巻頭言2010i-mode版
LAST UPDATE 2010-07-11

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2000-12

2010-7-11
◆参院選開票が始まったばかりだが、「一体誰が庶民の思いを受け止めてくれるんだ?」というため息が傘の下から漏れ聞こえる1日だったのではなかろうか。やり場のなさを「排除ではなく対話」で克服する政党や議員に期待したい。◆動機解明は始まったばかりだが、宝塚の中学生2人は、「一体誰が私たちの思いを受け止めてくれるんだ?」と夜空を睨む日々が続いていたんだろう。それぞれの両親もまた同じく、苦悩してきたのだろう。「ようやく話を聞いてもらえたのが取り調べ室だったという悲劇」、とは「引きこもり」について齊藤環が著者で述べていたフレーズでもあるが、「非行」や「外国人」を「排除ではなく対話」で受け止める教育的関わりが検証されることを期待したい。◆公私ともども行き詰まることが重なると、「一体誰が受け止めてくれるんだ?」と、すべてを投げ出したくなる。手段としての期待は、突如非難と排除に向かう。「排除ではなく対話」を通して築いてゆくのが「ともに生きる」ということではないのか。閉塞感を口実に対話を拒否していては、仕事も家庭もその他の人間関係もうまくいくはずがない。「切るよりつながる」スタンスをまず自らに期待しよう。◆目を向けるべきは他者の閉塞感であり、変わるべきは内なる拒絶感ではないか。(日々雑感1860)


2010-3-11
◆北朝鮮がらみの報道があればすぐに朝鮮学校や生徒への悪質な嫌がらせが起こる筋違いな差別偏見攻撃が、今度は府知事による政治的圧力と経済的排除としてまかり通る。kurochanも大阪朝鮮高級学校などを見学させてもらったことがあるが、いい学校だし、いい生徒たちだったよ。未ださまざまなハンディを背負わされているのに、こんな仕打ちは許せない。弱き子どもを保護せず、無視し、攻撃さえすることを児童虐待というなら、朝鮮学校の除外は少数民族虐待だ。子どもの権利条約違反、世界人権規約違反だよ。マイノリティの文化や教育を保護促進することの重大さを軽く見逃すことがあってはならない。(日々雑感1835)