あこがれの信州暮らし 2008年  いなずみ なおこ

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あこがれの信州暮らし その66(2008年12月)

  雨戸を閉めるか閉めないか

もうすぐ冬至です。西側に山が迫っているわが家では、この時期は午後2時すぎに日没となります。うちから見下ろす安曇平のほとんどがまだ明るく輝いていようとも、太陽が姿を隠した途端に周囲はあっという間に夕方の雰囲気。山からひゅ〜っと冷たい空気が降りてきて、それまで暖房がいらなかったリビングもいっぺんに冷え冷えとしてきます。日光浴させていた鉢植えを大急ぎで玄関の中に取り込んで、そして私ははやばやと雨戸を閉めます。まだ午後2時を少し回ったところですよ、午後2時。いくらなんでも、ちょっとねぇ・・と、初めの頃は躊躇したんですけど、ぬぁ〜〜に!隣の家なんてないんです。誰に恥ずかしがることもありません。だって、雨戸を閉めた方が断然!暖かいんですもの。

安曇野で暮らすようになって驚いたことのひとつに、雨戸を閉めている家が少ないってことがあります。少ないどころか、あまりお目にかからない。これはいったいなぜなのか?私が子ども時代を過ごした九州北部では一年中夜は雨戸を閉めるものでした。日暮れ時になるとどの家でもガラガラガラ・・と雨戸を閉める音がしていたものです。窓がアルミサッシになっても同じ。夜じゃなくても、台風が近づいてきたらガラガラガラ。夕立の前に雷の音が聞こえ始めただけでガラガラガラ。最近はペアガラスの家が多くなってきたからなのかな?凍みた朝は、雨戸が開かなくなることがあるから?それとも、暖房効率よりも室内から外を眺める楽しみの方を優先させてるの?

雨戸といえば、吉本ばななさんが河合隼雄さんとの対談(NHK出版「なるほどの対話」2002年)の中で語っていた話を思い出します。ばななさんが子どもの頃、ばななさんの父である思想家の吉本隆明さんは「雨戸を閉めて寝なさい」とうるさかったのだそうです。ばななさんには「朝起きて部屋が暗いのが嫌い」「窓から光が入ってこないと起きられない」など、それなりの理由があるんですが、父は雨戸にこだわる。雨戸を閉めるか閉めないかなんてどうでもいい話ではあるんだけど、父は「風邪ひいたらおまえが悪いんだ」と放っておくんじゃなくて「雨戸を閉めて寝ることもできなくて、他の何ができようぞ」と宇宙とか人生に話が進むくらいに理屈っぽい。家族中みんな引っ込みがつかなくなって侃々諤々(カンカンガクガク)議論してたという話です。

この本を読んだ6年前、うちにも思春期真っ只中の息子がおりまして、何かにつけ議論ばかりしておりました。テレビがないってことが「普通じゃない」のかどうかとか、好みじゃない食べ物には一切手をつけないという態度は人としてどうなのかとか、もうホントにお互いしつこくやりあっていたものです。「子どもが勉強してるかどうか」なんてことには目をつむっても、「雨戸を閉めるか閉めないか」で徹底的に揉める吉本隆明さん一家の話に私はおおいに共感したものです。

たとえば「子どもにケータイをもたせるかどうか」も、正解はないと思います。大事なのは、親が変に物わかりよく簡単に子どもの自由を認めるのではなく、それこそ命がけで議論するくらい腹をくくって対応する。このことの重要さを河合隼雄さんは常に力説しておられました。


あこがれの信州暮らし その65(2008年11月)

  損得ではない仕事

「暖かいね〜」を連発していた10月でしたが、それでも着々と季節は進み、落葉の頃となりました。例年のように本格的な冬に突入する前にと、少しずつ窓拭きや収納スペースの整理を進めています。なんてったって窓ガラスが大小合わせて82枚!!ですからね(以前住んでいたアパートでは16枚でした)。途方に暮れるというものです。それに、よそ様から見たらガラクタとしか見えないモノの多いことといったら!えぇ、分不相応な(自分じゃ建てられない)立派な借家に住んでいます。それをいいことに、もともと多かった書籍はますます増え、2階にこれ以上本棚を置くのは床が大丈夫?と心配になってきました。それに加え、畑仕事や保存食に関する道具を嬉しがって揃えていたら物置も車庫もワヤになりつつあります。整理整頓しなくっちゃ!

