あこがれの信州暮らし 2005年

あこがれの信州暮らし その33(2005年12月)

一緒にごはんを食べて、オシャベリしようよ

今、新聞は連日「子どもを守る」という言葉であふれています。これだけ、子どもが被害者になる事件が続いているのですから、当然といえば当然。私だって、特に中2の娘の下校時間は気が気でなく、人家が途切れるあたりまで車で迎えに行っています。「歩く」ことの大切さを人並み以上に重視する気持ちがあるのにもかかわらず・・。6年前にこの地に引っ越してきた時には、こんなに静かな田園地帯・安曇野で子どもを迎えにいかなきゃならない時代が来るとは想像もしていませんでした。当時、中2と小5だった息子も小2の娘も、大雪でも大雨でも零下何度でも、行きは40分、帰りは小1時間の道のりを歩いていました(ここは中学も自転車通学が認められていません)。

もはや都会も田舎もなく、「安全」と言い切れるところはありません。だから、できるだけ大人がそばにいるしかない?四六時中、誰かが見守るしかない?・・でも「見守る」ってちょこっとニュアンスが違ったら「監視する」になるから、ムズカシイ。

子どもの「自由」も保障しながら「安全」を確保するなんて至難の業だけれど、危険回避のためのさまざまな技を伝授する一方で、最終的には「子ども自身の力を信じる」しかない。どんな時も、どんな場面に遭遇しても、「私はたったひとりの私」「暴力を受けても仕方がない私じゃない」「こんな理不尽さに負けない」「生き抜いてみせる」・・そんなふうに思えるかどうかで生死を分ける場合だってある。そんな自尊感情を大切に育もう。何かあった時も「なぜ」「どうして」と責めるのではなく、心から話を「聴こう」。・・そんなメッセージを届ける「CAP大人ワークショップ」を先週、中学PTAが開きました。深刻な事件が続いていたこともあって、安曇野市議や防犯指導員、民生児童委員など地域の方の参加も多くありました。こういう市民の取り組みや活動が、地域の理解や支援を受けながらすべての子どもたちに伝えられたらどんなにいいか。

通学路のパトロールをはじめとして、「子どもを守る」ためのさまざまな取り組みが議論されています。でも冷静に考えると、事件を起こした「犯人」もまた、私たちの時代が生みだしたものであることも悲しい事実。「どんな人も生まれ落ちた時から犯罪者はいない」のですから。私たちは皆、自分の子どもが被害に遭わないように、とばかり考えがちですが、実は自分の子どもが加害者にならないように、と考えることも必要かも。これだけ「お金が万能」であるかのような風潮があって、映像の中には目を覆うような残虐な場面が普通にあって、幼児ポルノが売られていて、大人は忙しくて・・・、そんな社会で、子どもにだけ「いい子になってね」なんてムシが良すぎる。たとえば、どんなに忙しくても、誰か一人は大人が子どもと一緒にご飯を食べて、オシャベリする。たったこれだけのことができず、子どもだけでごはんを食べることに慣れっこになっている家庭も多いとか。「きれいごとを言ってる余裕はない。仕事しなきゃ」「遊んでるわけじゃない。仕事なんだから」「大人にだってストレスはある」・・いろいろある。「だから母親は家庭に」なんて大合唱にも負けたくない。それでも、誰かひとりでいい。大人が何かひとつだけ我慢して、子どもと一緒に時間を過ごすようにしようよ。

あこがれの信州暮らし その32(2005年11月)

「お子さま優先」の時代

ついこの前まで「今年の秋は暖かいねぇ〜」というのが合い言葉でしたが、一気に冬に突入という感じのこの頃。12月中旬くらいまでの1ヶ月でやらなくちゃならないことが山積みで気ばかりあせります。吊した干し柿104個を手で揉まなくちゃ。地大根(タクアン漬け用)を引っこ抜いて洗って干さなくちゃ。一時は全滅か?とあきらめた程ハムシにとことんやられた野沢菜も今では巨大化してる、早く漬けなくちゃ。ムシロに広げて干している芋(サツマイモ)を取り込まなくちゃ・・・・などなど。原稿の締め切りが迫ってるのと同じであせる、あせる。一番最後に、軽トラ一杯の牛糞を畑に広げてすき込めば、今年の畑仕事はおしまい。これを雪が積もる前までにやり終えなくちゃならない。一昨年はこの牛糞をスコップで畑いっぱいにバラまいている最中に目の上をブユに刺されてヒサンなことになりました。えぇ、美人が台無しというヤツです。最後まで油断はできません。

