、夏になればイヤというほど食べなきゃならないとわかってるのに、今4個で185円のピーマンがつい欲しくなってしまう私は何なんでしょうね!


 あこがれの信州暮らし その15(2004年4月)

「イラク」から遠くはない日常

 サクラもアンズもモモも、あっと言う間に花が散って瑞々しい葉におおわれてきました。今年は特に季節の進みがはやい気がするのは私が年を喰ってきたせい?

 新しい命の息吹きを実感する春が私の一番好きな季節のハズでした。それが学生時代に花粉症を発症して以来20余年・・最もつらい季節になるとは・・・トホホ。

それでも今年は昨夏が冷夏だったせいで花粉症は少しは楽です。でも私の気分は今、けっこうブルー。親元離れて進学した18才の息子は寮に入ったので仕送りは何とかやりくりできそうだし、畑の働き手が一人減ってしまったとはいえ高1の息子と中1の娘は(少なくともまだ週末は)くるくる働くし、・・・家の中は落ち着いた穏やかな日常なのだけれど・・・。

日本人のイラク人質事件が無事解決したといっても、イラクでは連日犠牲者が出ている現実。人質から解放されて帰国した人たちを襲った、筋違いで一方的で声高な主張が堂々とまかりとおる不思議。埼玉、広島、鹿児島での衆院統一補選はこんな世情の中で実施されたというのに、相変わらずの低い投票率。・・ホント、イヤになるよね。 やってらんない。ど〜にでもなれ、・・と投げやりな考えが頭をよぎる一方で、どうして私たちは自分たちの社会を、こういう無気力が広く覆うものにしてしまったのか?と改めて考えます。そして考えれば考えるほど最後に行き着くのは、いつも「教育」。家庭にしろ、学校教育にしろ、私たち大人自身が「自分で考え」「互いに議論して」「何かを変えよう」とか「新たなやり方を模索しよう」とか、そういう経験をしていないがゆえに伝えられていないのかも?

考えたいことはいっぱいあります。中学生になぜ制服か?ほとんどの小学生が終日学校で体操服で過ごすのはなぜか?中学生や高校生が部活でかなり遅く帰宅することに対して多くの親はなぜ寛容なのか?部活だけでなく、土・日に社会教育のクラブまでさせて「暇」がなくなることをなぜ多くの人は承認するのか?自治の機関であるハズの中学校生徒会が、空き缶回収などのボランティア活動に熱心であればそれでいいのか?携帯電話は本当に必要か?・・・・

イラクにどう向き合うか?は今の自分が考えるには難しいと感じるかもしれないけれど、こういう問題なら、自分の問題として大人も子どもも考えられると思います。そして、自分の考えとは異なる意見を聞いて議論する中で、自分と違う立場の人への想像力が育つハズ。よりよいやり方はないかと考え、何か行動してみようという機運も高まるかも?

1月の中学の入学説明会の席で、12才の娘がこんな質問をしました。「上靴も、そして今年からはカバンも、男子女子の区別がなくなったと説明がありましたが、どうして制服は男子はズボン、女子はスカートという区別があるんですか?」・・・中学の先生からの回答は・・・無言。