最高気温が8℃だった昨日の日曜日。丸一日かかって、恒例の干し芋づくりを楽しみました(苦しみました)。薪を割る息子も、竈(かまど)の火の番をする息子も巣立ってしまいましたのでね。パートナーの腰は大丈夫かしらん?などと、私はサツマイモをゴシゴシとタワシで洗いながら気にかけなくてはなりません。巣立った息子はといえば、できた干し芋を昨年少しばかり送ったら「これだけ?収量が少なかったん?」などとホザくものですから「そんなこたぁ、手伝ってから言いなっ!」と吠えつつ、昨年減らした苗の数を再び10本増やして今年は30本植えたわけでして・・。おかげで筵(ムシロ)4枚分の干し芋づくり。あぁ、これを母の愛と申します。

今年は「干し芋にいい」という「太白(たいはく)」という品種の芋を大家さんの弟さんからいただきました。うちで育てている品種は一般的な紅東(べにあずま)という皮が紅く中身は黄色いサツマイモですが、太白は文字通り肉質が白。この「太白」は、昭和30年代ごろまでは全国で作られていたようですが、その後もっと収量の多い品種にとってかわられ、昭和40年ごろを境に姿を消してしまったとか。今年、松本の園芸品店がその苗を取り寄せ、それを植えた大家さんの弟さんがお裾分けしてくださいました。蒸すとホクホクというよりしっとり、ねっとりとした食感。じんわりと甘さが口に広がります。

この太白というサツマイモ。埼玉県の秩父地方で長年ひっそりと作り続けられてきた品種なんだそうです。そうやって作り続けてきた人の存在に私は圧倒される思いです。たとえばアワ、キビ、ヒエなどの雑穀は今でこそ健康食としてブームになっていますが、30年ほど前は自然食品店で細々と売られていた食品でした。当時、雑穀を研究していた私の先輩が奈良県吉野郡大塔村(現五條市)で出会った人の話を聞いたことがあります。「なぜ、雑穀を作り続けているのですか?」と尋ねると、すでに高齢だったその方は「作らなくなったら、種が消えてしまうから」と答えたそうです。「流行らない」「儲からない」「もう体がしんどい」・・作るのを止める理由はいくらでもあります。それなのに「自分が作らなくなったら消えてしまうかもしれない」と作り続ける人がいる。ここには株価が上がった下がった、得した損したなどとは全く異なる価値観があります。


あこがれの信州暮らし その64(2008年10月)

  「時季」を楽しめる幸せ 

きょうは、朝のうちは霧がかかって冷え冷えしていたのですが、陽光が空いっぱいに広がってきて秋らしい爽やかな天候になってきました。ここ数日の夜の冷え込みでいっぺんにドウダンツツジが紅葉し、カリンの実も黄色く色づいてきました。

わが家の生活にテレビが入ってくる余地はないんですが、ラジオは「暮らしの友」です。とりわけ欠かせないのは天気予報。毎日の天気と生活がこれほど密接に関わらざるを得ない生活をするようになるとは、昔は想像もしていませんでした。街での生活では、せいぜい「出かける時に携帯の傘をもっていくかどうか」を気にする程度でした。それが「明日の朝は冷え込んで、松本の最低気温は4℃」なんていう予報を聞くと、当然このあたりはそれよりさらに1、2℃は低くなるわけですから、「軒下に干してあるサツマイモにムシロや古毛布をかけなくちゃ」とか「(霜に弱い)バジルを収穫してしまわなくちゃ」など、いっぺんにのし掛かってくる「〜しなくちゃ」を片づけるために、外を駆け回ることになります。冷たい雨が続いたあとに「明日は晴れて気温が上がるでしょう」という予報なら栗が大量に落ちるのを覚悟しなくちゃならないし、「明日は終日雨になるでしょう」なら、その栗の鬼皮を剥いて渋皮煮を作る一日になります。間引いた大量の大根葉も、数日好天が続きそうならば刻んで干しますし、しばらく好天が見込めないようなら塩漬けにします。

私の一日の生活が私の意志というより天候に左右されているわけで、ちょっと悔しい気がしないでもない。でも、農的な暮らしというのは当然そうならざるを得ないんだろうなぁ。ひとつひとつの生き物にそれぞれの成長があり、その中で適当な頃合いを見計らって人間が利用させてもらっているわけですから。何かを行うのに最も適した季節を表す「時季」という言葉や、何かを行うのにちょうど適した機会を表す「時機」という言葉は、こういった農的な暮らしの中から生まれた言葉ではないかしらん?これまでずっと「時季」を逸してきた「山椒の実の塩漬け」も「ミョウガの甘酢漬け」も「紫蘇の実の塩漬け」も今年はその時季にしましたよ。どんなもんだい!!