それにしても、最近畑仕事をしながらの話題は「来年はどのくらいやれるかなぁ」ということです。来年は2番目の息子も高3、そして娘は中3。そしてその次の年は順調にゆけば子どもは娘一人になります。昔の農家の親たちが、子どもを上級学校にやりたがらなかったのもよくわかる。進学してそれなりの職につくよりも、薪を割ったり、畝をつくったり、草刈りをしたり、雪かきをしたりする若者がそばに居て欲しいというのが偽らざる実感なのでしょう。それが今や、老いた親が気を遣って気を遣って若い世代にお願いし、ごく一部を手伝ってもらうというのが現代の農家の実情だとか。なるほど・・・。実際うちだってこの前干し芋づくりをする時に、高2の息子の定期テストが終わってからやろうということにしたものね。「ぬぁ〜にがテストじゃ。直前だけ勉強してもしょうがないでしょ!」と内心は思うけど、この私が息子には言えなかったもの。その昔、試験前だろうと何だろうと、家の手伝いだとか、来客の相手をさせられて内心猛烈に反発していたのはこの私。だからトホホ、子どもの事情につい遠慮してしまう。

かといって、今の時代はあまりにも子どもの都合に親が振り回されているような風潮があって、首を傾げることが多いのも事実。子どもの塾通いだとか、スポーツクラブ通いで東奔西走している親も増えました。いったい、いつから子どもが夜の8時9時まで塾で勉強したり体を鍛えならなくちゃならなくなったのでしょう。スポーツ大会に行けば、部活レベルではない動きと技が闊歩している現実。ここに至るまで、どれだけの「子どもとしての時間」がスポーツに費やされ、親たちは送迎のための時間とエネルギーを割き、家庭でゆったりと語らう時間を潰し、そして素直な子どもたちがどれほどコーチに怒鳴られながら頑張ってきたことか。「何やってんだ!」「気合いが入ってない!」などの叱咤激励が小学生や中学生に必要か?「ドンマイ、ドンマイ」「ナイスファイト」などの声援でじゅうぶんなのに。

娘の部活では、秋の新人戦でかろうじて中信大会に出て2戦目で敗退。今度こそもっと練習して勝ち進む?いえいえ、これでじゅうぶん。よく頑張ったよ。

あこがれの信州暮らし その31(2005年10月)

ボットン便所のどこが悪い?

ガタンゴトン、ガガーッ、ゴーッ・・・、こんなに静かな山の暮らしの中に、先月からダンプカーやショベルカーの音が響いています。ついに私の家につながる道路で公共下水道工事が始まったのです。山麓線に近い集落からリンゴ畑を挟んでさらに600〜700メートルほど急な坂道を上ったところにあるわが家。数軒とはいえ人家がある以上、こんなところにまで下水道管を通すんだね。・・・いやはや、もったいない!
思えば、この家を見つけた時、不動産やさんが繰り返し「トイレは汲み取りですけど構わないんですね」と念を押していたのを思い出します。家というのは下水道完備か、合併浄化槽つきか、それとも汲み取り式かでずいぶん人気が違うとか。へぇ〜、なんでやろ?

私にとっては30年ぶりくらいの汲み取り式のトイレでしたが、昔に比べずいぶん快適になってるもんだと思いました。だって、トイレにはトイレファンという脱臭扇がついていて、微生物の力で悪臭を分解するというバイオ消臭剤もある。だから、(汲み取り直後しばらくは強烈な匂いですけど)通常はほとんど匂いを感じない。汲み取り式で困ったことって、一度だけ便器の掃除ブラシを下に落とした(針金で引っかけて救い出しました)時と、大腸ガン検診のために便を採る時くらいかな?何もしなければ下に落ちちゃうモノを採らなくてはならないわけだから・・・(いえ、その採り方をここで説明する必要はないわけで・・)。トイレを掃除する時にバケツ2〜3杯の水を流してやるのが唯一の手間。高い下水道処理費用を払わずに済むからむしろ喜んでいたのに。

大量に食べて大量に出しちっとも太らない(実に効率が悪い)メンバーが揃っている家族なので、汲み取り業者の方には2ヶ月に1度来てもらっています。普通はあまり進んではやりたくない仕事なのに、イヤな顔ひとつしない方ばかりで頭が下がります。「いいとこに住んでるねぇ」「子どもにいい教育になる」「畑よくやってるじゃん」などと言ってくださるのもうれしい。パートナーが庭に植えている蝶の食草に目を留めて「○○チョウは来るかい?」と聞いてきた人にはビックリ。この植物にはこのチョウが来るなんてことにずいぶん詳しいんですもの。また、「結婚して子どもも生まれたけれど、妻が日本の生活に馴染めずにフィリピンに帰ってしまった。でも1年に1度子どもに会いに行くのが楽しみ」と言う人も。汲み取り車のそばで聞くいろんな話が私の心に沁みていきます。

そんな話も水洗トイレにすれば聞くこともなくなるでしょう。現代の便利な生活って、水洗トイレのように大量の水と一緒にジャーッと流してしまうものが多すぎる。これが「文化的」なんだよと言わんばかりに。

