レトロな町並み47・食事処25−御茶ノ水・本郷・湯島・神田


[2024年3月更新]
 2月8日〜3月8日まで、湯島天神の梅まつりが開催されています。江戸時代から梅の名所として知られる湯島天神には約300本の梅があり、梅が満開となる2月後半は、合格祈願や合格御礼等の参拝者も含めて、多くの人たちで賑わいます。今年は暖冬もあり、例年より早く開花見頃になっていたようです。久しぶりに露店やイベント等も開催されています。


[2023年12月更新]
【神田須田町まつや】
 戦災を免れ、昔ながらの古い町並みの残る神田須田町界隈には、重厚な和風建築の老舗食事処が数多くあります。明治17年創業の老舗蕎麦屋のまつや神田本店を訪ねました。平日の11:00開店の5分前に既に10数名の人たちが行列をつくっています。外観も店内も昔ながらの雰囲気があります。店内は広く約60名入る席はすぐに満席になりました。美味しいかけそばやごまそばを頂きました。


[2023年5月更新]
 5月12日〜14日まで、4年ぶりに神田祭(神田明神祭)が開催されます。神田祭は、江戸三大祭り、日本三大祭りの1つとされており、江戸時代から続く歴史あるお祭りです。その前週に神田明神を参拝した際、本堂の脇に神田明神の山車が設置されていました。週末の祭りへ向けて少しづつ準備が進められていました。


[2023年4月更新]
 神田明神湯島天神、根津神社等の近隣寺社へ初詣含めて、足繁く参拝していますが、神田明神の隣にある井政を紹介いたします。

【井政】
 神田明神の隣、宮本公園の中にあります。江戸時代より続く材木商の遠藤家は、江戸城築城のために鎌倉から招集されたと言われています。1927年(昭和2年)建てられた現在の建物は府中市移築を経て、2009年(平成21年)に千代田区有形文化財の指定を受け、神田の地へ再移築されたと言われています。昔ながらの木造建築の建物内では日中時間帯はカフェが営業しています。神田明神の隣、本殿脇から直接徒歩すぐの場所にあり、参拝の後、立ち寄るのに絶好のスポットです。
 日中カフェとして営業している井政ですが、ひな祭りの館内特別公開が39日迄実施されており、入場しました。普段カフェが営業している、1階に大きなひな壇が飾られていました。また、通常非公開の1階向かって右手の茶室、左手の和室、2階の和室2間も公開されており、ボランティアの方々に丁寧にご案内していただきました。昔ながらの黒光りの狭く急な階段、部屋ごとに異なる天井や窓枠、欄間や襖など、貴重な昭和初期の和風建築を間近で見ることができました。

 井政    神田明神
 
井政・宮本公園の桜     神田明神の桜 
 
神田明神の桜     

[2021年9月更新]
 新型コロナ感染症第6波の拡大が止まらない中、必要な外出もできるだけ混雑した電車を避け、近場は歩くようにしている今日この頃ですが、日本橋方面へ必要な外出の際、御茶ノ水・神田を歩いて向かうこととしました。人ごみを避けて、御茶ノ水聖橋から万世橋神田須田町の昔ながらの町並みを歩くことは、遠くへ出かけずとも、疲れた心身を感染リスクなく癒してくれます。
 御茶ノ水から日本橋までは、万世橋、神田須田町、神田駅を経由して、徒歩約25分の散策となります。緊急事態宣言下であっても、平日のオフィス街はいつもどおり混雑していて、ランチタイムの食事処は密になっており、心配な状況です。

  御茶ノ水聖橋 万世橋   神田須田町  

[2021年7月更新]
 新型コロナ感染症の状況が予断を許さない中、自宅から徒歩圏内のエリアを散策する機会がこの1年間、相対的に増えています。神田明神湯島天神や、少し足を伸ばして、皇居外苑日比谷公園靖国神社等を訪れています。
 