でも、そんな季節の移ろいを目にしながら、それこそ「時季」や「時機」がわかっていながら、それに目をつぶりもどかしい思いをしている方が、周囲に増えてきました。私たちが信州で暮らし始めて、もうすぐ9年。60代だった人は70代に、70代だった人は80代にと、当然のことながら推移しているわけで、様々な場面で「できなくなったこと」が増えている様子。あれほど綺麗に刈られていたあぜ道が雑草に覆われ、畝のあいだを這いつくばって草取りをされていた方が、あぜに座りこんでため息をついておられます。栗の渋皮煮を届けたら、たいそう喜んで「昔は私もズクがあって作ったもんだけど、ハァもう、その力もなくなって」と愚痴をこぼす方もいます。老いの哀しみってこういうことなんだろうか・・。「できないこと」が増えたとはいえ、それでも沢山の知恵は健在です。その経験や知恵を活かす方法はまだまだあるハズです。


あこがれの信州暮らし その63(2008年8・9月)

  塩分の摂りすぎに気をつけなくっちゃ

シャクシャク、コリコリ、シャクシャク、コリコリ、・・・高2の娘が惚れ惚れとするくらい美味しそうに「ナスとキュウリのピリ辛漬け」(ナスの切り込みに紫蘇とピーマンを挟んでキュウリや香味野菜と一緒に漬け込んだもの)を食べています。いえね、最初から等分してあれば何も問題はないんです。でも、きょうは大きな鉢に盛って食卓の真ん中においてあるんですよね。あのシャクシャク、コリコリの勢いはヤバイんじゃなかろうか。私が大急ぎでおかわりをしようとしたら、パートナーがトントンと私の肩を叩きます。「食べ盛りの16才と競ってどーするんよ。抑えて抑えて」。

今年の夏野菜はカボチャとズッキーニがイマイチでしたが、あとの野菜は順調でいい出来です。ということは、毎日ひたすら野菜料理を食べざるを得ないわけでして。手を替え品を替え、あれやこれや、あ〜もう!さんざん作っておりますよ。穂高インゲン(幅の広いモロッコインゲンの一種)を次はどうやって食べようかと夢にまで見るほどです。

夏野菜の中で最も「完全消費」に苦労するのはキュウリです。ふつうは生で食べることがほとんどですからね。一日で食べる本数にも限界があるというもの。うちは今3人家族ですので植え付ける苗の数は減らしてあったハズなんですが、1ヶ月以上ずっと連日5〜7本のキュウリが採れているんですよ。こうなると漬け物も、定番の糠漬け・焼酎漬け・即席漬けだけでは消費しきれない。近所の人から教えてもらった「醤油漬け」(醤油・砂糖・酢を合わせて煮詰めてキュウリを漬け込み、その汁だけをまた煮詰めては漬け込み、と3回!繰り返して漬け込む)もやってみたし、横山タカ子さんの『作って楽しむ信州の漬物』(信濃毎日出版社)に載っている「バルサミコ酢漬け」や「甘酢漬け」そして冒頭の「ナスとキュウリのピリ辛漬け」など大わらわです。

それでもまだ、だぶつき気味のキュウリとナスは長期保存用に20%の塩漬けにしました。七福神にちなんで7色の野菜でつくる「福神漬け」は、こうやって収穫時期の違う野菜を塩で保存しておいて、それを野菜の少ない時期においしく食べるために編み出されたものなんだと実感!!

今、私の手元には長野県農業改良協会が2003年に発行した「ながの うまいもの〜家庭の味・伝統の味」という分厚い冊子(427ページ)があります。信州の郷土食155点、漬け物140点など、圧倒されるばかりの知恵の数々です。再現するにはラフすぎる記述も多いのですが、大さじ2だのカップ1だの、その程度の調味料では話にならないくらい大量の野菜を保存するためでしょう。ここに出てくる福神漬けなんて、塩漬け野菜が4kg(大根が2kg、キュウリ・シロウリ・ナス、紫蘇の実、キクイモが2kg)で生のレンコン・人参が各500g、それにショウガと唐辛子を入れるのですから、話の桁がまるで違うよね!塩抜きした野菜の水分を抜くために「布袋に入れて脱水機にかける」とのこと。「最初の目方の二分の一まで絞り上げる」この行程が出来栄えを決めるのだそうです。うひゃぁ〜! 信州人の知恵とスケールの大きさに乾杯!


あこがれの信州暮らし その62(2008年7月)

  やっぱり、へそ曲がり?