好天の日に、裏にある大家さんのソバ畑の畦道から安曇平を見下ろして、朗々と謡曲をうたう人がいます。伸びやかに、とっても気持ちよさそうに。そういう楽しみを持っている人って粋だと思うし、そんな訪問者のために丸太でベンチをつくって畦道に置く大家さんも素敵! 学校も遠く、一番近いコンビニまで歩けば小一時間、そんなところにもホンモノの「文化的な生活」はあるものです。

あこがれの信州暮らし その30(2005年9月)

ダイコンハムシを捕りながら政治を考える

選挙カーが候補者の名前を連呼するのを遠くに聞きながら、私は白菜、大根、野沢菜にびっしりとついたハムシをピンセットで捕るのに忙しくしています。せっかく芽が出て、間引いて、問題なく育つ予定でいるのに、なんということでしょう!ひとつの苗に5〜10匹ものハムシが取り付いて、苗を葉脈だけにしようとしているのです。そんな暴挙は許さん!と私の鼻息は荒いのですが、ピンセット1本で立ち向かうには手強い相手です。あぁ!これがスプレーでシュ〜ッと農薬をかけることができるのならば、どんなに楽なことか・・・!自然食品店の野菜が無農薬だけでなく低農薬のものも混じるのはこういう事情があってのことなのね。でも、農薬がない頃の昔の人はどうしていたのかしら?白菜や大根などの秋野菜が全滅したら「どうやって冬越しをしようか」って途方に暮れたことでしょうねぇ。あっ!だから、畑に一緒に植えると害虫が寄りつかないという忌避植物とか害虫をやっつける天敵、それに「この時期に蒔いたら被害を最小限に押さえられる」といった月暦と結びついた知恵がたくさん編み出されたのか・・・。確かに、新月の日(闇夜)に蒔いた春のコマツナやほうれん草は大成功でした。でも、秋野菜はその新月の日(9月4日)まで種蒔きを待つことができなかった。育ちきれずに冬になっちゃったら困ると思って・・。

それにしても、山麓線からさらに西に登ったこんな山の上で暮らしていると、街で暮らしていた頃には選挙のたびに閉口していた選挙カーの大音量に悩むことがなくなりました。その分、選挙公報はもちろんですが、最高裁裁判官の国民審査公報だってそりゃぁもう丁寧に読むようになりました。「この人が、東京都の管理職に昇任するためには日本国籍がいるってことが違法じゃないって判断した人なのね。非嫡出子の相続差別については反対意見を言ってるから人権感覚ありそうなのになんで?」とかね。たくさんの情報にさらされているとムードに流されてしまいそうなことも比較的冷静でいられるのは、田舎暮らしのメリットかも? 9・11の同時多発テロの映像を見ていないからこそよけいに悲惨さに胸を痛め、力の応酬が解決策にはならないことが想像できるってこともあるんですよ。

昔、市民運動にのめり込んでいた頃は、なぜみんなは立ち上がらないんだろう、怒りを行動であらわさないのだろう、と内心イライラしたこともありました。でも、それは傲慢でしかなかったと今では思います。とりあえずはハムシ対策に忙しいとか、介護を必要とする家族がいるとか、様々な理由があって直接的な活動はできなくても、選挙公報を熱心に読んで一票に託す人だって多いと実感するもの。それに比べ、立候補した人はどんな決意で、そしてどんな葛藤を経て立候補したんでしょう?それが伝わらない。具体的にどの分野のどんなことで活動し、どんな矛盾を感じ、どんな施策が必要だと思ったのか。政治家を志す以前に、どんな感性をもつ人で、どんなことに怒りを感じ、そして、それをどんなふうに伝えようとしていた人なのか・・・。

家の中の小さな幸せだけでは、平和は守れない。でも、小さな幸せを大事にしない人には託せない。私は日常の生活の中でおかしいと感じることを声に出し、具体的に提言している人を信用するなぁ。

あこがれの信州暮らし その29(2005年8月)

無農薬のモモは高くて当たり前

「ここは信州のハズなのにどうなってんの?」と思うくらいに暑かった8月初旬。34~35℃なんていう最高気温にも驚かなくなってしまいました。昨年までは、どんなに外が暑くても屋内に入ればす~っと涼しいのが信州の夏だと思っていましたが、今年は、ねと~っ、もわ~っ、じと~っ・・・とした暑さ。九州で育ち、関西や四国で長く暮らした私も「うわっ、これは西日本の空気や」とげんなりする毎日でした。午前中は晴れても、午後の空模様がもひとつ不安で一日延ばしにしていた梅の天日干しなんですが・・実はまだやってません。安定した夏空が3日間続くのを待っていたらお盆になってしまいました。ありゃ、時機を逸してしまったかしら?と内心ちょっとあせっています。