湯島天神は、2月中旬から3月初旬にかけて梅が見ごろを迎えましたが、今年も祭りはなく、合格祈願やお礼参りも密回避で分散縮小傾向にあり、週末でも比較的閑散としていました。静かに祈願して、静かに梅を見ることができました。湯島天神神田明神は徒歩7〜8分の距離ですが、その中間に妻恋神社があります。道を一本入った目立たない場所にあり、初めて参拝しました。

【妻恋神社】
 日本武尊の東征の帰途、行宮したのが、この神社の起こりと伝えられ、9世紀に嵯峨天皇の勅命により関東惣社に列せられたと言われる、歴史ある神社です。江戸時代には妻恋稲荷と称され、王子稲荷神社と並んで参詣人が多かったと言われています。

  梅が満開の湯島天神  
 妻恋神社   神田明神 

[2021年2月更新]
 神田一橋周辺を皇居外苑から神保町にかけて散策しました。このエリアには、共立講堂学士会館等、昭和初期の重厚な建物が残っています。

【学士会館】
 旧帝国大学(現在の国立7大学、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)出身者の親睦と知識交流を目的とした学士会の施設として、大正2年(1913年)に建てられた木造2階建ての洋風建築が焼失した後、昭和3年(1928年)に現在の学士会館が建設されたと言われています。その後、昭和12年(1937年)に新館が増築されています。
 終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館した後、昭和31(1956年)に返還されています。宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する
学士会館は、学士会会員のための施設はありますが、一部施設を除いて一般利用が可能となっています。

 モダンでかつ重厚な雰囲気の建物は、国の有形文化財に指定されています。

  学士会館  共立講堂

【神田須田町】
 また、別の日に
神田須田町周辺を散策しました。旧万世橋駅に近い、神田須田町エリアは江戸期から8つの道が集まり、神田川の舟運もある交通の要衝で、明治後期になると路面電車(のちの都電)が開通し、万世橋駅も開業し、東京有数の繁華街となったと言われています。その後、万世橋駅も都電も廃止され、付近は静かなオフィス街になっております。神田須田町には、戦災をのがれた「奇跡のトライアングル」と呼ばれる一画があり、昔ながらの木造の料理屋や古い建物が残っています。

    神田須田町の古い町並み

[2020年11月更新]
 御茶ノ水駅と神田駅の間にある万世橋周辺を散策しました。

【旧万世橋駅】
 中央線の神田〜御茶ノ水間に、明治45年1912年)に開業した
万世橋駅は、東京駅と同様に辰野金吾の設計による赤煉瓦造りの豪華な駅舎であったと言われています。中央本線のターミナル駅として賑わいましたが、大正8年(1919年)に万世橋駅−東京駅間が開通し、神田駅も開業して、ターミナルとしての役割を終えました。万世橋駅舎は、関東大震災で焼失の後、簡素な駅舎が再建されましたが、神田駅や秋葉原駅が徒歩圏内にできたことから乗降客も減少し、昭和18年(1943年)に駅は休止されました。
 同じ場所に昭和11年(1936年)に
交通博物館が開業し、駅舎の一部が転用されましたが、平成18年(2006年)に閉鎖されています(大宮に鉄道博物館開業)。その後、ホームや階段など、残っていた駅の遺構を整備し、平成25年(2013年)にmAAch ecute神田万世橋が開業しました。開業当時の姿をほぼ留めた1912階段や、交通博物館開館時に設けられた1935階段、旧万世橋駅時代のプラットホームにデッキを設けた2013プラットホーム等があります。

  旧万世橋駅  万世橋

[2020年9月更新]
 お茶の水駅から近い、湯島聖堂神田明神湯島天神に久しぶりに参拝しました。

 湯島聖堂   
 湯島聖堂   神田明神 湯島天神 

[2020年5月更新]
【カトリック神田教会】
 神保町駅と水道橋駅の間、大通りから一本入った静かな場所にある、
カトリック神田教会1874(明治7年)1月に創建された、歴史ある教会です。現在の聖堂は、ロマネスク様式とルネッサンス様式を融合させた建築で、関東大震災で倒壊焼失の後、1928年(昭和3年)に完成したと言われています。当時の面影がそのまま残っており、国の登録有形文化財に登録されています。