ようやく!この地域にも8月から光ファイバーが開通します。今のADSL回線は都市部ではそれほど問題はなかったのでしょうが、わが家のような山間部と呼ばれる地域ではなかなかどうして、使いづらいものでした。インターネットで何か検索している時も、データや画像が多くてちょっと重たいものだと、出てくるのが遅い遅い。洗濯物干し場に行って、洗濯物を取り込むことができるくらい時間がかかります。洗濯物をたたみ始めることだってあるくらいです。だから、「ちょっと調べものを」と思っても「ちょっと」じゃ済まない。何かひとつ注文しようとしても、配送先や支払い条件などを打ち込んで、いざ「注文」とクリックしようとしたら画面が動かなくなったりして、ホント消耗します。パソコンが古くなってきたせいもあるんでしょうけど、6年でどーして古いねん! ADSL回線でのIP電話だって悪天候の時には不安定になり、雑音はひどくなるわ、会話にタイムラグはできるわ、はては途中で切れるわ、と散々でし。

あ〜ぁ、真っ先に光ファイバーにすべきは、街中の地域ではなくてウチのような山間部でしょうに!と、ずっとブツクサ言ってました。その光ファイバーが来月からやっと開通するんです。だから、ヤッタァ!とすぐ手続きすると思うでしょ? ところが、そうはならない。薦められれば薦められるほどイヤになってくる。「こーゆーサービスをします」「こんなにお得です」と熱心に言われれば言われるほど、「ほんまかいな?」「それにしても利用料が高すぎる」「ホンマに必要か」「もっといい方法があるかも?」って思うわけです。まして、何度も訪問されたり電話がかかってきたりすると、それだけでイヤになる。ハイ、これをへそ曲がりと言います。東京と言われれば京都。右を向けと言われれば左を向きたくなり・・・要するにあまのじゃくなんですね。学校の先生から課題を与えられれば与えられるほど、それをやらなかった息子たちはしっかり親に似てしまったということでしょうか?

でも実際、契約時のサービスひとつとってもWeb上には様々な窓口があって様々な条件でサービスを提供しており、渡されたちらしに書かれている条件よりも「お得」なものがイロイロあります。それでも中には、パソコンを買うのと同時に光回線を申し込めばパソコンを何万円引きだとか、あと数日中に申し込めばこれだけお得なサービスをしますだとか、これまたうっとおしい条件がイロイロで、さらにイヤになってくる。「お得」を望んだ私ですが、こう繰り返されるとなんだかあさましい感じがしてきてげんなりしてきました。・・ハァ!疲れた。テレビがなくてもラジオでじゅうぶんなように、インターネットが使えなくてもええんちゃうか?と思い始めたり。

「それで結局どーすんの?」・・・何かを買ったり契約したりする必要がある際に、親ふたりがあーだこーだと何日も相談してる時、うちの子どもたちは何回もそう言います。

光にするよ、光に。電話は固定電話のままでね。そう言ったら、「うわっ!今回は決めるの早かったやん。食器棚の時は2年がかりやったよね」と娘が言いました。


あこがれの信州暮らし その61(2008年6月)

  巣立つまで無事でいて

チュクチュクジュクジュク・・いやはや、そのかしましいことといったら! 

庭のプルーンの木にパートナーがかけた鳥の巣箱に、シジュウカラが巣をつくり、その雛が日に日に大きくなっているようでして・・。その雛たちの鳴き声が15mくらい離れているここリビングまで聞こえてきます。親鳥は、その鳴き声にせかされるように巣箱に餌を運び込んでいます。

最初は庭の物干し台との間を行ったり来たりウロウロする私の存在を警戒していたようでした。私が洗濯物を手に外に出ると、くちばしに雛の餌となる幼虫をくわえたままの親鳥が近くのネムノキに留まって様子をうかがい、巣箱に入る場面を私に見せようとはしないんです。私が外から家の中に入って出入り口をしめるとすぐに巣箱に入るという慎重さ。でも、私は網戸にとりつけたスダレの陰からお見通し!

