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Sadaoのイタリア紀行

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ポンペイ

6日目宿泊地フィアノロマーノを8時に出発してポンペイへ向かいます。240km約3時間30分のバスの旅です。到着後ポンペイの観光です。しかし、約2000年前とはいえ大災害の址を観光するのは複雑な気持ちです。ほとんど全員が死亡したものと思っておりましたが、約1割2000人が犠牲になりましたが、18000人の住民は逃げ延びたようです。わずかながら安堵したようでした。

←遺跡(1)

  西暦79年8月24日に突然ヴェスヴィオス火山が噴火し3日3晩噴煙を上げ続けた。約20000人の住民がいたが、上述の如く2000人が犠牲となり、その死骸のあとに石膏を流し込み、当時どのような状態で亡くなったか、リアルに再現している。

遺跡(2)ヴェスヴィオス火山→

←遺跡(3)春を売る店

   もっとも古い生業といわれる売春の宿だそうです。 なにやらにやにや笑っている奥様もおいででした

遺跡(4)壁画→

   売春宿の壁に描かれた絵で、この他に3箇所にありましたが、このポルノまがいの画は実は魔よけだそうです。

←遺跡(5)水道管

    この当時すでに金属製の水道管が使用されていたのには驚きです。技術の高さを示しています。

遺跡(6)酒屋址→

   ぶどう酒などを販売していたようです。

←遺跡(7)パン屋址

パン屋の址で、パン釜がつい先日までパンをやいていたように残っております。

遺跡(8)街道あと→

   歩道が完備されたメインストリートでしょうか。馬車の轍(わだち)がくっきりと残っております。 ポンペイの現地ガイドのイタリア人は、あまりセンスのよいとはいえない寅さんのようなスタイルで、わだちの日本語を覚えようと何度もきいておりましたが、ついにワダチと発音できず、ワタチで終わってしまいました。

←遺跡(9)豪邸址

ポンペイ随一の豪邸址です。

遺跡(10)スチームバス→

共同浴場の一部でこの他に水風呂、温水風呂など設備がととのっております。

←遺跡(11)モザイク

  門を入ると「猛犬に注意」の文字と共に、犬の絵がモザイクで描かれております。 当時すでにかなり犯罪が多発していたようです。