農的生活というのは「赤ん坊におっぱいをやってた頃と似てる」とつくづく思います。どちらも「今、手が離せないからあとで」とか「体調が悪いからしばらくごめんね」とか言えない「待ったなし」ですから・・・。まして、「もう飽きた」とか「や~めたっ」とか言ってほっとくわけにもいかない。

たとえば、今年たわわに実った庭のモモ。昨年何個か実り、それがすべて害虫にやられましたから、今年こそは手入れをしようと張り切っていました。ところが開花後の摘花の頃って私の花粉症のシーズンなんですよね。それで、摘花も摘果も袋かけも週末のパートナーまかせになりました。そういう事情をですね、害虫たちは考慮してくれないわけです。・・というわけで、週末しかできない作業なんですが、パートナーがなんと130もの袋をかけました。作業を眺めるだけの私は、ひとりでほくそ笑みましたとも。モモの苗木を植えた大家さんに「こ~んなにできましたよ!ハイ、おすそわけ」と大きな箱にずらりと並べて自慢するのは
私が担当しようと思って。

さて、予想以上にモモは袋の中で大きく育ち、鼻を近づけると甘い匂いが漂い・・。それでも8月初旬まで辛抱強く熟すのを待ちました。トマトだって、自家菜園では赤く熟してから収穫するから美味しいでしょ?当然モモもそうだと思って・・・そ~れっ、熟したぞ~!と意気揚々と収穫したら、なんと!どれもこれも虫に喰われて茶色のシミが・・・。結局、虫にやられずに済んだのは2割弱。袋かけをする前にヤガ類に口吻を刺されたモモはそこから腐ってくるんですね。「やられたところは削って食べればいいじゃん」と思っていたら、虫喰いのモモって匂いは甘くても、食べるとものすご~く苦いんです。野生の味に慣れているうちの家族も、さすがに顔をゆがめます。栽培方法を書いた本に、「モモは無農薬というわけにはいきませんが」と繰り返し書いてあったのも今となってはうなづける。そして、完全無欠のモモも、完熟してから収穫したせいか、皮を剥いて切ったらすぐに茶色く変色するなんて!!そんなこと本には書いてなかったぞ!

やれやれ、初めてのモモの収穫は惨敗でした。モモの栽培に詳しい近所の人たちに教えてもらえばよかったんですが、そうすると親切な隣人たちはきっと農薬をかけてくれるに違いないので、聞くことを躊躇していました。来年こそはヤガなどの吸ガ類が近寄ってくる前に、早め早めに袋かけをするつもりです。えっ、誰がやるのって?そりゃあ、もちろんパートナーですけど。

あこがれの信州暮らし その28(2005年7月)

「頑張る」ことにストップをかける

梅雨の末期になって、ようやく梅雨らしくなってきました。今は水気を含んで黒々としている畑の土が、ついこの前までは砂漠のようになっていて、私は水やりに大わらわでした。ジョーロで水をやってもすぐに吸い込まれてしまい、アッという間に乾いてしまうんだもの。6月初めに定植したサツマイモの苗を根づかせるのに、こんなに苦労するとは!! 10リットルのジョーロで何十杯の水を汲んだことか!畑のすぐ横を水路が流れているとはいえ、バテました。「えーっ!今年はサツマイモの苗30本?去年と同じ50本あってもよかったのに。オレ、なんぼでも干し芋食べるよ」と、高2の息子。バカモン!誰が水やりするねん!干し芋が欲しいなら、部活せんと早う帰って水やりしなさい。

ともあれ、やっと雨らしい雨が降ってくれたおかげで、私はようやく一息ついています。天水に勝るものなし。作物はいっぺんにイキイキしてきました。それ以上に雑草も勢いよく伸びてきて・・・今度は雨の合い間に草取りに追われています。やれやれ!

それにしても、私がこんなに忙しい思いをしているのは、中・高生の部活のせいです。毎年のことですが5~6月は大会を控えて、部活の練習が最もハードになる時期です。中学校の平日の練習時間も(日の入りが遅いため)18:30まで延長されます。普段は水曜日がノー部活デーなのですが大会前1ヶ月は許可され、その上、休日にも練習試合が組み込まれますから、私が部活をするわけでもないのにハァ~とため息。僅差で敗れ中信大会に出場できなくなって残念なようなホッとするような・・。

うちは、この休日練習も土曜日半日だけということにしています。もちろん「スポーツ命」の娘はやりたがるわけですが、兄たちの時代から親がずっと頑固に「子ども時代を一色に染めてはいけない」と言い続けていることを知っているので、あきらめています。むしろ、心が揺れているのは親の方。自分だけ参加しないしんどさを抱えているのは子どもだとわかっているので・・。団体競技の部活の中で孤立しないか?レギュラーになってよけいにしんどくないか?・・・などなど。たぶん偏見なのでしょうけれど、兄たちと違って「女の子の部活」はややこしいのではないかとよけいに心配。