最近では私が善人だとようやくわかったのか、私の存在にお構いなしに頻繁に巣箱を出入りしておられます。それだけ「もっと餌をくれー」と雛たちの要求がすさまじいんでしょうけど。

隣の休耕田の雑草群との間を何度も往復し、幼虫をせっせと運んでいる親鳥を見ておりますと、5年ほど前までの小・中・高3人の子どもがいた時代に、5人家族で1ヶ月に45kgのお米を消費していたことを思い出します。朝っぱらから1升炊きでしたからね!私は何だか民宿のおばさんにでもなったような気分でしたよ。作っても作ってもすぐになくなるあの絶望感!・・だからシジュウカラの親鳥に、つい「大変やねぇ」と声をかけたくなるというものです。それで「チュクチュクジュクジュク」と雛の声を真似て声を張り上げておりますと、娘が「恥ずかしいよ!」と申します。「誰に?」と聞きますと「シジュウカラに」だそうです。今では子どもはこの娘ひとりの3人家族になりまして、おかげさまでお米の消費量も1ヶ月25kg程度になりました。

パートナーが庭のキハダの木にミヤマカラスアゲハの幼虫がいるのを見つけました。ムフフとあふれる笑みを隠すことなく3令幼虫まで見守っておられたのですが・・・。先週末その幼虫を「へ〜え、これがそんなにうれしいものなん?」と私も一緒に観察していた時のこと。ヒメバチが近くの枝を歩いているなと思っていたら、なんと!私たちの目の前でアッと叫ぶ間もなくミヤマカラスアゲハの幼虫につかみかかりお尻をヒョイと曲げて産卵管を突き刺してしまいました。一瞬のことです。ヒメバチって他の昆虫の体内に卵を産み付ける寄生バチなんです(寄生された宿主の昆虫の方は幼虫やサナギのままで死ぬ運命にあります)。ムフフ男は「この野郎!この野郎!」とヒメバチに鉄拳を浴びせ、仰天したヒメバチは命からがら逃げ飛んでいきました。

マッタク、ひとつの命が無事に育つというのは大変なことですよ。うちの車庫に巣をつくったツバメも、玄関の上の樋で孵ったキセキレイも、ヘビにやられてしまいました。ヒトも、無事に羽化するまでにイロイロあるものです。秋葉原の事件を思うと、彼の羽化をことごとく邪魔しつづけた社会の有り様に慄然とします。どこにも救いがなかったことが悔しい!!


 あこがれの信州暮らし その60(2008年5月)

 息子の無事にホッとしている利己的な母親                 

被災者は150万人を超え、死者・行方不明者が13万人以上と言われているミャンマーのサイクロン被害。そして現在わかっているだけで死者が6万7千人以上、行方不明者は2万3千人以上、避難生活をしている人が1400万人を超えたという中国・四川大地震。その数字は私たちの実感できるレベルではなく、ただとてつもなく大変な事が起こったんだということだけが分かります。それなのに、発生から3週間ものあいだ国際的な支援を拒否していたミャンマー軍事政権。建物の耐震設計の甘さや手抜き工事が被害を大きくしたと言われている中国。こういった報道の断片を受け取っては暗澹たる気持ちになります。第一、民主化運動に関わる人(ミャンマーのアウン・サン・スーチーさん)や人権活動家(中国の胡佳さん)などの「もの申す人」が軟禁されたり逮捕されたりするというのが信じられないことです。ミャンマーの反政府デモ(2007年9月)や中国・チベットでの抗議デモ(2008年3月)が武力鎮圧されるなんてことも許し難い。

でも、だからといって「ヤな国だね」「ひどい国もあるもんだ」と切り捨てるだけの言い方はしたくない。まして、長野市でのオリンピック聖火リレー騒動のような偏狭なナショナリズムの応酬にもくみしたくないです。チベット問題にきちんと向き合っている人たちが「中国帰れ」などと叫ぶ人たちとは一線を画して行動したというのも頷けます。でもそれは「オリンピックの場に政治的なものを持ち込むなんて」という意見とも違う。だって、ああいう場を使ってアピールしなかったら、誰がチベット問題に注目したことでしょう。沖縄の基地問題でさえ無関心なのに。

大気汚染や水質汚染などの環境問題が伝えられる中国。でも、そんな中国でも実態を記録し、告発する映像を残し、インターネットを通じて発信しようとするジャーナリストや市民が続出しているということに私は希望を持ちます。当局がどんなに抑圧しようとも、こういった流れは止められない。それこそが社会を変えていく力になるハズです。

そうなんだ。大事なのはやっぱり私たち自身。センセーショナルに書きたてる新聞や週刊誌、無責任に事件を断罪するワイドショーなんぞに惑わされずに、「何が問題か」を自分の頭で考えることができるかどうか。そうして自分はどうしたらいいのかと考えることができるかどうか。