日常の中に考える材料はたくさんあります。そんな日常の問題から「イラク」は遠くないところにあると感じます。


  あこがれの信州暮らし その14(2004年3月)
群れから離れる若いオス猿
 上着を脱いでしまうポカポカ陽気の日もあれば、首回りをスカーフで覆う冷たい日もある3月。こうコロコロ気温が変化するのではからだがついていけません。それでも、確実に陽の光に明るさが増してきました。庭のクリスマスロ ーズがひっそりと咲き、クロッカスは愛嬌を振りまいています。あちこちにフキノトウがポコポコ出てきて12才の娘は採集活動にお忙しいことで・・・。
大学受験の5日前に三重県に住む祖父の病死を経験し、ショックも大きく落ち着かない日々を過ごした上の息子は、滑り止めを受けない一発勝負でしたので私もさすがにちょっと心配しましたが、祖父が見守ってくれたのか無事合格。まぁ、それからの忙しかったこと!!わが家の3月はただでさえ小・中・高3つの卒業式があって忙しいのに、入学手続きだの下宿探しだの目が回る。覚悟はしていたはずの入学資金ですが、こう簡単にボンボン手元からお金が飛 んでいくと愕然とします。息子が荷造りをしながら不要になった高校の教科書類をまとめて紐でくくっているのでふと覗いてみると、ほとんど使っていない新品同様の補助教材がどっさり。使っていない息子が悪いのか?全員に同じ補助教材を次々に画一的に与える高校が悪いのか?私が憮然としていると「まぁ、合格したんやからええやん」。ええわけない!昔っから言ってるやろ?これぜ〜んぶ学校からもろたもんとちゃうねんで!み〜んな父さんと母さんがお金はろてるもんなんや!!「文句は高校に言うてよ。こっちの意向も聞かずに押しつけられてオレだって大変やったんやで」・・・わかるような気もする。いや、待て。ヤレと言われるだけでヤル気がなくなるというあんたの心が狭すぎるんとちゃうの?「母さんならほんまにやる?」・・いや、それはその・・・・場合によるわ・・。 
「これからは自分のやりたい勉強を思い存分やれるぞ!やったネ!」・・一般教養科目の存在を知ってか知らずか、息子は意気揚々と巣立っていきました。
サルの社会では、群れから離れていくのは若いオス猿だといいます。ここ2〜3年の息子を見ていたら、親とは全然異なる自分自身の生き方を追求する様子が顕著でした。食べることなんてどうでもよくなるくらいに没頭できるもの(彼の場合は数学)を見つけ、それを武器に生きていこうとする決意と自信たるや!(夢の大きさと鼻っ柱の強さは若者特有のものなのでしょう)・・いつかは思い通りにならなくて挫折感を味わう時も来るでしょうが、今はともかく自分の好きなことがハッキリしているだけでも幸せなことなのかも・・。
サルの社会では、群れから離れる若オスをどんな眼差しで見送るのでしょう?きっと、日々の食べ物や安心できる場所で眠ること、そしてまだ親のそばを離れずにとどまっているチビ猿の世話に忙しくて、イロイロ考える暇もないんでしょうね。
さぁ、春の農作業の始まりです。

  あこがれの信州暮らし その13(2004年2月)

気配りのできる人が風邪をひく

 一応2人の受験生がいるということで、今年は家族全員がインフルエンザの予防接種を受けました。親2人の接種は子どもの時以来。子どもたちにとっては生まれて初めてです。

 3年前に上の子が高校受験をする時にはインフルエンザのイの字も頭になく、予防接種をしようなどと思いつきもしませんでした。たぶん、今年大学受験をする上の子はめったに病気しない鈍感な(おっと・・)丈夫なタイプだからかな?それに比べれば、今年高校受験の2番目の子は、風邪がはやってきたみたいねと誰かが口にし始めたその時には、すでにしっかり風邪ひいてるタイプなので、親の意識も違うのかも?

 5人家族の全員が接種するとなると大変な出費。だから、この費用も「受験にかかった費用」のリストに加えて、受験生2人にしっかり恩にきせるつもりです。ところが、「なんで、私が2回も痛い思いをしなくちゃなんないのよ」と恨めしそうに言っていた小6の娘(小学生は2回接種した方がいいですよとお医者さんに勧められた)が、勧められるまま2回接種したのに1月末にインフルエンザにかかりました。あらよあらよという間に40℃まで熱が上がってぐったりしている娘を見ると、昨年から子どもにも使われるようになったという抗ウィルス薬を試してみようという気になります。アカンボや幼児を抱えていた頃は、山田真著「はじめてであう小児科の本」(福音館書店)や松田道雄著「育児の百科」(岩波書店)を熟読して、突発性発疹などの普通の病気の場合「熱のわりに元気があるから様子をみよう」などとほとんど医療機関のお世話にならずにやってきたのに、この頃の私たちときたらすっかり軟弱な親。今の生活に、熱を出して病気と闘っている身体が自然に回復するのを待つような精神的余裕がないためか・・。