でもね、娘を見ていると「やっぱりこれでよかった」と思うんですよね。平日、休みなくずっと朝練、夕練をこなして時間に追われる生活をしていると、就寝時間21時というわが家のきまりを守っていてさえ、疲れが顔に出てきます。週の後半になると何だか心がささくれだってくるのがわかる。ところが日曜日にいつもより1時間長くゆっくり寝て、梅干しをつくる手伝いをしたり、紅茶を飲んだり、プリンだのババロアだのアイスクリームだの、いろんなおやつを手作りして「美味い!」と褒められたりしているうちに何だか柔和な顔になってくる。平日なかなか読めない本を「やっと読めた!」とにっこり。そして、月曜日の朝「頑張って練習してうまくなるぞ~」と出かけていきます。

大人はもちろん子どもだって休息が必要だとつくづく思います。それなのに「頑張ることに価値がある」と過度に押しつけているのは大人ではないか。やりたがる子どもにストップをかけるのも大人の役割ではないか。・・やはりそう思わずにはいられません。

あこがれの信州暮らし その27(2005年6月)

恨み言はしつこく繰り返すべし

街に住んでいた頃は、何かコトがあっても「なぜこうなったのか」「どうすればよかったのか」などということを比較的容易に分析できたし改善もできたような気がします。いえ、そういう風に感じるくらいに私自身が不遜で傲慢だっただけなのかもしれません。

今、畑や庭で土にまみれ仕事をしていると、なんともはや思い通りにならないことばかり。・・つい2日前には上出来!と喜んでいたブロッコリーが、今は無数のアブラムシに襲われているとか、たくさん芽が出てホッとしていた水菜がまたたく間にスズメについばまれてしまったとか、そういう類のことは日常茶飯事です。「庭を蝶の楽園に」と意気込んでいるパートナーは、チョウの食草や蜜源植物をあちこちに植えていますが、これまた無数にいる天敵(主にハチやクモ)に苦慮しています。庭中に増えてきたコマツナギにミヤマシジミが群れ飛ぶのを目を細めて眺めていたのに、放し飼いにしているうちのニワトリどもがコマツナギに突進していくのは何でかな?と思っていたら、せっせとミヤマシジミの蛹をついばんで絶滅させてしまったこともありました。

「うちの庭の敷地内だけで今まで34種の野鳥が訪れた。さすが信州や!」と喜んでいたパートナーが、昨冬、庭のモモの木にバードフィーダー(えさ台)を置きました。食卓から一番近くに見えるモモの木なら、野鳥がより身近に観察できると思ってのこと。冬はエサが不足するから、いっぱい鳥が集まるぞ~!と期待してたのに、この辺りの鳥はあまりエサには不自由していないのか、初めはなかなか近寄ってきませんでした。それでも、しばらくして、スズメが1羽、2羽・・・と訪れるようになってきました。「え~~っ!まだ、スズメだけなの?」と不満の声を出した私に、彼は「スズメがいっぱい来るようになると、他の鳥たちも安心して来るようになる」と言ったものです。はたしてスズメはたくさん集まるようになりましたが、他の鳥は庭には来ても、えさ台にはあまり近づきません。せいぜいシジュウカラくらいです。

さて、いちごの苗は順調に育ち、今年もそろそろ収穫期、と楽しみにしていた5月下旬~6月初め。カッコウの鳴き声はあたり一面に響き渡り、今年もまた睡眠不足に悩まされる季節です。カッコウがね、5時半過ぎに鳴くのであれば、誰も迷惑に思いませんよ。4時台から鳴くから苛立つんです。そうやって不機嫌に起き出した朝、居間のカーテンを開けた途端にモモの木のすぐ横のイチゴの畝間から一斉にスズメが飛び立つのを、初めは不思議に思わなかったのは今から思えば迂闊なことでした。まだイチゴの実が赤くならないのは、今年の春の気温が低かったせいだとばかり思っていたものですから。それが何ということでしょう!イチゴの実がまだ青いうちに次々にスズメたちに食べられていたなんて!!バードフィーダーなんぞを仕掛けていなかった昨年は、何の心配もなく収穫できたのに。

早速、農協で防鳥網を買ってきてイチゴ畑一面にかぶせました。しかし、時すでに遅し。わずかにスズメが残したイチゴを食べながら、毎日つぶやきます。「あ~ぁ!わざわざスズメを呼び寄せていたんだもんね!」・・・えぇ、パートナーへの当てつけです。あと20回くらいはつぶやくつもりです。

あこがれの信州暮らし その26(2005年4・5月)