そう、私は確かにそう思っています。とはいえ、自分の息子(22才)が、現在のミャンマーを予見したかのようなジョージ・オーウェルの『一九八四年』『動物農場』などの本を読みまくり、長井健司さんが殺された半年後(!)に「オーウェルの足跡を辿る旅をしてくる」と一人で出かけたのには慌てました。何があってもおかしくないじゃありませんか。もちろん反対しましたよ。でも、聞きゃしません。行ったあと何の連絡もなく、無事に帰国したと連絡がきた後に下痢し始め、それが2週間ほど続いて、一時期は赤痢か?とも疑われ、私は彼が住む学生寮に感染が拡がって謝っている夢を見て、幸い赤痢の検査結果は陰性で、抗生剤投与で症状は改善し、ほ〜〜〜〜〜〜〜っとしたのでした。この3月4月のことです。サイクロン被害の1ヶ月前のことでした。


あこがれの信州暮らし その59(2008年4月)

  できないこと(「障害」)は助けてもらおう

関東や西日本各地では先週末は絶好のお花見日和だったとかで、ラジオのアナウンサーが興奮気味に話しています。お花見かぁ〜・・・私はすっかりご無沙汰ですわ。今となっては、なぜ多くの人がひっきりなしに鼻をかむ必要もなく、クシャミも鼻づまりもせず、眼がうるうるしたり頬がひりひりすることもなく、頭がぼーっとしたりグワングワンと痛むこともなく、お花見なんぞに繰り出すことができるのか不思議なくらいです。花粉症歴27年。ベテランの私ですが、今年の症状にはちょっと閉口しています。猛烈な鼻づまりとともに今年は頭痛があまりにひどくて、3月下旬には3日間寝込んだほどです。

えぇ、家族にはすっかり負担をかけています。畑仕事だけでなく、ちょっと外に出る必要のある用事も、何もかも!できるだけ花粉を浴びずにすむようにと配慮してもらっています。信州はまだ夜が冷えますから植木鉢を夜は中に入れておく必要がありまして、その出し入れをするだとか、コンポストまで生ゴミを出しにいくだとか、畑から野沢菜やコマツナの菜の花を収穫してくるだとか、そんな細々とした外仕事は限りなくありまして。いやもう本当に高2の娘の春休みは重宝で新学期が始まったのが惜しいくらいです。春の農作業も始まりましたからね。ウドに藁をかぶせる作業も、ジャガイモの植え付けも、春大根の種まきも、太ネギやキャベツ・ブロッコリー・レタスの苗植えも、ぜ〜〜んぶパートナーと娘の2人にやってもらいました。

こうやって誰かに負担をかけているというのは、私でも少しは心苦しいものです。そしてちょっぴり卑屈な気分にもなる。「花粉症なんぞになるのは軟弱だから」「甘えているのでは?」なんて今じゃ面と向かっては誰も言わないのに(昔、親に言われました)、やっぱり少しはそう思われているんじゃないかと感じることすらあります。軟弱だろうとなかろうと、今現在の症状がしんどい現実は変えられないのに。

そんな時、思い出します。新学期、心うきうきで入学式を迎える親子の中に「ご迷惑をおかけすることと思いますが、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げっぱなしの「障害児」と呼ばれる子どもの親がいるってことを。当然祝福されるべき子どもの就学に際して、どうしてあれほどまでに「お願い」しなくてはならないのか。・・それは「地域にはいろいろな人がいる。どうやって支え合って生きていくか」を学ぶことが公教育の究極の目的だということが理解されていないからです。「障害児」親子の悔しさや悲しみの深さを思う時、私が気弱になっている場合ではないと思い知ります。外には出られなくても、中の仕事をしてるじゃないか。頭をフル回転して考えては、口出ししてるじゃないか(「それがうるさい」とも言われます)。

どんな「障害」があっても、介助が必要な高齢者でも、卑屈になったり肩身の狭い思いをする必要はない。あなたが堂々と生きていける社会こそが、私も生きやすい社会なんです。

私が「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の会員になって15年以上がたちました。
                               


あこがれの信州暮らし その58(2008年3月)

孫悟空の味噌づくり 

雪が2ヶ月近く積もったままだった庭も、ようやく少しずつ地面が見えてきました。今年の冬は気温の低い日が長く続いたせいか、なかなか雪が溶けずにいたんですけど、さすがに3月ですね。ずいぶん暖かい日が多くなり、日中ドサッ、ダダダダッドサッ、と屋根の雪が落ちる音がします。信州で初めて冬越しをした8年前には、この音に「何事や!」と外に飛び出したことを思い出します。

そろそろ春の畑仕事の始まりなんですけど、その前にやらなきゃならないのが味噌づくり。これがまぁ!うれしいのなんのって!