 「典型的なインフルエンザだね」というお医者さんに「予防接種したのに・・」と嘆くと「何事も100%ということはないからね」というお答え。「そりゃぁそうだけど、ハズレの場合は半額戻ってくるなんてことは・・?」と聞くと、「ガハハハハ、残念ながらないね」だって。わりきれないよ、まったく! 5日分もらってきた抗ウィルス薬を服用させながら「2日たったら楽になるからね」と呪文のように言い続けていたら、本当に2日で解熱したのにはビックリ。なんだか、結果のわかっている実験でもしてるみたい。でも、この特効薬。熱は確かに下がるけど、やっぱりインフルエンザはきつい。結局、身体のしんどさがとれるには1週間かかったし、しつこい咳は10日以上かかってやっと鎮静化しました。私も看病疲れのところをやられてしまって、今もだいぶひどい咳。気配りのできるタイプの人が風邪をひくんです、きっと。え?受験生ですか?大学受験の息子は・・あの人は何といっても悠々としていますから(名前が「悠」といいます)鼻水ひとつ出さず、今朝、受験する大学に旅立ちました(ヤレヤレ)。高校受験の息子の方は・・何しろトレンディなお方なので、私を追いかけるようにして鼻をブビ〜ッとかみはじめました。ヤバイ!前期試験にフラれたので、後期試験まであと2週間です。


あこがれの信州暮らし その12(2004年1月)

青年よ、大志を抱け!

 ウ〜っ、さぶっ!お正月までは「今年の冬はあったかい」と思っていたのに、最近の寒さといったら、もーっ、たまんない。朝、目覚めたら肩がバリバリに硬くなっていて奥歯まで痛いことがあります。身体にギュッと力を入れて、寒さに耐えているのかしらん?歯医者さんに尋ねたら「そう、寒さとか痛みとか精神的ストレスでも、寝てる間に思いきり歯を噛む人ってけっこう多いんですよ」とのこと。その話を聞いて以来、左右の奥歯が痛いのは図体も態度もデカイ思春期(高3と中3)のせい・・ということにしています。「こーゆー寒さって、どうしたらいい?」とおやおやさんに尋ねたら、「そりゃあもう、夫婦で抱き合って寝てください」とのこと。そうかぁ!・・でも、うちの場合、眠っちゃうと「愛」は見事に消え失せて、凄まじい布団の取り合いになるからなぁ・・・。昔は、あまりに寒い夜は子どもを抱き寄せて、暖かくなったら戻っていただくってこともしていたものです。今じゃ中・高生はちょっと近づいただけで「うわっ、何やねん。きも〜〜」と言って逃げていくし、3代目の人間あんか(小6)も身長150cmになって、一緒に寝るには布団が狭くなってきました。

 さて、わが家はお正月が過ぎてから、とりあえず一気に受験シーズン。先日、高3生がセンター試験を終え、明日は中3生が高校入試の前期選抜を受検します。2月下旬に高3生が二次試験を受け、3月には高校入試後期選抜。・・えっ?やっぱり高校入試の前期選抜と後期選抜の両方に受検料いるの?県の収入証紙2200円分が2枚いるってことか・・。なにぃ!センター試験の受験料が16000円!えーっ!二次試験の願書は前期・後期一緒に提出で、受験料として17000円の郵便普通為替が2枚いるって?!・・いちいち大声を張り上げながら、これからの教育費のことを考えるとますます頭がクラクラしてきました。

 大学だけではなく、高校まで前期・後期と2回受検できるなんてよかったね。チャンスが増えるわけだし。学力検査ではなく、明確な志望動機や意欲、実績が問われ、総合的に知力を見る小論文があるなんておもしろいじゃん!と最初は単純に思ったのですが、募集の観点が発表されたあたりから「あれれ?」という感じ。学区は違うけれども、露骨に5教科オール5を明言している高校まであって「な〜んだ、結局難関大学に合格しそうな子をとるのか」。特定の分野における顕著な実績っていうのも、子どもに早期教育とか特定のスポーツをやらせて、存分に遊ばせるどころかぼーっとする暇も与えないような親をますます増やすことにならないか?

 だから、やっぱり問題多い選抜方法に思うのですが、それでも志願理由書を記入する作業を通じて、うちの中3生もずいぶん成長したなぁと感じます。自分のいいところは何か?何を学びたいのか?将来、何になりたいのか?・・普通の学力試験では素通りしちゃうこんなことを深く考えないとなかなか書けない「志願理由書」。これを書くだけでも前期選抜を受検する意味はあるのかも?・・・うちの中3生は「作家になりたい」そうです。夢が大きくてうらやましい!


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