季節は移ろい・・・そして老眼

好天が続いています。こんなに晴天が続いたG.W.も珍しいのでは?北アルプスは少し霞がかっている日もあったけれど、山々を遠くに見ながら、リンゴやアンズやモモの花も、大家さんちのシャクナゲやシラネアオイも、うちのドウダンツツジもチューリップも、近くの方が温室で丹誠込めて育てているエビネも、とにかくぜ~んぶ満開。こういう景色や花々を日常的に見られるところに住んでるなんて、ほんっと!すごい!!植物にとって環境のいい西日本よりも信州の人たちの方が花を愛でる人が多いみたい。単に自分の庭をきれいにするだけでなく、道行く人たちに楽しんでもらおうと汗を流す人も多いし。家の前に並べてあるプランター、土手の斜面を彩るシバザクラの絨毯、そして花一杯の休耕田などを車の窓から眺めながら、信州の人は器量が違うよなぁ、とつくづく感心します。

それにしても、こんなにきれいな春に花粉症で自宅蟄居というのも情けない。4月の大量飛散の日なんて、裏山から火事の煙みたいにボッコ?ン、ボッコ?ンと噴火するかのように花粉が飛散するのを、私はふと気づくと口をぽか?んと開けたままで眺めていました。こういうのを見るともうひれ伏すしかない。私は、外仕事は何もかも家族にやってもらって、ひたすら家の中に籠もることができるのでまだマシですが、花粉症用のメガネとマスクをした先生が、小学校の校庭を児童と一緒に駆けている姿には脱帽。中2の娘のクラスにも目や顔中を真っ赤にして授業を受けている子が何人かいたらしい・・・。もう、本気で花粉対策に取り組む時代ですよね、これは。

花粉症だけでなくこのごろからだに不調の波がきています。ちょっと根(こん)を詰めた仕事をすると肩はバリバリ、借金があるわけでもないのに首が回らなくなったこともあります。挙げ句、猛烈に激しい頭痛に襲われることも。こうなったらいかに私が薬嫌いでも鎮痛剤を服用するしかない。内科のお医者さんに診てもらっても特に重篤な病気があるわけではなさそう。ある日「ひょっとして老眼になってるってことあるかしら?」と訊くと、お医者さんは目を輝かせて「あり得るね」。

自慢じゃないけど、私はずっと目と耳と顔(?)には自信がありました。視力なんて1.5です。調子がいい日は2.0だって見えます。もし視力表に3.0があったって見えるんじゃないかと思う時もありました。高校や大学では裸眼はもちろんクラスで私一人。おかげで大学時代の友人たちに「よっぽど勉強しなかったんだね」と言われました。

生まれて初めて眼科で受診したら、「まだ軽いけど老眼ですね」。文庫本も新聞も苦労なく読んでるし、針に糸も楽々通るけど、と言うと「でも老眼。ほらその証拠にこのレンズをかけてごらんなさい。もっとハッキリ見えるでしょう?立派な老眼です」・・・ほんとだ。でもねぇ!そう老眼、老眼と繰り返さなくてもいいものを・・・。どうして医者ってこうデリカシーがないんでしょう!

やっぱり今まで目がよかったパートナーも最近目が疲れる疲れると言います。翌日、彼も受診したら同じく老眼の宣告。このG.W.に2人揃ってメガネを買いました。生まれて初めてのメガネが嬉しいような嬉しくないような・・。えぇ、今まで以上に賢そうな顔になりましたとも!

あこがれの信州暮らし その25(2005年3月)

科学的な裏付けがなくても

私たちは学校で勉強して、世の中の大抵のことは「科学」で説明できると思っています。でも、実はハッキリ説明できることって、まだまだほんの一部なのかもしれません。福岡市の玄界灘を震源とした地震もしかり。ほとんど地震予知の対象域とはみなされていなかった地域での出来事でした。私の父も、親戚も、高校までの友人たちも、多くが福岡市近辺に在住なのですが、みな一様に「もーっ、ビックリしたたい!こぎゃんとこで揺れるっちゃ思いもよらんかった」と言っていました。
「科学的な」地震予知はまだまだでも、私たちの身の回りには「人類の叡智」がいっぱいあります。私がずっと興味を抱いてきたのは料理の分野ですが、これなんてもう「へ~っ!」と感心することがいっぱい。私たちがふだん口にしている豆腐だって、いったい誰がニガリで固めるってことを発見したんやろ?だって、ニガリって海水から塩を精製する過程でできる副産物でしょ?その副産物をなぜ凝固剤に使うようになったの?・・・こんなことを考え出したらおもしろくてたまらなくって「豆腐の起源」という論文を書いたのはもう20年前になります。そんな論文のネタにまではいかなくても「棒ダラを戻す時に米のとぎ汁を使うのは何で?」とか「どうしてこんにゃくを包丁で切らずに手でちぎるの?」とか、そんなことにやたら興味を持った時期もありました。

