岡山県高梁市(たかはしし)の、幕末の有名な儒者「山田方谷(やまだほうこく)」ゆかりの「ゆべしの天仁堂」の柚子(ゆず)を使った「結びゆべし」と「柚子もなか」
岡山県の銘菓シリーズ第6弾として、2014(平成26)年11月7日岡山県岡山市の「廣榮堂」の岡山銘菓「吉備団子(きびだんご)」をご紹介しました。
今回は、岡山県の銘菓シリーズ第7弾として、岡山県高梁市の「ゆべしの天仁堂」の柚子を使った「結びゆべし」と「柚子もなか」をご紹介します。
岡山県高梁市は、江戸時代備中松山藩(幕末頃は板倉家が藩主)がありました。
幕末の儒家・陽明学者の「山田方谷」は、備中松山藩の勘定方責任者となり窮乏(きゅうぼう)して多額の負債をかかえ財政危機にあった備中松山藩の財政を短期間で立て直し多額の負債を返済した上に、藩に多額の備蓄を残しました。
江戸時代の藩の財政再建に関して、山形県の米沢藩の困窮した財政を再建した藩主上杉鷹山(うえすぎようざん)と並んで有名な人物です。
そして、JR伯備線に山田方谷の名前をとった「方谷駅」があります。
JRで駅名に人名を用いた駅は唯一ここだけです。
「山田方谷」は、江戸幕府の昌平坂学問所の学長で「言志四録」の著者として有名な佐藤一斎の門下に入ったときに、その寄宿舎で幕末の志士佐久間象山と毎晩夜遅くまで激論を戦わしたとのことです。
そのことは、安岡正篤の「佐藤一斎「重職心得箇条」を読む」(致知出版社発行)の15頁から20頁にかけて記述されています。
その山田方谷が備中松山藩(板倉家)の勘定方責任者になったときに、城下の家々に柚子の木を植えるよう奨励し、「ゆべしの天仁堂」の先祖も土地の柚子を使って茶の湯の伝統に適合した上質な味のゆべしを作り、江戸や大阪に販売したようです。
なお、備中松山藩と山田方谷、そして「ゆべしの天仁堂」のことは、JR東海道・山陽新幹線車内誌「ウエッジ」の「ひととき」2014年11月号の51頁から55頁にかけて紹介されています。
柚子を使った「結びゆべし」は、短冊状のゆべしを結んである形状で、豊潤な柚子の香りが清々(すがすが)しく、弾力がありモッチリした食感の適度な甘さの上質なゆべしでとても美味しいです。
「柚子もなか」は、風雅な竹皮製のかご入りのもなかです。
餡は備中小豆の内でも高級な夢大納言小豆を使用した小豆の風味が良く感じられる上質な粒餡(つぶあん)で、その中に豊潤な柚子の香りが漂(ただよ)う上記の柚子のゆべしを加えてあります。
もなかの皮(種)は、柚子の実と葉と柄を模した形で香ばしく焼いてあります。
柚子の風味を存分に楽しめる典雅な美味しい最中です。
なお、粒餡に求肥餅を入れたお菓子では、2014(平成26)年8月18日山形県鶴岡市の「つるおか菓子処木村屋」の創業から100年以上愛され続けてきた鶴岡銘菓「古鏡(こきょう)」をご紹介しています。
「結びゆべし」は、24個入りで648円です。
「柚子もなか」は、竹皮のかごに5個入りで670円です。
製造・販売者の「ゆべしの天仁堂」の電話番号は、0866-22-2538です。
「柚子」や柚子に似た柑橘系の果実を使ったお菓子では、2014(平成26)年3月14日岡山県津山市(つやまし)の「京御門(きょうごもん)」の代表銘菓「桐襲(きりかさね)」饅頭(まんじゅう)(柚子(ゆず))と、2014(平成26)年2月9日愛媛県松山市の「一六タルト」(柚子(ゆず))と、2013(平成25)年9月2日滋賀県近江八幡市の「たねや」の「斗升最中(ますますもなか)」(柚子(ゆず))と、2014(平成26)年11月21日静岡県浜松市三ヶ日町の「入河屋」の「みかん最中(もなか)」と「三ヶ日みかんソフトクリーム」と、2014(平成26)年5月7日沖縄県の「お菓子のポルシェ」が販売している「シークワーサースティックゼリー」(コラーゲン入り)でご紹介しています。
「最中(もなか)」に関しては、2014(平成26)年11月21日静岡県浜松市三ヶ日町の「入河屋」の「みかん最中(もなか)」と「三ヶ日みかんソフトクリーム」と、2014(平成26)年8月31日秋田県羽後町(うごまち)の「西馬音内(にしもない)」名物の「そば饅頭(まんじゅう)」と「踊(おど)り最中(もなか)」と、2014(平成26)年9月24日月山山頂に咲く「黒(くろ)ゆり」をモチーフにした、山形県西川町の「松月(しょうげつ)」の「黒ゆり」最中(もなか)等でご紹介しています。
武田正男の独り言の冒頭の簡易検索ボックスに「最中」ないし「もなか」と入力してエンターキーを押すと最中(もなか)に関するブログが一覧表示されます。
また、「ゆべし」に関しては、2013(平成25)年6月17日白鷹町の「えびな菓子舗」の「くるみゆべし」をご紹介しています。