カトリック神田教会

[2019年1月更新]
 銀杏並木の色づきが美しい、12月初旬の東大構内を再び散策しました。特に正門から安田講堂までの銀杏並木は美しく、多くの観光客で混雑していました。

正門から安田講堂を望む 赤門

[2018年2月更新]
 御茶ノ水から近い本郷エリアを散策しました。本郷界隈には昔ながらの町並みが残っているエリアがあり、独特の風情があります。かつて文豪たちが多く住んだエリアとしても知られており、樋口一葉や宮沢賢治の旧居跡などもあります。昔ながらの菊坂から坂を上ったところには、明治期に建てられたという老舗旅館・鳳明館があります。本郷通りから東側には東京大学本郷キャンパスがあり、本郷正門赤門(旧加賀屋敷御守殿門)安田講堂等、多くの歴史的建造物があります。また、11月末から12月初旬には色づいた銀杏の木々がとても美しく、多くの観光客が訪れています。

 鳳明館  本郷正門  赤門 東大構内 

[2018年1月更新]
 1月 3日の夜に初詣参拝のため、再び湯島天神を訪れました。初詣期間中は夜も参拝や御祈祷、お守り購入ができますが、あまり混雑しておらず、参拝も並ばずに行うことができました。JR御茶ノ水駅や御徒町駅、上野駅や地下鉄湯島駅、本郷三丁目駅から近く、アクセスがとても良いですが、近隣にコインパーキングも多数あり、自動車でも容易にアクセス可能です。夜19時前でちょうど閉店しはじめたところでしたが、多数の露店も立ち並んでいました。学問の神様ということで、時節柄、合格祈願の絵馬が多数奉納されていました。

  湯島天神

 江戸時代に大名屋敷があった御茶ノ水周辺は、明治時代以降大学やオフィス街として栄えた歴史ある街です。昔ながらのスポットを散策しました。

 聖橋   ニコライ堂   神田明神 
 
 湯島聖堂    湯島天神  

【聖橋】
 御茶ノ水駅聖橋口の前、神田川に架かるアーチ橋で、1927年(昭和2年)に造られたと言われています。ニコライ堂湯島聖堂という2つの聖堂を結ぶことから、この名称になったと言われています。この橋から望む御茶ノ水駅、神田川、地下鉄丸ノ内線と湯島聖堂の景観は素晴らしいものがあります。

【ニコライ堂
 日本正教会の大聖堂で、正式には復活大聖堂と呼ばれています。1891年に竣工し、関東大震災での損壊、復元を経て、太平洋戦争では損害を免れ、現在に至っていると言われています。大きなドームの重厚で美しい建築様式の建物で、日本で初めての最大級のビザンティン様式建築と言われています。御茶ノ水駅聖橋口からすぐのオフィス街にありますが、明治の東京が忍ばれます。

【湯島聖堂
 5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟と言われています。御茶ノ水駅聖橋口からすぐの、聖橋の隣にあります。「日本の学校教育発祥の地」の掲示がありますが、1690年に林羅山が造営し、その後、1797年に幕府直轄の昌平坂学問所となったと言われています。多くの建物は関東大震災で焼失し、現在の大成殿は、昭和初期の再建と言われています。

【湯島天満宮(天神)】
 5世紀に創建され、14世紀に菅原道真を合祀したと言われています。学問の神様として知られ、受験の時期には多くの学生が参拝に訪れます。また、境内の梅が有名です。毎年梅祭りが開催されています。

神田明神
 正式には神田神社と呼ばれ、8世紀創建で江戸時代に現在地へ移ったと言われています。神田祭で有名です。本殿等は関東大震災で焼失し、鉄骨鉄筋コンクリートにより再建されたため、太平洋戦争では焼損を免れたと言われています。湯島聖堂のすぐ近くにあります。

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