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Sadaoのイタリア紀行

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ベ  ニ  ス

ミラノ観光後270km、約4時間のバスの旅です。23時ごろベニスのホテルに到着しました。
ベニスは最近地球温暖化の影響か300日のうち100日も陸地が水浸しになり、
当局もその対策に頭を痛めていると聞いています。
しかし、我々の行った時はそのようなこともなく快適な旅でした。

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←ベニスの海岸どおり

  晴天に恵まれベニスの海岸通りは、一際美しく見えました。

鐘楼→

  サンマルコ広場にそびえたつ鐘楼は高さ96.8mだそうです。昔は灯台の役もしていたそうです。しかし、1902年7月4日の朝突然倒れ、1912年に元 のままの姿に再建されました。

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←サンマルコ広場

 サンマル コ寺院の反対側の景観です。 この近辺には、「旧政庁」「コッレール博物館」「サンマルコ寺院」「新政庁」「ドゥカーレ宮殿」「マルチャーナ図書館」[溜息橋」「鐘楼」など見何処が沢山ありますが、ツアー旅行であり、時間に制約があります。

サンマルコ寺院と名物ガイド→

  写真の下、中央に上半身写っているのが現地ベネツィ アのガイドです。日本語は勿論のこと、10ヶ国語を操るそうです。 流暢な日本語でガイドしておりました。 パラボラアンテナで日本語の番組を見ているようで日本 の事情に精通していました。 ユウモアーたっぷにガイド して大変な人気でした。 しかし「ヒトノ ニョウボヲ チビ マルコ ダト テメー カクゴシロヨ」と喧嘩を吹っ掛けて やろうかと思いましたが、 どう見ても勝ち目がなさそうな ので止めておきました。 テロの問題で「日本人はどうにかなると、やってくるがアメリカ人は怖くてこない」と言って おりました。兄弟は弁護士や教師をしているが、自分だ けは「変な商売をしている。」と少々コンプレックスを持っているようでした。背後はサンマルコ寺院です。

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←ベネッァングラスの工房

   馬の置物を作っておりましたが、鮮やかな手つきでした。一人前になるには大変な年月かかるそうです。

ベネッァングラスの売店→

   ここでも沢山の日本人がおりました。 美しい深みのある赤に惹かれましたが、カードを間違え て持参しているので止めておきました。 店員は全て日本語が達者です。

←ベニスの水路と街並み

地球温暖化による水位の上昇と建物の老朽化が問題になっているようです

溜息橋→

  左側が「ドゥカーレ宮殿」右側が「牢獄」であった。 この宮殿と牢獄を結んでいた橋で、罪人が溜息まじりに渡ったことが橋の名の由来だそうです。 

←サン・ジョルジョ・マジョーレ教会

  サン・ジョルジョ・マジョレーレ島に立つ教会。 水辺の貴婦人などと言われている。 ティントレットの作品が多い。「最後の晩餐」「キリスト降架」「マナの落下」など。

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会→

  ゴンドラから見た景観です。世界遺産だそうです。 バロック様式の美しい建物です。 ペスト終焉を感謝して、聖母マリアに捧げられたそうです。 壁画「カナの結婚」はティントレット。「カインとアベル」  「ダヴィデとゴリアテ」「アダムの犠牲」はティツィアーノ作である。 

←ゴンドラクルーズ(1)

  ゴンドラはかなり川幅の広い運河のようなところを進みます。結構揺れます。

ゴンドラクルーズ(2)→

  狭い水路に入って来ました。ゴンドラの渋滞です。 前後の船頭(ゴンドリエーレ)同士で、大声でしゃべり 続けます。よく話の種があるものと感心します。 我々のグループは船頭が歌を唄うことはありませんで したが、歌を唄うゴンドリエーレは、日本人のリクエストが ナポリ民謡がおおく、「なんでここでナポリ民謡を唄う のか」と嘆いていたとか、いないとか