それまでは台所で大豆5kg分を煮てポテトマッシャーで潰すという、こじんまりとした味噌づくりだったのですが、大家さんちの味噌釜や味噌つぶし機を納屋から“発掘”して以来、味噌づくりは早春のワクワクする一大行事になりました。2年前は大豆1斗(=10升=15kg)分を大釜で煮て、味噌つぶし機を手回しし、同量(15kg)の麦麹と塩(6,4kg)を加えて作りました。これで2年分の味噌の出来上がり。今年いっぱいは足りるハズなんですけど「おいしい!」「香りがいいね!」と褒めてくださる方の声についついイイ気分になってお裾分けしてばかりいるので、いつ底をつくかとちょっと心配。・・・で、今回は大豆20kgに同量の麦麹を注文しました。

今年も大家さんちの納屋から、味噌釜とかまどを運び出してきました。これがまぁ!重いのなんのって。そういえば、前回は高2だった2番目の息子がうちにおりまして、何の苦もなく運び出したものですから、私は指1本触れることなく準備が整ったのでした。今年はまだ高1の娘(かなり力持ち)がいますから何とかなりますが、あと数年して娘まで巣立ったらどーなることやら。

運び出した味噌釜とかまどは、とりあえず玄関先に置きました。えぇ、来る人来る人に自慢するためです。だから正確に言うと“とりあえず”なんかじゃないんですけどね。なんせ、かまどに大豆を煮る大釜を載せると直径90cm高さ86cmにもなるシロモノです。否応なしに目立ちます。「これ何?」「今度は何するつもり?」なんて言う人には喜々として説明します。「へ〜〜っ!こんな大きな道具をよく残してあったもんだね」という人には、まるで私が長く大事に保存してきたかのように胸を張ります。そして、今まで私がなんやかや(メゲズに)しゃべりかけても「はい」とか「そうですか」とか短い返事だけだったシャイな宅配便の方が、先日ついに!彼からしゃべってこられたんです!「これでお風呂に入るんですか?」

ヤッター!! ネッ、だから玄関先に置きたくなるの、わかるでしょ? きっと、新聞配達の人だって「おっ、もう味噌炊きの頃かね」なんて思ってらっしゃるに違いありませんよ。

味噌炊きの時に燃やす薪は、大家さんが裏の林から切り出して、揃えて、軒端に積み上げておられる丸太をもらってきたものです。えぇ、実際のところ、お釈迦様の掌の上で大騒ぎしながら味噌炊きをしている孫悟空にしか過ぎないんですけど。                                  


あこがれの信州暮らし その57(2008年2月)

「だれかのために」する仕事

 「本州の南の海上を低気圧が東に進み、関東や東海地方の平野部でも雪が降る恐れが・・・」なんていう天気予報を聞くと、ぞぞ〜っとします。こういう予報の時は、信州の中部と南部は「カミ雪」と呼ばれる湿った重たい雪がどっさり降ることが多いからです。「カミ雪」の「カミ」は、「上方(京都)方面で降るから」「川の上流(南)で降るから」「電車の上りの方(東京)で降るから」さらには「紙みたいな雪(ボタン雪)が降るから紙雪」はては「神様の仕業だから神雪」まで諸説あって、はっきりしません。

一方、「日本海上に発生した低気圧が能登半島沖を東に進み、上空に強い寒気が流れ込んで強い冬型に」というような予報の時は、信州の中部南部はそれほど降りません。しかもその雪はさらさらしたパウダー状で、雪かきしても軽いんです。大町市以北の地域ではこの冬型の雪でもドカンと積もって雪かきが本当に大変といいますから、同じ信州でも雪の降り方はいろいろです。

雪かきは大変です。最初は冷え切っている外気に身震いしても、かなりの重労働にすぐ大汗をかくことになります。それに、朝起きて「まず雪かき」というのは、心理的にプレッシャーもあります。冬の朝は寒くて、少しでも長くほわ〜んとした暖かさの布団の中にいたいし、ぐずぐずと眠りの余韻を楽しみたいものです。でも、そんなことを言ってる場合じゃない。だから、前夜仕事で遅くなって疲れてたって、爆睡していた高校生だって(たとえ大学受験の試験当日だったとしても)、できるだけみんなで協力して雪かきをしなければなりません。西日本にはない苦労をしているわけで、実際うんざりします。でもコレって、ひょっとしたら大事なことなのかも?