でもそんなたいした「こつ」じゃなくても、たとえばキュウリを切る時に「まず端っこを切って、その切り口をクリクリクリと擦りあわせる」なんていう、そんなちょっとした知恵もできれば捨てたくないと思っています。そんなことで、キュウリのアクが出るのか出ないのか?そもそもキュウリにそれほどのアクがあるのか?科学的に解明されようがされまいが、母や祖母や多くの女性たちがやっていたその仕草を、よほど意識していないと簡単に忘れるだろうから、よけいに大事にしたい。

昨年末、農民作家と呼ばれる山下惣一さんが新聞紙上で書いていた「ホンモノを食べてみて」という文章の中にこんな話がありました。「新月にタネを蒔くと、虫もつかず病気もしない」という伝承を古老から聞かされて「うそっ!」と笑ったものの、妙に気になってこの5年あまり実験した結果、ダイコンが立派に出来たというのです。年が明けて、2月に発行された「現代農業3月号」(農文協)の特集が「月と農業」でしたので、さっそく松本市図書館に注文して読んでみました。すると「サツマイモは新月の5日前に定植するとよく育つ」とか「大潮を目安にお茶の防除をすると不思議によく効く」とか、旧暦(太陰太陽暦)の活用例がいっぱい。へぇ~!!いろいろ研究を重ねている人がこんなにいるのね!とびっくり!それから志賀勝さんという方が一人で発行し続けている「月と季節の暦」というカレンダーを取り寄せてみたら、「なるほどねぇ~!」と感心する知恵が満載でした。

旧暦の方が季節の実感に合っているというので旧暦を大事にする人が増えているという新聞記事を以前読んだことがあります。確かに旧暦3月最初の巳の日(上巳)ならモモの花も咲いてるよね。

旧暦の月のはじめの朔日と呼ばれる闇夜の日は、次は4月9日(土)。この日に最近虫にやられっぱなしの小松菜のタネを蒔いてみたいと思っています。ものは試し。よし、やってみよっと。

あこがれの信州暮らし その24(2005年2月)

そのまさかだよ!

明日からもう3月というのに、今朝の最低気温はマイナス8℃。5時20分の目覚まし時計が鳴る前に寒さで目が覚めました。外の空気は思わず「うひゃあ~!」と声を上げるくらいに情け容赦ない厳しさ。でも、空が黒から青に変わりはじめ、美ヶ原や高ボッチがくっきりと輪郭を現わし、陽光が地上を白や橙で塗り替えていく様を、台所でお弁当を詰めながら眺められる幸せ。こんなキッパリと寒い朝は、庭中の土がボコボコと盛り上がっています。もちろんそれは霜柱。土や枯れ葉や小石までも持ち上げる霜の力の強いこと!この地中から細長く突きだしている霜柱のきれいなことといったら!!その霜柱を私はバリバリと踏んで回ります。ヘヘヘッ、これが凍みる朝の私の楽しみ。

増村征夫さんの「水のかたち」という写真絵本(たくさんのふしぎ2003年1月号福音館書店)を初めて手にした時、「うわぁ!うちの周りで見るものばっかり!」と思ったら、増村さんって大町市に在住の方なんですね。それ以来増村さんの作品を眺めるたびに、増村さんが目を見張るその視点が私と似ている気がしてうれしい。「水のかたち」を一昨年小学校4年生と6年生のクラスで、読み聞かせをしました。最後の雨氷(うひょう)の写真のところを読み終えて裏表紙を閉じた時、多くの子が「ほ~っ」と息を吐きました。いいなぁ~、こういうの。

行きつ戻りつを繰り返しながらも、着実に春の日差しを感じるようになってきました。花粉症が始まって私の機嫌が最悪になる前に、と昨日味噌を仕込みました。「大豆を煮て、潰して、塩をまぶした麹を加えて、樽に詰める」・・・文字にすればたったこれだけの作業ですが、けっこう一大行事です。前は大豆2.5kg分くらいを味噌にしていたのですが、それでは味見の段階でなくなってしまうので、今は大豆5kg分を作っています。これに麦麹を同量、塩を2kgは入れますから、大豆のゆで汁を加えると15~16kgくらいの味噌が出来上がるってわけ。私は九州出身ですので、以前は米麹をたっぷり入れた甘い味噌が好きだったのですが、信州の水になれてきたのか、最近は麦麹だけのちょっと辛めの味噌が好きになってきました。「あずみのの食卓」を主宰しておられる久松育子さんも、どこかでそんなことを書いておられたと思います。たくあんに野沢菜、そしてちょっと辛めの信州味噌・・。私も信州人になってきたってことかも。