雪かきって、必ずしも「自分のため」だけにするものではありません。学校や仕事にでかける(あるいは帰ってくる)家族のため。新聞配達や宅配の人などが滑らないようにするため。急な坂道を上ってくる車が少しでも安全に通れるようにするため・・・。それに小中学校の近くでは子どもたちが滑らないようにと通学路を雪かきしてくださっている方々もいます。

ここ数年、思春期真っ只中だった息子たちも(最初は眠くて不機嫌でブスッとしていても)黙々と雪かきをしていたものです。実際、彼らの馬(鹿)力は何かと重宝で、巣立っていくのはちょっと惜しかった。思春期の彼らも雪かきのあとは爽やかな顔になっていたものです。「だれかのために」する仕事って誰もがいい顔になるんですよね。

家族で雪かきをする様子を描いた、笠原則行「ゆきのあさ」(福音館書店「かがくのとも」2003年2月号)という絵本があります。みんなで雪かきをして、お父さんがつくった朝ごはんを食べて、それぞれに幼稚園や学校や仕事に出かけるというそれだけのお話。その絵本の登場人物も実にいい表情なんです。だれかが「ご主人様」ではなく、「お子様」のためにだれかが奉仕するのでもなく、それぞれがみんなのために雪かきをする。・・・大事なことですよね。 さ〜て、私もこれから雪かきをしてきます。さらにいい顔になるよ、きっと!


あこがれの信州暮らし その56(2008年1月)

 冬に快適さを求めるのは心が痛むけれど・・

「今年の冬はまだ暖かいね〜」と言いかけたら寒波がきて身震いする・・そんな日々です。冬でも晴れの日が多い信州ですが、たとえ快晴であっても気温は低い。南と東にガラス窓があるリビングルームは、晴れてさえいればストーブを消しても大丈夫なくらい暖かい部屋です。でも、一歩外に出ると冷たい空気が肌を刺すんですよね。快晴だった昨日の最高気温も2℃でした。スッキリ晴れた日は午後2時半を過ぎる頃から急激に冷えてきて、あっという間に零下になります。−5℃を下回る寒さの夜には、洗面所で歯を磨くのさえ決心が必要でして・・・あ〜っ、だんだん寒さがこたえるようになってきたなぁ〜!これって年を取ってきた証拠?

北に面している座敷2部屋が冷え冷えしています。普通はそんな部屋でわざわざ寝ないのでしょうが、万一地震が起きても倒れてくる家具がない部屋で寝ようとするとここになります。でも寒い。それに人間が一晩中せっせと呼吸するせいか結露もひどい。それで、せっかくの雪見障子なんですが、サッシ窓と障子の間に発砲スチロールのパネルを窓全体に挟むことにしました。そりゃぁ、迷いましたよ。第一、外からの見かけが悪すぎますし、何と言ってもアノ悪名高き発砲スチロールです。環境問題からいうと、できるだけ使いたくないじゃないですか。ペアガラスにすればいいに決まってます。あぁ、それなのに、寒さと低価格に負けました。

ずいぶん違います。サッシ窓とは思えないほどに入り込んでいたすきま風が、かなりマシになりました。毎日欠かさず結露拭きをしていた窓ガラスですが、見て見ぬフリができる程度にはなりました。有り難いことです。 

信州に暮らすようになって、竹製の笊(ザル)だとか木桶だとか筵(ムシロ)だとか、そういった自然素材の道具が身近にあるってことが私にとって心落ち着く環境だということを実感しています。餅つきの時には卵円形の竹製米揚げ笊が似合いますし、南方系の庭木(キンモクセイ、月桂樹、クチナシ)に藁こもを巻いて荒縄で縛ってやるというのも何だか心満たされる作業です。それでも、漬け物や味噌を入れる桶が木製ではなくポリエチレン製なのは、何と言っても扱いやすいからです。洗うのも、中身が入った状態で運ぶのも、ポリエチレン製の桶だとぐんと軽いんですもの。

「大根の保存に発砲スチロールの箱がいい」という話を地域紙で読んで以来、実行しています。庭の土の中に埋めていた時は、必要な時に掘り出すのが一仕事でしたし(第一、土が凍っている時は掘り出すことができません)、気温が−10℃前後になると土の表面近くの大根が一部凍ってしまうこともありました。それが発砲スチロールの箱を使うと驚くほど簡単で、なんと楽なことか!

杉樽の香りだとか土の中に野菜を保存する技術だとか、雪見障子から雪景色を楽しむ風情だとかを大切にしたい気持ちはあっても、作業効率や快適さを求める私たち。

信州での田舎暮らしは、こういった伝統と快適さを求めるニーズが共存しています。


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