毎年、味噌を潰すのが一番労力がいる仕事です。布袋に入れて瓶で叩いたり、スリコギやポテトマッシャーで潰したり、いろいろやりましたが、何せ煮て3倍量くらいになった大豆です。柔らかく煮ているとはいえ、けっこう大変。とうとう昨日は中1の娘がパン生地をこねるようにして素手で潰しはじめました。「この方がダンゼンはやいよ」と娘に促され、パートナーは握り拳でニョクニョク。あとから大家さんに話したら「おや、うちの味噌つぶし機を使いましょ」。2斗20升)の大豆をいっぺんに煮ることのできる味噌釜もかまども、そして手でゴロゴロと回す味噌つぶし機もありましたとも。うわぁ!やっぱり大家さんちにはあるんだねぇ!と興奮していたら、娘が「えっ?!まさか、来年からそれで2斗分つくるってことじゃぁ・・・」とこわばった顔でつぶやきました。

あこがれの信州暮らし その23(2005年1月)

実際に見ないとわからない

人によっては「今年の冬は暖かい」そうなのですが、私は「寒いねぇ」「冷えるわぁ」と連発しています。確かに雪は少なくて助かりますが、冬型が決まって空は低く厚い雲が覆っていてどんより暗く、冷え込む日が多いような気がします。布団に入っても、何やら肩のあたりがしんしんと冷えてくる感じ。とにかく布団に潜り込んで、湯たんぽに足先をこすりつけて・・。ついでにもう一つ湯たんぽを入れて両手で抱こうかと思ったり。「やっぱり、うちが山だから山の天気なんだよ。今日、松本は暖かかったよ」と松本の高校に通う息子が言います。そうかぁ、山ねぇ・・。「それに年とったせいじゃないの?」・・・・もう弁当作ったらへん!
そんな凍みる真冬日でも、外を歩けば一見枯れたように見える草木がちゃんと芽をつけていて春をじっと待っていることに気づきます。棘に気をつけて手折ってきたキイチゴを台所の流しの真ん前の棚の花瓶に挿しておきました。そしたら、少しずつ芽吹いてきて可愛い葉っぱが出てきました。スゴイものですよね、自然の命というのは!春にはあっちもこっちもいっぺんに芽吹くから、それほどじっくり見たことがなかった芽吹きの一部始終を実際に目で見ると、ホント!感動ものです。

毎年、大家さんから秋に収穫した蕎麦をご馳走になります。蕎麦を打つのはもちろん大家さん。私たちは5年前に讃岐うどんの本場・香川県から越してきました。それまでは蕎麦を食べる機会はそれほど多くはなく、どういう蕎麦がおいしいのかよくわからなかったのですが、今ではすっかり蕎麦が大好きになりました。打ちたての蕎麦の香りがこんなにいいなんて昔は知らなかったもの。それにしても、うどんに比べて外食の蕎麦の値段の高いこと!信州は蕎麦打ち名人がいっぱいいらっしゃるそうですが、うちの大家さんもその一人。私たちが今までに食べたどのお店の蕎麦よりおいしい。毎年打ちたてをいただいているのに、大家さんが打ってるところをちゃんと見たことがないのはもったいない!と、先日カメラを手に取材してきました。

裏山の杉や檜の枝打ちもやれば、重機を使って庭の土の下の大岩も掘り起こすなんてこともやっちゃう大家さん。その手は今までの労働を物語るように、頑丈でたくましい。その手で自家製の蕎麦粉を打つ。それはもうハンパじゃぁありません。粉をひとつにまとめてからさらに15分、300回近くこねるなんて!想像してませんでした。ふとお顔を覗くと、額には玉の汗。これだけこねるんだもの、おいしいわけです。小麦粉を入れず100%の蕎麦粉で作っているのに、しっかりまとまって艶が出てきました。麺棒で伸していって最後は直径70cm以上の円盤状になります。厚みが均一になって、端の方をちょっと持ち上げてみたら、光が透けて見えました。イヤイヤイヤ、恐れ入りました。切り揃えて箱に並べられた蕎麦をいただいているだけではわからないものです。畑から蕎麦を収穫して実を打ち落として挽いた蕎麦粉。そこから始まる蕎麦打ちなんですよね。ズズズッ、ズズズズッ。16才(息子)と13才(娘)が息もつかずに次々に平らげていきます。あんたたち!蕎麦粉700g分をいっぺんに食べてしまうなんて許されへんで!大家さんの玉の汗を思い浮かべなさい!

Author

いなずみなおこ
「八百屋おやおや」配達のお客さん
2000年に長野県安曇野市堀金に引越して来られ、それ以来配達の度に田舎暮らしや子育ての事等、おもしろい話が聞けて、これは僕一人で聞くにはもったいないと思い「おやおや伝言版」に登場願いました。(店長談)